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リアクション
■新たな人生の始まり
夜、冬月家。
「……あぁ、もう、明日着る衣装合わせもリハーサルも終わって何度も衣装チェックしたのに落ち着かない……というか、私何回チェックしたんだろう……」
九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)はそわそわと明日の婚礼で着る着物のチェックを何度もしていた。嬉しいはずなのに浮かれるどころか全く余裕が無い。
「……はぁ、明日本当に私結婚するんだ。広明さんと……結婚した人はみんなこんな気持ちだったのかな? 不安ってわけじゃないのに……何だろうこれ」
ローズは、溜息を洩らしチェックの手を止めて胸に手を当てそこに疼く言い知れぬもやもやに戸惑っていた。すっかりマリッジ・ブルーだ。
そこでローズは
「もうじたばたしてもしょうがないし、広明さんに会いに行こう」
旦那様になる長曽禰 広明(ながそね・ひろあき)に会ってもやもやを解消する事に決めた。実は明日の式に備え広明と共に冬月家にお泊まりしているのだ。
その頃の広明。
「……広明さん、どうですか?」
母親と共に式準備の陣頭指揮を執る冬月 学人(ふゆつき・がくと)が新郎の様子を見に来ていた。
「どうって、情けないが、緊張している。同じ人前でも講義とは違うからな」
広明は苦笑気味に答えた。技術科の講師のため人前で何かするのは初めてではないはずが結婚式ばかりは特別なようだ。
「そうですか。緊張して当然ですよ。明日は二人の人生にとって大事な日なんですから」
学人は笑いながら言ってから
「少しロゼの事で……知っていると思いますが彼女の家庭事情を……」
学人はローズの事を切り出した。
「あぁ」
広明は、先程までの苦笑から表情を真面目に変えしっかりと耳を傾けた。
学人はローズと共に歩んだこれまでの日々を思い出しつつ
「ロゼは自ら家を飛び出したと罪悪感を背負ってますが、僕も彼女と契約してパラミタに連れ出したようなもので……妹が出来たと思って、彼女の父親の気持ちは考えてませんでした。父親が死んだと分かった時、僕も深く後悔して……でもロゼがあなたに出会い救われるのを見て……とても安心する事が出来ました。不束な妹ですが、よろしくお願いします」
語り最後は頭を下げた。大変な事があった分、ローズには誰よりも幸せになって欲しいから。そしてそれが出来るのは広明だけだから。
「あぁ、悲しませないよう頑張るさ」
広明は学人のローズを気に掛ける思いをしっかりと感じ取っていた。
「……お願いします。では僕は準備に戻られなければならないので」
用事を終えた学人は再び準備に戻った。
廊下。
「ロゼ、明日は忙しいんだから早く休んでおきなよ」
広明と話し終え仕事に戻る途中で学人はローズと出会った。
「分かってるんだけど、落ち着かなくて……学人の方は大丈夫? 式の準備とか私の介添人とか婚儀の口上とかもあるでしょ」
ローズは溜息混じりにもやもやな心境を忙しなく動き回る学人に言った。
「まぁ、正直当主になった時に比べたらと考えてたけど想像以上に忙しいよ。でも二人の門出を祝うって自分から言い出した事で責任重大だから気を引き締めて務めさせて貰うよ。母さんにも怒られるし」
学人は肩をすくめながら答えた。大切な人達の結婚式を完璧な物にするためならどんなに忙しく大変でも平気だ。
「……ありがとう。本当に冬月家にはパラミタに来た当時も色々世話を焼いてくれて……お父さんが死んでしまった時も養子縁組の話を持ちかけてくれたし……私にとってここでの家族のようなものだよ。だから明日晴れ姿を見せられる事が嬉しいよ」
ローズはクスリと笑みを洩らしながら優しい冬月家の人々とのこれまでの事を振り返っていた。昨日の事のように鮮やかに思い出せる。実は前々から学人には結婚する旨を話していてその際は冬月家の大きい座敷を使うといいと言われ実際に使う日がやって来たのだ。
「僕も嬉しいよ。不束な妹の晴れ姿が見られる日が来て」
学人が笑いながらローズにとって否定ワードをわざと口にした。
「学人、それは違うでしょ、私が姉で学人が弟」
聞いたローズはむっとした顔で言い返した。互いに自分が上だと思っているので。いつものやり取りだ。
「はいはい。じゃ、姉さん、明日は頑張ってね」
親しみが込められた程よい嫌味を言ってから学人は仕事に戻った。
「……もう」
ローズは不満顔をするもいつものやり取りに顔を綻ばせていた。
この後、ローズは広明に会っていつも以上のお喋りになったが、マリッジ・ブルーが少しだけ大人しくなった。
この日は明日の事で緊張しながらも主役の二人はゆるりと眠りに就いた。
そしていよいよ、ローズと広明の結婚式当日。
会場に入室する前。
「……この着物どうですか?」
ローズは自分の様子を見に来てくれた広明に花嫁衣装を披露していた。
「……似合ってるよ。オレにはもったいないぐらいだ」
広明はあまりにも美しい花嫁姿に見惚れて反応が遅れてしまった。見慣れない姿と結婚式というファクターのためいつも以上にローズが綺麗に見えていた。
「ふふ、広明さんも似合ってますよ」
褒め言葉に頬を赤らめながらローズは和服でびしっと決めた広明の姿に惚れ惚れ。
そこへ
「はいはい、惚気はそこまで。二人共、みんなが待っているから座敷の方へ」
ローズの介添人をする学人が呆れながら様子を見に来た。隣には広明の介添人である学人の母親もいた。
本日の主役達は介添人と共に皆が待つ座敷へ向かった。
大きな座敷。
式は学人を含めた冬月家のささやかなものだが、学人の兄弟や当主の兄弟夫婦もいて人数も多く賑やかであった。そのどの顔も主役達の幸せを祝っていた。
入室し席に着いたローズは自分達を見守る冬月家の面々の顔を見、
「……(学人の家族に会うのは久しぶりだけど、これまで色々と支えてくれて……こんな素敵な式まで……いっぱい感謝しなきゃ)」
感謝が胸に熱くこみ上げ、たまらなかった。
そして、ちらりと真剣な表情をする広明の横顔を見て
「……(お母さん、お父さん、私を生んでくれてありがとう。二人のおかげで私は広明さんに出会いこの日を迎える事が出来た)」
亡き両親に胸中で感謝を述べていた。母親は自分を出産した時に亡くなり父親とは色々あったが、二人がいたから自分はこの世にいる。その事実が今日は凄く輝いて見えた。もしかしたら実の両親にも晴れ姿を見せたかったのかもしれない。
その間、式は粛々と始まり、
「いざ 夫婦の契り 常しなえ」
学人が夫婦の誓いが永遠に続く事を祈りつつ朗々と口上を述べた。
その後、厳かな式は滞りなく進行し、無事に終わった。
式が終わると先程の張り詰めた空気は一変し、賑やかで騒々しいものに変わった。
座敷には御馳走を運ぶ給仕達が現れ、一気に陽気な宴会化。実は学人の父親の計らいである。
「やっぱり、こっちの方が落ち着くな」
「ですねー。改めて広明さん、私を選んでくれてありがとう」
ローズも広明もすっかり賑やかな空気に緊張を解きリラックスするがローズはゆるんだ表情を真剣なものに変えて礼を言い出した。
「何言ってるんだ。それはこっちの台詞だ。こんなおっさんで良かったのかって」
思いがけないローズの言葉に広明は自分の台詞だと当惑してしまう。何せ二つや五つの年の差では無いので。
「そんな事無いですよ。広明さんだから私は……でも少し不安や悩みはあります。その、私は家族っていうものがよく分からなくて今まで身近な人を心配させたり傷つけたりして……そんな私が自分の家庭を持つなんて……」
ローズは明るく笑い飛ばして自分の胸に疼くもやもやを打ち明けた。脳裏には次から次へと親しき者の顔が浮かび胸をいっぱいにする。
「……」
広明は前夜学人が語った事を思い出したのか黙してローズの話に耳を傾けた後、
「……初めての事に不安を感じない者はいないさ。それがあるからこそお互いよくしようと思えるんじゃないか。そういうオレも多少不安だがな。ただ……」
ニカッとローズの見慣れた笑みを浮かべ励ましたかと思ったら急に思い悩む顔になった。
「ただ?」
広明の表情から深刻な悩みだと受け取ったローズが緊張気味に促すと
「今日で運を全部使い切った気がしてな」
広明は肩をすくめ表情を崩しておどけたように言った。
「あぁ、大丈夫ですよ。広明さんにどんな不幸が来たって私が追い払いますよ。何たって夫婦なんですから!」
ローズは任せろと言わんばかりに胸に手を当て凛々しい表情になった。
それを見て
「そりゃ、心強いな」
広明はカラカラと笑った。
そして、
「……恋人と違って夫婦になれば今までよりも大変な事もあるかと思うがよろしく頼む」
「はい。私の方こそ、末永くよろしくお願いします」
広明とローズは真剣な表情で顔を見合わせこれから続く二人で歩む新しい生活に改めて頭を下げ合った。
悩みや真面目な話はここまでにして
「さぁ、今日は食べて飲みましょう! 何せ二人の新たな出発ですから!」
「だな」
ローズと広明は賑々しい空気に呑まれる事にした。
何たって本日は結婚式、二人の人生にとって至上に幸せな日で新たな人生の始まりなのだから。