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【地下迷宮】


「おーい、アレクさんトコの人ー。こんな所で何やってるんだー?」
 モンスターが頻繁に出現する淀みの溜まった地下。
 殺伐としたこの場所で掛けられたマイペースな挨拶の声に、トゥリンは振り向いて「ああ」と声を出す。
「犬耳タコだっけ。元気?」
「お陰様でー」と軽い調子でハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)答えた。
 今日彼はパートナーの白銀 風花(しろがね・ふうか)藍華 信(あいか・しん)と三人、ある仕事の為に共にイルミンスール魔法学校の校長許可を得て地下へ降りてきていたのだ。
「それよりそっちは平気なん?」
 社交辞令的質問に、トゥリンは嘆息する。余り平気な状況では無い。
「分隊長がいきなり命令違反で目的変更するとは思いませんでした……」
 ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)から向けられる戸惑いの視線。
「葦原では全く遭いませんからね。今日は様子を見に来ただけでしたが、またまたトラブルのようですね」
 と言う東 朱鷺(あずま・とき)のつっつきに、トゥリンは肩を落す。
「……ジゼルが地下で迷子だから探してる」
「迷子!? こんな虫だらけの場所で?」
「虫……?」
「ハコお兄様は本当に虫がお嫌いですよねー。虫というよりもモンスターですわ」
「モンスターって言うか虫だよ。
 今俺達、薬に使う為のモンスターの体液を集めるのに仕事できてんだ。
 必要な分はこの――」言いながらハイコドは右手で持っているものを振る「瓶に集めたんだけどさ、やあ目的の虫以外にもキモいのやらキショイのやら何種類も遭遇して大変だったよ。
 事前に聞いてたから逃げる為の対策は万全だったから良かったものの……」
「そんな場所にパートナーを放っておいて平気だなんて――、やっぱり私はあの男を信じるべきじゃなかった!」
 憤りを隠せないターニャの発言。しかしその直後、彼女の後頭部に拳骨(げんこつ)が振り下ろされた。
「ごちゃごちゃうっせぇ! んなもん今いない奴じゃなく敵にぶつけろ」
「兄さん!」
 椎名 真(しいな・まこと)は慌てて、ターニャを殴りつけたパートナー原田 左之助(はらだ・さのすけ)を嗜める。
「いきなりそれはイタイって!
 ターニャさんも、感情的になる気持ちは分かるけどさ、
 一応パートナーなのにアレクさんが最初連れて来なかったって事は、ここに来させたく無かったって事だろうし……
 でもジゼルさんが――勝手に来た事に対して何か思う所があってじゃないかな?」
「そんなもん知るか! 理由なんて関係ねぇんだよ。そんなもんに感(かま)けてる間にジゼルが死んだらどうするつもりなんだよ!! 死んだら言い訳したって謝ったって何するにも遅いんだ! なのに……!!
 ――いや……でも、殴られて頭はすっきりしました。有り難う御座います左之助さん」
 素直に謝罪したターニャの顔は、彼女の意志の強さを現している。左之助は満足したようで拳を前に突き出した。
「応、嬢ちゃん見つけんだろ? 気合い入れて……行くぜおらぁ!」
「ウラアッ!」 
 搗ち合った拳と拳の挨拶に、二人のパートナーは手に負えないなと困った顔で笑い合った。 
(あの黒髪の女の人の顔、……アレに似てますわ。
 叩くべきでしょうか。手がうずうずしますわ。
 でも――、やめましょう。野生の勘が『マズイ』と言ってますわ)
 ターニャを上から下迄睨め付ける様に見ていた直後、
ハイコドにおんぶされていた兎姿の風花は、先程迄に何度も聞いた不穏な音に耳をぴんと立てる。
「今の、モンスターの声ですわ! それも多分群れ――!」
「また虫!? 仕事はもう終わったのに!?」
 身構えるハイコドの目の前に逞しい位の太さを持った爪が振り下ろされた。
「気をつけろ、こいつら毒があるらしい!」
「まあ、まるでタランチュラですわね」
 信の注意に、チェルシー・ニール(ちぇるしー・にーる)はオーラを放つ杖を構え防御態勢を整える。
「無闇に近付くのは危険ですね」
 言葉に反した行動で、象程体長が有りそうな巨大蜘蛛へ突っ込んでいくパートナーを合図にトゥリンが叫び、敵を睨み据えた。
彼女の鋭い視線に射竦められ、蜘蛛は前にも後ろにも動かなくなる。
(あれは……マオウと呼ばれるものたちのスキルですか?
 トゥリンはその道を選んだのですね)
「キミには陰陽道を歩んで欲しかったのですが――」
「まだ模索中だよ。子供には無限の可能性がある、らしいからね」
「そうですか、まあ、キミならどのような道でも大丈夫でしょう。
 あの時見せて貰った信念という名の槍を、このまま貫いてください」
 朱鷺の笑顔に、トゥリンは両の頬にエクボを浮かばせると、分隊長として指示を出した。
「皆は距離をとって! 真、ターニャと前に出て。左之助と理沙は後ろに!」
「了解よ!」
 走り出した白波 理沙(しらなみ・りさ)は、皆の後ろへ出ると、その勢いでターニャが向かった蜘蛛よりは一回り小さい蜘蛛の楕円形の頭部へ拳を喰らわせ、「理沙さん」とチェルシーが呼ぶのに一気に跳び退く。蜘蛛と理沙の間に稲妻が落ち、蜘蛛はカウンターの一撃を理沙に叩き込む事が出来なかった。
「――やっぱ固いわ!」
 ぼやく間に壁からも蜘蛛はやってくる。左之助は前列眼へ向かって槍を突き出した。
「おうおう! 前行くんなら負けんじゃねえぞ!!」
 左之助の声に「応」と返したのは真とターニャだ。
「ターニャさん! 行ってくれ!」
 真が蜘蛛の足へ向かって身体ごと体重をかけた肘鉄砲をぶつけると、その後ろからターニャが現れる。信の力で潜在力を解放された彼女のスピードは早く、真が作ったその隙間から蜘蛛の腹部下へ向かって両手に太刀と脇差しを持ったまま一気に飛び込んで往く。
「唯斗! 足場作れ!」
「はいよロリ様!」
 言われるままに紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が作った足場――つまり彼の背中を踏み抜いて飛び上がると、トゥリンは着地した蜘蛛の背を槍で思いきり突き刺した。
 上からの衝撃に下がってきた腹を、ターニャの刃が貫く。
「おおおおおっ!!」
 そしてそのまま6メートルを超えるであろうそれを、走りながら斬り裂いた。刃を下ろしたターニャの荒々しい迄の勇ましさに、唯斗は口笛を吹いた。
今迄その実力を隠していたようだが、もうその気はないらしい。
「そうそう、今のうちに全力出しとけ」
「中々の実力ですね。あれはラセツの力でしょうか。
 ……ふむ……俄然興味が湧きました。
 それにマオウとラセツのコンビというのも悪く無いですね。朱鷺とルビーみたいな感じですね……。
 さて、後はキミの友達とやらに合流出来るかどうか」
 朱鷺に問われて、トゥリンは周囲を見回した。
「数が多い。イチイチ戦ってたらすぐに約束の時間になってジゼルを探せなくなる」
 逡巡するトゥリンに、朱鷺は手助けをしない。此処は出しゃばる場面でもないと、彼女は考える。朱鷺は見たいのだ。自分が見初めたトゥリン・ユンサルという少女の成長を。
(葦原の生徒として、分隊長として、そしてトゥリン・ユンサルとしての)
「今のキミを見せて貰いますよ」
「左之助、理沙、そのまま後ろへ道を作って! 進まずに一つ手前にあった曲がり角を反対に。唯斗は彼等の援護に――」
 指示を続けるトゥリンの紫の瞳は、過酷な戦いの中で尚一切濁る事は無い。これこそが朱鷺へ見せる彼女の応えだった。 
「弥十郎、あれを出して」
 トゥリンに請われて佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、プレゼント用に開発されたフォンダンショコラを『発進させた』。料理人の弥十郎が偶然鞄に入れていたその『渡したい相手の写真と焼き上げると起動する』チョコレートを、トゥリンの指示によりチェルシーの放つ炎が包み込む。
 するとプリティプリンセスという商品名の奇妙なチョコレートは、四足歩行で歩き出したのだ。
 甘い香りを放ちながら動く物体に、蜘蛛達は一斉に飛びついて行く。
「この隙に逃げよう!」
 トゥリンの声に呼応して、契約者達は踵を返し走り出す。作戦は成功だ。
 ただ一人悲嘆に暮れているのはターニャで、何故ならチョコレートと共に焼き上げられた写真は、彼女が大事にしていたジゼルの写真だったからだ。
「酷いです。私の大事な写真をあんな訳の分からないものに使うなんて……」
「今まさに危険に晒されているかも知れない彼女と、その子の写真のどちらが大事だと思いますか……。
 彼女の事を思っているのならこれしきの事で挫けないで下さい」
「それは分かっていますが……」
 ぶちぶちと呟いているターニャの声を、蜘蛛の発した絶叫の咆声が引き裂いた。幾らなんでも尋常じゃないその音量に、契約者達は皆首を傾げている。
 すると弥十郎が何かを思い出し、至極愉しそうに解説を始めた。
「あ、そうそう。
 これ、贈り主の思いがフラッシュバックするんですよねぇ。
 思いが強い程、強力かもしれません。ふふふ」
「贈り主の思い、ですか?」
「その、なんだ。
 簡単に言うと贈り主……多分今回は写真を提供した君タチヤーナ・ミロワが、写真の相手……ジゼル・パルテノペーに対し思っている事や、その、写真を焼かれる事で葛藤した思いがフラッシュバックされるみたいだ……。
 まぁ、なんだ。
 なるようになるさ」
 佐々木 八雲(ささき・やくも)の慰める声に、ターニャは眉を顰めている。
 チョコレートの提供者である弥十郎は少々興奮を孕んだ様子で「淀みを吸収した生き物ってもしかしたら珍しい味かも!」等と言い出しているし、
弟の良く無い癖を見抜いていた八雲の方は蜘蛛の化け物を食用サンプルとして持ち帰りたく無いと、愛用のミスリルバッドを「出来ればお前も汚したく無いな」と気遣いながらも持ち帰れないよう蜘蛛の処理を最優先に動いている。
「全く、何やってんだか……」
 幾つも年下のトゥリンに呆れられた二人に、笑い出す契約者達。
 いつも通りの光景に戻りつつ有る仲間達だったが、その中でターニャの表情は暗いままだ。
 モンスターが絶叫する程に強い、彼女のジゼルへの想い。
 ターニャを振り返ったベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)は、頭の中を支配している『考え』をまた一歩、確信へと近づけていた。