リアクション
人の思いは複雑で、一部を切り取っただけでは全てを理解出来ない。舞花が見たローゼマリーは、彼女の心を構成する一欠片だったかもしれないし、生まれながらに傷ついた身体を持ってしまった人の心を健康な舞花が真に理解する事は難しい。それでも彼女は彼女の気持ちを知ってしまった。
だから舞花自身、心を決めていたのだ。
家族であるハインリヒ、それにジゼル達の手でローゼマリーを討たせるべきではない。もしもその時がくるのなら自ら手を汚そうと――。
――もうここにいてはいけないよ。
みんな心の氷を溶かして、温かい光の中で静かにお休み……。
ウィリを葬送するティエンの歌が聞こえてくるが、あれを口ずさむ資格は自分には無い。
小さく震える彼女の肩に、そっと触れる感触がある。
それはジゼルだった。彼女は何も言わないが、舞花の気持ちが通じていたのだろう。
そこへ真達に付き添われたコンラートとカイがやってくる。
「この銃は……祈りで救いを与える魔力が籠められているんです。
私は……行き場の無かった魂が、無事にナラカに辿り着けますように。そして、ナラカで自分自身を取り戻すことが出来ますように……そう祈りを込めました…………
ローゼマリーさんが、安らかに導かれてくれるように……」
「君たちがいなければ、何もしてやる事は出来なかった。有り難う、妹を助けてくれて……」
コンラート達の表情に、舞花は嘘をついた事を隠し通した。
それから数分もしない内、劇場はやってきたプラヴダの兵士達によってまたざわつき始めた。
兄弟がステージに膝をつき妹へ祈りを捧げるのを見つめながら、疲れ切って座る舞花の隣に、ハインリヒが立つ。
「――舞花ちゃんは人魚姫の話を知ってる?」
ゆるりと顔を上げると、ハインリヒは彼女の返事を待つ事なく、穏やかな表情のまま話を続けた。
「人魚は魂を持たない。だから人間と同じように、天へは昇れない。人の愛情を受けない限り……」
ローゼマリーは焦がれた相手の愛を受けられなかった。
「でも善行を積めば、彼女たちはそれを自身の心として得る事が出来る。そうして何百年か務めていれば、幸福を分けられて、天に昇る事が出来るようになるんだって」
――あれはただの物語だけどね。と、ふっと暗い表情を滲ませて、ハインリヒはステージを見つめる。
「皆が掛けてくれた優しさと、君が分けてくれた祈りを持って、ローゼマリーがいつか還るべき場所へ導かれる日がくればいいなって…………」
そこで言葉を途切れさせたハインリヒに舞花はただ一度頷いて、照明に照らし出され輝く氷のステージを、静かに見つめ続けていた。
* * *
「ハインツ、ハインツ」
微睡みから呼ぶ声と肩を揺り動かす強さに、重い瞼をあけると、瞳の数ミリ前にずいっと指先と黒いものが伸びて来た。
「見て。ありんこ」
「君は…………本当に成長しないなッ!」
アレクの腕を押しのけ半身を起こして、ハインリヒは頭を振る。
ここ数ヶ月の間に彼を襲った事件の数々とそれにぴったりの“死神”の二つ名に恐れを成した上官は、至急休みを取るようハインリヒへ深刻な顔で申し渡した。裏で手を引いていたのはアレクなのだと分かってはいるが、過労気味だったのは事実だからと久々の休暇を実家で過ごしている。
「というか、君もくると思わなかった」
「だってジゼル俺が居ないと寂しがるし、俺の馬にも会いたかったし」
蟻を巣穴の上に返しながらアレクが言うのに、ハインリヒは「あっそー」と適当に返す。
日本の気候に近いパラミタのように湿気は無いが、30度近い気温と強い日差しの中で10人も居る甥姪は元気いっぱいで庭を駆け回っている。彼等の遊び相手になっているのは、ハインリヒの二人の兄と姉、それからジゼルとツライッツだ。
「俺は、お前が生きてて良かったって思うよ」
「なんだよいきなり」
脈絡の無い言葉に横を向けば、アレクがこちらをじっと見つめていた。その表情に、ハインリヒは彼が幼かった頃を思い出す。
「お爺様が亡くなったあと、俺はお前へ連絡を断った。
俺の家の事に、ハインツまで巻き込まれて欲しく無いって思ったから。
あの時はお前のためって考えてたけどさ、今考えるとあれって独りよがりだよな。どうするか決めるのは、ハインツ自身だったんだから、俺は多分――助けてって言えばよかったんだよ。
子供だったよな……、なあ、少しは成長してるだろ!?」
自分の非を認められるようになったのだと言っているらしい。――要するに褒めろという意味だとハインリヒは分かっているが、してやらない。アレクは期待していた言葉がこないことに、むすっとしながらも続けた。
「ごめん、勝手に置いていって。もうしない。ごめんなさい」
「アレク、謝罪は良い。でも君は、僕に頭を下げるなよ。何があっても、絶対にだ」
「うん、知ってる」
そう言葉切って、アレクはジゼル達の方へ駆けて行く。すれ違い様にアレクの満面の笑みを見たツライッツは微笑んで、ハインリヒの隣に腰を下ろした。
「何を話してたんですか?」
「アレクがまだ子供だって話だよ」
「アレクさんがそうなら、俺から見れば、あなたもまだ十分に子供の範疇です」
「君にそう言われるとぐうの音も出ないな……」
そう苦笑しながらハインリヒは伸びをすると、薄い虹彩を掠める木漏れ日に目を細めた。
「ここ、ローゼマリーが好きだったんだ」
「……そうですか」
「夏になる前の気候が良い日にね、よく此処に座って、アロイスと三人で一緒に僕の作ったお菓子を食べたよ……」
思い出にふける横顔に、共有できるはずのない自分の役目は、ただ添っていることだと、ツライッツは邪魔をしないようにただ黙ってそれを聞いていた。
「そういえばさっきコンラートが言ってたんだけどさ。君の事噂になってるって。その内ちょっとだけ面倒な事になるかもね。
あの人たち、こんなに目敏い癖、ローゼマリーの事は知らないんだよな……」
「噂……ですか?」
ツライッツは不思議そうに首を傾げた後で、その視線をハインリヒに倣うように同じ場所へ向け、目を伏せた。
「……誰が忘れても、誰も知らなくても、俺は、俺達は覚えてます。あなたのお姉さんの事。ローゼマリーさんと、アロイスさんが此処に居た事を……特に俺は、覚えておくのは得意ですから」
「そうだね」
ふっと微笑んで、盗むように頬に口付けると、ツライッツが驚いている間にハインリヒは緑の上に寝転んでしまう。
「寝るんですか?」
「うん、もうちょっと。
君が何処にも行かないなら、皆が帰る時に起こしてよ」
ツライッツは当たり前のように「判りました」と頷いて微笑んだ。
「何処にも行ったりしませんよ」
耳に響くのはジゼルの子守唄だった。
優しく包み込むようなあの声と、同じ声の彼女は、今もあの沼で歌い続けているのだろう。
夢の中で懐かしい笑顔にもう一度会えるかもしれないと密かな期待を抱きつつ、ハインリヒは心地よい墓の中へ落ちて行く。
何故ならこの夢の先には必ず目覚めが有り、そこには子守唄の歌詞の通り、歌と薔薇と百合の花が待っているからだ。
だからもう瞳を閉じるのに恐怖無かった――。
シナリオにご参加頂き有り難う御座いました、東です。
今回のシリーズ【Buch der Lieder】は、東の蒼空のフロンティアで最後のシリーズとなりました。
折角なのでジゼルが最初に登場した時の要素を盛り込み、全てのシリーズの展開を持ち込んだのですが、皆様御楽しみ頂けましたでしょうか。
長く続いたシリーズの為か、掲示板で話し合って下さった成果も有ったのか、今回は皆さんの連携の取り方が今迄東が担当致しましたシナリオの中でも、突出しているように感じました。PC達が仲間を信頼して動く姿に、リアクションとして判定し反映する側ではありますが、執筆していて素直に感動致しました。つまり格好良かったですね。
また、いつも通りぼかーんとやってばーんと終わるかなと思っていたのですが、前回の結果を踏まえたアクションを幾つか頂けましたので、そちらが引き立つ方向にラストの展開進めました。
アクションの重なり次第でマスターも思わぬ部分に着地する事に、ゲームとしての面白さを感じます。皆様素晴らしいアクションを有り難う御座いました!
今後【一会→十会】シリーズの最終バトルや、個人シナリオを1本以上は出せればと考えております。最後まで御付き合い頂ければ幸いです。
*
今回シリーズリアクション執筆に当たって、逆凪まことマスターに大変お世話になりました。ご登場頂いたツライッツさん共々ありがとうございました。この場をお借り致しまして、お礼申し上げます。