校長室
年の初めの『……』(カギカッコ)
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●Let me tell you more ポートシャングリラに設置された遊園地を、一体の着ぐるみがもそもそと歩いていた。 色は桜のようなピンク、可愛いのか可愛くないのか微妙なラインだが、とりあえずここのマスコットキャラらしい。この着ぐるみは背中に縞があり、猫とも虎ともとれるデザインだった。しかし名前が『シャングリらいおん』であるところからすると、もしかしてライオンのつもりなのかもしれない……。 きゃあきゃあと声を上げる来場の子どもたちに囲まれつつ、シャングリらいおんは風船を配っていた。 こういう寒空には実に暖かそうな格好だ。夏場は地獄だろうが、冬場ならいいバイトかもしれない。 しかし、その中身はアルバイトではなかった。 (「いくつかの目撃情報を統合すると……カイサはここに来ている可能性が高い。このポートシャングリラに」) ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)なのだった。なお、着ぐるみの下の顔も、特殊メイク技術とスパイマスクαを使って丸きりの別人に扮しているという念の入れようだ。これでは、たとえ同僚であろうとも、彼女がローザマリアとは気がつくまい。 カイサ、つまり、ローザのパートナーの一人カイサ・マルケッタ・フェルトンヘイム(かいさまるけった・ふぇるとんへいむ)は、昨年、イルミンスール大図書室での事件と時期を同じくして姿を消していた。その後集めた手がかりから、この巨大な、ひとつの街ほどもあるショッピングモールに彼女がいると見たローザは、こうしてマスコットキャラに扮して捜索してるのである。 そこからさほど離れていない地点、同じく遊園地の敷地内をグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)、上杉 菊(うえすぎ・きく)、それにジム・オーソンの三人がやはりカイサを探している。人気のないところを中心に捜索していた。 「目出度き新年ではある。だがしかし、その目出度き日に一人でも欠けてはローザが悲しむではないか」 グロリアーナは言い、振り向いてオーソンに告げた。 「べつにそなたの責任ではない。元旦まで手伝うことはないのだぞ」 菊も言う。 「同感です。博士、お戻りになってください。顔色があまりすぐれませんようで……」 オーソンは分厚いジャンパーを着てフードを被り、おまけに本人が丸っこく肥っているというのに、それでもブルブルと寒そうにしていた。 「いえ……僕も気になるので。それに、博士といっても博士号があるだけで、実際はただの臨時雇いの研究員です。仕事も暇ですし」 カイサは、オーソンを殴り倒して逃亡したという経緯があった。 彼が「暇ですし」と言ったのも嘘ではなかった。空大予算の都合上、オーソンはこの春をもって一年契約が終了、雇い止めとなることが決まっているのである。残りの短い期間はせいぜい引き継ぎ業務しか残っていないのだ。だからこのままカイサが見つからなければ、彼は心残りをひきずりながら大学を去らねばならなくなるという事情があった。もちろん、雇い止め云々のことはグロリアーナたちには言っていない。 しかしいつでも間の悪い者というのはいるもので、オーソンは一生懸命だったのだが、残念ながら彼の大きな図体は悪目立ちしすぎた。 「……追っ手」 袖を折った褐色のコートの少女が、オーソンを見て来た道を引き返した。 なお、このコートは少し前に、高円寺海がゴミ箱に入れたものである。内側のタグには『KAI』とマジックで書かれている。 彼女こそ、カイサだった。 明るい緑色の髪、褐色の肌、背には孔雀の上尾筒を思わせる八対の金属翼がある。翼はすべて特殊金属だ。今はコートの下に曲げられて収まっていた。いいものを手に入れたとカイサは思っている。さっきまで着ていた拾ったジャンパーでは、背中をカバーするのに骨が折れた。 足早に歩く。カイサは知っている。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みの中だ。人の多い場所を目指した。 「……!」 肌寒いものを感じた。 前方。振り返り、振り返りして歩いている何の変哲もない若者――つっかけを履き、うどん屋とか書かれた前掛けをしている――を見て、なにか不安な気持ちを抱いたのだ。 (「あれが、私を呼んだ者だというのか? ただの人間に見えるが……うどん屋……? 『うどん』とは何だ?」) 惹かれるものはある。だがどうしても、反応が小さいように思った。 迷った末、再度カイサは行く方向を変えた。 風船を手渡す相手を探しつつ(本当はカイサを探しつつ)、シャングリらいおんのローザマリアは歩く。もう風船は青いものひとつきりしかない。 彼女は考えていた。 本当はカイサのことだけ考えたいのだが……つい、思考は『Ι(イオタ)』と呼ばれたクランジに向かってしまう。あの日からずっとそうだ。 「友人を呼んでいてね。名を、クランジΙ(イオタ)という」 クランジΘ(シータ)の言葉だ。 (「私を越える狙撃手……。結局名前しかわからない。まだ見ぬ相手……」) 今度イオタと出会うときがあれば、それはどちらかの死を意味するとローザは思っていた。しかし、どんな姿なのかわからないのが厳しい。相手はローザを知っているというのに。 (「イオタ像をプロファイルしてみましょう」) 狙撃手の常識や先入観は捨てよう。まともに考えても袋小路だ。 唯一のキーワードがあるとすれば、それはイオタが跳弾を使ったということ。 (「兆弾を使用したのは弾道を読ませない為だけでなく、そうする必要があったとしたら?」) 頭に雷が落ちたかのようだった。立ったまま、ローザは震えていた。 そう――たと例えば、体が小さく他のクランジより劣る移動力を兆弾でカヴァーしているのだとしたら? 子どもということか。あのクランジΠよりずっと小さい可能性もありえる。 絶対に姿を見せないよう戦っていた理由も、それならば説明が付く。 「だからといって……」 ぽつりとローザは呟いた。だからといって、姿が幼いというだけでイオタを突き止めるのは不可能だろう。子どもならこの場所にもいくらでもいる。それが何の目印になる? 深く息を吐き出した。せめて業務でも果たして気を紛らわせよう。 「Happy New Year♪ 何をしていたんですか?」 近くにいた子どもに話しかける。風船を手渡そうとする。 子どもは少年のようだ。背は低い。9歳ほどか。親らしい人の姿がないが、迷子というわけでもないらしい。少年は郵便配達人のような緑色の外套を着ており、帽子も郵便配達そっくりだ。加えて、これまた郵便配達風の大きな鞄をたすき掛けにしていた。 「……」 少年はじろりと彼女を見上げると、無言で去ろうとした。 そんな子どもはちょっと、笑わせてみたくなるのが人情だ。この『シャングリらいおん』がウサン臭がられている危惧があるので、ローザはマスクを取って顔を見せた。 「NO、NO、むっつりはダメですよー」 赤毛で垂れ目、優しげな女性の顔だ。色白なのはローザの地に近いが、顔の作りは随分違うし、知的そうな眼鏡をかけてもいる。これすべて、特殊メイクによる変装である。 「今日は、みんなが楽しく笑い会って新しい年を祝う日なのです♪」 少年の前に回り込んで、ローザは両手の着ぐるみパーツも外した。そうして素肌になった右手を開き、掌に大きめのコインを握って見せた。 「はーい、ここにコインがあります。これがなんと! 瞬間移動して」 話しながら右手を握って開く。コインは消えていた。かわりに左手を開いて見せた。 「こちらに移りましたー!」 「嘘つき」 少年が初めて口を利いた。背伸びしてローザの右腕を掴む。少年が強引に振ると、袖の所からコインが落ちた。……最初から二枚あったということだ。 「瞬間移動じゃないよ。ただの早業。でも遅い。僕には止まって見える」 近くで見ると顔の作りは随分端正だ。もしかしたらこの子は女の子かもしれない。 さして面白くもなさそうに言い放つと、郵便配達みたいな子はまた歩き出した。 だがめげず、その背にローザは言う。 「また会おうね。今度はもっと手品の練習してくるからさ。バイバーイ!」 当然、少年が手を振り返すことはなかった。 (「見えるって……? そんなはずない」) 子ども相手だから油断していたとはいえ、ローザは手業には少々自信がある。「見える」というのはブラフだろう。この手品のタネを知っているだけだと思われた。 (「あの子には、また会うことになる気がする」) ローザマリア・クライツァールとクランジΙ(イオタ)、すでに二度、戦った二人が、初めて顔合わせした瞬間はこうして何事もなく終わった。 ポートシャングリラの外れ。開発中の資材置き場に、迷わずイオタは踏み込んでいた。 クランジΙは足を止めた。 「私を呼んだのは、お前か?」 資材の山に腰掛けてカイサが待っていた。大きめのコートの袖を無理矢理折って着たカイサが。 カイサは着地して、イオタに手を伸ばそうとする。 「バカ言うな。きみなんか呼んでない」 押しのけて通ろうとするイオタに、カイサはすがりつくように言った。肩にかけられた鞄の紐を掴み、 「私はクランジF(ディガンマ)。存在を消された、稼動を赦されぬロスト・ナンバー……私を迎えに来てくれたんだろう?」 されど、人を人とも思わぬような、冷え切った眼でイオタは彼女を見た。 「きみの能力はクランジの存在を察知すること? ロストナンバーということは、せいぜいその程度の価値しかないということだろ」 イオタはカイサの手を振りほどいた。 「僕は、シータみたいに優しくない。クランジであれば誰でもシスターとして受け入れる……そんな度量があるのは、僕らの側ではシータくらいのもんだ」 「じゃあ、お前は何のためにここに来た?」 「迎えに来たんだ。でもそれは、きみじゃない」 イオタは、資材の山に手をかけた。 すると急に、まるで重力がなくなったかのように、資材がふわりと浮き上がったのだった。見えない手が、何キロ何トンとありそうな建築資材を持ちあげたかのように見えた。 資材がなくなった場所に一人、栗色の髪の少女がうずくまっていた。パジャマのような服を着て、この寒いのに裸足だ。怯えたような眼をして何か抱いている――よく見ればそれは、あちこち剥げたテディベアのぬいぐるみだった。 「よく出てこれたね。塵殺寺院から……Η(イータ)」 立ち上がったΗ(イータ)の身長は160センチに満たないくらいだろうか。大きくウェーブのかかった髪を長く伸ばしているのが目を惹いた。 「わ、わたし……あの………そちらに付けば本当に幸せになれるんですか?」 彼女は口を開いた。か細い声である。 イオタは答えず、別の質問をした。 「Κには?」 「……見つかってません。まだ、探していると思うけど」 「なら、いい」 イオタは、資材の山から現れた少女の手を取る。 待て、と再度カイサが手を伸ばした。 「今だけしか無いお前、今すら無い私――教えてくれないか? 何もない空疎な入れ物でしかない私は、どうすればいい?」 「僕らの所に来たいなら、それに値する存在であることをアピールするんだね。たとえば、契約者を殺して首を持ってくるとか。それができたら、仲間にすることも考える」 「でも」 テディベアを胸に抱いたままイータが言う。一緒に連れていってあげて、と眼で訴えた。 イオタは首を振った。 クランジΗは哀しげに俯くと、片腕をまっすぐ上に伸ばし、下げるような動作をした。 その動作にあわせるように、ゆっくりと資材の山は元の位置に戻った。 「待て、私は」 資材置き場から二、三十メートル離れてもその光景は見えたと思う。 緑の髪をした少女が水平に吹き飛んで落下し、転がった。 資材置き場から二人の人影が出てきて、どこかへ去っていった。 うち一人は緑の服に緑の帽子でたすき掛けで鞄を提げ、もう一人は栗毛で、パジャマのようなものを着ていた。