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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放
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【過去からの因果――出会いと、記憶】



「やっぱり、ここは抜け道だったのね」

 それは、遠い遠い記憶。
 一万年を越え、まだ平穏はこの先も続くのだと想われていた、まどろみの様な日々の中での出来事だ。
 高官か、巫女の中でもそれなりの実力がなければ、その姿を垣間見ることすら出来ない都市の守護龍、ポセイダヌス。その姿を一目見ようと、まだ幼い少女だった影武者になる前のリーシャは奮闘中だった。 通ってはいけないと言われた道を通り、裏口近くへ回り込み、警備をしていた光輝の騎士団員に追いかけられる、跳ねっ返りで向こう見ずな少女。後の彼女の姿からは、今の姿を想像することは難しいくらいに、髪と目の色、後はほんの僅かな面影程しか、この頃のリーシャに、媛巫女ティユトスとの共通点は無かった。
「全く、減るもんじゃないんだから、少しぐらい良いじゃないの」
 そんな文句を言いながら、光輝の騎士をまいて、曲がり角に滑り込んだ、その時だ。勢い良く駆け込んだためか、どすん、とリーシャの身体が何か柔らかいものとぶつかった。
「あ、ごめんなさ……」
 すぐにそれが人だと気付いて、リーシャが頭を下げようとしたが、それよりも早く「痛ぇじゃねえか嬢ちゃん」と下卑た男の声が降ってきた。見上げてみると、いかにも柄の悪そうな男二人で、ここにいたって漸く、逃げるのに夢中になるあまり外周、所謂スラム街近くまで入り込んでしまっていたのに気付いた。やんちゃであっても、その服装や顔つきを見れば、育ちは判る。男たちは舌なめずりせんばかりにリーシャを見下ろした。
「あーあ、こりゃ骨折っちまってるかもしんねぇな」
「どうしてくれるんだい嬢ちゃんよお」
 明らかな言いがかりだ。普通の貴族の娘であればそこでおどおどと震えたのだろうが、リーシャは憤然と「折れるわけないでしょう」と反論していた。
「女の子ひとりぶつかった程度で喚くなんて、柔にも程があるんじゃない?」
 堂々とした反撃だが、当然、場所とタイミングは最悪である。男たちは表情に剣呑さを滲ませると、リーシャを追い詰めるように身を乗り出して来た。流石に不味い、とリーシャが気付いた時には既に遅く、小さな身体はすっかり逃げ場を失っていた。「生意気なガキにはお仕置きが必要だよなぁ」
「っても俺らは優しいからよぉ、その綺麗なおべべで勘弁しといてやるぜぇ」
 言いながら伸ばされた手が、リーシャの襟を掴んだ、その時だ。
「……何をしている」
 唐突に。冷たく澄んだ声が、両者の間に滑り込んだ。リーシャがたっとなってそちらに視線を向けると、色素を持たずに生まれてきたかのような、白く細身の男が立っていた。体格は余り良くないし、まだ若く頼りなさげな様子に、男たちは気を取り直したように息を吐き出して、下卑た笑みを浮かべると、片方が「邪魔すんな」と凄んで見せた。見るからに身なりの良い格好に、それで怯むと思ったのだろうが、意外にも、その白い男は眉のひとつも動かさずに、ゆっくりと距離を詰めてきた。
「おい、あんちゃん。邪魔だったってんのがわからねぇのか」
 男たちが気色ばんで更に凄んだが、その足取りは変わらない。ついにリーシャの傍まで近付いた白い男は、すい、と目を細めて2人を見た。言葉はなく、睨むでもなく、ただ見つめるだけの仕草に、男たちはとうとう掴みかかろうとしたが、そこで突然、びくりと身体が強ばるようにして、その腕が止まった。
「……?」
 リーシャの方が驚いて目を瞬かせていると、先程まであれほど威勢の良かった男たちの顔はすっかり青ざめてしまっている。ついには悲鳴を上げて逃げ出していったその後ろ姿にぽかんとしながら、白い男を振り仰いで、リーシャはその理由を知った。
 切れ長で色の無い目の奥から、有り得ない虹彩が覗いている。爬虫類を思わせるそれは不気味で、見つめられると恐れをなす気持ちは良く判る。だか不思議と、リーシャの中に恐怖はやって来なかった。その目こそ不気味であるものの、視線に敵意のようなものがなかったからだ。
「助けてくれたの?」
 尋ねたが、肯定も否定も返らず、その目はただリーシャを見つめているだけだ。そうして何を思ったかその髪を僅かに摘んで小さく小首を傾げる仕草は、超然な雰囲気をしていながら、妙に微笑ましい。すっかり警戒を解いたリーシャは、改めて笑顔で感謝を示した。
「ありがとう、ええと」
「……エルドリース」
 名乗られたその名は、龍器と呼ばれる存在を示すものだ。龍そのものとも称される相手との予想外の邂逅に目を瞬かせていると、エルドリースはあるかないかの笑みを浮かべて見せたのだった。

 何故、彼があの時、巫女でもなく、さほど似ているわけでもなかった自分を助けてくれたのか、今になってもリーシャには良く判らない。
 しかし、それこそが龍と言う存在への忠節の芽生えであり、巫女の影武者という 数奇な運命の始まりなのだった。





――そして、また違う時、違う時間。

 トリアイナ・ポセイドンを名乗る少女……本名をマリナ・エナリオスという少女は、その日もまたいつものように、ティユトスの元を訪れていた。
「私は、“薄幸のトリアイナ”の生まれ変わりにして、秘密結社オリュンポス代表のトリアイナ・ポセイドン!」
 びしっとポーズを決め、なおかつ指先までぴっしと伸ばしてティユトスに突きつける仕草は最早神殿でもおなじみで、巫女や神殿に仕える者たちがそっと視線を逸らしたりしている中、ティユトスは微笑みとともにそれを迎えた。ちなみに、秘密結社となってはいるが、実質的にはファンクラブである。
 今日も今日とて、ティユトスをそのメンバーにしようと、トリアイナは奮闘中なのだ。
「さあ、ティユトス、これを御覧なさい! 私が作った、秘密結社の紋章を!」
 そう言って差し出された絵は、思いのほか達者な出来映えで、ティユトスは目を瞬かせると「凄いですね」と感嘆の声を漏らした。何かと周囲からは奇抜に見られがちな彼女だが、こういった一つ一つが非常に器用なのを、ティユトスは知っている。それにしても、神殿にいる画家たちにも劣らないのではと思われるような出来のよさに、ティユトスは思わずしげしげと眺めた。
「これは、あなたが……?」
「そうよ、私がデザインしたの。中々の出来でしょう」
 ふふんと胸を張るトリアイナが描いたのは、自らの尻尾を飲み込む大蛇に、大きな瞳を組み合わせたデザインだ。現代の人間が見れば、中央の大きな瞳をウロボロスが囲っていると思っただろう。そのデザイン画を指でなぞりながら、トリアイナは説明を続ける。
「この大蛇と瞳が、輪廻を繰り返すトリアイナの魂を見守るポセイダヌス様を表しているのですわ!」
 巡る因果、見つめる瞳。言われてみれば確かにそう思えもする、とティユトスが感心するように見入っていると、ふと、隣に腰掛けたトリアイナが「ねえ、ティユトス」と声を漏らした。
「輪廻を繰り返して、幾星霜の年月を共に歩む二つの魂……これって、素敵だと思わない?」
 その、普段の張り上げる声とは違った、年頃の少女らしい声に、ティユトスは軽く瞬きながらも続きを待った。
「何度生まれ変わっても、傍にいて……また次の巡りあいまで互いを思うの」
 うっとりと酔うというのではなく、何かしみじみと感じ入るような声音に、トリアイナの本質を見るような心地で、ティユトスは「そうですね」と自然に頷いていた。
「素敵だと思います。そんな風に……誰かを想って、想われることは」
「そうでしょう?」
 憧れ、けれどこの時はまだ自分がそれを手にすることが出来ると思っていなかったティユトスの、どこか他人事のようにも聞こえる言葉に、トリアイナはずいっと身を乗り出して、再びその指をびしっとトリアイナの正面から突きつけた。
「だ、か、ら! あなたもポセイダヌス様ふぁんくら……秘密結社オリュンポスに入るべきなのよ! そして私のライバルとしてポセイダヌス様への愛のもとに戦うの!」
 結局いつもどおりのトリアイナの様子に、ティユトスはくすくすと楽しげに笑った。トリアイナの――マリナのそういうところが大好きだ、と、その目が言っている。ライバルだと認める相手の反応としては調子が崩れる、と思いながらも、反面それが嬉しいようなくすぐったい心地で、それでもふんと胸を張ることは止めず、トリアイナは粘り強い勧誘を続けたのだった。
 

 余談だが、この紋章は一万年の時の先、秘密結社オリュンポスの儀式の間に描かれた紋章と酷似しているのだが、それがかつて彼女が描いたものであるかどうかは、今も尚謎のままである――……