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ホタル舞う河原で

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ホタル舞う河原で
ホタル舞う河原で ホタル舞う河原で

リアクション

 かすれ縞の紺の浴衣姿で、夏の夜道を涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)は歩いていた。
 耳をすませば後ろの方から、まだかすかに祭りのにぎわいが聞こえるが、それよりも足元の草むらで鳴く虫たちの音色の方が大きい。
 そういったものを耳をすませ、目を閉じると、ここ最近うだるような暑い夏の日々が続いていたが、どことなく初秋の訪れを感じとることができるような気がした。
「涼介さん」
 愛妻ミリア・フォレスト(みりあ・ふぉれすと)の呼び声がして、ぱちっと目を開ける。白地にあじさい柄の浴衣を着たミリアが、団扇を手に振り返っていた。
「見てください、あんなにホタルが」
 言われるままに目を向けると、ミリアの向こう側でちらちらと小さな光が明滅していた。髪先を震わせるような微風しかない夜の闇のなかを、ふらふらと見るからに弱々しい生き物が飛んでいる。
 その光は道と並行して下を流れる川の河原から飛んできているようだった。
 河川敷に目を向け、草むらで光っているその光景に、涼介は「ああ」と思い当たる。
(そういえば前にミリアさんが話していたっけ。この辺りは夏になるとパラミタホタルが舞い飛んで、幻想的な風景になるって。
 私がパラミタに来て5年経つが、初めて見る景色だな)
 そんなことを思いつつ、河原のホタルに目を向けた。
「今年は去年より、たくさん飛んでますわ」
 ミリアはうれしそうに目を細めると、ゲタをカラコロいわせながら涼介のとなりに来て、同じように河原へと目を向ける。
「パラミタホタルといったか……日本のホタルに似ているのかな」
 じっと見下ろしているうち、涼介の頭のなかに懐かしい光景が浮かぶ。
 日本の夏。
 風鈴を揺らす風、涼しやかな鈴の音と、夜空を彩る花火と。
 そして傍らにいて、楽しげに笑い声を上げていた幼なじみの少女が彼を呼ぶ。

「涼介さん」

 一瞬。
 ほんの一瞬だけれど、涼介のなかの少女の幻影がミリアと重なった。
 しかし幻影の少女は現実のミリアに勝るものは何ひとつなく、霧のような幻影のまま、消えていく。
「涼介さん?」
「ああ、すまない。ちょっと昔を思い出して……」
 ぱちぱちとまばたきする涼介に、ミリアは分かっているというようにほほ笑んだ。
「それで、何?」
「もっとよく見えるように、下へ下りませんか?」
「そうだね。そうしよう」
 ミリアの言葉に涼介はうなずいた。そして足元が危ないからと手をつないで土手を下りていく。
「この先にたしかベンチがあったはずだから、そこで少しホタル観賞をして行こう」
「はい」
 手を引いて、涼介はミリアをベンチへ連れていくと彼女の浴衣が汚れないようベンチにハンカチを敷いて座らせた。そして祭りの屋台で買ったラムネの封を切る。ラムネのボトルは水色のプラスチックだった。それを手渡しながら、昔は瓶だったな、と思う。なかにビー玉が入っていて、飲み終わったあと、瓶を店に返しに行って10円もらうか、それともこのまま割ってなかのビー玉を取り出すか、真剣に悩んだものだった。割ったガラスの後始末が面倒だからと、大抵の場合は店に返しに行かされて。そしてその際に、「ついでにお酒の瓶も持って行って」と言われたりして。
「……一升瓶は、20円でしたか」
 くすっと笑いが口をつく。ラムネを飲もうとすると、ミリアがこちらを見ていることに気づいた。
「なにか?」
「いえ。ただ、私の知らない涼介さんだと、少し思ったのです。
 さっきも上で、どなたかのことを思い出していたようですが」
「あ、すまない。そんなつもりでは。ただ少し、子どものころのことを思い出していただけで――」
 疎外感を抱かせてしまったのだろうか。あわて気味にミリアの方へ正面を向けると、ミリアは笑顔で首を振った。
「いいえ。そんなのはあたりまえですから」
 ふふっと笑う。
「私はパラミタでの涼介さんしか知りませんが、涼介さんは地球で育って、それからパラミタへ来られたのですから、私の知らない、涼介さんだけの思い出があるのはあたりまえなんです。そのことに不満を持っては、バチが当たります。
 それに、今涼介さんは私とこうしてくださっています。いつか涼介さんが、今みたいに懐かしい思い出として、笑って、このときのことを思い出してくれたらと思います。それだけで……私は十分です」
 そしてミリアはラムネをひと口口にふくんだ。しゅわっと弾けながらのどをすべり下りていく炭酸と甘い味を楽しみつつ、群れ飛ぶホタルへと見入る。
 月に照らされたその横顔はとてもきれいで。涼介は、決して今の彼女を忘れることはないと思った。
「2人の思い出だ」
 涼介は静かに告げる。
「いつか私が今夜のことを思い出したとき、あなたもそこにいて、そして一緒に笑ってください。「あのときはとても楽しかった」と」
 決して、記憶のなかの人にはならないでください。
 そんな涼介の心の声を感じて、ミリアはほほを染める。そして「はい」と小さく答えた。
 涼介は彼女の小さな肩をそっと引き寄せてキスをする。
「涼介さん。私の夫があなたで、とてもうれしいです」
 閉じていた目を開いたミリアは涼介と見つめあい、はにかみながらそう言うと、幸せそうにほほ笑む。
 それを見て、涼介は、ああ、と思った。
 ああ、私はこの人を好きになってよかった、結婚してよかった、と。
 あらためて心の中で思ったのだった。


「そろそろ帰ろう」
「はい。ミリィが、そろそろお留守番に飽きているかもしれませんね」
 涼介の差し出す手をとって、ミリアも立ち上がる。
 帰り道。
 手をつないで歩きながら涼介は
「来年は今年以上に飛ぶのかな。そうなったら、今度は家族みんなで来たいね」
 と提案をした。
「はい、涼介さん」
 ミリアは答える。
 とても自然に。
 とても当たり前に。

 2人は並んで、家路を歩いた。
 2人の娘が灯す光で満ちた、あたたかな家へ向かって。