リアクション
4 しばらく先へ進んだのはいいものの、アムドゥスキアスと敵兵との攻防は膠着状態に陥っていた。本能に任せた野獣のような戦士たちだと、油断していたのがいけなかったかもしれない。彼らの鋭い爪の攻撃は、最悪の場合、一撃で心臓をえぐってしまうのだ。 それぞれが巨大な幹の後ろに隠れて、アムドゥスキアスたちは気を見計らっていた。 そんなときに、アムドゥスキアスに話しかけてくるひとりの青年がいる。 「ねえ、アムドゥスキアス。君は南カナンにエンヘドゥさんを返したら……どうするつもりだい?」 彼の名は碓氷 士郎(うすい・しろう)という。 契約者、乙川 七ッ音(おとかわ・なつね)のパートナーである悪魔で、優しげな雰囲気だが、どこか冷然とした空気も共存させた若者だった。 「いまは、そんな話をしてる、場合じゃないでしょ!」 幹の一部を敵の爪がえぐった衝撃に身をよじって、アムドゥスキアスは反論した。 それは士郎もよく理解している。戦いの場でこのような悠長な話をしている場合ではないことを。しかし、こうした時でなければ、アムドゥスキアスとふたりきりで話す機会がないことも彼はわかっていた。 このチャンスを逃すことはないと、意を決して訊ねたのである。 「……どうするつもりだい?」 「…………」 彼のいつになく真剣な表情に、アムドゥスキアスもただならぬ覚悟だと知った。 しばらく考えるように宙に視線を送る。 そして、答えようと口を開きかけたそのときだった。 「士郎……」 恐る恐るという様子で、七ッ音がふたりのもとに近づいてきた。敵の標的にならぬよう、四つん這いにちかい姿勢である。 そんな彼女を見て、士郎は穏やかな表情に戻った。 「……後でもいいよ。答えを聞かせてもらえるかな」 ぼそっと、アムドゥスキアスの耳元にそう言い残して、彼は七ッ音を促してその場から離れた。 少し離れた幹まで屈んだ姿勢で移動して、ようやく彼は息をついた。 彼のことを、七ッ音が心配そうに見つめている。 「アムさんは、あの……楽譜、受け取ってくれました。私、話すの下手だから音楽で伝えるんです。だから……楽譜は、私の意思なんです。そう知らなくても……貰ってくれて、嬉しくて……。士郎は、私の音楽が好きで、友達になってくれた……んですよね?」 七ッ音の瞳に、徐々に涙が浮かんできた。 それを見て、士郎は胸を締め付けられるように切なくなる。もしかしたらアムドゥスキアスも、初めて七ッ音と会った自分と同じように、人間に惹かれているのかもしれない。 それが確かかどうかは分からなくても、そう悟って――士郎は苦笑した。 「士郎……?」 「いや……ごめんね、七ッ音」 士郎は七ッ音に素直に頭をさげた。 後で答えを聞かせてもらえると嬉しいが、それ以上は追求しないでおこう。七ッ音と仲良くして欲しいのが事実だし、それに…… 「士郎……笑ってるの?」 七ッ音を首をかしげた。 自分も彼と友達になれたら良いと、そんな風に思いながら笑う、士郎を見ながら。 5 「領主さま……」 「ロクロくん……? どうしたの?」 七ッ音と士郎が離れて行ってすぐに、アムドゥスキアスのもとに気恥ずかしそうにしている少年がやって来た。 彼はアムドゥスキアスもよく知る少年だった。 彼は、アムドゥスキアスが運営するアムトーシスの学舎に通っている一市民なのだ。絵を描くことが大好きで、いつも学舎という名の絵画教室に顔を出している。また、彼の父親は数あるゴンドラ乗りのなかでも、抜きん出たゴンドラ乗りだ。 アムドゥスキアスも、よく彼の父親が漕ぐゴンドラには世話になっていた。 そんな少年がどうしてこんな場所にいるのか? それは、彼が由乃 カノコ(ゆの・かのこ)という契約者と契約を交わしたからだという。 その当の本人のカノコは、先日バルバトスの配下たちに襲われたアムトーシスの街の復興に務めており、この戦場には来ていない。 少年――ロクロ・キシュ(ろくろ・きしゅ)は、当人の望んだことであはるが、こうしていきなり戦場に放り込まれたというわけだった。 「領主さまは……みんなのこと、どう思ってるんですか?」 「みんなのこと?」 「ボクは、芸術大会に来てた地上の人達にも優しい人はたくさんいたし、きっと色んなものを分かち合えると思いたいです」 ロクロは、質問の意図を説明するように、そう語った。猫耳のような二本の角が、感情に合わせるようにぴょこぴょこと動いた。 「でも……領主さまはどう思ってるのかな……って……」 ロクロはアムドゥスキアスを尊敬している。 だからこそ、彼の考えが聞いてみたいのだ。それによって、自分の考えは変わるかもしれないし、そうではないのかもしれない。しかし、それを知ることは、この戦いの場に赴いた自分にとってとても重要なことに思えた。 そんな少年の思いを、アムドゥスキアスは感じ取ったのだろう。 緊迫の状況ではあったが、無碍にすることはせず、真剣に考えた。 そして、 「ロクロくんは、教室でボクが最初に言ったことを、覚えてるかな?」 と言った。 「教室で?」 「そう」 うなずいて、アムドゥスキアスはポケットに手を突っ込むと、そのなかからある物を取り出した。 それは、砕けた宝石だ。 まるでロクロの瞳の色のように、黄金の色に染まった宝石は、4つに割れてしまっている。 「見ててごらん」 彼はそれをぎゅっと握ると、拳に力をこめるように精神を集中させた。わずかに、拳のなかから光があふれる。すると、手を開いたそのときには、宝石は元の見事な球体の形を取り戻していた。 「どれだけ壊れたって、元に戻す方法はきっとある」 言って、彼は微笑を浮かべた。 「たとえ、元には戻せなくても、それを加工して、新しい芸術品を作ることができる。それはもしかしたら、元の宝石よりも美しい作品に仕上がるかもしれないんだ。もちろん、そうではないときも、あるけどね」 苦笑したのは、それが芸術家の苦悩するところだと、自嘲めいたことを思ったからだった。 「だけどね。少なくともボクは、芸術の魔神として、壊れたままのものをそのままにしておくつもりはないよ。どんなものにだって価値はある。そう信じたいし、それに、ボクは価値を創りだすことだって、やりたいことなんだ」 ロクロはアムドゥスキアスの瞳を見つめながら、思い出していた。かつて、学舎の教室で、はじめて領主という存在と相対したそのときのことを。 あの時も――こうして真っ直ぐに自分たちを見つめてくれていた。 「それが、ボクの思ってることだよ」 「…………」 アムドゥスキアスはポケットに宝石を戻す。 それを見届けて、ロクロはまるで自分の心に激励を与えるように、静かにうなずいた。 しばらく隠れていたせいだろう。相手の反応があまりにもないので、怪訝そうに首をかしげた敵兵たちはきょろきょろと仲間たちで見つめ合った。 「よし、行くよ」 「……はい!」 それを好機として、アムドゥスキアスは教え子の少年とともに再び森を駈け出した。 |
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