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リアクション
薔薇の園で誓いましょう
薔薇を見に行こう、と誘われた。
丁度、春薔薇の綺麗な時期だ。
いいよ、と答えると、誘ってきた張本人のテディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)は矢鱈と喜んで、甲斐甲斐しくも楽しそうに、いそいそとお弁当を用意した。
皆川 陽(みなかわ・よう)が、そこまでしなくても良いのに、と呟くと、「嫁ですから」と誇らしげな笑顔が返ってきた。
自分から「嫁にならしてやる」と宣言したくせに、その笑顔がまだ少しこそばゆい。
陽は嬉しいのと気恥ずかしいのとがない交ぜになった顔で、そう、とだけ答えた。
学園の敷地内とはいえ、二人きりで出掛けるのはなんだかデートみたいで、というかデートなのだけど、陽の表情はいつもよりほんの少し緩んでいて、テディの顔はと言えばもう、デレデレと締まり無い。
春薔薇が咲き乱れる庭園の中、二人が足を止めたのはとある花壇の前だった。
「いつ見ても綺麗だよねぇ」
そこに見事な花を咲かせている薔薇の枝を見て、テディがうっとりと呟く。
白い花びらの先をほんのり薄紅色に染めた花や、タシガンでしか育たない白薔薇など、様々な種類の花が可憐に花壇を彩っていた。
陽が日頃から丹精している花壇だ。
「そこのテーブルでお弁当にしようか」
花壇がよく見える場所に設置されているテーブルセットを指差してテディが提案する。異論のない陽はこくりと頷いて、精緻な装飾のされたガーデンチェアに腰を下ろした。
こんな時、昔のテディだったらすっ飛んで行って椅子を引いてくれたのだろうな、と、目の前で弁当箱を広げて居る、パートナーにして「嫁」たる相手を見遣る。もしかしたら本当は、今でもそうしたがって居るのかもしれない。けれど、陽の気持ちを尊重してくれている。それが嬉しかった。
「本当は、お弁当の用意とかも、公平にしたんだけど」
どちらが主人でどちらが僕で、という関係は望んで居ない。対等になりたい。それを陽は全身全霊を掛けて訴えて、やっと、今の関係を築き上げてきた。
だから、出来れば一方的に世話を焼かれるようなことは、無いようにしていきたい。
「もう、僕は、僕が楽しいからこうしてるんであって、仕えてるとか、そういうのはもうないってば。でも、陽と一緒にやったら――準備から、もっと楽しくなるかも。うん、今度はそうしよう」
それがいい、とテディが笑う。釣られるように、陽も口元をほころばせた。
それから、テディの作ってきたお弁当を二人で平らげて、ポットに入れてきた紅茶を頂いた。
お茶請けに他愛の無い話をして、二人きりのひとときを楽しむ。
そんな穏やかな時間の中で、不意に。
「そうだ、陽……これ、陽が持っててくれないかな」
テディがふところから、小さな箱を取り出した。
中には、見覚えのある指輪。
以前陽がテディから受け取って、そして、陽がテディに突き返した指輪だった。
一度は、縺れてしまった二人の関係を断ち切りたくて、指輪も突き返したものの、その後二人は新たな関係を紡ぎはじめた。けれどこの指輪だけは、タイミングを逃したまま、未だテディの手元にあった。
陽は複雑な顔をする。
どうしても昔の、縺れていた頃の二人の関係を思い出させるものだ。
テディはそんな陽の気持ちを察してか、強引に押しつけてくることはしない。けれど。
「僕達が、これまで過ごしてきた時間の証だから。捨てるんじゃなくて、これまでのことも身につけて、新しい時間を刻んで行けたらって、思ってる。これまでは『愛と忠誠のしるし』だったけど――これからは、『愛のしるし』ってことで、ひとつ。あ、ほら、結婚指輪だと思って」
「結婚?」
陽が間の抜けた声で返すと、今度はテディの方が訝しげな顔をする。
「だって、嫁になれ、って言われて僕が了承したってことはそういうことでしょ? 結婚するんだよね?」
ね、と微笑みながら小首を傾げてこちらを見るテディに、陽はきょとんとした顔で淡々と、
「男同士じゃ、結婚は出来ないんだよ」
と答えた。
シャンバラ生活はや五年を過ぎ、しかし未だに陽の心は日本人のままだった。
「……何言ってるの、陽」
テディが呆れた、という顔をする。
そのテディの言葉と表情とに、ようやく陽は、シャンバラでは同性婚が広く一般に認められている事を思いだした。
あ、という声が漏れる。
「まさかっ……遊びで嫁になれって言ったんじゃ……!」
些かオーバーアクションに悲観的になってみせるテディに、陽はええとと言葉を探す。
確かに自分達の関係をまとめるのに、「嫁」という言葉は使ったけれど、制度としての結婚と結びつけて考えることなど、して居なかった。
「……そうか、結婚、できるんだ」
「もう、陽ったら……って、あ、まずい、コレじゃあさっきの『結婚するんだよね?』がプロポーズになっちゃう! 今のナシで! 改めてちゃんとする! いや、してくれてもいいけど!」
「……考えておくよ」
陽はそう言うと、コップの中の紅茶を飲み干した。
先の事など解らないつもりでいたけれど、考えるべき時期が来たのかも知れない。
卒業後の進路のこと、それから、もっと先の事。
地球へ戻るのか、それともシャンバラに暮らすのか。シャンバラに暮らすのであれば――結婚も大いに現実的な選択肢として浮上する。
「ちゃんと考えないといけないことだから。とりあえず、指輪は、貰っとく」
言うと、陽はテディに向けて手を伸ばす。
するとテディは、恭しくその手を取ると、空を向いていた掌をそっと裏返し、自分の掌の上に載せた。
「――私、テオドア・アルタヴィスタは、皆川陽へ、永遠の愛を誓います」
厳かに言うと、陽の細い指に忠誠の――いや、愛を誓う指輪を嵌める。
陽が面食らっていると、テディはちらりと視線を上げ、悪戯っぽく笑った。
「――って、いつか本番やろうね、陽」
「……テディったら」
呆れたような、照れたような、けれど、幸せそうな微笑みが、陽の顔を染めたのだった。