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胸に響くはきみの歌声(第1回/全2回)

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胸に響くはきみの歌声(第1回/全2回)

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 蒼空学園理事長馬場 正子(ばんば・しょうこ)の元に少女アストーからの救援依頼があった翌日。
 その内容を聞いて、アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)はとても複雑な心境で立ちつくしていた。
「アストー……。……ルドラさま……」
 かつての出来事がアイビスのなかによみがえる。
 あれから1年以上経ったけれど、それでもまだ、大切な朝斗を、ともに戦い、守る存在であったはずの友人たちを手にかけた当時の記憶はアイビスのなかでは今も生々しく、胸が苦しくなるほどつらい記憶だ。
 それをまた繰り返そうというのか?
 今は大丈夫だけれど、当時の記憶に引きずられて、またおかしくなってしまわない保証はある?
「アイビス」
 そのとき、奥の部屋からルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)が現れた。
 赤い瞳が憂慮に陰り、普段は妖艶に輝いている肌もどこか張りを失って見える。だらりと力なく垂れた手に端末が握られているのを見て、彼女もまた、知ってしまったのだと悟った。
「あ、ルシェン……私……」
「行きたいのね?」
 決めかねて言葉を濁そうとしていたアイビスに、ルシェンはずばり訊く。
 アイビスはためらったのち、こくんと小さくうなずいた。その瞬間に、アイビス自身それが本当の気持ちだと分かった。
「そう」
「ルシェン、も……?」
 アイビスの反応からそれと察して穏やかになったルシェンの表情を、アイビスは見つめる。ルシェンは手を伸ばし、さらりと横の髪を梳いてほおに触れた。
「朝斗にお願いしてみましょう」
「……はい」



「えっ」
 2人から話を聞かされて、榊 朝斗(さかき・あさと)は一瞬言葉に詰まってしまった。
「……にゃ〜……」
 頭の上でちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)が弱々しげに鳴く。
 彼も同じだ。あのときの冷酷無情だった2人を思い出し、当時の自分の無力感を思い出している。
 そして、今目の前にいる2人が自分の知るいつもの2人と違う雰囲気なのを鋭く察知して、不安を感じている。
「にゃぅ……」
 不安に揺れる目で、ちびあさは朝斗を見下ろした。
 朝斗はどう思っているの? と。
 朝斗の胸に浮かんだのも、やはりあのときのことだ。アイビスとルシェンが敵に回り、彼以外の者を主と認め「ルドラさまのために」と彼に剣を向けた……。
『いやだ』
 当時の感情が一気によみがえって、反射的、そんな言葉が口を突きかける。
『僕は反対だ。またあんなふうになったらどうするの?』
 と。
 けれど彼の決断をじっと待つ2人の姿に、朝斗は気づいた。
 ルシェンもアイビスも、話せば彼がきっとこうなると知っていたに違いない。
 話さないで、黙って行くこともできた。朝斗の反対を押し切って行くことだってできる。だけど2人は朝斗に許可を……許しを、求めている。
 朝斗は冷静に2人を見返して、そこにかすかなおびえを見た。
 ルシェンやアイビスだって、このことにかかわるリスクを考えないわけじゃない。朝斗やちびあさの気持ちについても、きっと悩んだはず。それでも行くことを選択した。その意味は何なのか。
(2人のなかではまだ終わっていない……整理のついていないことなんだ)
 そしておそらく、こんな反応をしてしまっている僕やちびあさも。
「……にゃ〜?」
「分かった。いいよ、行こう」
 朝斗の言葉に2人が驚き――たぶん、許しを得るためには話し合い、説得が必要だと思っていたに違いない――そしてうれしそうに表情をあかるくするのを見て、朝斗は自分が間違っていないと確信した。
「朝斗」
「今度は僕もちびあさも一緒だ。僕たちがきみたちのそばにいて、きみたちを支える。だから、きみたちは好きに動いて。後悔のないように」
 気持ちの上書きだ、と思う。
 きっとこのことを乗り越えたら。僕はもう不安や怒りを、2人は助けられなかった無力感や絶望感を感じないで、あのときのことを振り返ることができるようになるに違いない。
 ある意味、これは運命に与えられたチャンスなのかもしれなかった。本来であれば二度と得られないだろう、機会。
 朝斗は喜びあう2人を見ながら、そう思った。


※               ※               ※


 これはチャンスだ。
 そう感じていたのは朝斗だけではなかった。
 依頼文字の光る端末のディスプレイを見つめながら椎名 真(しいな・まこと)は必死にそう思おうとする。
 そこに書かれた名前に当時のことを思い出して、一瞬とり乱しかけたのはたしかだ。それは本当に一瞬で、今は大分薄れてしまったが、その名残りめいたざわつきはまだ彼のなかに残っている。
 ただし、それは彼自身のためではなかった。
 真は肩越しにそっと後ろを見る。そこではやはりパートナーの原田 左之助(はらだ・さのすけ)が難しそうに眉間にしわを寄せて、無言で端末に見入っている。
 その左手は、ズボンのポケットのなかで何かを握り締めていた。 
 真は再び依頼文字へ目を落とす。
(アストー……アストレース)
 この名前は、偶然なのか?
 はたして真の胸に去来したのは、かつての日々。しかしそれは主に、あの事件が終結してからの日々だった。
 あの密林に隠された古代遺跡から戻ってしばらく、左之助はふさぎ込んでいた。もちろんだれにも知られまいと気丈に、普段どおりにふるまって見せており、そのことに気づけたのはほんの数名、彼にとても近しい真たちだけだっただろう。
 左之助のためにも真は気づかないふりしかできず、ただ背中を見守るだけの日々だった。
 あんな兄をまた見なくてはならないのだろうか――。
 ――近づけたくない。
 もうあんな思いをしてほしくない。
 しかしその一方で、悔いなく動いてほしい気持ちもあった。
 葛藤に、ぎゅっとこぶしをつくる。そのとき、ガタンとワードローブが開く音がした。
「兄さん」
「気合い入れて準備しろ、真。相手は武装した強化人間どもだ。生半可な技ぁ通用しねぇぞ」
 先までの苦悶をふっきった表情で取り出した上着をはおる左之助の活力にあふれた姿を見て、真はうなずいた。
「うん、兄さん!」


※               ※               ※


 それぞれがそれぞれに複雑な思いを抱いてシャンバラ大荒野へ向かっているころ。
 月谷家ではちょっとした騒動が持ち上がっていた。

「なんじゃこりゃあああああああああっ!!」

 まるで今日の買い物の備忘メモのようにダイニングテーブルにピラッと置かれた紙をひったくるように掴み取り、そこに書かれた内容に月谷 要(つきたに・かなめ)は目をむく。
 
『ちょっとひとっ走りシャンバラ大荒野まで行ってくる。
 俺に隠していた要は連れて行ってあげない。
                          激おこぷんぷん丸 八斗ヽ(#`Д´)ノ』

 穴があきそうになるほどじーーっと見つめ――実際、要の灰色の左目だったら比喩でなく穴があくのではないかと思うのだが――、わなわな震える。
「あー、くそっ! こうなると思ったから知られないようにしてたっていうのに!」
 思わず手に力が入って、置き手紙がクシャッとつぶれる。
 あわてて広げている途中、要はずい分下の方に追伸文を見つけた。

『PS
 俺は帰ってくる。ドルグの俺も、八斗の俺も、帰る場所はここだから。
 みんなにそう言っといて。』

 読み終えた要はパシッと紙を指ではじく。
「とっとと終わらせて、さっさと帰ってこい、ばか息子」
 そうつぶやく口元には、優しい笑みが浮かんでいた。