校長室
年の初めの『……』(カギカッコ)
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●最初の一日はかく更けゆく……(2) 年の初めに、ということでニケ・ファインタック(にけ・ふぁいんたっく)はメアリー・ノイジー(めありー・のいじー)の大メンテナンスを実行していた。 「ようやく完了……!」 二ケは魂が抜けたようになっている。新年最初の仕事は随分長引いたものだ。未明から初めて、深夜も近づく頃になってようやく終わったのだから。 さあ、再起動だ。 電源が落とされたメアリーは、現在のままではメアリーの姿をした人形にすぎない。壁にもたれてメアリーは座らされた状態、顎が胸につくほど首を垂れてぴくりともしない。 壊れ物を扱うように、二ケはメアリーの頭部を両手でそっと起こした。 メアリーの瞼は下りたままだ。 一時はぐしゃぐしゃに半壊していたメアリーの側頭部に、ニケはドライバーを入れて配線をつなぐ。 これで通常出力に戻った。メアリーが目を開いたのである。蝶の羽ばたきのように、彼女は瞬きを繰り返している。 「おはようメアリー。今日は……いいえ、今年はと言ったほうがいいでしょうか、話があるんです」 彼女の正面に腰を下ろしてニケは言った。メアリーは不機嫌そうな声で応じる。 「何……? 大した用事じゃないんなら、低出力でも平気でしょ」 「いいえ。大切な話だから、通常出力にしました」 「それって、あたしに関係することなの?」 わかりきっていることではあるが、メアリーはあえて訊いた。ニケがこんなに真剣な目をしているのだ。自分のことに決まっている……『大切な話』の内容もおのずと想像がつく。 ニケはその両手を、メアリーの左右の肩に置き、彼女の顔の前に自分の顔を突き出した。 額が触れあいそうなほど距離が近い。 「教えて。あなたが暴走する理由は何なのか、その時に出る人格は何者なのか、そして、封印される前に何があったのか……。メアリー、あなたの口から聞きたいんです」 ニケの目は怒っているようでもあり、悲しんでいるようでも、メアリーのことを案じているようでもあった。おそらくはそのすべてなのだろう。 (「やめて、そんな目をするのは……やめて」) メアリーは首を横に向けた。 「低出力に、戻して。さもなくば電源を落として」 「駄目です」 苛立ちの色を交えてニケは言った。 「いいですかメアリー。あなたは私の従者です。そして私の所有物。私があなたを起こしたのだから。いい? あなたは私のお世話をしなくちゃいけないの」 「……低出力でも世話くらいできるわ。余計なことを何も考えず、掃除機や冷蔵庫みたいな家電さながらにね」 「低出力じゃ、なにやるにもとろくてたまったもんじゃない!」 ニケが声を上げたのは、低出力だと鈍い、ということに怒ったからではないだろう。 ……メアリーは黙って聞いた。 「メアリーあなたは、私のために普通に働けるようになってもらわないと困るの。私は使い手。あなたは道具。使い手が、自分の『道具』を使い手が整備するのは当たり前でしょう?」 言葉は厳しいが、その実、ニケが自分のことを心配しているのだとメアリーにはわかっていた。それだけに、胸が痛んだ。古く錆びた釘を、心臓部に突き刺されたかのように。 「だからあなた、教えなさい。自分のことを。あなたの奥にいるって奴はどんな奴で、どうしたらいいのかを」 メアリーは正面を向いた。 「ニケ、あんたには感謝してるのよ。あたしを起こして、弔いの機会をくれた。……暴走して、あんたを傷つけるのは嫌なのよ」 「傷ついたかどうかは私が決める。肉体的にも、精神的にもね」 「そんなこと……」 「そうやってあなたが黙って、一人でしまいこんで……それがどれだけ今、私を傷つけているかわからないの!」 ニケの目尻に、なにか液体が滲んでいた。 メアリーはふたたび目を逸らせた。見てはいけないものを見た気がした。 「あいつのことは思い出すのも嫌なの。急に、出てきそうで。……もう、この手で大切な人を殺めるのは嫌なのよ」 「殺されるかどうかも、私が決めます」 その言葉に背中を押されるように、メアリーはぽつりぽつりと語り始めた。自身の事情を。かつて、執事として主人に仕えて働いていた話から入った。 「あるときから不意に『家族を殺せ』と囁く声が聞こえるようになった。耳にじゃない。直接、この頭に」 無論、メアリーは自分を調べた。 だが機晶石や機械部分に問題は見つからず、しかもその声の聞こえる頻度は増す一方だった。 「兄弟や創造主に相談することもできず、あたしは一人、あの声に苛まれていた……」 あの日のことを話すのは辛い。今でも頭を壁に打ち付け、そのまま機能停止したくなる。 けれどニケに促されメアリーは話した。 「普段は離れ離れの兄弟が研究所に集まったあの日……今日のように寒い日だったわ。雪じゃなく、氷混じりの雨が降っていた」 ひたひたと頬を打つ雨の感触、前髪からしたたる雫、水が染みこみ重くなった服、足元の水たまり――すべてはっきりと覚えている。 だが肝心なことは覚えていない。 メアリーが意識を取り戻したのは、すべてが終わった後だった。 「直前まで、室内にいて脇で控えていたことまではわかってる。夕食の途中だったわ……出し抜けに『声』がじわじわとこの頭に響きはじめ、五月蝿(うるさ)い、五月蝿いと思っていたんだけど、その日はいくら我慢しても『声』は黙らなかった」 黙れ! とメアリーは叫んだと思う。心の中で叫んだのか、実際に叫んだのかまではわからない。 『殺せ』の声がひときわ大きくなったかと思いきや、極限まで引っ張られた糸が切れるようにして、ぷつんとメアリーの意識は途切れた。 「気付いたときには、研究所は大破していた。雨ざらしになってあたしは立ってた。瓦礫を、ぼんやりと見つめながらね。 そこがどこなのか理解するまで時間がかかったわ。だって研究所は、徹底して破壊し尽くされていたから。瓦礫を掘り返して出てきた肉塊、あるいは残骸、ゴミのようなものが……あたしの創造主、それに兄弟の変わり果てた姿だと理解するまでは、もっと時間がかかった」 繰り返すが記憶は、ない。 しかし誰がやったのかをメアリーは知っていた。 自分の手と脳裏に、『傷つけたその瞬間』の感触が残っていたから。 「直後また乗っ取られたことがある。暴れ続けたようね。あたしは捕獲され封印された。それから百年、ずっと眠っていたわ」 メアリーはその冷たい両手で、ニケの頬を包み込んだ。 「あいつは……ただ殺したいんじゃ、ないの。信頼させて、裏切りたいの。……今一番危ないのは、あんたなのよ、ニケ」 ――ねえニケ、今、あたしが『声』を聞いていると言ったらどうする? メアリーは問うた。 ――どうする? 停電だろうか。 ふっ、と部屋の電気が落ちた。