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リアクション
プロローグ 現実の裏側で 1
土方グループ。
東京都の都心部に本社ビルを構える、数々の子会社を抱えた巨大企業である。大通りを歩けば、十分に一度は土方の紋章を見る――とは、まことしやかにささやかれる噂だ。実際、東京都内だけで言えばそれは噂にとどまるものではないのだから、驚きであった。
そんな土方グループの本社ビルの受付に、一人の老人がいた。
おそらく、若かりし頃は実に野心に満ちた男だったのではないか。その瞳は見る者をすくませるほど鋭く、すでに炯眼の域に達している力強さがある。足腰が弱くなっているのか杖をついているが、身なりも老獪なりにピシっとおろしたてのように綺麗なスーツで揃えていて、その財力がうかがえた。
そんな老人の前の受付嬢は、それまで内線電話をかけていたようである。
しばらく小声で話して電話口の声を聞くと、恭しく返事を返して電話を切った。
そして、老人にこう告げた。
「残念ですが、代表はただいま多忙のようで……お会いできないとのことです」
「…………そうか」
老人は予想していたのか、そっけなく答えるだけだった。
受付嬢も申し訳なさそうな返答をしたが、声色は機械的だった。彼女の中では、その老人は大した存在ではないのだろう。あくまで彼女は現土方グループの上に従う一社員に過ぎない。大事なのは、上からの指示を忠実にこなすことであった。
例え、アポイントを取ろうとしたその相手が、土方グループの創始者――土方伊月であったとしてもだ。
実に細部まで教育が行き届いているものだと、伊月は思った。
巨大企業グループの上に立つ者としてはお手本のような徹底ぶりである。だが、自身の我が息子と考えたならば――伊月はいささか戸惑いを覚えるところだった。
なにせ、どれだけ尊敬と敬愛を抱かざるえない肉親であろうと、グループの外に出て行った者は部外者である。それが創始者であっても、揺るぎはしない。
現土方グループの代表にとって、伊月は単なる血の繋がりのある老人であり、グループを創ったという歴史に刻まれた名前でしかないのだった。
(ふん……グループを預かれば隠居した年寄りには用はないということか。あいつにも困ったものだ)
伊月は受付嬢に背を向けて、ため息をつきながらそう思った。
いまさら考えても仕方ないが、後悔は残る。環境が人を育てるとはよく言ったものだ。息子が産まれたとき、土方グループの経営計画はすでに軌道に乗っていた。裕福な家庭しか知らない息子にとっては、人間一人の価値などその中の歯車でしかないのだった。
伊月は息子との面会を諦めてビルを出ようとした。
すると、その玄関口で待っている誰かに気付いた。
「肥満……!?」
「久しぶりじゃな」
そこにいたのは、若かりし頃からの旧友の姿だった。
「それで? いまは何をしてる?」
ビルを出てからほど近い店の中で、開口一番に石原肥満(いしはら・こえみつ)は言った。
非常に高級な雰囲気のある懐石料理店である。各界のVIPや大物しか利用しなさそうな場所だが、それだけに他に話を聞かれる心配がないという利点があった。
彼らの前にはお店自慢の料理が並んでいたが、そのほとんどに口をつけることはなかった。それよりもどうやら、話したいことがあるらしい。
「何をしてるもなにも……隠居した身だ。グループを預けた息子は俺のことなどすでに厄介者がいなくなったぐらいにしか思っておらぬし、特にこれといったことはしていないさ。こうしてお前のような懐かしい顔にもたまに会って、余生は楽しんでいるがな」
「そうか。それは良かった。……孫のほうは?」
肥満と伊月が最後に会ったのは、ちょうど伊月の孫が産まれた頃――3年前か。
伊月はお茶を一口飲んでから、くしゃくしゃの顔で笑った。
「たどたどしいが、喋れるようになったらしい。俺を「じーじ」と呼んでくれるよ」
「ふふっ……あれだけ切れ者だった土方伊月も、孫はやはり可愛いか」
「まあな。出来れば、あの娘には思いやりや優しさを持った暖かい人間に育って欲しいものなんだが……」
伊月は考えに耽るように窓の外を見た。
息子のこと、そして孫のことを思っているのだろう。孫が不幸にならないことを祈るばかりだと、彼は考えていた。
「そうか――」
肥満はそうつぶやくと、しばらく黙り込んだ。
まるで何かを迷っているようでもあった。テーブル上の一角に手を触れ、軽く指を動かしている。
伊月も、肥満が何か話があって自分に会いに来たことは気付いていた。そうでなくては、わざわざビルにまで顔を出しはしないだろう。
だから、彼は待った。肥満が口を開くのを。
そしてついに、肥満は顔をあげた。
「頼みがある」
「ああ。話してくれ」
それから肥満は、自分の持ってきた話を切り出した。
それは、これから起こるであろうと予想されている一連の出来事についてだった。浮遊大陸パラミタのこと。出現する『魔物』たちのこと。ヨーロッパから来た魔女と名乗る女――アーデルハイト・ワルプルギス(あーでるはいと・わるぷるぎす)のこと。
「それは……本当、なのか?」
伊月は肥満を信じないわけではなかったが、さすがにそう漏らすしかなかった。それだけ、現実味を帯びない話なのである。言わばファンタジーだ。そんなものを聞かされて、すぐに信じろというのは、普通であれば無理な注文であった。
「ああ。本当だ」
しかし、肥満は真剣だった。
その声も。目も。立ち向かう姿勢も。
「伊月、わしの言うことを信じてほしい。例え今は信じられなくとも、信じざる得ないとき必ず来る。それが真実なのじゃ」
「それは、そうだが……」
「わしらは60年ほど前に同じような事を経験している。違うか?」
「…………」
伊月はハッとなった。
60年余り前、確かに自分と肥満は同じような出来事を体験していた。未来から来たという連中と共闘した、不思議な体験。記憶の奥底で眠っていたものが、引き出されていく。
馬鹿だったな、と伊月は思った。忘れていた自分を、だ。それに肥満は、根拠もなく荒唐無稽なことを言い出すような奴ではなかったはずだ。
「それで――」
伊月はにやりと笑った。
それは、若かりし頃の彼の顔がそのまま戻ってきたようだった。
「俺に何をして欲しい?」
「警察、マスコミ関係の情報統制。および事件の収拾に当たる独自部隊の編成。あとは政府にも圧力を掛けておいてほしい。可能なら」
「俺を誰だと思ってやがる? 仮にも土方グループの創始者だぞ。ジジイになっても、これまで培った人脈と財産は失われてないぜ」
伊月は今にも立ち上がりそうな衝動に駆られていた。
ふつふつとわき上がるのは、失われた躍動感である。後生にすべてを任し、あとは見守るだけかと思っていたとき、最後の光を見つけたような。久しぶりに思い切り走れる――そんな、言いようのない高ぶり。
冷え切った心に、熱が戻ってきていた。
「必ず、お前の望みは遂行してみせる」
「頼んだぞ」
肥満は頼もしそうにうなずいた。
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