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リアクション
「ジゼルちゃん、大丈夫っスか? 緊張してな……い訳ないよねぇ……」
キアラが苦笑混じりに声を掛けてくるそれだけで、ジゼルは心臓が口から飛び出しそうな勢いだった。
作戦成功の鍵となる――と、勝手に認定されてしまったアレクと、二人で出掛けた事が無い訳じゃない。ジゼルの事を妹だと言いながら普通妹にはしないような事をしれっとしてくる兄と手を繋いで歩くのはつい一月程前までは当たり前だったし、二人きりで遠方へ出掛けた事だってある。
しかし同じ家に住んでいた時のやれ生活用品を買いに行きましょうとか、さて夕飯の買い物に行きましょうとかそういうノリで出掛けていた頃と今回は全く別なのだ。ハニートラップの為の工作員とターゲット。キアラらプラヴダの隊員達を背負う重大な責任に、ジゼルは早くも目眩がしていた。
「大丈夫ですよジゼルさん、何か危険な事があれば私があなたを守ります!」
キリッとした表情でそう言って、スヴェトラーナ・ミロシェヴィッチ(すゔぇとらーな・みろしぇゔぃっち)――ターニャを名乗る彼女はジゼルの肩を抱く。
「ありがとうターニャ、私、精一杯やってみるから、絶対お兄ちゃんをプラヴダに取り戻してくるから」
意気込みを口に出すジゼルの頬は興奮に赤く染まっている。『初恋の君』にそんな顔で見つめられたら溜まらなかった。
「ムラムラしますね」
真顔でしょうもない事を吐きだしたターニャの後ろ頭に原田 左之助(はらだ・さのすけ)が拳骨を入れた。
一方ジゼルの方はといえば、幸い『ムラムラ』という単語は彼女の辞書に登録されていなかったらしく、それを聞き流し左之助の方に気をとられているようだ。
「珍しいね、どうしたの?」
「これか?」と、左之助が広げたのは彼が着慣れていないスーツのジャケットだ。
「和服は目立つからって着せられたんだよ。
ああ、安心しな! 尾行は慣れちゃいる。慣れちゃあいる……が……」
言い淀む左之助は、彼の前で疼くまりながら頭をさするターニャを見下ろし苦笑する。
「傍に居るターニャ嬢ちゃんが一番アブネェんじゃねぇかこの様子」
そんなやり取りを遠目にトゥリン・ユンサル(とぅりん・ゆんさる)は息を吐き出す。
「行きたく無い……めんどくさい……」
ブツブツと口から出る文句は、トゥリンの気持ちそのまんまだ。今のプラヴダの状況や、彼女のとってお気に入りの大人のジゼルが邪険に扱われているように見える部分は気に入らない。
だが気に入らないからこの作戦を頑張れるかといえば別問題なのだ。
心底面倒くさそうにぎゅうぎゅうと兎鞄に荷物を押し込んでいる。無理矢理に押し込むので、兎の腹が歪んで今にも爆発しそうだ。
「Shit!(もうっ!)」
忌々しげに舌打ちする彼女を見て、椎名 真(しいな・まこと)呟いてしまう。
「トゥリンさん色々大変だな……うん」
どうやらトゥリンに聞こえていたようで、こちらと目が合った瞬間「ウンザリしてんだけど」という顔をされてしまい、真は苦笑した。そんなトゥリンの肩を「まあまあ、俺も一緒にいくからさ」と、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が叩いて笑うのに、真は彼女の傍から離れてターニャの隣に立つ。
「真さん、今日は一緒に頑張りましょうね」
アレクと良く似た顔で屈託なく笑顔を見せるターニャに、真はあの無愛想が笑っていると少々複雑な気持ちに駆られつつ考える。顔も似ている上に、ターニャもまたジゼルが大好きらしい。母親の影さえ知らない父子家庭で育ったターニャが母親に募らせる思いは特別かもしれないが、だからって『ムラムラする』は子供が母親へ向ける感情じゃないだろう。
(これはもうマザコンじゃない、ジゼコンだ!)
真は頭の中で一人上手い事を言っていた。
(……ジゼコンなら、以前篠原さんの録音したあれに食いつくんだろうか)
いや、あの録音は主にお兄ちゃんに向けた内容ばかりが吹き込まれていた筈。子供のターニャには多分違う内容が必要だ。その場合……何だろう。
(スヴェータさんの好みに合ってて、なおかつ母親の暖かみを感じる台詞かぁ……。
「夕飯はカレーよ」、「ちゃんとあったかくして寝るのよ」……やばい、涙出てくるなこれ)
そこまで考えが及んだ所でターニャが握手の為の手を差し出したままなのを思い出し、真は慌てて頭を振って彼女の手を取った。
「俺達を頼って、とは言わないけど……助けさせて、ね、スヴェータさん」
こうして隊員に手伝われながら出立の準備に追われる契約者達をぐるりと見回し、篠原 太陽(しのはら・たいよう)は一人壁に凭れながら口の端をニヒルにつり上げる。
「……やれ妹だと揉めるのならば、いっそ10歳この力で年を取らせ、妹から姉にしてやろうか」
*
「この間気持ちが高ぶってジゼルさんとはお知り合いなだけなのに、
ジゼルさんに友達だなんて変なことを言ってジゼルさんを困らせてしまったと思いますので、
あの……ジゼルさんを困らせてしまった事に対して、ジゼルさんを守ることでお詫びしたいんです。」
リース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)の突然の謝罪に、ジゼルは唇を開いたまま返す言葉が出て来ない。
リースの事を『友人で無い』など口走った覚えは無いし、そう思った事すら無かったからだ。アルバイト先まで遊びにきてくれた事もあれば、事件に巻き込まれたときは自らの命を賭けても互いを守ろうとした間柄であったのだ。リースと自分は普通の友人という間柄すら超えている関係を築けていると思っていたからだ。
気持ちの行き違いがあったのだとして、考えられるのはきっと先日、リースがイルミンスールでジゼルを助けにきてくれた時の事だろう。あの時ジゼルは……それこそ気持ちが昂っていたから、リースに対し邪見に扱うような事を言ってしまったかも知れない。
「あの、何か誤解が……。
私リースの事は友達だと思ってて、知り合いとかそんな風には――」
目の前のリースの複雑な表情――。大事な友人を傷つけてしまったかもしれない。そんな一大事にジゼルは自分の事どころでは無く、頭の中で言葉を纏めるのに必死だ。
「私、この間は自分の事ばかりで、リースの気持ちも皆の気持ちも考えて無くて……ごめんなさい!
その……もし誤解があるなら、またお友達だと思ってくれると……嬉しいんだけど……」
「わ、私今日、ジゼルさんの護衛をしようと思ってきたんです」
リースの応えだ。
「相手がどんな出方をするか分かりません。ジ、ジゼルさんが怪我をしないとは限りませんから、勝手にでもジゼルさん達について行くつもりです!」
「有り難うリース、私。頑張る」
今はその応酬だけで精一杯かもしれない。でもそれが終わったら、きちんと誤解を解いて仲直りしたい。リースの向けてくる真摯な眼差しに応えようと、ジゼルは頷くのだった。
*
「それじゃあ……行ってきまふっ!! いッ…………ま、す!」
勢い余って舌を噛み唇に健か赤い色を混じらせながら出立するジゼルをハラハラと見守る契約者達。その一団の中で、ウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)は一人の背中を小走りで追いかけた。その横にベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)がついてくる。
「ミロシェヴィッチ……と呼ぶと今はややこしいな」
振り向いたターニャは悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「ミロワでも構いませんけど、私個人としては名前で読んで貰うのが一番嬉しいですね。仲良く慣れた気がしますし」
「そうか」
「はい、ご一考下さい。で、何か?」
「ああ、この間からベルクと考えていたんだが……」
「何をです?」
「――お前にも危険が及ぶ可能性だ」
ウルディカから出た意外な言葉に、ターニャはキョトンとする。
「ま、あ……私もプラヴダの軍人ですからね。でもはっきり言ってしまうと、白の教団に連れて行かれた隊員は皆優秀な軍人ばかりで、残った二十数名は軍人としても契約者としてもまだ半人前です。
戦力になるものとそうでないもの、トーヴァさんはそれを明確に分けたんでしょう。
その戦力の中で逃げ切ったキアラさんとトゥリンさんは人一倍鋭い方ですし……、お二人の癖の強い優秀さはカピタンしか使いこなせませんからね。そういう意味でも捕まえられなかったんじゃないかな。
かくいうターニャこと私は『使えるスキルも碌に無い運動音痴の二等兵』という時点で洗脳対象に上がる可能性は低いとは思います」
「そうじゃなくて」という二人の反応に、ターニャは分かっていると笑う。
「ミリツァというか、叔母の事ですね。彼女の目的はハッキリ分かりませんが、ジゼルを排除しようとしているのなら、ジゼルの血を引く私も危険だと、――そういう事ですよね。
でも私は大丈夫です。この間もお話しましたけど、巡った過去で私はいつも父の敵として行動してきました。あの人相手に暗躍するっていうのは、そう簡単な事じゃありませんでしたよ?
そんな訳で叩き上げの『ターニャ』とお付き合いし始めてからこれまで何度も失敗しましたが、今こそこの努力が実る時ですよね。そう簡単にバレてたまりますかって」
悪戯っぽく笑ってターニャは言う。見えない未来の為に悲惨な過去の世界を渡り続けるなど辛い経験なのは間違いないのに――。
何時の事だったか、ベルクの恋人フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)は彼女の名を「とても素敵な名前」だと評していた。
「マスター。スヴェトラーナという名は『あかり』という意味だと、そう聞いて私は考えたのです。
アカリさんは太陽や月のようにアレックスさんとジゼルさんを照らす光。きっとそういう想いを込めて付けられたのじゃないでしょうか。
例え――この世界のジゼルさんが、子を成す事の出来ぬ身体だったとして、この世界に今存在するアカリさんが二人の娘であることは紛れもない事実。
なれば彼女が何時の日か、今も闇に佇んでいる二人を光りへ導く希望なのではないかと……私は信じているのです」
(希望の光り、か……)
ベルクは頭の中で、フレンディスの言葉を繰り返す。ターニャが隠し続けた本当の名の通り明るさを失わないのは、深い愛情のもと真っ直ぐに育ったからなのだろうと想像に難く無かった。だからその愛を与えてくれた父と闘うような悲劇を、もう二度と繰り返させてはならない。
「スヴェータ……俺は約束した以上、絶対に最後まで協力させて貰う。
だから何があろうと先走る真似だけはするな。
まず俺達を頼ってくれ」
「お前の目的を果たして欲しい。その為に俺たちも協力する」
ベルクとウルディカと二人の顔を順に見て、ターニャは言葉を噛み締める様に目を瞑った後に突如笑い出す。
「ハハハ、イッケメーン」
「からかうなよ!」
赤い頬を掻いているベルクに、隣で面食らっているウルディカに、ターニャは微笑んだ。
「ハハ、ハ……すみません。ほんと……。でも、こういうのって嬉しいものですよね。
一人で同じ場所をグルグル回り続けていた時とは全然違う。仲間がいるっていいです。今なら何でも出来そうな気がします」
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