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月下の無人茶寮

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月下の無人茶寮
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リアクション

過去と向き合って


 月は静かに遺跡を、無人茶寮を照らし続ける。

「さて、何が出てくるのやら」
 テーブルに着いて、久途 侘助(くず・わびすけ)は呑気に嘯いて、香住 火藍(かすみ・からん)に曖昧な困った笑いを起こさせていた。
 何だかよく分からない、魔法によるレストラン施設の試験営業だとか聞いて、「とにかくまぁ何か食べられるんだろう」くらいのノリでほいほいとやって来た侘助である。
 この施設の主旨は分かっているが、どんな料理が出てくるのかは全く自分でも見当が付いていない。

 ――やがて。
「何か出てきましたね」
 火藍が言って、侘助もそれに気付いた。
 眩しいくらいに清潔そうな白いテーブルクロスの上、白い皿に、白い何か。
 クロスの白から湧いて出たかのように、ごく静かにそれは、現れたのである。


「これは」
 おにぎりだった。
 海苔も巻いていない、米を握っただけの、本当にシンプルなおにぎりだ。

「……これは、もしかしたら……」
 おにぎりを見つめる侘助が少し息を飲んだのに、火藍は気付いた。
 その目が、呟く彼の声が、先程と少し変わったことにも。
 手を伸ばし、侘助はゆっくりとそれを口に運んだ。


「懐かしいなぁ……」
 嘆息のように、侘助は呟いた。
「これ、母上のおにぎりの味そのものだぞ」
 食べてすぐ分かった。かつて母が作ってくれたおにぎりの味だった。
 丁度良い塩加減。ほろほろと蕩ける米の握り加減。
「小さかった頃、これを真似したくてな。
 塩を入れすぎてしょっぱくなったり……形がいびつになって、皿に乗せたらすぐ崩れたり。
 ……うん、いい思い出だな」

 シンプルなものほど難しい、とはよく言ったもので。
 塩を入れて米を両手で握り固めれば簡単に真似できる、というものではなかった。
 材料も手順も捻ったものだけではないだけに、余計に誤魔化しがきかない。舌を巻いた。
 これを自然に握る術を身につけている母の偉大さを、実践を経て改めて思ったものだった。

 口の中でほろほろとほどけていく米に、握ってくれた母の手を思う。
 かつてこれを食べていた時の思い出が、切り取ったフィルムの断片のように、腹に心地よく溜まっていくその糧と共に心にゆっくりと溜まっていく感じがした。
(……母上)


 一口一口、噛みしめるようにゆっくりと食べる侘助の顔を、火藍はじっと見つめていた。
 ――彼の両親は魔物に殺された、と以前に聞いていた。
 彼がそれから喪失感から抜け出せずに無気力な日々を過ごし、パラミタにやってきてようやく過去を乗り越えられた、ということも知っていた。
 だから何も言わず、注意深く見守っていた。


「――結局真似できずだったが、今ならできるかもしれない」
 食べ終えた侘助が、ぽつりと、だがどこか決然とした響きがなくもない声で言った。
 失った昔の記憶に囚われ、先に進めずに無気力に生きていた時代もあった。
 その頃は、幸せだった思い出にさえ、棘刺されるような思いをしたこともあったものだ。
 それでも、パラミタにやってきて、パートナーに支えられて、今は家族も出来て……
(過去の自分と向き合える、今なら)
 母が愛情持って握ってくれた塩のおにぎりを、今の自分なら。


「お母様の味なんですね、あんた泣きそうですよ」
 火藍が微かに笑いかけながら言うと、侘助は火藍を見た。
 おにぎりを見た時、それから食べ始めた時には見えた、どこか固い色。
 おにぎりを食した後はそれが消えて、随分すっきりとした顔をしていた。
 火藍から見た侘助は本当に泣きそうに、しかし泣かずに、綺麗に笑った。


「今、握ってみたら、きっと上手くいく気がする
 そしたら火藍、食べてくれるか?」
 翳りのない笑顔のままそう言われて、火藍も笑顔になった。
「……俺なら、いつでも試食係りになってあげますよ。
 きっと上手くいくのは分かってますから」


 仲間の、家族の顔が侘助の脳裏に浮かぶ。
 今度挑戦して、上手く塩のおにぎりが握れたら。
(家族の味として、皆にも食べてもらいたいなぁ)
(新しい料理もしてみたいな。
 誰もが思わず笑顔になる、そんな料理を)

「火藍、新しい料理作るとしたら何がいいかねぇ」
「新しい料理、ですか……カレーとかですかね」
「あぁカレーもいいなぁ。あと、肉じゃがとかどうかね、家庭の味が出やすいから面白いだろうな」


 テーブルを挟んで、しばし2人は「家族の味」について和やかに談笑した。
(思わぬ良いものを食べさせてもらったな。……感謝しよう)
 よく分からない魔法施設の試験営業だったけど、結果として、来てよかった。
 侘助も、そして火藍も思った。