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第44章 そんな甘さを

「ったく……今日はオレ、訓練のつもりだったってのに……」
 四谷 大助(しや・だいすけ)は額を押えながらふらふら歩いていた。
「別にいいではないかー。訓練ばかりじゃなくて、時には息抜きも必要なのだよー。ほら次!」
 白麻 戌子(しろま・いぬこ)は、大助の背をバンと叩いて、次の乗り物を指差した。
「って、あれまた絶叫マシーンじゃないか……」
 よろよろと大助は壁に手をつく。
 2人は戌子からの誘いで、遊園地を訪れていた。
 朝からずっと、この調子で戌子は絶叫系ばかり乗っている。文句を言いながらも戌子に付き合っていた大助だけれど、そろそろ限界だ。先ほどから強い眩暈に襲われている。
「あっ……あーっ!」
 そんな時、小さな男の子が声を上げた。目を向けると、男の子が離してしまった風船がふわりと空へと上がっていき、木の枝に紐が絡まったところだった。
 大助はすぐに近づいて、近くの柵に足をかけて、木の枝に手を伸ばし、紐をほどいて風船をとってあげる。
「はい、風船。今度はしっかり放さないようにね?」
「うん、ありがとっ」
 子供に風船を返すと、その子は泣き顔を笑顔へと変えて、両親の元へと駆けていった。
「やれやれ……」
 そんな大助の姿に、戌子は軽く笑みを浮かべる。
「初めて軍で会った時は、弱虫で、生意気で、背も低いタダの臆病者だったのに。いつの間にか逞しくなったものだよ」
「そう? でもごめんワンコ……少し休まないか?」
 再び、大助は額に手を当てる。
 ぐるぐる回る絶叫マシーンに乗った直後に、ジェットコースターはかなりキツイ。しかも、彼女が乗ろうとしているコースターには回転が多いし。
「仕方ないなー。あそこのベンチで休むかー」
「うん」
 大助はほっと息をつく。
 戌子はそんな大助の手を引いて、カラフルに塗られたベンチへと連れていった。

「……はい」
 ベンチに座って、冷たいジュースを飲み一息ついた大助に、戌子は包みを一つ、差し出した。
「ん? なんだ」
 早速大助は包みを開けてみる。
 ……中には、一つ一つ可愛らしく包装された小さなチョコレートが5個入っていた。
「これ、手作りだよな。へぇ……お前、チョコなんて作ってきたのか」
 無造作に1つ取り出して、大助は自分の口の中に放り込んだ。
「うん、結構美味いな。疲れた体にいい……」
 そう言いながら戌子の方を見ると、彼女は不機嫌そうな目をしていた。
「なんだよその目は」
「別にー」
 戌子はぷいっと顔を背ける。
 この男はやっぱり何もわかってないんだなーと。今日がバレンタインデーだということも、気付いていないというか、気にしていないというか。これがデートだとも感じてないんだろうなと、戌子は大きくため息をつく。
 だけれど……。
 戌子は「少し休むか?」と、大助に淡い笑みを向けた。
「これはこれで、訓練をしたようなものだったんじゃないか?」
 戌子の言葉に、大助はそうだなと頷いた。
「膝枕してあげよう。特別だぞ?」
 戌子が自分の膝をぽんと叩くと、大助はくすっと笑みを漏らしてベンチに横になり、戌子の膝を枕にした。
「ボクに膝枕してもらえるのを光栄に思いたまえー。まさか硬いとか言わないだろうね? この程度で硬いなどと……硬いとか……か、硬くない、よね?」
「ん……」
 大助は目を閉じて、幸せそうな淡い笑みを見せる。
「ワンコ、痩せてるからな……」
 そう言った後、彼は何も喋らなくなった。
 呼吸がゆっくりに……寝息に変わっていく。

 戌子は大助の額に手を伸ばした。
 彼の頭をそっと、そおっと撫でながら……夢の中にいる彼に、言葉をかけていく。
「軍をキミが脱走したと聞いて必死で探し回ったというのに、キミってヤツはもう新しいパートナーを作っているとは。おかげでボクも脱走兵扱いだ」
 手を止めて、彼の顔を切なげに見つめる。
「無愛想で冷たく振舞って、そのくせ敵だった者すら助けるほど甘い。そんな甘さを、ボクは好きになったのかもね」
 わずかに風が吹き、彼の髪をふわりと揺らした。
 必要もないのに、揺れる彼の髪を自分の元に留めるかのように押さえて、囁きかける。
「キミはボクの気持ちどころか、今日が何の日かも気付いてないのだろう? ……それでいいのだよ、今は」
 返事はない。
 夢の中で、きちんと聞いてくれているだろうか……。
「いつか、気付いてもらえるのかな?」
「んんー……」
 大助が小さく声を上げる。
「チョコ……もっと……」
 彼の寝言を聞いた戌子の顔に淡い笑みが浮かんだ。
「作ってよかった」
 夢の中でも、喜んで食べてくれているようだから。