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記憶が還る景色

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記憶が還る景色

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■源流



 その日は、日差しが比較的強くて、狩生 乱世(かりゅう・らんぜ)は誘われるように入った公園の自動販売機の前で、ジュースを買おうと財布を広げていた。
「っと、お」
 掴んだはずの小銭が指間をすり抜けて、音を立てて地面に落ちて転がっていく。
「ッチ、なんだよ」
 早くも悪態を付いて小銭を拾い上げた乱世は「ァ?」と声を漏らした。
 地面から正面に戻した視界が一転していたからだ。
 景色は緑の多かった公園から、綺羅びやかな夜が似合う地球の日本、東京の新宿歌舞伎町の知っている道の上に変わっていた。

 これって……、
 あたいの、 ……ガキの頃じゃねのか?

 出身地は東京の新宿・歌舞伎町。
 世間に向けて胸を張って言える職業とは言いづらい若い父と、日本に出稼ぎに来ていたフィリピン人の母。
 両親は裏社会に生きる者同士ではあったが、夫婦仲、家族仲はそれなりに良好だったらしい。
 ヤクザの家族といっても、当然ながらカタギと同様日常生活というやつもあるわけで、
 目の前を通り過ぎていくのが知っている姿だと気づいて、乱世はそう言えばと思い出す。

「その日は新宿の量販店でおもちゃを買ってもらったんだっけ」

 人形やおままごとセットのような″女の子らしい商品″には目もくれず、特撮番組のヒーローが使う銃や剣のおもちゃばかり欲しがったあの頃。
 当時は髪も短く、母親譲りの褐色肌。おまけに自分の事を「俺」と言って、傍から見れば男の子も同然だった。
 俺、大きくなったらヒーローレンジャーになるんだ!
 なんて、父親から渡されたヒーローの銃のおもちゃを手に、ニカッと笑いながら、そんなことを言ってたような気がする。
 現に目の前に繰り広げられる光景は、効果音を叫びながら変身ポーズも決まっているヒーローのごっこ遊びだった。
 父親も母親も特に何も言わず、仲睦まじく乱世を見守っている。
 子供らしい素直さと無邪気さで、信じたものは疑わず、また、恐れず、夢想することに夢中になれたのはそんな両親のおかげだったのかもしれない。
 その両親も今から15年前、日本上空にパラミタ大陸が出現した2009年6月。乱世が6歳の頃に死んだ。
 天涯孤独になった乱世は、その後壮絶な人生を送ることになるわけだが、それはまた別の話となる。

「今はもう記憶もおぼろげだが、思えばあの頃が、あたいの人生の中で一番幸せな時期だったのかもしれない」

 ――何の疑いもなく、愛や正義を信じられた頃の。



 今現在はというと、ヒーローどころか、何の因果か親と同じ任侠の道を歩むことになった乱世。
 それでも完全に闇に堕ちることなくいられるのは、あの日の遠い記憶のおかげなのかもしれない。



…※…※…※…




 気分転換に訪れた公園で、ベンチに座っていたはずだったグレアム・ギャラガー(ぐれあむ・ぎゃらがー)は、そこがどこかの研究所に変わっていることに気づいた。
 物置代わりのスツールに座るグレアムの前を右に左にと白衣を来た人間が忙しそうにしている。
 何事かと立ち上がった瞬間、場面は入れ替わった。
 広くない部屋に、事務的な光を放つ照明の下、ずらりと並んだ硝子ポッドとポッドの下にはIDの刻まれたネームプレート。
 立ち竦むグレアムに白衣達は気づかず、また突き抜けるようにすり抜ける。
 これは映像なのかと認識すると、では、此処はどこなのかと疑問が浮かんだ。
 浮かんで″ある可能性″に、知らず緊張に身を凝(こご)らせる。

 ある可能性。
 つまり、グレアム・ギャラガーが産まれた場所。
 しかし産まれるという表現が合っているかはわからない。
 この場には子を宿す女性が一人も居らず、あるのは硝子ポッドに揺蕩(たゆた)う胎児達だからだ。
 並ぶのは実験体として培養される子等。選別された遺伝子を掛け合わせ子宮代わりの培養カプセルの中で揺蕩う『造られた子等』。

 白衣達がひそひそと囁き合っている。声は水の中で聞いているかのようにぐぐもって聞き取りにくいが、何度も同じ単語を繰り返しているのはわかった。
 やや暫くして慌ただしそうに一つのポッドの前に集まった。担当者らしき一人がコードを繋ぎ端末のパネルを操作している。

 グレアムも雰囲気に押されてポッドの前にまで移動した。
 生まれて来た頃の、或いは生まれる前からの記憶。
 否、「生まれる」という表現すら正しくないかもしれない。

 カプセルから取り出され、僕と言う『個体』としての生を受ける瞬間。

 響く産声。
 見守る研究員の大人達。
 僕の唇から紡ぎ出す声は、

「……パ……パ……、マ……マ…………」

 そんなはずはない。と今のグレアムは否定する。
 「遺伝子上の両親」は既に顔も素性も分からないはずだ。と。

 だけどもし『記憶』というものが遺伝子にも刻まれるものならば。
 グレアムは確かに、父と母を識っている。


 それは、時を越える泡沫の夢。