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10


 六年前、夢野 久(ゆめの・ひさし)の妹は十三歳という若さでこの世を去った。
 今日、死者に会えると聞いて。
 会うしかないと、久は思った。
 だって、家族だ。会えるとなれば会いたいのはもちろんで、話したいことも聞きたいことも、たくさんある。
 人形を準備して、頼む、来てくれ、と祈るような気持ちで時を待つ。
 しばらくの時間が過ぎて。
 部屋に人の気配がひとつ、増えた。はっとしたときにはもう人形は無く、代わりに居たのは――。
「お、おい! 裕美か!?」
 妹の、夢野 裕美が立っていた。
「久しぶりです、兄さん……」
 生きているときと同じように、丁寧な挨拶。ああ、裕美だ。裕美が目の前に居る。目頭が熱くなってきたとき、
「ごめんなさい!」
 唐突に謝られて、涙が引っ込んだ。
「何だ! どうした何事だ!? 何かされたのか!?」
 思わず裕美の肩を掴んで問い詰める。裕美はふるふると首を横に振って、「だって……」と言いづらそうにお茶を濁した。
 ――だって何だ、何があったってんだ。
 逸る気持ちを抑え、久は裕美の言葉を待つ。
「……だって、私が死んだせいで私の仕事が全部兄さんに……!」
「……なんだ、そんなことか」
 拍子抜けした。肩透かしもいいところである。どんな衝撃的なことを言われるのかと構えていたというに。
「そんなことなんかじゃないですよ。だって、そのせいで兄さんが大変だったの、知ってるもの。野球だって辞める羽目になって……」
 そう言われてしまえば返す言葉も無いわけで。
 久は決まり悪そうに頭を掻いた。
「……まあ、大変だったことは否定しねえけどな」
「ほら!」
「だがな。裏を返しゃそりゃ、そんだけお前におんぶだっこだったってことだ。俺らの自業自得だっつの」
 今度は裕美が押し黙る。
「むしろ、俺ぁあの頃家の仕事だの妹の世話だので自分が超頑張ってるって天狗になってたからな。お前の仕事が回ってきて、お前の方がずっと頑張ってたって思い知らされて、自分が全然未熟な自惚れ屋だったっていい感じに目を覚まさせてもらったくらいだ」
 何でも自分でできると、自分ならできると、思っていた。
 頑張っている俺すげえ、だとか。自画自賛して、満足して。
 だけど実際、そんなことはおくびにも出さずにもっと頑張っていた人がいたことを知って。
 それが妹だったと知って。
「なんつーか、気付けてよかった」
 それは皮肉な話であるけれど。
「感謝……するのは何かおかしいが、まあ、少なくとも謝る必要はねえよ」
 な、と優しく裕美の頭を撫でた。
「むしろあん時ぁ、泣いてる妹共のフォローが全然出来てなかったのが面目ねえ限りだ。すまねえな」
 謝ると、裕美が首を横に振った。
 少しは重くのしかかっている責任から解放されたかと思ったら、全然そんなことはなく。頬を膨らませ、眉根を寄せて、「でも」と言った。
「そう言ってくれるのは嬉しいですけど……それでも、やっぱり、私の仕事だったわけですし……それをやりきらずに死んじゃった責任は……」
「でもも何もねえよ。本当お前は死んでも変わらずクソ真面目だな……」
 もはや、ため息すら出てしまうほどに。
「そもそも交通事故で死んじまったもんに責任もクソもねえっつの!」
 デコピンを作って、ぴこんと額をはじいた。
 額を抑えてきょとんとした顔をしたかと思えば、
「だ、だって! だって!!」
 堰を切ったように、言葉が溢れ出した。
「心配なんです気になるんです! 死んでからずーっと毎日毎日気になってしょうがなくて……!!
 日鞠の夜尿は治ったのか、日文はおねだり以外の言葉を話すようになったのか、日影のウッカリさんは治ったのか、日向の思ったことをそのまま話す癖は無くなったのか……。
 そ、それから!
 光はほんの少し位は明るくなった?
 聖の彼氏はちゃんと一人に絞られた!?
 瞳は相変わらずおばかなの!?」
 声は高く大きくなり、しまいには頭を抱え、
「あああ!? 何か言ってるうちにどんどん心配にいいい!!」
 天に向かって、吼えるように叫ぶ。
「平子お姉ちゃんは未だいかがわしい漫画描いてるの!?
 雛子お姉ちゃんは引き篭もってるの!?
 姫子お姉ちゃんは喧嘩三昧!?
 日美子お姉ちゃんまた笑顔で不良の小指へし折って補導とかされてない!?
 お母さんは心を入れ替えたの!?
 お父さんは相変わらず影が薄いの!? 一人だけ御飯貰えなかったりしてるの!?
 ねえ、どうなってるのっっ!!?」
 言葉を重ねるうちにエキサイトし、久の襟首を掴んでがくがくとゆする。
 見物に専念していた佐野 豊実(さの・とよみ)フマナ平原の洞窟の精 ちゃぷら(ふまなへいげんのどうくつのせい・ちゃぷら)に、助けろ、と目で訴えてみたけれど、
「双子の兄妹水入らず。邪魔しちゃ悪いよね」
 顔色ひとつ変えず、にこりと豊美。
「僕は記録するのに忙しいので」
 ビデオカメラを回しながら、ちゃぷら。
「丁々発止ぶりがさすがだよね」
「ばっちり収めてます。ので、あとで話の種になるでしょう」
 すっかり蚊帳の外で楽しんでいる二人はあてにできないようだ。
「落ち着けっ! 心配なのはわかるが、皆元気だから! 大丈夫だから!」
 なので、必死で止めた。このままがくがくやられ続けていたら脳震盪を起こしてしまいそうだ。既に目が回り、ぐにゃぐにゃと地面が揺れている。
 ――ていうか、改めて聞くと本当ろくでもねえなうちの家族……!
 死人にここまで心配かけるのもそうだし、いやそもそも人間的にどうなのか。
 大丈夫、という言葉を聞いて、裕美がぱっと手を離す。
「……本当?」
「ああ。……まったく、そんな細かい心配事を今まで全部きっちり覚えてたのか、お前は」
 こくり。小さく首が縦に振られた。
「本当に真面目っつーか、なんつーか……」
 ままならねえな、と。
 胸が締め付けられるような痛みが走った。……錯覚だ。わかってる。
「さてと。夜まで時間はあるんだ」
 気を取り直して、久が裕美に笑いかけた。
「順を追って全員の話ししてやるよ。じっくり話し込もうぜ。文字通り、積もる話はいくらでもあるからな」
 適当に座り、隣に来いと床を叩いて。
 裕美も座ったのを確認して、久は話し始める。
「まずはお袋からか? お袋はなー……ああ、うん、変わってねえな。相変わらず詐欺スレスレの山師だ。ありゃ一生ああだろ……。
 んで日美子姉は……」
 積もる話は滔々と続く。
 別れの時がくるまで、少しも休むことなく、時に笑いや呆れも混ぜて。