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続・夢幻図書館のお仕事

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第7章 鏡像


 クリストファーとクリスティーは、フードの老人を連れて司書クラヴァートの元を訪れた。
「実はこういうことらしいんだ」
 クリストファーたちが説明した所によると――

 老人は魔道の求道者で達人である。恐らく、やって来た時代は現代よりいくらか昔だろう……
 彼の年若い弟子が、ある時、「失われた知識の書庫」の夢を見たと彼に話した。
 彼は半信半疑で、変な夢に囚われたのでなければよいがと考えていたが、弟子は興味を深め、その後も夢の中で己を保つ術を使って何度かその書庫を訪れたという。
 だが、数日前から彼は、目を覚まさなくなってしまった。
 やはり、何か怪しい夢だったのかと、彼は持てる術を駆使して弟子の辿った夢の軌跡を割り出し、ここの図書館に辿りついたのだった。
「あれが一体何をした。不始末があったというのならわしからも弁償する。このまま目を覚まさないではあれの体は生きながら腐り絶えてしまう」
 弟子が帰らぬのはこの場所の目論みであると思ったのか、老人はクリストファーたちに縋るようにこう言い募っていた。あれはまだまだ不肖の弟子だが、いずれ自分の後継者にとも思っているのだとも。だが、2人は何とか老人を宥めて落ち着かせた。
「きっとそれは、『蟲』の仕業だな」
 そして簡単にこの場所のことと、今悩みの種になっている『蟲』の話とをし、クラヴァートのところへと連れて行くことにしたのだった。
「虫干しが順調に済んで蟲が根絶すれば、お弟子さんも自然と帰ってくるはずですよ」
 クリスティーはそんな風に言って老人を慰めた。

 そして、2人がいなくなった後、1人の、ぼろぼろの汚れたフードマントを纏った男が、彼らのいた場所を通って、足を引きずりながら――禁帯出書庫の方へと向かっていった。



 その禁帯出書庫では、陽一が、本を結界へと運び出す前に、ざっと見渡して訊いた。
「蟲がさっき入り込んだらしいんだけど、誰か見なかったか?」
 禁帯出書庫の書物たちは答えるものがない。何故答えないのだろうか。
 人との交流ができるかどうかは、本が持つ魔力の程度にもよるらしいが、わざわざ禁帯出書庫に入れられる書物なのだからその点は問題ないはずだ。今までの経緯上人と話したがらない本もいるというが、蟲の問題は己の身にも関わることで、人との会話を拒んでいる場合でもないと分からないのだろうか?
 何かがおかしい、と思うが、何故か分からない。
 もうこのまま全部結界に運んでしまおうかと思った時、陽一の視界を横切ったものがあった。
 蜂――ダリルのピーピング・ビーだ。
 機晶蜂はこの様子を見ていた。そして、陽一の視界を何度か横切り、書棚の隅に留まった。
 何か伝えようとしている動きに、陽一には見えた。
 しばらく待て、という、合図のように……


「ルカ、鷹勢、白颯に書庫に入ってもらったらどうだろう」
 機晶蜂の動きを止めた後、ダリルがルカルカに言った。
「え?」
 ルカルカと鷹勢は同時に驚いたような声を出した。
 禁帯出書庫の中の蔵書たちの様子が、何やらおかしいのは、陽一同様ダリルも見て取った。それが蟲のせいなのか、何か他の要因があるのかは、今のところ分からない。陽一が――人間が普通に呼びかけたくらいでは明らかにすることは出来ない、異変が。
 先刻の騒動から、白颯が蟲の気配に敏感なのは明白だ。少なくとも、虫が書庫内に留まっているのなら、蟲の存在を燻り出すことはできるだろう。もし何か別の要因があるのなら、もしかしたらそれに伴って表出するかもしれない。ダリルはそんな推測を立てていた。
 鷹勢は片膝をついて白颯を覗き込んだ。
「やれるかい? ……さっきみたいにムキになっちゃダメだよ」
 白颯は答えるように一度鼻をふんと鳴らした。そして、トコトコと書庫に入っていった。落ち着いた様子だった。

 そして陽一が待っているところへ、白颯が入ってきた。
 陽一の見ている前で、白颯は一度、ぐるりと首を回すように書庫内を見回した。そして、ウーと小さく唸った。
 歯を剥きだした白颯の様子は、しかし先程とは少し違っていた。慎重だった。尾を足の下に入れて警戒をしていた。陽一は、先程白颯が蟲のいる本に向かっていった時の様子は見ていないのだが、その姿勢から何か、異様なものを感じた。蟲以上の何かが、この山犬に脅威を感じさせているかに思われた。
「白颯!? 大丈夫!?」
 それを感じたのだろう、鷹勢が書庫の入口に現われた。ほぼ同時に、白颯はある本に飛びかかり、それを咥えた。表紙に『石の器の記』とあるのを陽一は見た。それを咥えたまま、白颯は書庫の出口に向かおうとする。その時、本から何か影が出てきた。蟲だ。かなり大きいそれは、白颯の口に脚をかけようとし、抵抗する白颯との間でもみあいが起こる。
「白颯!!」
 引き込まれると感じて、鷹勢が声を上げた。陽一は本に手を伸ばし、白颯の口からそれを取り上げた。だが、蟲は本に半分身を埋めたまま、長い脚を外に向かって攻撃するように伸ばす。
 まるで、何が何でもこの本から出たくはないかのようだ。
 その足が、異様に長く伸びて陽一の腕を捕えた。強い力で。この特徴は、聞いている蟲のそれを越えているのではないか――そんな思いが、陽一の脳裏をちらと掠めたが、取り敢えず今は、自分がこの蟲に抵抗する術を考えなくてはならない。
 【ディメンションサイト】で、周囲の構造と鏡の設置場所を掴み、本に引きずり込もうとする蟲に手を取られたまま、陽一は早足に書庫を出た。一番近い鏡。ルカルカがメイプルスペクトルをかけた鏡ではなく、万が一その鏡で仕留められなかった場合の保険としてかけられた最後の1枚。
(これが、蟲に効くかどうかは分からないが――)
 自分は鏡像を見ないために目を閉じ、陽一は本ごとそれを鏡に向かって突き出した。


「何か起きてる!?」
 離れた場所で、セレアナは、禁帯出書庫周辺での俄かに起こった騒がしい動きを察知して身を乗り出した。つられて、セレンフィリティも。
 2人がいたところは、書庫の入口からは離れている。不審者が見つかったのだろうかと、セレアナはそちらにさらに身を乗り出し、何が起こっているのか見極めようとしていた。一方、セレンフィリティは、立ち上がった位置から見える、自分たちが柱にかけて設置した鏡の方に目をやった。セレアナは書庫の方を見極めようと精一杯なので、鏡に注意を払うことはない。
 設置するまで抑えきったはずの好奇心が、不意にむくっと頭をもたげた。
(ちょっとだけなら……)
 つい、ちらりと視線を走らせた時、セレンフィリティは「えっ?」となった。遠目にチラリと見た時、そこには何も映っていないかに見えたのである。
 まさか、鏡だと思って設置したこれは、鏡ではなかったのだろうか。それとも自分たちの設置の仕方に何か問題が……!? 出し抜けに不安に駆られたセレンフィリティは、一瞬、予め聞いていた注意を忘れて鏡にさっと駆け寄ってしまった。
 何も映っていないかに思えた鏡は、一瞬置いて不意にきらりと、何かを反射して光った。
 そして――
「!? …ぃあああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
 絶叫が響き渡り、セレアナは振り向いて初めて、鏡面の前に立つパートナーの姿を見た。
「!! セレンッ!?」
 セレアナの声は、セレンフィリティには聞こえなかった。
 何を見たのか、セレアナからはセレンフィリティの体が間に入って鏡面に映るものは分からない。ただ、セレンフィリティが恐怖に駆られたように腕を突き出してそれを振り回したために、大きな鏡をその下部で固定する器具に当たって衝撃が走り、固定が緩んでぐらつき、鏡がセレンフィリティに向かって倒れてきたのをセレアナは見た。
「セレン!!」
 駆け寄る暇もなく、セレンフィリティは鏡の下敷きになって倒れた。
 鏡の危険性も半ば忘れてセレアナが気も狂わんばかりの勢いで駆けつけ、鏡を起こした時――セレンフィリティの姿はそこになかった。

 驚きと湧き上がった狂乱に近い恐怖の感情が、危険を察知する本能を揺り起し、それが無意識下で出した命令を「直感」として受け取った結果。
 セレンフィリティは、ほとんど反射的に、夢路を遁走して現実世界に戻ってしまったのだ。




 後になって聞いた話だが、蟲に鏡の禁呪は効かないらしい。
 その理由は、双子の魔道書によると、『蟲には眼として確立された器官がないから』だという。
 目の代わりに外部の様子を感じる器官はあるが、普通の生き物のような視線を発することはないので、鏡の力の影響は受けないらしい。



 にも拘らず、この時、陽一を捕えた蟲には鏡の力が及んだ。
 陽一は見なかったが、蟲が突きつけられた鏡に映ったのは、

 ――厳つい顔に、暗い目をした長髪の男だった。


 陽一たちを追ってきたルカルカとダリルは、鏡の前で、驚くような光景を見た。
 本から、黒い虫が飛び出したかと思うと、その姿が内側から破れるように消えて、代わりに四十がらみの陰気な目をした、魔導師然とした格好の長髪の男の姿に変わったのだ。
「蟲に化けてたのね!?」
 図書館を悩ませていた、禁書を狙う不審者――瞬時に判断したルカルカは、【八門遁甲・鳳凰千輪の術】で素早く男に飛びかかり、念のため鏡から離れた場所で組み伏せた。陽一も鏡の前から離れて身構えたが、魔導師らしい男は体術に長けてはいないらしく、その相手に2人も要しはしなかった。あっという間にルカルカに組み伏せられた。
「気を付けろ、魔法を使う相手かもしれんぞ」
 体術ではなく魔力の方で戦う相手かもしれない。油断をしないダリルは、取り敢えず相手の自由を完全に奪うべく【氷縛牢獄】を発動させた。ここで夢から覚めてこの世界から逃げられたら、侵入の恐れは続くばかりだ。堅固な氷の中に、男は完全に拘束された。
「さて、と」
 狙いを質そうと一歩踏み出しかけたダリルは、何かがかなり急いだ様子で近付いてくるのに気付いた。


 それは、『機晶ドッグ』――
 空中庭園から、千返かつみからの情報を書庫へと伝えるため放たれた使者だった。