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そんな、一日。~台風の日の場合~

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そんな、一日。~台風の日の場合~
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10


「台風!」
 と、窓の外を見て茅野 菫(ちの・すみれ)が叫んだのはたぶん、めったにない悪天候にテンションが上がってしまったからだろう。そうパビェーダ・フィヴラーリ(ぱびぇーだ・ふぃぶらーり)は判断した。
「ちょっとパビェーダ見てみなさいよ! すごい雨! 土砂降り! バケツひっくり返したような、ってこういうことよねきっと!」
 菫の呼びかけに、パビェーダは読みかけの本を閉じて目をやった。いつもより随分と無邪気に目を輝かせている。こうしてはしゃいでいる姿は年相応で可愛いのに。
「ほらパビェーダ!」
「はいはい」
「やだーほんとひどい天気。見て、外だーれもいない」
 そりゃそうだろうと呆れながら外を見る。人っ子ひとりいない街は、なんだかいつもと違って不思議な感じがした。雨が強すぎて、街が白っぽく見えることも要因のひとつだろう。
「で、さ」
 話題を区切る菫の声に、猛烈に嫌な予感がした。パビェーダは声に気付かなかった振りをして外を見ていたが、菫はお構いなしにパビェーダの耳元に顔を寄せて言った。
「外、出てみない?」
「……馬鹿じゃないの。風があんななのに。怪我するわよ?」
「気をつけてれば大丈夫だって」
「そもそも外に出なければもっと安全なわけであって、」
「あーもーつっまんないこと言うなあ。いいじゃん悪天候万歳じゃん。たまにしかないイレギュラーを楽しもうよ!」
「ちょ、ちょっと!」
 同意どころか反対しているのに、菫は意にも介さずパビェーダの手を引いた。抵抗するも玄関へと引きずられていく。
「ほ、ほんとに出るの? ていうか、出てどうするの?」
「リンスのところ行こうよ」
「こんな天気で!? 迷惑に――」
「細かいことだって! さっほらー!」
「きゃあ!」
 押し出されるように外に出る。冷たい雨が全身を打った。


「で、この有様だと」
「はい」
「あんまりこういうこと言いたくないんだけど」
「はい」
「馬鹿?」
「仰る通りです……」
 工房。
 土砂降りの中、テンションを維持したまま進めたのは当然、ある種吹っ切れていた菫だけだった。何これすっげー、と楽しそうに進む菫とは対照的に、一歩ごとにテンションを下げながらパビェーダは歩いた。視界も悪いし風も強く、工房まで怪我をせず来れたのは奇跡的だったと思う。リンスがそう言うのも無理はない。……のだが。
「お説教はいいからシャワー貸してよ。風邪引いちゃう」
 借りたタオルで顔を拭いながら菫は言った。反省した様子は一切ない。リンスがパビェーダたちから視線を逸らしたまま、はあ、と息を吐いた。パビェーダは胃が痛くなった。
「クロエ、お風呂場教えてあげて。あと大きなタオルも持っていって」
「はぁい」
「あっねえねえクロエ、ついでに服貸してよ」
「いくらすみれおねぇちゃんでも、わたしのふくはちいさすぎるとおもうの」
「あーそっか。ま、いいや」
 適当な受け答えをしながら、菫がクロエに案内されて席を立った。気まずい思いをしながら、パビェーダはリンスを見る。表情からは何も読み取れなかった。ごめんなさい、と謝ろうとした丁度同じ時、リンスが口を開いた。
「あのさ」
「な、何?」
「フィヴラーリもお風呂、行った方がいいよ」
「いえ……お風呂借りるとか、さすがに申し訳ないし……」
「ていうかね」
 リンスが無言で自分の胸元を突いた。胸? とパビェーダは同じ動きを繰り返し、それから――
「きゃあ!」
 服が濡れ、下着が透けていることに気付いた。借りていたタオルと手で胸元を覆う。最中、だからリンスはきちんとこちらを見なかったのだと気付いた。その配慮がありがたいような、余計に恥ずかしいような。
「えっち!」
「えっ……っていうか、俺が悪いの? これ」
「たぶんきっと絶対悪くない。ていうか私、テンションおかしいわ……! 頭冷やしてくる!」
「いや、温まってきなよ。風邪引くよ」
「言葉のアヤよ。貴方ほんと嫌味なくらい冷静ね……!」
 顔を真っ赤にしながら、パビェーダは菫とクロエが向かっていった風呂場があると思しき場所へ足を向けた。


 シャワーを浴び終わるのとほとんど同じタイミングで、クロエが脱衣所に顔を覗かせた。
「どうしたの?」
 菫の問いかけに、クロエは白い布をこちらに差し出す。一瞬タオルかと思ったが、服のようだった。
「きがえ、リンスが『おれのでよければ』っていってたからもってきたの」
「あいつ、なんだかんだ言うけど優しいなぁ」
「しんぱいしてるのよ、あれでも」
「知ってるよ」
「あんまりむちゃ、しちゃだめなんだからね」
「はーい。ごめんなさーい」
 いや、正直なところ、あまり反省していないけれど。
 それをクロエもわかっているのか、頬を膨らませてからあっかんべーをして出て行った。同じように舌を出していると、背後で浴室のドアが開く音がした。
「何? どうしたの?」
「リンスが服貸してくれたよ」
「えっ」
「彼シャツー」
「えっ。えっ……!」
「何顔真っ赤にしてんの。早く上がって拭けば?」
 揶揄しながら自身もタオルで水気を拭う。
 シャツは、思ったより大きくなかった。リンス自身背が高いわけではないし華奢だからだろう。
「こう、もっと袖や丈が余れば彼シャツっぽいのに」
「菫、さっきから彼シャツ彼シャツって……」
「彼は彼じゃん。三人称的な意味で」
「ああ言えばこう言うわね、ほんと……」
「関係ないけどパビェーダって湯上り色っぽいわね。悩殺してくれば?」
「世間様を騒がす台風より、私にとっては菫が台風だわ」
「あははは」
 笑いながら、外の音に耳をそばだてる。相変わらず雨の音はひどく、相当な雨量であることが窺えた。
「こりゃ当分は立ち往生っぽいわね」
 だから出かけるの反対したのに、とパビェーダがぶつぶつと呟く。言葉とは裏腹に声音はそこまで沈んでいない。つまり心底嫌がっているわけではなく、さらにはたぶん、彼シャツで多少なりとも舞い上がっている。にやにやと笑いながら見ていたらタオルを投げつけられた。
「ハプニングとか起こればいいのにね! 停電とか! 暗闇に乗じて抱きつけるよ?」
「だからっ」
「あはははは」
 これ以上怒られては敵わないので、菫は脱衣所から出た。
 この後実際に停電が起きるかどうかは、不安定な天気のみが知る。