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第4章 蟲が出たなら


「楽しようとしないでよ、ソーマ」
 書庫内を、カートに乗って横着に移動しようとするソーマに、北都は溜息をついた。
「恋人をお姫様抱っこする程度の腕力はあるんだから。頑張ってよ」
「俺は肉体労働は苦手なんだよ。恋人の重みは別」
 ともあれ2人も、書物を蝕む異変の影を見落とさぬよう警戒しながら、運び出し作業を始めようとしていた。


 一方、空中庭園。
 あまりに「異常なし」ばかりで些か面白みに欠ける、などと不謹慎なことを嘯いていたヴァニも満足したのではないだろうか、というくらいには、蟲が発見されるようになっていた。
 結界に置かれた本から、黒い蜘蛛のような虫がぴょんぴょんと飛び出すのだ。
 だが、結界は蟲の力を削ぎ、蟲にとって不適正な環境に在ると蟲に自覚させるために、焦ってぴょんぴょん飛ぶばかりで他に何をすることも出来ない。結界内からも逃げ出せないので、ぴょんぴょん飛びながらだんだんに弱っていく。やがて動かなくなる。だが、大抵その前に双子がやってきてそれをひょいっと捕まえてしまう。
 軽口を叩いていたヴァニも、実物を見ると気持ち悪そうに眉を顰めて後ずさった。本に付く蟲というものだけに、魔道書には不快感を感じさせるのかもしれない。稀に結界の外に飛び出したものがあると、「ベスティ」こと異書『ベスティアリ異見』が、己の中に記述された動物を使役して、素早い蟲の動きに先手を打って捕まえさせた。
 それを、ゼンとコウが片っ端から捕まえて、ガラス瓶に入れていく。
「あんなの何にするんだろう?」
 嬉々として蟲を採集する双子を見て、ネミが不思議そうに呟く。彼らだけは蟲を恐怖してはいない。彼ら自身が『「本の虫」の書』だからだろうか。

 
 酒杜 陽一(さかもり・よういち)は、手際の良い、素早い動きで結界内に本に置く。
 本の中に蟲がいると、そこで本から飛び出すが、すでに結界内なのでもう逃げ出せず、後は弱っていく。結界の気配で行き着くまでに逃げ出す蟲がいると聞いたので、逃げる暇を与えないために、ある程度庭園の近くまで来たら、【ポイントシフト】で一気に結界内に運び込む。【アイアンフィスト】と『ナノ攻撃強化装置』で力を高め、一度に大量の本を担いで運んできた上に、『特戦隊』にも手伝わせているために、運び出しの効率は驚くほど高かった。そこで陽一が置いた本から蟲が出ると、まるで高速で動く陽一自身から蟲が振り落とされて飛び出したかのようにも見える。
「自分に蟲がいたなんて……」
 へこむわ〜、と、蟲を出した書物の1冊が、陽一の手の中でしょげ返っている。自身から蟲が出たことでメンタルダメージを受けているようだった。
「もう出ていったから大丈夫だよ。自覚症状がないのは不可抗力だっていうんだから仕方ないさ」
「そうですよー、元気出してくださいっ」
 陽一と、無事だった本を結界外に運び出しに来たナオが慰める。その本はナオが引き取り、
「疲れたならこっちで休んで下さい、ねっ」
 力づけるように一生懸命声をかけながら、目録作りをしている方へと運んでいった。
「気持ちは分かりますよ。知らずにいたら蟲の巣になることもありますからね」
 別の本が呟くように言ったのに気付いて、陽一が目を向けると、蟲はいなかった本の中の1冊だと分かったが、どこかで見覚えがある。その装丁を見ていて、以前ここに来て本の修繕を手伝った時に自分が手掛けた本だと気付いた。
「その節はお世話に」
「いや。けど、無事だったんだ、よかった。
 ところで、蟲の巣って……巣を作ることがあるのかな」
「ちょっと……僕らのいた奥の方の書庫で、噂が流れてて。
 本の魔力が充実していると、その中で増殖することもあるなんていうし、怖くて怖くて。
 あ、僕は別に魔力は強くないから繁殖はないだろうけど、増えたのがまた館内をうろつくだろうから」
 それを聞いて、陽一はしばしじっと考えた。
 憑いた先の本の魔力が強いと、蟲の力も強くなるという。その結果として繁殖が起こるのか。
 そうすると、禁断の智慧の書を特に選んだという書庫――禁帯出書庫の書物に蟲がいたら、大変なことになる。
 双子は、前に書庫内のチェックはしたというが……
 ちょうど、すぐ傍でゼンが蟲を捕まえて瓶に放り込んでいたので、陽一はそのことを尋ねてみた。
「う……ん、一応チェックはしてるけどねー。
 でもなー、そっか、繁殖してたら……
 親が卵だけ産みつけてその書から去ってたら……
 そしたら見つかるまでにタイムラグがあるかぁ……うーん……」
 書物たちの間で噂がある、と聞いて、一度は確認したはずの彼もさすがに、幼い顔を渋く歪めて眉間に皺を寄せる。
「俺が見に行くよ」
 陽一はそう言って書庫の方へ向かおうとした。と、
「あ、僕も行くっ」
 ゼンもとてとてと駆け出してきた。
「やっぱり、見回りしたセキニンシャとして、最後まで確認する責任があるからっ」
「けど、この場は?」
「コウがいれば大丈夫。コウ! 頼んだぞ」
 呼ばれてコウは、ちょっと緊張した表情で頷いた。硬いのは蟲の対処に自信がないからではない、知らない人間が多いからだ。でも、皆親切で協力的だということは分かっているはずなので、大丈夫、切り回せるだろうと判断して、ゼンはコウに「現場監督」を任せることにしたのだった。
「もし噂が本当なら、前より増えてるかもしれないし、ちゃんと見たいんだ」
 言いながら、ゼンは陽一の後について書庫の方へ向かっていった。



「またなんかいろいろ考えてるようだな」
 様子のおかしな本はないか、探して書庫を歩きながら、佐々木 八雲(ささき・やくも)佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)を振り返り、そんな風に声をかけた。
 八雲は時々、感情の波を漂わせている書物の中でも何やら陰気な雰囲気のものに「やぁ」などと声をかけて反応を窺っている。時々そんな本はあるのだが、よくよく聞けば単にそういう陰性の性格だったり、人間に対してあまり良い感情を持っていない無愛想な本だけだったりして、今のところ蟲の潜んだ、また人を引き込んだ本には遭遇していない。
「うん、ワタシ考えてみたんだけどねぇ」
 弥十郎はのんびりした口調で――これでも、意識は書棚に向けて、異変に対する警戒は怠らない――話し出す。

 本の蟲――現実世界では本に夢中にさせ、時間を浪費させる。だが、この【非現実の境】では、人の意識を本自体に引き込む。
「という事は、ある本に入った蟲から抽出したエキスは、取り込まれた本がもつ惹きつける力を仄かにかもし出すのかなぁ。
 例えば……コレをつけると「〇〇関連の本が好き」みたいな人だけを惹きつける、とか」
「……エキスを抽出?」
 考えてもみなかった言葉に、八雲は怪訝そうに訊き返した。
「蟲から…ってことか?」
「可能なら、一匹をお酒に漬け込んでエキスが取れるか試してみたらどうか……と思うんだよねぇ」
「……」
 またおかしなこと考えていた、と八雲は聞きながらため息を吐いた。
「あっ」
「今度は何だ?」
「今……そこの本の間を、黒い、虫みたいな影が走ったみたいな気が」
「えっ!?」
 弥十郎が指差す先には、一見何の変哲もない書棚。しばらく見てみるが、弥十郎の言ったような影は再び現れるようなことはなかった。
 蟲は本から出ると姿が見えるが、本に取り憑くと姿は見えなくなるという。
「念のために、あの列の本を調べた方がいいねぇ」
「変な様子はないがなぁ」
「けど、蟲に取り憑かれただけだと自覚症状がないって言ってましたよねぇ。人を引き込んだら様子が変わるけど」
「そうか……」
「慎重にやった方がいいんじゃないかな」
「……うーん」
 八雲は渋っている様子だった。が、ようやく、式神の「珠ちゃん」――『金の卵』を【●式神の術】によって式神化したものを出した。
「……珠ちゃん、悪いけど、見てみてくれるかな」
 迂闊に本を開くと人を引き込む場合もあるという蟲。
 危険を避けるために、いわば先触れという形で珠ちゃんに本を見てもらう――というのが当初より考えていた作戦なのだが、実際八雲はあまり気乗りしていない。
 珠ちゃんを危険に晒すことになるからだ。
「ごめんね、危険な仕事を頼んでしまって」
 珠ちゃんを愛おしげに見つめながら、少し沈んだ声で八雲が語りかける。その間に弥十郎は、自分が影を見た辺りの本をすっかり書棚から抜き取って下ろしていた。