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リアクション
第2章 眠りし女王 1
6月14日。
その日――東京は地下鉄で謎の横転事故が起きていた。しかもそれは単なる事故ではない。突如、車体を打った衝撃波と鉄の装甲が引き裂かれる音。不気味な化け物の奇声が響き渡る。
暗がりに残された乗客は、一体何が起こっているのか、その正体も経緯も分からずに震えるしかない。
全ては――魔物たちの仕業だった。
列車の窓や扉が、何か強烈なパワーで抑え込まれているように動かないのも、彼らには見えない魔物が張りついているからだ。獲物を手にした化け物は、勝利の雄叫びをあげるようにけたたましく叫ぶ。
見えない敵の襲撃に、乗客は身動きが取れなくなっていた。
「お、おい、あれ見ろ……っ」
窓の向こうに見えた光を見て、乗客の一人が生気を取り戻したような声を発した。
そこに現れたのは、先日から謎の事件の解決に奔走している対魔物チームだった。
「こっのおおおぉぉっ――――っ!」
開口一番に叫びながら、駆けつけた対魔物チームの一人である少女が小型のゴブリンに向かって果敢に挑みかかった。
ヴァルキリーの娘――セルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)である。彼女は背中に生えた強化光翼の翼をはためかせて、列車の上に張りついているゴブリンを槍で斬りつける。
「真人っ!」
「はい、分かってます」
セルファに呼びかけられた御凪 真人(みなぎ・まこと)が、それに応じてサンダーブラストとブリザードの呪文を放った。
彼の脳内では無数の数値とトンネル内の広さ、それに魔法のパワーが計算されている。それは、オーバークロックと呼ばれる力によって脳の処理速度が飛躍的に向上されているからだった。
サンダーブラストとブリザードの攻撃を受けたゴブリンたちがひるんだところに、セルファが更に斬りかかる。
二人の巧みなコンビネーションで、列車に張りついていた魔物たちが次々と仕留められていった。
「いまのうちに、中の乗客の救助を!」
「は、はいっ!」
救助チームと警察に向けて真人は告げると、今度は大型のオーガへと向き直った。すでにセルファがオーガと交戦している。オーガの振るう斧と、彼女の振るう槍がぶつかり合っていた。
「セルファっ! どいてください!」
真人が告げるとセルファはオーガから飛び退くようにして離れる。次の瞬間、真人の放った稲妻の魔法がオーガを包み込んだ。無論、これ一発でやられるようなヤワな身体ではない。オーガはぷすぷすと焼け焦げながらも首を動かして標的を探す。
が――光翼を広げるヴァルキリーは、その前に相手の頭上に飛び上がっていた。
「はあああぁっ――っ!」
頭上からの一閃が、オーガを斬り倒した。
ずんっ、と倒れ伏したオーガが動かなくなったのを確認して、ようやくセルファと真人は息をついた。
予想していたこととはいえ、魔物の強さは昨日よりもはるかに強くなっていた。もともと、相手が地下を得意とするオーガやゴブリンだということが厄介な要因だろう。地下の特殊な環境のおかげで、彼らの力が活性化しているのだった。加えて、イレイザー・スポーンが寄生して強化されているときている。
つらい戦いになりそうだ――と、真人は冷や汗を流した。
だが、諦めるつもりはない。
世界のため? それもある。実際、世界がもし滅亡するというのなら、それは何としても阻止しなければならないだろう。自分たちが生きるためにも。
しかし、例えそうでなくとも、真人は過去を変えることは良しとしないはずだった。自分のエゴで未来を変えるなど、したくないのだ。まして、パラミタの出現によって、真人は数々の出会いと経験を経てきた。
それを無かったことにされるのは嫌なのだ。それだけである。
「セルファ、危ない!」
「えっ……」
セルファの背後に現れた不審な人影に気付いて、真人が声をあげたのはその時だった。
とっさに振り返ろうとしたセルファだが、その前に真人が彼女を体当たりするようにして庇う。瞬間、それまでセルファがいた空間を一閃したのは、誰か?
「…………」
そこに立っていたのは女と少女の二人組だった。
女は白い鉄扇を広げて口元を覆った、どこか神秘的な雰囲気もある女性だった。長い黒髪を垂れ下げて、薄い朱色の着物に身を包んだ姿は、およそトンネルの中など場違いに思える。
少女は狐のお面を被っていた。その顔はまったくうかがい知ることが出来ないが、身長は10歳足らずの女の子だろうか? わずか1メートルそこらといったところだ。
不穏な空気を纏っている。恐らく――先ほどの一閃は女の鉄扇のものか。その中には刃かなにか、武器でも仕込んでいるのだろうと、真人たちは推測した。
「誰……です……?」
「ふふ……あなた方の邪魔をする者、とでも申しておきましょうか?」
「邪魔?」
「そう。理由は、聞かないのが筋ですけど」
女はにっこりと笑って答える。一見すれば親しみを感じさせる笑みだが、細められた瞳の中は笑ってはいない。
仮面の少女は女を見上げ、彼女の着物の裾をくんっと引っ張った。
「ああ、そうですね……では、参りましょうか、子狐さん」
女――裏の世界では名の知れた暗殺者である辿楼院妖孤は、『子狐』という少女に呼びかけた。呼ばれた少女は無言でうなずくと、その手に柳葉刀という中国の刀を構える。どこから取り出したものかすら分からない――まるで手品のようだった。
「…………」
真人はその少女の雰囲気にどこか見覚えのようなものを感じた。
あれは確か、幾度かの冒険の舞台で一緒になっただろうか? だが、彼女が独自の目的で動いていたことは一度や二度ではない。こうして相対することも、不思議ではなかった。そしてそちらがその気であれば――戦う覚悟も真人には出来ていた。
「何者かは分かりませんが……邪魔をするなら、容赦はしません」
「そうよっ……このまま過去が変わっちゃったら……私と真人だって会えなくなっちゃうんだからね!」
思わず恥ずかしいことを言ってしまって赤くなったセルファとともに、真人は暗殺者の二人組に立ち向かった。