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壊獣へ至る系譜:その先を夢見る者 前編

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壊獣へ至る系譜:その先を夢見る者 前編
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■ 別棟【5】 ■



 自己紹介に驚きや戸惑い、警戒に皆が沈黙する中、「ところで」と『彼女(ロン・リセン)』は話題を変える。
「ねぇ、あなた達はクロフォードの質問には答えた?」
「質問?」
 セレアナが聞き返す。ロンは、にぃっと口角を吊り上げる。
「とぼけなくてもいいわ。聞こえていたんでしょう?」
 ずっと問いかけ続けていた言葉。それに答えたかと聞かれて、皆の反応は様々だった。唯一聞こえていないシェリーだけがきょとんとしており、他は、答えてしまったや、答えなかったとわかりやすくまた、秘密だと言わんばかりに表情を変えない者もいた。
 それを順繰りに見つめ、ロンは、うんうんと一人頷き、パッと両手を体の横で広げた。
「ねぇ、あなたは聞いていた? 知り得たかしら? クロフォードの息子。
 人は幸福について考える存在よ。
 自分の存在につて考える生き物よ。
 中には答えが出せない貪欲な人も居るわ」
 答えを出すことが必要であったわけではない。
 その問いかけに考えを巡らせる『生き物』であることの方が――このセキュリティを残したクロフォードの考えとは別に――ロンにとっては重要だった。
「ねぇ、ほら、やっぱり、土壌が要るわ。
 何者にも脅かされない楽園が必要なのよ。
 わたし達は確固たる世界を待ち望むの。
 その為の『手段』を早く確立しなければいけない……
 ――だから、少しは言うことを聞きなさい?」
 研究の続行を。
 再起動させて尚、すんなりとは動いてくれない破名に、ロンは語る。
「これは『手段』を得る為の研究よ。むしろ喜ぶべきだわ。何も世界を滅ぼそうなんて考えているわけでもないのよ?
 その逆。あなた達の幸せを心から願っているわ。その為の手伝いをしているの。
 わかるかしら?
 わたし達は世界の安定を望むの。安寧に身を委ね、世の生き物は皆、至福に世界の――引いては自分の未来を夢見るべきだわ。そして歩(あゆむ)の。自分の為に!
 世界に産み出される生き物は、産まれ、生きて、死ぬ。その全てを享受すべきよ。
 でも、それには今の世界は不安定過ぎる。過去から今も、情けないことに世界は幾多も滅びの縁に立たされる。踏ん張れたからいいやとかそんなの冗談じゃないわ。
 わたし達は、次代の子を創りあげ、滅びに晒されること自体を許す旧体制を破棄すべきなのよ!」
 ロンの言葉を理解できるキリハは、誰一人口を開かない中、ぎゅっと両手を握りしめて、顔を上げた。
「でも、その研究目的は変わりました」
「クロフォードのお陰でね! 後から参加して図々しくもわたしから全てを奪ったわ!」
 烈火の如く怒り、怒声紛いに声を張り上げるロンは、ガンと箱を押し潰すように蹴った。
 部屋に反響する攻撃的な音に、シェリーが隣に居る舞花とジブリールの手をそれぞれに握る。
 いきなり手を取られ驚いたが、震えている指先に気付き、二人は少女を見ただけで取られた手を振り払わなかった。反対にそっと握り返す。
「確かに文字に使われるのではなく、制御できる生体が必要だったとは言え、たったの87体目で成功させて、しかも「では、これから私が主導しますね」なんて、ふざけんじゃないわよ」
「貴女は母様ではないです」
「今はそんな事どうでもいいのよ!」
 叫んだロンは「何の為に」と言葉を続ける。
「わたしが何の為にこの研究を――」
「だから、あんな嫌がらせをしたんですか?」
 否、続けようとしたロンの声にキリハは慌てて自分の声を被せた。
「嫌がらせ?」
 聞き咎めて、天音はキリハに聞き返す。キリハは一度天音を見て頷き、ロンに向き直った。
「クロフォード博士は知ってましたよ。母様が系図の監視者であるクロフォードに『サンプル(被験者)を逃がす』ように弄っていた事を」
「なんですって?」
 ロンが訝しんだ。
「クロフォードはそんな自分の『矛盾』に気づかないまま、サンプルを逃して、追跡も放棄。お陰でクロフォード博士は最後までクロフォードを遺すかどうか悩んでました。
 母様が嫌がらせをしなければクロフォード博士はクロフォードを遺す決断もしなかった」
 系図を宿す者と同時に、系図を動かせる者も残った。
 全ては、ロン・リセンへと事象が集約する。
 過去のロンが行ったことが、現在のロンが必要と思える環境を整えている。
 はっ、とロンは息を吐き捨てた。
 箱の縁を両手で持って、体を支え、契約者達を見た。
「わたしの娘……否、姉様」
 改めて呼ばれて、キリハは、ひたと自分と同じ顔の女性を見据える。
「そんな怖い顔しなくてもいいじゃない。ねぇ、姉様、ここに居る皆に今わたしが何をしようとしているのか見せてあげて」
「……」
「キリハ」
 請われて、沈黙した魔導書にメシエはどうしたのかと声を掛ける。
 呼びかけられ、意を決したように、キリハは人差し指を、スっと目の高さまで持ち上げた。
 すると、空間は金色に光る文字で埋め尽くされる。
 あまりに無数でその色が金で無ければ、部屋の中は固定されずゆらゆらと雪に見立てた粉を降らせるスノードームを彷彿とさせた。
 きらきらと煌めく黄金の色。
 可視化された古代文字『系図』。
 見せてあげると言われて、誰がその意味を理解できるだろうか。
「なに……これ?」
 ただ、シェリーの周りだけがおかしいことには誰もが気づいた。シェリーの周囲だけ、文字が銀色に輝いている。白く輝く銀色の文字が連なり幾本もの細い鎖となって少女の手と言わず足と言わず全てを括り、括った幾本の鎖の先は箱の中へと繋がっている。
「前にも説明させていただきましたが、金の色をしているのが系図。銀の色をしているのが楔です。どちらも可視化しただけですのでなんら影響ありません」
「シェリーは? シェリーも影響がないの?」
 ジブリールが疑問の声を投げかける。ナオも声こそ口に出さないが、ジブリールと似た表情をしていた。この場にいる何人かが、予感を確信に変えていた。
 元より、隠し通せるはずのないことではあった。
 破名がイルミンスールに事情を話してからは特に。
 孤児院『系譜』に身を寄せる者は皆、破名の研究に関連している。
 否、関連どころか、想像するに、被験者そのもの、なのだろう。
「シェリー。貴女は子供ではないので、自分を律せますね? お願いですから動かないで下さい。均衡が崩れます。ロンは貴女を脅しの材料に使っているんです」
「脅しなんて嫌な言い方しないでもらいたいわ」
 笑うロンを気にせず、シェリーは重さの無い鎖で繋がれた両腕を、舞花とジブリールの手を握ったまま持ち上げた。誰かの手を握っていないとガタガタと震えだしそうな、その両手を。
「脅し……ねぇ、キリハ。この頃クロフォードが私達を避けていたのは、これ、のせい?」
 キリハは長く吐息する。
「説明するのは簡単ですが、理解してくれないと意味が無いです。それに、あの人はあの状態ですが『聞いて』ますよ。そういうのは当事者同士でやりとりしてくださいと以前にも言いました」
 話の主旨を誤魔化したキリハに、何人かが気づく。ここに来て、まだ当人には隠すというのか。
「嫌よ、クロフォードはいつもはぐらかすわ」
「ではそれも言うべきです」
「姉様」
 シェリーとキリハの二人に気を取られていた契約者達がロンを見た。
 遅れてキリハもロンを見る。
「姉様は均衡を崩したくないと言ってずっとそうやっていたけれど、つまり、わたしには協力できないって事よね?」
「クロフォードが断ったというのなら、私はその意志に従うだけです。私が協力しないのではなく、クロフォードが貴女を拒絶しているのです。
 その人を……解放してください」
 絞りだすような声で願う。キリハにはこの現状を打破するだけの力と時間が無かった。そもそも手元に本体が無い。誰かに権限を譲って動かしてもらおうにも、その動かす文字が一文字も無い。周囲の文字は結果を表示しているに過ぎず、結果は改ざんできない。触媒が無ければ何もできず、懇願だけが許された手段だった。
 ロンはくつくつと喉を鳴らす。
「まるで、世界が味方してくれるみたいね」
 時間はかかったけど、必要なものは揃った。
「タププの子。準備は出来たわ。お願い運んで」
 満足気に笑ったロンが箱ごとその場から消える。
 同時に、別棟の地下を支えていた階層が消えて、空間は単なる巨大な穴と化し、一気に崩壊した。