|
|
リアクション
・これからの事
御空 天泣(みそら・てんきゅう)は借りていた資料を返すため、極東新大陸研究所海京分所へとやってきた。
卒業を間近に控えた天泣は身辺の整理を行っており、これまで自身が研究に使っていた各種資料を返却しに回っており、残すはこの研究所で借りたものだけとなった。
入口でパスカードを受け取り、慣れた足取りで研究所内を回っていく。
「あとはこれを……」
と、そこへ見知った少女が歩いて来るのが見えた。
司城 雪姫。
天御柱学院の生徒にして、極東新大陸研究所サロゲート・エイコーン研究・開発部門主任を努める才女である。
「……お久しぶりです」
彼女と目が合い、天泣は会釈をした。雪姫の方もそれに応じる。
「これを返したいんですが、借りている間にイコンに関する情報はかなり増えて、資料もどこに置けばいいか分からなくなって……どこに行けばいいかご存知ですか?」
ここに通い詰めるようになった当初は、第三世代機ができるまでは大きな技術革新が起こらない限り、まだ数年かかると言われていた。それが、こうまで短期間で量産体制が確立されるまでになろうとは……。
「それなら、この先の研究室においてくれればいい」
雪姫に教えてもらい、天泣はそちらへ向かった。
天泣が研究室に行っている間、彼に同行していたラヴィーナ・スミェールチ(らびーな・すみぇーるち)とムハリーリヤ・スミェールチ(むはりーりや・すみぇーるち)が、雪姫に声を掛けた。
「あ! 白くてかわいい子! この子が白雪姫ちゃん?」
興味津々、といった感じでムハリーリヤが雪姫に顔を近づける。雪姫の方は特にどうとも思っていないのか、無表情のままこくりと頷いた。
「そうでしょそうでしょ! はじめまして、私はムハリーリヤ、ポータラカの人だよ。よろしくね」
笑顔で雪姫の手を握る。
「よろしく」
ムハリーリヤの方が雪姫よりも幾分か大人びた容姿をしているが、性格の方は逆であった。
そのままの勢いで、銀髪の少女へ声を投げる。
「うーんと、白雪姫ちゃんは好きな子とか、結婚したいーってタイプの人、いる?」
「好きな人?」
雪姫が首を傾げた。
「リーリはね、地球の人も月の人も、皆大好き! 白雪姫ちゃんも大好きだよ! へへ」
無邪気に微笑むムハリーリヤを見て、雪姫がわずかに口元を緩めた。
「好意であれば、学院や私の周りにいる者たちに対しててあれば抱いている」
「リーリと同じだね♪」
「……いや、違うと思うよ」
ラヴィーナがぼそりと言った。どうやら、この司条 雪姫という少女はそういった感情を理解していないらしい。
初めて会ったときからそうだが、雪姫はどこか感情が希薄で無機質なところがある。が、決して冷徹なわけではない。
「あ、天泣ちゃんが戻ってきたー」
ムハリーリヤは、天泣の方へと駆けていった。
その間に、ラヴィーナは雪姫に声を掛けた。
「随分前の話だけど、研究所への就職について教えてくれてありがとう」
「気にする必要はない」
「おかげで天ちゃん張り切ってるんだよ、ね……前は色々、ホワイトスノー博士について悩んでたみたいだけど」
ジール・ホワイトスノーは、雪姫の前任者だ。世界の存亡をかけた戦いの後行方不明となり、現在は死亡したことになっている。
「君の事見かけた時もだいぶ悩んでたんだよ、博士のそっくりさんがでたーって」
雪姫が来て間もない頃を思い出す。彼女の姿は、ホワイトスノー博士の若い頃に瓜二つだったのだ。しかし、彼女との出会いが、天泣にとって一つの転機になったのもまた事実である。
その天泣が歩いてきた。こっそり話すのは、ここまでにしておこう。
「ま、君の出自とか、これからについて口を挟むのは余計か。……個人的には、君の過去より未来の事が気になるけどね」
「私の、未来?」
おそらく、雪姫はこれからも研究者として従事していくのだろう。
「というわけで、未来で僕たちと研究関係で会った時はよろしくね」
柄にもなく素直に告げ、雪姫の前から離れた。
「場所、分かった?」
「ええ、問題ありません」
とはいえ、一応確認のために雪姫にも確認してもらう。天泣は彼女と共に、もう一度だけ研究室の前までやってきた。元々彼女も、ここに入るつもりだったらしい。
天泣のパートナー二人に、足止めを食らっていたようだが。なお、ムハリーリヤはラヴィーナに引き受けてもらった。
「うん、大丈夫」
資料を確認すると、雪姫はコンピュータの前に座り、作業を始めた。
そんな彼女を横目に、天泣はぽつりとこぼした。
「……ジール・ホワイトスノー博士、ノヴァ。いくら知識を深めても、僕は彼らに会うことはできない」
二人は、もうこの世界にはいない。既にいなくなった者には会いようがない。
「けど、この先、イコンを通じて……彼女が残したもの、彼が歩んだ道を感じることはできる」
それに、と今度は真っ直ぐに、雪姫の背中を見て告げる。
「君のような優秀な研究者と出会えたのも素晴らしいことだ」
雪姫が天泣へ振り返った。
「肯定(イエス)。私も、ここに来て多くを学んだ。感謝している」
意外な返答があった。
「私は、いかなる問いに対しても答えられる者であることが望まれていた。けれど、ここに来て初めて即答できない命題があることを知った。それを“悩み”と呼ぶことを……教えられた」
一見完璧に見える雪姫であるが、人との関わりの中で自分に足りないものがあることを知ったという。
「私は、ある答えを聞きたかった。けれど、それを知る者とは二度と会う事ができない。……あなたと同じように。だから、それは私が自分で見出すしかない」
自分もまた、「未完成」であり、まだまだ学ぶこともある。彼女を生んだ親たちの領域にはまだ到達できていない、といったことを天泣に吐露した。
「……お互い、これからも頑張りましょう」
あまり多くの言葉は交わせなかった。けれど、天泣にとっては十分であった。
雪姫と別れ、研究室の外で待っていたパートナーと合流する。
「これで、全部終わったね。はあ、これでようやく卒業できるってとこか」
やれやれ、といった様子でラヴィーナが言った。
「あとは、それだけだね。まったく、急に研究所という研究所を調べて、しかもイコンに乗ってほしいとかいうから随分苦労したよ」
天泣の手元に残ったのは、論文の入った封筒だ。
宛先は『極東新大陸研究所』。
以前、雪姫の後見人であるイワン・モロゾフ氏が手伝いを欲しがっているという話をラヴィーナから聞き、そのためには、と自分なりに研究論文を書いたのだ。
内容は「脳は識別によるトリガーシステム」の概論。そして、イコンに関する国際条約に科学からのアプローチとして、「抑制プログラム」を提案。イコンを暴力と切り離し、純粋な翼を持つものとして人々の前に見せたい、というものだ。
「今なら決して不可能じゃない……と思う」
そして提案するからには、それを実現するのが自分の役目だ。
卒業後、天泣は晴れて極東新大陸研究所入りし、雪姫と肩を並べて自身の研究に打ち込んでいくことになるのだが――それはまた、別の話だ。