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リアクション
大切な言葉
「さて、始めようか」
ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)とルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)は、台所にいた。エプロン姿の二人というのも、なかなかに珍しい。
大根やにんじん、ゴボウ、里芋、こんにゃくに豚肉……と、並んでいるのもかなり家庭的な素材だ。
「豚汁か……作るのは初めてだな」
「いや、娘の父兄参観でね、作ることになったんだ。ルドルフさんには、練習につきあってもらって申し訳ないけど、ね」
「いや。僕も楽しみだよ。それに、約束だったろう?」
ルドルフは微笑み、早速材料を流水で洗い、下ごしらえを始める。その手つきはとても丁寧で、まるで大切な相手を扱うような具合だ。
ルドルフらしいな、とヴィナは微笑ましく思う。
「けど、練習するなら、奥さん方に習ったほうがよかったんじゃないか? その……僕よりも、ずっとお上手だろうに」
「妻達? ……前に俺がカレーを教授してもらった際、殴られまくったという話をしていなかったね」
ふふ、とヴィナは悲しい笑みを浮かべる。
「……なるほど」
それはなかなか怖いね、とルドルフも微笑んだ。
材料を綺麗に切りそろえ、下ゆでも済ませて、まずは油で炒める。その後水を加えて、灰汁をとり、あとは一端煮込むだけだ。
ヴィナの飲み込みは早く、作業そのものは案外手早く済んだ。
「後は味付けだけだね」
そう言うルドルフに、包丁やざるなどを洗って片付けながら、ぽつりとヴィナは尋ねた。
「ルドルフさん、俺さ、実はいつも思ってるんだけど、俺いない方が良くない?」
「……ヴィナ?」
ルドルフの手が止まる。
冗談かとばかり思った。しかし、ヴィナの横顔は、いつものように穏やかながらも、けしてそういった類いではない雰囲気だった。
「薔薇学にも、シャンバラにも、ううん、この世界にも。俺がいない方が実は世の中上手く回るんじゃないかって気がしてるんだよね」
きゅっと蛇口をしめ、両手を布巾で水気を拭う。そんな何気ない普通の動作と、ヴィナの意外な言葉が、ルドルフのなかでうまくかみ合わない。
ただ、少しでも正しく理解しようと、ルドルフはじっとヴィナの言葉に耳を傾けていた。
「俺は最終的には自分自身の為に行動しているけど、人が何をどう見てどう感じて俺に対する印象を決めているかは想像がつく。あなたにとって悪評になっている場合もあるということも知ってる」
ヴィナが目を伏せ、さらに言葉を続ける。
「だから、あなたにとって俺が重荷ならば、遠慮なく言ってほしい。そしたら、俺ちゃんといなくなるから。どこにいるか分からないようにするから。あなたは言えないかもしれないけど、言いたくないかもしれないけど、さ。俺は……誰かから必要とされる存在にはなりたいんだけどね」
ふっと息をつき、顔を上げたヴィナは、いつも通りの笑顔になっていた。
「ああ、ごめんね。変な話して。豚汁作ってるんだから、それに集中しろって話だね、ごめんね」
鍋の様子を見ようと、ヴィナが手を伸ばす。だが、その手を、ルドルフが掴んだ。
「ルドルフさん?」
「……僕は、君が必要だ」
まっすぐにヴィナを見つめ、ルドルフは告げる。
「僕が校長になってから、一番傍で支え続けてくれていたのは、君だよ。いつでもね。そのことに、僕は心から感謝しているし、出来れば、これからもそうでいてほしいと願ってる」
ルドルフは一度、深く息を吸った。そして。
「ただ……僕は今、特定の誰かを特別に愛する気持ちにはなれないんだ。だからむしろ、僕のほうから頼もう。それでも……僕の傍に、いてほしいんだ。ヴィナ」
それは、ルドルフなりの本心だった。
単純に、『愛している』のならば、もっと話は簡単だったのかもしれない。
しかし、ルドルフがヴィナに対して抱いている感情は、そうではないのだ。
長い年月を共に過ごし、支え、どんなときにもそこにいてくれた相手への、絶対の信頼だ。
だから。一つだけは、確実に、ルドルフは言えた。
「もう一度言うけど……僕は本当に、君の存在が必要だと思っているよ」
ぎゅっと、握られたままの手に力がこもる。
その力を、ヴィナはたしかに、強く感じていた。