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これが私の新春ライフ!

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●遭遇

 再び、空京神社。
 三角帽子の鍔は広く、尖った頂上部が、やや斜めに倒れていた。その帽子はもちろん、フリルのついたワンピースも、本革のブーツも、その留め金に至るまですべてが黒、黒一色で塗りつぶされていた。ウェーブのかかった長い髪も漆黒だ。その反面、彼女の肌は蝋のように白く、顔立ちは線画のように整い、紅色の唇もあいまって、この世の存在ではないような雰囲気を醸成していた。不思議なもので、これほど特異な姿であっても、これだけの人出があれば目立つことはなかった。華やかな装いの参拝客が多いだけに、却って影のように風景の中に溶け込んでいた。
 この世の存在ではないような――という表現は、ある意味当たっていた。彼女は人間ではなかった。鏖殺寺院が生み出した殺人兵器、クランジ(The CRUNGE)と呼ばれる機晶姫の一種なのだ。クランジはすべて、ギリシャ文字の名称が与えられていた。彼女に付与された文字は、『Ο(オミクロン)』である。
 引いたばかりの神籤を足元に捨て、踏みつぶし、オミクロンはその場を離れた。籤には『凶:出会イ二 気ヲツケヨ』と記されていた。こんなものに見入ってしまうとは、我ながら不覚だったと彼女は思った。
「神頼みしてどうなる。神などというものが実在するのであれば、我々などとうに滅ぼされているだろうに……」
 オミクロンは自嘲気味に呟いた。敵地のまっただ中、それも、こんな場所に来てしまったのは思考回路の異常なのだろうか。これが上層部に知れれば『処理』の対象になってもおかしくないほどの危険行動であった。ちょうど、あのΥ(ユプシロン)がそうなったように。……ユプシロンはミスらしいミスを犯してはいない。それでもあの日、Ξ(クシー)にはユプシロンの破壊命令が下った。
 そして今、そのクシーが『処理』されるかどうかの瀬戸際にある。
 便宜上、姉妹(シスター)と呼び合ってはいるものの、オミクロンは他のクランジに何ら肉親的愛情を抱いてはいなかった。心優しかったユプシロンには同情しないでもないが、Φ(ファイ)以下の後期型はロボットのようにしか思えず、Λ(ラムダ)Κ(カッパ)といった異常な連中にはむしろ嫌悪感すら抱いていた。ただ、クシーだけは別だ。クシーの素体は、真の意味でオミクロンの姉妹……双子の妹なのである。エキセントリックで残虐なクシーには手を焼くことしばしばであったが、それでも、血を分けた妹を愛せないはずがない。
「貴方たちの主は、貴方たちを消耗品としか見ていないのではないの?」
 ふと、先日ある敵に言われた言葉がオミクロンの脳裏に蘇った。
(「私もクシーも消耗品では……ない!」)
 奥歯を噛みしめた。怒りと焦燥感があった。空京大に潜入して以来、オミクロンはやや情緒不安定だ。己に言い聞かせるように繰り返す。
(「消耗品にはさせない!」)
 そのときオミクロンの視界の隅に、まさしくその敵の背中が映ったのだった。
 ――ローザマリア・クライツァール。
 オミクロンは眼を細めた。これまで感じたことのない発作的な殺意を感じた。
(「……殺してやる」)
 やつの首級なら、クシーを救うための交渉材料になるかもしれない。人混みをかき分け、オミクロンは標的に接近した。彼女もオミクロンに気づいたのだろう。反転し、こちらに近づいてくるのが見えた。
(「こんな場所で戦えば参詣客を巻き込むのは明白、それでもなおここで決戦する気か――だとすれば、ローザマリア・クライツァールはむしろ鏖殺寺院にこそふさわしい将であろう……見誤ったか」)
 オミクロンは瞬時、恐怖あるいは失望に近い奇妙な感情を抱いた。しかし、たとえローザマリアのパートナーが同行していようとも、正面からやりあって負ける気はしなかった。オミクロンは右の手で左肘を掴んだ。彼女の左腕は義手であり、ここにブレードが仕込んであった。
「私には」
 ローザマリアが独言するのが聞こえた。正確には独り言ではなかった。こちらに向かって声を上げているのだ。人の流れに逆行し、押し流されそうになりながら、彼女の目はオミクロンだけを見ていた。
「共に歩むと望む人々がいる。ライザ、菊媛、エリーを始めとしたパートナーのみんな。悠月由真、そして大黒澪(おぐろ・みお)――貴方の事よ、オミクロン」
「世迷い言を!」
 オミクロンの口の端に笑みが浮かんだ。義手を捨てるのにかかる時間は、コンマ2秒もあれば足るだろう。そこから、参拝客を避けローザマリアを叩き斬るのにはもうコンマ2秒で済む。それで終わりだ。
 だがオミクロンの動作は、止まった。唐突に気づいたのだ。声の周波数が違う、あれはローザマリアではない。姿形を似せてはいるが……。
「そこまでよ」
 真のローザマリアの周波数を持つ声が、オミクロンの背後から聞こえた。もちろんローザ本人だ。彼女は腕を伸ばし、オミクロンの背を羽交い締めにしていた。身を捩ろうとしたオミクロンだが、頭上からサイコキネシスの波動を浴びせられては抗えなかった。
「うゅ、くろいお人形さん、ニンゲンにそっくり、なの。すがた、じゃない、の。なかみが、なの」
 頭上には、エリシュカ・ルツィア・ニーナ・ハシェコヴァがあった。エリシュカはステルス状態になって飛翔していたのだ。ローザマリアのサイコキネシスも加わって、オミクロンの四肢は動かなくなった。これはクランジ全体にあてはまる特徴なのだが、彼女らは予想外の行動に対しては極端に弱体化する傾向がある。
「御互いこうして健やかに新年を迎えられた事、心からお慶び申し上げます」
 さらに真横から上杉菊が姿を見せ、いくらか強引に、オミクロンとローザマリアを人混みから連れ出した。一連のやりとりは、具合が悪くなった友達を介抱しているように見えただろう。
「ローザと全く同じ服装、口調もできるだけ真似たつもりだ。だがそれでも、いつ気づかれるかと冷や冷やしたぞ……実際、かなり危なかったようだな」
 偽ローザマリア――すなわち、変装したグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)も菊を手伝った。

 空京神社を囲む鎮守の森で、ローザマリアは再び口を開いた。羽交い締めを緩めずオミクロンの耳に口を寄せ、囁くように告げた。
「貴方の分析力、大したものだわ。私は狙撃手、確かにね。けれど、それは本質ではない。私は斥候――兵達に先んじて音も無く敵地へ浸透し、如何なる手段を以てしても障害を排除する不可視の尖兵。狙撃はその際に用いる手段の一つに過ぎないわ。そして――」
「殺せ」
 体が動かない状態ながら、ようやく唇だけ動かしてオミクロンは吐き捨てるように言った。しかしそれをローザは完全に無視していた。
「私がもう一つ、狙撃と同様に得意としているのが――短刀による近接戦闘。今まで知られることなくこれたのは、狙撃で仕留めるケースの方が多くて単に使う必要が無かったからよ」
 ローザは無光剣を抜き、切っ先をオミクロンの肌に当てた。
「どうした、早くやれ。いたぶるつもりなら……」
 ローザはその言葉にも応えない。一方、菊は手をオミクロンの服の中に入れ、その身体を探りはじめたではないか。人差し指で何度もオミクロンの肌を撫でていた。菊は探しているのだ。
「御方様、特定しました。確実にここです」
「ありがとう」
 と言うや、ローザマリアは外科医のごとき精密な動きで、オミクロンの身体から自爆装置を摘出したのだった。落とした装置をグロリアーナが拾い上げ、
「ここで操作を間違えたら大惨事か……よし!」
 さざれ石の短刀で突き刺し、これを無効化した。
「今日の私の任務は――自爆装置なんて物騒極まりない物を内に秘めた貴方から、参拝客を護る事。自爆装置は解除したわ。任務は完了ね」
 ローザマリアはオミクロンから腕を放した。オミクロンは力なく崩れ落ち、両手を地面についた。
「自爆装置って、ある程度肉体がダメージを受けないと使えないんでしょう? 悪いけどそれは勘づいていたのよ。あなた、さっきしきりと『殺せ』って言ったのは、装置を起動するつもりだったからよね?」
「……回答(こた)えるべき質問とは思えないな」
 オミクロンに差し出された手があった。エリシュカの手だった。
「はわ、なんか機晶姫とは、思えない、の。ニンゲンと機晶姫をはんぶんこずつくっつけた、そんなふしぎな感じがする、の」
 オミクロンはその手を拒否し、帽子を片手で押さえつつ立ち上がった。
「それで、どうするつもりだ。他の連中みたいに『救ってやる。投降しろ』とでも言う気か」
 まさしくそれに類する言葉を告げようとしていた菊は黙り込んだ。同時に、思った。
(「オミクロン様……いえ、澪様はまるで間のようですね――悲しむべきはその出会い、忌むべきは、鏖殺寺院の所業……」)
 どうするつもりだ、と問われても、ローザは軽く肩をすくめるばかりだった。
「何も。参拝を続けるなら御随意に……善き新年を、澪」
 ローザは仲間たちとともに、オミクロンに背を向けた。歩き始めてすぐ、
「そうだ」
 振り返って、思い出したように言い加えた。
「これから私の家で新年会なのだけれども、一緒に来る?」
「理解できん。……私が行くと思うか?」
「そうなればいいな、とは思ってる」
「どんな理由で」
「だって」
 偽りや演技ではない、柔らかな笑みをたたえてローザマリアは言ったのである。
「貴方は大切で掛け替えのない友人だから」
「世迷い……言を……」
 オミクロンは、黒帽子の鍔を引き下げた。