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真夏の白昼の夢

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真夏の白昼の夢

リアクション

 三井 白(みつい・しろ)は、一面のタンポポ畑で、目を覚ました。
「…………」
 青い空。柔らかな太陽。絨毯のように広がったタンポポは、黄色い花を可憐に咲かせている。
 すぐ傍には、三井 静(みつい・せい)三井 藍(みつい・あお)が、寄り添うようにして健やかな寝息をたてていた。
 至って平和な光景だ。とても。
 ――ただし、ここがどこだかさっぱりわからない、ということを除けば。
 そのわりに、たいして動じた様子もなく、白は小さく欠伸をもらす。
 どうやら、おかしなことになっているようだというのは、すぐに察しがついた。
 だが、傍に二人はいるし、とくに危険も感じられないなら、さしあたっての問題は一つだけだ。
 ……ここじゃ、ひきこもれない。
 さてどうするか、と思いながら、白は眠る静に目をやった。
 穏やかに眠るその姿は、やはり、白の心を占めるあの人に似ている。もう今は会えない、幼い主。
(本当に、あの方に似ています)
 白にとって、その記憶は大切なものだった。
 あの人を守れなかった自分が、魔鎧という『守るもの』にされたのは皮肉な話だとも思っているが、その苦さすら含めて、なくすことはできない。
 静の、閉じた瞼を飾る長い睫毛が、微かに揺れる。それはタンポポの綿毛が揺れる様にも似て、つい、手を伸ばして触れたくなった。
 しかし。
「………ッ!」
 白の指先は、静ではなく、その隣にいる藍の額を思い切りデコピンしていた。
 衝撃的な痛みに驚きながら、藍は額を押さえて目を覚ます。
「い、った……。なにするんだ、白」
 よくわからない奴だとは思っているが、さすがにこの起こし方は予想外だ。そんな風に眉根を寄せた藍だったが、すぐに何故かはわかったようだ。
「ここは?」
「さぁ。なにやら、おかしなことになっているようです」
「そうか」
 藍もすぐさま、傍らに静がいることを確認し、無事であることに安堵したようだ。落ち着きをとりもどした彼は、周囲をゆっくりと見回す。
「危険はなさそうだが、解決のためには動かないとな」
「ええ」
 白も珍しく同意する。そのことに、藍はやや不思議そうに彼の顔を見た。
「このままでは、心置きなく引きこもれませんから」
「なるほど」
 その理屈は納得できる。白のブれなさに苦笑しつつ、藍は静の肩にそっと触れた。
 このまま寝顔を愛でていたい気持ちもあるが、白の言うとおり、ずっとこのままというわけにもいかないだろう。
「静」
「………ん……」
 幼子のように一瞬顔をしかめ、それから、ゆっくりと静は目を開ける。
「おはよう」
 微笑む藍に、「おはよう」と返してから、静もまた現状のおかしさに気付き、驚いている様子だった。
「なにかあったみたいだ。とりあえず、動けるか?」
「う、うん」
 驚きはしたものの、心細さは静にはなかった。藍がいて、白がいるのだから、大丈夫だと信頼している。
 藍の手をとり、静は立ち上がる。眩しさに目を細め、それから、遠くをまっすぐに見つめた。
 その横顔に、白は、改めて思う。
 ――本当に、よく似ている、と。
 今度は、幸せになってほしい。
 それが、白にとって、もう一つの大切なことだ。
 ……あの人は、夢の中で、いつも微笑んでくれている。安心して、ゆっくりと『本当の夢』に耽りたいものだと思いながら、白は歩き出す藍と静の後に従った。


 おかしな状態、と白たちが表現したのは、まさにその通りだ。
 タシガンは今、現実とは微妙に乖離した、夢という異次元にあった。
 カルマ・タシガン(かるま・たしがん)の見ている夢が、周囲の人々の無意識ともリンクし、この土地を覆っている。その、そもそもの原因といえば……。
「いやー、さすが僕。まさかここまでなるとは」
 アステラ・ヴァンシは、まったく反省の色もなく、にこにこと笑っている。
「本当に、危険はないんだね?」
 報告を受けたルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)が、そう念を押す。
「ないですよ。まぁ、たとえば怪我するようなことがあっても、夢が終われば元通り。怖い夢を見たなーってくらいでしょ」
 そうは言っても、放っておくわけにもいかないだろう。ふぅ、とルドルフは思わずため息をついた。
 元凶であるアステラの作った謎の薬を飲んで、この状態を作っているカルマは現在行方不明だ。保健室で寝ていた、というのが最後の情報だが、なにせ夢の中のこと。たどり着くのも、容易ではないだろう。
 そちらには、今はレモ・タシガン(れも・たしがん)カールハインツ・ベッケンバウワー(かーるはいんつ・べっけんばうわー)がむかっている。
 ルドルフはアステラから報告を受け、可能な限り現状が正確に伝わるよう、ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)の手も借りて、手配を済ませたところだった。今頃は、生徒たちにもあらかた情報は伝わっていることだろう。
「何か変な事になってると思ったら。アステラさん、何してるんですか……」
 書類にハンコをもらいにきた東條 梓乃(とうじょう・しの)が、呆れた顔で口にする。それはほぼ、巻き込まれたおおかたの代弁に違いない。
「えーっと、じゃあ僕はどうしようかな。あ、とりあえず校長先生、この書類の内容確認してハンコお願いします」
「ああ。わかった」
 案外動揺していない梓乃に、ルドルフは軽く笑って、書類を受け取る。
「危険はないといっても、早めにカルマを探して起こしたほうが良いかもしれないね」
「たしかに、そうだね」
 ルドルフが頷く。カルマの場合、過去に何千年と眠っていた実績持ちだ。きっかけがなければ、いつまでも眠っている可能性も捨てきれない。
「レモとカールハインツが探してるそうだけど、協力者は多いほうがいいと思うな」
「それなら、僕も探します。……ティモシーも一緒にくる?」
 梓乃が振り返り、先ほどから窓の外を眺めてなにやらニヤニヤしているティモシー・アンブローズ(てぃもしー・あんぶろーず)に声をかけた。
「さっきから、何ニヤニヤしながら見てるのさ……って!」
 ティモシーが見ていたものに気付き、梓乃は真っ赤になって絶句した。
 そこから見えていたのは、かなりきわどい、男同士の『あれやこれや』だったからだ。おそらくは誰かの願望や欲望、そういったものだろうが。
「ああ、夢ってある程度見たいものを引き寄せられるからねぇ……この夢も似たようなものかと思って、実験してみたんだけどさぁ」
 予想外にティモシーの実験は上手くいったようだ。ちょっとしたポルノビデオのような映像が、窓がスクリーンのようになって映し出されている。
「なるほど、そういう使い方もあるね」
 アステラがふむふむと頷き、好色な笑みを浮かべてティモシーの横から窓を覗き込んだ。
「あれとか面白そうだから、今度一緒にやってみる?」
「いや、ティモシー。だったらあの三人ので……」
「……! ティ、ティモシーの馬鹿! 十八禁!! 変態吸血鬼ーーー!!!」
 じゃっとカーテンを閉ざし、梓乃は真っ赤なまま叫ぶと、ばたばたと部屋から駆けだしていった。
「十八禁、かぁ」
 くすくすとアステラが可笑しそうに肩を揺らす。
「退屈しのぎにはなるけど、あんまり変なものカルマに与えないでほしいねぇ。今回は、シノに危険や実害無さそうだからいいけどさ」
 ティモシーがそう釘を刺した。
「見たいものを引き寄せられるなら、レモを呼び寄せることはできないかな」
 やりとりを黙認していたルドルフだったが、ふとそんなアイディアを口にする。しかし、アステラとティモシーは、そろって首を横に振った。
「そこで出てくるのは、あくまでルドルフ校長の望む、レモの『影』でしかないかと」
「そうはうまくはいかない、か」
「それが夢ってものですから」
 あくまで悪びれず、アステラがうそぶく。
「直接動いてみるしかなさそうだね。ああ、俺は独りでも大丈夫だから。ルドルフさんは、あなたが一番必要と思う人と一緒にいるといいと思うよ。俺がカルマくんを起こすまでの間、楽しんでくればいいんじゃないかな」
 ヴィナが微笑んで言うと、ルドルフは眉根をわずかに寄せて。
「僕がその提案を素直に受け取ると思うのかな、ヴィナは」
 そう言われると、ヴィナとしては苦笑する他にない。
 ただ、ヴィナとしては、彼をむやみに縛るつもりもないし、彼が幸せなのが一番だというそれだけなのだ。
「僕もカルマを探すよ。ただ、こんな状況だからね。もしはぐれたときは、それぞれにカルマを探す。それでどうかな?」
 ルドルフの提案に、ヴィナは頷いた。本当に、真面目な人だなと改めて思いながら。
「僕も調査してきますよ。こうなった責任は僕にありますし」
「せめて有意義な結果を期待してるよ」
「かしこまりました、校長」
 表向きはしおらしく、実際のところはそうでもなさそうに、アステラは校長室を出て行った。
 その後、ヴィナもすぐにドアを出たが、もうアステラの姿はない。
「さて、僕たちも行こうか」
 ルドルフはそう言うと、マントを翻し、ヴィナとともに校長室を後にした。

 その頃、飛び出していった梓乃は、廊下をひたすら進んでいた。ただ、憤慨している梓乃は、その廊下がいつもよりずっと長いということには、まだ気づいていない様子だ。
「まったくもう!! ティモシーってば!! アステラさんもアステラさんだけど!」
 あんな光景、思い出すだけで顔から火がでそうだ。
 それに……。
(……あれ、レモとカールハインツさんだったよね)
 ちらりと見えてしまった『あれこれ』のなかには、その二人の姿もあった。とはいえ、他の姿とは違い、そう直接的なものではなかったのだけども。
 あれは、どちらかの夢だったのだろうか?
 二人が契約を交わしたことは皆知っているし、どうやらそれだけではないらしい、ということはうすうす気づいている。梓乃としても、少しばかり興味があるのも確かだ。とはいえ。
(い、いやいや……! そんな、制服のシャツを少しはだけさせた二人が、潤んだ熱い視線で見つめあってるとか、そんなの見てないしっていうか…!!)
「梓乃さん!」
「ひゃ!?」
「よかった、会えて。……梓乃さん?」
 唐突に本物のレモとカールハインツに出くわし、梓乃はその場でとびあがってしまった。
「どうかしたのか?」
 カールハインツが、訝しげに梓乃の顔を覗き込む。心配してくれているようだが、今はそれも逆効果だ。
「な、なんでもないよ」
 両手で赤面した顔を覆い、なんとか誤魔化す。今はとても、まともに顔が見られない。
「えっと、ルドルフ校長のところで、事情は聞いたよ」
「そう、よかった。そういうわけで、ちょっと面倒なことになってて……」
「なにせ、保健室にもまともにたどり着けねぇんだからな」
「ホントにね」
 アステラめ、と小さくレモが舌打ちする。
 どうもレモは、このところちょっと口が悪くなりつつあるようだ。
(それもカールハインツさんの影響なのかな…って、もう! あんまりそういうこと考えちゃだめだってば!)
 そう己を叱咤激励しつつ、梓乃は、「僕もカルマを探すよ」とレモたちに協力を申し出たのだった。
「早く元に戻さないと、薔薇学が十八禁で溢れちゃうよ……」
 それは、梓乃の偽らざる本音であった。



「タシガンで不思議な事は日常茶飯事だけど、カルマの力が加わると規模が大きくなるね。で、安全性の方は?」
「さしあたっての危険はないということですが、十分ご注意ください、とのことです」
「そう。それなら僕は、ここで理事長の警護にあたるよ」
「わかりました」
 ルドルフからの伝言を携えた生徒を返し、黒崎 天音(くろさき・あまね)は改めて目の前の人物……ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)に向き直った。
 ここは、ジェイダスの私邸だ。尋ねて来た天音と、ジェイダスはテラスにしつらえたテーブルセットで、のんびりとコーヒーを楽しんでいたところだった。
 事情は同じように聞いていたジェイダスだが、とくに変わった様子もなく、穏やかにブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の淹れたコーヒーを飲んでいる。
「これはこれで、美味だな」
「そうですね」
 ジェイダスがそう言うのには理由がある。タシガンコーヒーは、現在はドリップ式で飲むのが主流だが、タシガン本来の土着の入れ方としては、地球でいうトルココーヒーに近かった。細かく挽いたコーヒー豆と砂糖と水を小鍋にいれ、煮たものだ。今日ブルーズが用意したのは、そちらのほうだった。
 アラブの血をひくジェイダスにとっては、馴染みのある味かもしれない。目を細めるジェイダスに、天音がふとそう思ったときだった。
「おや……」
 ジェイダスの隣、本来は誰もいないはずの場所に、もう独りのジェイダスがいた。ただし、そのサイズはかなり違う。今の、美少年となる前の、美青年のジェイダスだ。
「早速『夢』の影響かな……理事長にも、夢の中の理事長が見えますか?」
「ああ、見えている」
 二人は同じ仕草でカップを傾け、互いに視線をあわせた。和やかながら、どこか妖しく。
 なかなか興味深い光景だ、と天音もまた、コーヒーを口にしながら目を細めた。
「む……?」
 驚いたのは、菓子の用意をしていたブルーズのほうだった。彼もまた、先ほどの使者から事情はのみこんでいたが、それでもいざ目にすると妙な感じはする。
「あのルドルフの部下は、ろくな事をせんな……」
 思わずブルーズがそう呟くのも、無理はない。
 しかも、それだけではない。三人は至って平穏に語らいを続けているが、その背後の風景は次第に変化しているのだ。
 先ほどまでのテラス席が、いつのまにか、日本庭園が見える茶室になっている。ブルーズのすぐ近くまで広がる庭園の池には、見事な錦鯉が、心地よさそうに泳いでいた。
 それどころか、三人の姿も、……いや、気づけば自分も、それに見合う和服姿に変じていた。
「夢は便利だな」
 呆れ顔で呟きつつ、目下ブルーズの思案事といえば、抹茶を点てた方がいいのか、ということだった。
「風流だな」
 変化にまんざらでもなさそうに、ジェイダスが笑う。ヤングジェイダスは、いつぞやの女装にも見える艶姿で、ジェイダス自身も歌舞伎者然とした派手な打ち掛け姿だ。一方の天音は、品の良い和服がよく似合っている。
「理事長は、少年の姿に不便や不満な所はあるんですか?」
 ふと思い立って、天音はそんなことを尋ねてみた。
「いや? とくにはないが……ああ、そうだな。多少、できないことはある。もっとも、代わりに、この姿だからできることもあるがな」
 多いに含みを持たせて、ヤングジェイダスはそう答えると口角をあげた。
「たしかに、な」
 ジェイダスが同意し、二人はじっと天音を見つめた。
「なにができるようになったか、興味があればいつでも教えるが? もちろん、寝所で、だが」
「添い寝で良ければいつでも。それ以上は、また理事長が大人になってから」
 天音は、微笑んでそうかわす。
「そうか、それは残念だ」
 二人のジェイダスは、気分を害した様子もなく、楽しげに笑った。
(その頃は僕も三十歳に手が届きかけだな)
 そんな未来を想像し、天音もまた、目を細める。そこへ、ブルーズが美味しそうなお菓子を携えて、三人の元へとやって来た。今度は和菓子に、抹茶を添えて、だった。