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白雪姫へ林檎の毒を

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白雪姫へ林檎の毒を

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[――各員に告ぐ。
 このままじゃ埒が空かないっス。揺さぶりを掛ける為に『馴れ馴れしいあの子に何故か激おこ☆彼女のハートは僕のもの!』作戦を開始するっス。これはジゼルちゃ……名誉隊長殿には事前に連絡をとっていないもので――]
 キアラの通信――『馴(略)』とは、一言で言ってしまえば『嫉妬心を煽る』作戦である。
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)とジゼルを挟むようにして、 コード・イレブンナイン(こーど・いれぶんないん)はジゼルの横の位置を取った。
「ジゼル、楽しめてるか?」
「え…………うん」
 声をかけたジゼルが少し驚いた顔からおっとりした笑顔になるのに、コードは密かに拳を握る。そのまま視線は、ミリツァと手を繋ぎ先を行くアレクに注がれた。
 デートだか観光客だか何だか分からなくなった一行が行動を開始してからというもの、ジゼルは彼等の最後尾で時たま友人達と言葉を交わしながら進んでいるだけだ。それは作戦の失敗を意味していたが、コードが気に入らないのはその部分では無い。
(ジゼルは可愛い妹じゃなかったのかよ。
 なんでミリツァに甘えたい放題にさせとくのかサッパリわからねぇ、ジゼルに辛い思いさせて平気なのかよ!)
 コードがジゼルと知り合ったのは、ジゼルの生活が落ち着いてきてからだ。だからコードにとっては何時も友人達に囲まれ明るく笑っている印象しかないジゼルが、こんなに気落ちしている様子すら見るのは初めてで、その顔をさせているのであろうアレクの行動が許せないのだ。
(ジゼルを応援してあげましょ)
 とルカルカは言ったが、ここまできたらコードとしては『奪ってやりたい』とすら思い始めていた。
 イライラが募り、何か上手い事敵でも現れて憂さ晴らしさせてくれないだろうかと思っていた頃だ。コードの目に、一件の店がとまった。
「ジゼル、あの店に行こう!」
 一行の全員に有無を言わさぬ勢いで、コードがジゼルの手を引いていく。しめたとばかりにミリツァがアレクを連れて行こうとするが、気づけば愛しい兄の頭にモフモフした塊が鎮座していた。
「アレクさん、僕らもジゼルさんと一緒に行きましょう!」
 忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)が、狭い上に丸い足場だというのに上手におすわりの姿勢を保っているのに、ミリツァは固まってしまう。そして暫く、やっと紡ぎ出した言葉は非常に歯切れの悪いものだった。
「……あ、あなた……と言っていいのかしら……アレクの頭に……器用に……違う、なんてこと…………。え……待って、待ってそもそも…………何故犬が喋るの?
「獣人って種族だよ。結構居るだろ、犬っぽい人とか人っぽい猫とか――さっきから何度も通りがかってる」
 アレクが当たり前の事だと言う様に答えるのに、ミリツァはコクコクと頷くばかりだ。地球で暮らし、パラミタにきてからは眠り続けていた彼女は、世間の事情に大分疎いのだ。
 アレクに何時も以上にべったりする。そんな行動をすればもしかしてミリツァから敵意を向けられるかも知れない。しかしそうして敵意を自分に集中させることで結果的にジゼルを守る行動に繋がればと思っていたポチの助だったが、ミリツァにとっては大前提――ポチの助の存在自体がイレギュラーでカルチャーショックだったらしい。
「忍野ポチの助、俺の犬だ」
 けろりとそう紹介してポチの助を前に突き出してきたアレクに、ミリツァは「ひい」と悲鳴を上げて後ろへ引いてしまう。
 茶色いフワフワの塊は屋敷で何頭も飼っていた大型過ぎる大型犬たちより余程可愛くも見えるが、喋るとなると別だ。
「どうかしましたか?」
 にやりと笑うポチの助に、ミリツァは震えを隠そうと自分の腕を抱きしめる。
「べ、別に……なんでもないわよ……!」
「Stvarno?(ふうん?)」
 声では納得する音を出しながら、アレクはポチの助を持った両腕をミリツァの前に突き出した。ぴくりと赤い唇が歪む。
「Aleck! Prestani!(アレク、やめて!)」
「Nema problema,Probajte!(ヘイキだって、触ってみなよ)」
 一歩ずつ近付いてくるアレク――というより喋るモフモフ物体に、ミリツァは悲鳴に近い声を上げる。ポチの助は勝ち誇ったような笑顔で彼女を見下す視線を向けるが、ミリツァは頬をひっぱたくどころではない。大体犬の顔の何処を引っ叩けばいいのかわからないし、叩いたら噛まれるとか、ベロベロされるとかもう考えうる反応は全て恐ろし過ぎた。
「Skloni se od mene !(こっちこないで!)」
「Budi hrabra!(勇気出して)」
 アレクは何を言っているのだろう、訳の分からないものを受け入れるのに何の勇気を振り絞れば良いのかミリツァにはさっぱりだ。その瞬間、ミリツァの中に幼い頃の記憶が蘇ってきた。
「ミリツァみて、面白いのつかまえたよ!」とケラケラした笑い声と共に部屋にぶん投げられた黒いシマシマのクネクネした足のないあれ――
 起きて横を向いた瞬間目に飛び込んだ、ミリツァの枕で一緒に寝ていた(アレクが育てていた筈の)クワガタの幼虫――
 ミリツァの黒髪の上にてんとう虫を這わせて「これでしあわせだねー」と言ってのけた兄の可愛らしいというかこ憎たらしい笑顔――
 全てが恐ろしい記憶だった。
「eeeeeeeeeek!!!!(きゃああああああ!!)」
 と悲鳴を上げて逃げ惑う妹を、兄は犬を持って追いかける。
 小学校の帰宅時なんかには良くみた光景かもしれないが、兄は19歳で妹は18歳だった。
「何やってんだあいつら……」
 店の中からそんな様子を一瞥し、コードは呆れ声を出しながら綺麗に並べられた指輪やピアスを見下ろした。コードがジゼルを連れてきたのはアクセサリーショップだ。これらを試すという名目の元、ジゼルの首にかけてあげたりすれば嫉妬心を煽れるんじゃないかとか、ついでにちょっとした役得がえられるんではとか、コードなりに色々考えたのだが――
(そもそもこっち見てねえし)
 小さなチャームがついたネックレスを手に取りジゼルの首に遠くから当てるようにしてみて、コードは思い出した。
「ジゼルは何時もそれつけてるんだよな」
「そうね」
 コードに指摘されて、ジゼルは指先でチョーカーの下についた宝石をなぞった。
 細身のティアドロップに近い形をしたアクアマリンの欠片、あれがジゼルの命の源――というより命そのものである事はコードもパートナー達に聞いて知っていた。そのアクアマリンの欠片の上についているクラスプ(留め具)も何時も同じものなのは何か拘りでもあるのだろうか。
「その黄色いのは?」
「これは――、アレクがくれたの。お返しって」
 今余り聞きたく無い名前を出されてコードの眉が顰められたのに気づかずに、ジゼルは説明しはじめる。
「んとね、アレクってミリツァの形見のピアスを何時もしてるでしょう。それからリュシアンのも。何時も見てたら私、なんだかちょっとムカっとしたの」
 言い方は可愛いが、何か引っかかる言葉をジゼルは続けた。
「だからアレクが寝ている隙にそっと近付いて、買ってきておいたピアッサーでこうグッと――」
 ホッチキスを閉じる仕草を、ジゼルはしてみせる。
「あれってとっても痛そうだけれど、意外と簡単に出来るものなのね。『ちょっと』血が出て枕カバーを洗うのが大変だったけど、うふふ」
 微笑んでいるが内容は『人の寝込みを襲って身体の一部を傷ものにする』というものだったので、コードの顔が白い肌が青くなっていく。
 ミリツァが今『白荊の乙女』などと呼ばれているように、ジゼルも一部の人間から『アクアマリンの乙女』とか『蒼空学園の人魚姫』なる夢見がちな渾名を付けられているらしいが、その人魚姫はナイフで王子様の寝込みを襲うのに躊躇が無いらしい。お姉様に与えられなくても得物を自分で買ってくる辺り、ジゼルはちょっとやそっとじゃ泡に成って消えそうになかった。
「それで石のアクアマリンのピアスをプレゼントしたの」
 プレゼントというか強制だった。その状況ではもう『付ける』以外の選択肢は無いと思われる。
「そしたらお返しに何かくれるって言うから私『アレクの目が欲しいわ』って言ったの」
「目……?」
「そうよ、金色の瞳ってとっても綺麗だから」
「まさか抉れって頼んだんじゃないよな」
「ふふふ、コードったら。
 ねえ、金色の目って本当に本当に綺麗だわ。黒い髪でも良かったのだけれど……そっちは我慢したの。
 それでね『目は無くなるとちょっと困るからこれで赦してくれ』って言ってくれたのがこれよ」
 成る程それでアレキサンドライトのはまったクラスプが――。
 恋する人魚姫はうっとりした表情で初めてのプレゼントの話をしてくれたが、他人から聞くとこのエピソードはちょっと恐ろしいもので、コードは「お、おう……」と答えるのが精一杯だった。

* * *

「今回のあたしのキャラは純真なKYお嬢様って設定だから」
 そう微笑って涅槃イルカに乗ったルゥルゥ・ディナシー(るぅるぅ・でぃなしー)が出立していくのを、キアラは引き攣った笑みで見送る。
「男よりも女の方が実は怖いかもしれないっスね」
 キアラにそんな感想を言わせた作戦が今実行されようとしていた。
「お久しぶりですわアレク様ーん☆」
 非常にわざとらしい猫なで声でミリツァの反対側の空いていた腕を取ったルゥルゥの突然の登場に、ミリツァどころか一行の全ての時が凍り付く。
 しかし敢えて『空気が読めない』を装っているルゥルゥは、そんな状態も気にしないでアレクの腕にぺったりと額を寄せた。
「……誰?」
「酷いですわぁ、あなたのルゥルゥをお忘れだなんて。
 この間イルミンスールで会ったじゃありませんかぁー」
(覚えてる訳ないわよね。ほんの一瞬すれ違ったくらいで。
 でもあたしはミリツァって子がジゼルを困らせるのは、ジゼルを守りたいって思ってるあたしの親友のリースを困らせるのと同じだって思ってるの。
 だからどんなに邪険にされても邪険にされても猫を被るのと、あなたに近付くのはやめないつもりよ)
「はあ、あっそ」
 ルゥルゥの言葉を半分も聞かない間に、アレクは腕に絡み付いた彼女を振り払う。
 上空でジゼルを護衛する為に見守っているリースはハラハラとしているし、影から見ているナディム・ガーランド(なでぃむ・がーらんど)も気が気では無いが、ルゥルゥはめげない。
「あんっ、アレク様ったら冷たい方。
 でもそこもまたス・テ・キ」
 イチイチ語尾にハートマークがつく程甘い声を出して、ルゥルゥは先程払われたばかりの指先でアレクの脇腹をくすぐるように指先を這わせた。
「あなたねいい加減に――」
 ミリツァが声を上げるのが背後に控えている仲間のマイク越しに聞こてくる。これでミリツァは暫くルゥルゥ排除にかかり切りになる筈だ。
 計画通りと歪めた口元にキアラがアーモンドローストの入ったラテを運んだ瞬間だった――。
「うあっつッッ!!」
 慌てて手を離してテーブルの上置いたカップ。どういうわけかそれはゴボゴボと煮えたぎっていたのだ。
「な、なにこれ!?」
 沸騰するスチームミルクという斬新過ぎるカップの様子に気を取られていると、カフェのそこかしこで同じ怪奇現象が起こっているらしくあちこちから悲鳴が上がる。
 しかしそれに気を取られている場合ではない、投入したばかりの新たな作戦の様子を見ようと窓の外へ凝らしてみたキアラの目に映ったのは、恐ろしい光景だった。
 先程まであれだけ晴れ渡っていた空がまるでホラー映画さながらにどんよりと曇り、稲光を走らせながら雷鳴を轟かせているでは無いか。
(ちょ……! なにこれ!
 でもその前に隊長とルゥルゥちゃんは!?)
 視線を走らせてまず見えたのは、アレクに触れていたルゥルゥの指先が静電気によって弾かれるという現象だった。秋ならば良く有る事だが、『火花が散る』というのはかなり珍しいのでは無いだろうか。そしてルゥルゥがちりりとした痛みに悲鳴を上げた直後、その背中に走り去る車から泥が跳ねる。
 昨日も今日も雨ではない。どうしてとルゥルゥが周囲を見ると、目の前の店舗からバケツと柄杓を持ったおばあさんが出てきてふと目が合った。人の良さそうな笑顔での会釈はいいが、もう肌寒くなった9月だというのに道路に打ち水をしているというのは一体どういう了見なのだろう。
「なんなの!?」
 思わず素が出て抗議するルゥルゥの声は、頭上から落下してきた大量の水と、最後にとどめのもう一発で掻き消された。
 ルゥルゥの形の良い頭の上でバコンッと音を立てて、それから虚しく地面を転がっていくバケツ。
 ビルの窓拭きをしていたらしい男が謝罪を口にしながらバケツを取りにこちらに降りてくる中で、アレクは心の底から面白いものを見たと言う風に皮肉混じりの笑顔で濡れ鼠のルゥルゥを見下ろしている。
「良かったな、泥が落ちて」
 そんな様子をジゼルは少し離れた位置から見ていた。
(そっか。お兄ちゃんは媚びるような女の人が嫌いだって、トーヴァ言ってたものね)
 ジゼルが安堵の息を吐き出し花が綻ぶ様に微笑んだ瞬間、空を覆い尽くしていた黒い雲は嘘のように一気に晴れてしまう。そしてキアラのテーブルではローストアーモンドとコーヒーシュガーが先程より一段と甘い香りを漂わせ始めるのだった。