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そんな、一日。~夏の日の場合~

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そんな、一日。~夏の日の場合~
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5


 外は晴れ。
 太陽はぎらぎらと輝いて、外出しないと損だと思わせるくらいの、晴天。
「出かけたいー……」
 クーラーの効いた部屋で、東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)は唸るように声を出した。室温を調節された部屋は快適で、外に出ることは大いに躊躇われた。だって、いい天気だってことは当然暑いのだ。あの、太陽の下は。
「…………」
 覚悟して、部屋を一歩出る。途端、むわっとした空気に触れた。室内とはいえ、空調の届かない廊下は蒸し風呂のようだった。
「けど暑いー……」
 外はここよりずっと暑い。そう考えると、出かけたくない。でもいい天気。出かけないと、もったいない。
「んー……、……あ、そうだ」
 考えて、思い浮かべたのは『Sweet Illusion』だった。なぜか、あそこは絶対に涼しい、という確信がある。それはきっと、店主であるフィルスィック・ヴィンスレット(ふぃるすぃっく・う゛ぃんすれっと)が常に涼しい顔をしているからだろう。
 次の瞬間には、行こう、と決めていた。決めてからは行動が早い。秋日子は立ち上がり、要・ハーヴェンス(かなめ・はーう゛ぇんす)の部屋をノックした。
「要ー、いい天気だしお出かけしようよ。フィルさんちで涼もー」
 誘いに、要はすぐに出てきた。
「はい。行きましょう」
 要の微笑みは涼やかで熱なんか感じさせず、ああそういえば要もわりと涼しそうだ、と思った。色素の薄い手は、冷たいのだろうか。
 手を取ろうかどうか、少し迷っていると。
「秋日子さーん! お出かけですかお出かけですね! 私も連れて行ってください!」
 キルティス・フェリーノ(きるてぃす・ふぇりーの)の大きな声が、それを止めた。
「キルティ……暑いのに元気だね」
「違うんです……必死なんですよぉ。暑くて、もう……駄目かもって……」
 その言葉は本物らしく、大きかった声は次第に小さくなって最後には消え入りそうなほどになった。顔色も、心なしか悪い気がする。ぐったりとした様子は見ていて可哀想なほどだ。
 大丈夫、と声をかけようとしたら、ぐわっと顔を上げたキルティスに肩を掴まれた。すごい形相だった。先ほど本人が言っていたが、必死という言葉がよく似合う。
「だから秋日子さんっ! フィルさんのお店に行くなら私も一緒に連れて行ってください! 後生ですから!」
「う、うん。わかった。わかったよキルティ、大丈夫。落ち着いて」
 まずは、慰めた。だってこんなところでヒートアップして、それこそ倒れられたら洒落にならない。
「はー、良かった。助かります。ありがとうございます」
「いいよいいよ。それに、人数が多いほうが楽しいよね」
 秋日子は要にも同意を求めたが、要は薄く微笑んだだけだった。


 フィルの店に着くまでが大変だったせいか、店内に入った瞬間ここは天国だろうかと錯覚した。
「うん……天国。きっと天国」
「しっかりして秋日子さん。現世ですよここ。ケーキ屋さん」
「だって外……暑かったし……あー本当、ここ、極楽……!」
 最高、と握りこぶしを作って店の入り口で歓喜していると、カウンターにいたフィルに笑われた。
「大げさだなぁ」
「フィルさんは外を知らないから……! もうっ、すっごく暑いんですよ!」
「うんうん、暑いよねー」
「うわー嘘だ。それ絶対嘘だ。暑いとか思ってなさそうな顔してるもん!」
「失礼だなー。ちゃんと暑いってば。それよりほら、そんなとこにいないで席に座ったら? 向こうの方が休めると思うよ」
「はぁい」
 言葉に素直に従って、秋日子はふたりと一緒に店内奥の席に座る。少し涼んでから、改めてカウンターへとオーダーをしに行った。今日は三人とも、アイスティーと季節のケーキだ。
 少し待って出てきたアイスティーで喉を潤し、季節のケーキ――今月はいちじくのタルトだった――で糖分を補給する。店内は勿論快適な涼しさだし、落ち着いたBGMも心をリラックスさせてくれる。
 まるで極楽だ。一日中、ここでのんびり過ごしたい。
 ただひとつ、懸念があって。
 それは、
「…………」
 家を出るあたりから極端に口数の減った、要のことだった。
 もしかして、機嫌が悪いのだろうか。暑い中、無理矢理外に連れ出したから? それとも何か、別にした?
 考えても考えても、わからなかった。これといった引き金が見えない。普段なら、こうしておろおろしていたら声をかけてくれそうなのに、今日はそれもない。だから余計に焦った。
 とはいえ男の人の気持ちがわかるほど成熟していないし、キルティスに聞こうかとも思ったが彼の今日の装いは女。ならば心の性別は女。駄目だ。
 誰か、と思って、近くに居たことを思い出す。フィルだ。今日フィルは、男装している。気付いた瞬間、席から立ち上がってカウンターへと駆け寄った。
「ふぃ、フィルさん!」
「どしたのー、情けない声出しちゃって」
「私何か失礼なこと要にしてたかな? どう思う!?」
「いやー? 少なくともうちに来てからは、俺何も見てないけどー。カナちゃんどうかしたのー?」
 落ち着いて、順を追って説明してご覧。そうフィルが言うので、秋日子は逸る気持ちを抑えて家からのことを話す。と、フィルは笑った。
「えっ、えっ、わかった??」
「うん。わかるわかる。ていうか秋ちゃんはわからない?」
「わからないから教えて欲しいの〜!」
 要が不機嫌だと、嫌だ。
 要には、笑っていて欲しい。
 しゅんと項垂れる秋日子に、フィルは「仕方ないなー」と言った。教えてくれる? と顔を上げると、変わらぬ涼しい顔をしたフィルが口を開く。
「俺ならね――」


 血相変えてフィルの許へと駆ける秋日子を見て、要は言った。
「秋日子くん、どうかしたんでしょうか?」
 そして、それを聞いたキルティスは耳を疑った。
「どうか、って」
 明らかに、秋日子は要の機嫌が悪いことに焦っていたではないか。
「要さん、気付いてないんですか」
「はい。……その口振りだと、キルティくんは気付いているようですが」
 口ぶりに、とぼけている様子はない。どうやら本気でわからないらしい。そしてそのことが、要の苛立ちをますます助長しているようだった。
 普段なら教えないで引っ張ってからかってもいいところだけれど、今日はやってはいけない気がする。その本能の警告に従って、キルティスは「要さんが不機嫌だから」と答えた。
「俺が不機嫌!? ……確かにイライラしている、気はしますが……それはただ、暑いからで。秋日子くんのせいなんかじゃ」
「でも、秋日子さんは自分のせいだと思ったんですよね。なんででしょうねー」
「……なんですか?」
「暑くてイライラ、だったら、たぶん秋日子さん気付けると思うんですよ。要さんのことですし。なのに自分のせいって思うのはどうしてでしょう?」
 暑さのせいでないと気付いたから? それもあるだろう。だけどたぶんそれよりも、秋日子は自分が悪いことをしたと、気づいているのだ。無意識のところで。
「回りくどいですよ」
 要が言った。棘のある言葉選びと口調だった。本当に、わかりにくいようでわかりやすい。
「要さんは嫉妬してるんですよ」
 ふたりきりで出かけられると思ったのに、自分が乱入してしまったから。
 秋日子は嫌がらず、むしろ『多い方が楽しい』なんて同意を求めてきたから。
「嫉妬だなんて、そんなこと!」
 と、要は焦ったように声を大きくしたが、すぐにすっと表情を消した。それから、ばつが悪そうな、やっちまった、とでもいうような表情に変わる。
 あ。と思った。素だ。素の表情が、出ている。
「……あるかも。悪ぃ、暑さのせいでイライラしてたのもあるんだよ。それで、ってのもアレだけど」
 口調も昔のものに戻った。面白くて、「へぇ」と相槌だけ打って、見守る。
「だ、だからって別にお前のこと邪魔だとか思ってね……えと。ないですよ。ええ」
 そして言葉の途中でそのことに気付き、無理矢理語尾を敬語に直して取り繕う。その様が面白くて、キルティスはくすくすと笑った。要は、そっぽを向いている。
「これは、いいものが見れました」
「……忘れてください」
「無理でしょうねえ」
「キルティくん」
「観劇料といってはなんですが、お邪魔虫は退散してあげることにしましょう」
 丁度、ケーキも紅茶もなくなったところだったし。
 外の太陽が、まだ高いところにいるのはいただけないけれど、まあ、いいか。
「それでは、良き日を」
 にこりと笑って席を立つ、要は何かを言いかけて、そしてやめたようだった。止める声は、ない。正直でいいことだ、とキルティスは笑う。
 『Sweet Illusion』から一歩出ると、うだるような熱気が頬を撫でた。うんざりしながら大通りを歩く。一度だけ『Sweet Illusion』の店内に目を向けると、要と向き合って座る秋日子と、彼女の笑顔が見えた。
「……それにしても、あついですねー」
 何が、とは言わないけれど。