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消えゆく花のように

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消えゆく花のように
消えゆく花のように 消えゆく花のように

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●Ο、Ξ

 洞窟を進むうち、眼前には雪景色が広がりはじめ、やがて一面の銀世界へと変わった。
 空は灰色、冬の曇り空。ここが洞窟であったことなどやがて忘れる。
 ふと、かつて訪れた辺境の地を七枷陣は思い起こしていた。
 これにともなう記憶も。
 それは痛みを伴うものだった。だから、あえて陣は言うのだった。
「雪がなんや! ついこの間までクソ寒い中でバイトしてたんや、寒さには多少耐性付いてんで」
 陣と同行する戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)は、無言で歩きながら銃のチェックをしていた。
 本当に気温が下がっているようだ。しかし、銃が使えなくなるほどのものではない。
 この状況下ならば、ものをいうのは銃による遠距離射撃となるだろう。
 クランジΟ(オミクロン)クランジΞ(クシー)、いずれも腕に仕込んだ刀剣のみを武器とする接近戦主体の機体ということは小次郎も知っている。銃と剣、戦わばどちらに利があるかは子どもでもわかることだ。
 もちろん、銃があればそれで勝てると考えるほど小次郎はお人好しではない。これをどう使うかが勝敗の、いいかえれば生死の分かれ目となろう。
 陣と小次郎のちょうど中間あたりを歩くのはジェイコブ・バウアーだ。彼は白い息を吐きながら、行く手に目を凝らしていた。
 ――ヘミングウェイは言った。『この世は素晴らしい。戦う価値がある』……後半だけ賛成だ。
 それは、いつか観た映画の台詞だったが、今のジェイコブの心情にはぴったりかもしれない。
 極限下にあるたび、ジェイコブはかつての自分を回想する。
 LAPDのSWAT隊員時代、そして現在の国軍准尉……いずれにあっても彼は多くの戦いに参加してきた。
 今、誰かがジェイコブに問うとする。『戦う意味とは?』と。
 すると彼は答えるだろう。『自分には守るべきものがあるということ』、と。
 月並みかもしれないが、むしろ月並みだからこそ命をかけられるのだ――そうジェイコブは思っている。
 最愛の妻と、彼女の胎内で誕生を待つ我が子。
 彼らのために戦うということだけでも、戦うことには意味がある。
 そう思ったからこそ、彼はデルタの挑戦を受けて立つ意志を固めた。
 デルタが自分や、小次郎のようなあまりクランジに関わりのない者を指名した真意はわからない。けれども、あえてプロの軍人を入れて『ゲーム』に戦略性を求めたのだろうとは想像がついた。
 しかし戦争はゲームではない。
 それを教えてやろうではないか。
 ぱぱっ、と白い粉塵が巻き起こった。
 雪、それが蹴立てられているのだ。
 右手方向に一体。
 左手方向に一体。
 魔女のような黒い帽子を被り、黒に統一したゴシックなドレス姿で迫る彼女こそ、一足早いハロウィンコスプレでないとすればΟc(オミクロン・クローン)に違いない。夜のような黒髪が風になびいて戦旗のよう。Οcはすでに、左腕を払って刃を剥き出しにしていた。
 パンクというのか、狼のようなシャギーにした頭をショッキングピンクと蛍光グリーンに染め分け、タイトな革のジャケットとホットパンツ、オープンフィンガーにしたグローブにもブーツにも、これでもかと鋲が打ってある。彼女はΞc(クシー・クローン)。やはり右の義手を捨て、冴え冴え冷たい刃を露わにしている。
「連携はさせない……!」
 最初に出たのはジェイコブだった。軽身功と神速を発動させて人間離れした機動力を身につけ、一気にΞcへと距離を詰めた。
 しかしΞcも、迅い。
「R U Ready?」
 ギギと不快な金属音のような嗤いを洩らし、右腕を横様に払った。
 不壊不動! ジェイコブはこれを膝と肘で受け止めている。
 ――これで!
 思考が形を作るより先に、ジェイコブの拳が唸りを上げている。
 その拳の名は鳳凰。
 その拳の名は雷霆。
 雷光をまとうワンツー、目にもとまらぬ連撃を繰り出した。
 しかしいずれも空を切っていた。
「遅イ遅イオソい!」
 キシシ、とΞcはほくそ笑む。
 ジェイコブが撲ったのはなにもない空間。冷たい空気が音を立てるだけ。
 Ξcはエビのように体を反らせて、しかもジェイコブの頭上に飛んでいたのだ。
 初撃が避けられたとみるや地を蹴ったのだ。
 ジェイコブの後頭部がΞcに晒される格好となる……!
 しかしΞcは手を出さなかった。
 ジェイコブとΞcの間、その間隔を一発の銃弾が駆け抜けたのだ。
「裏切り者、ですか。自己満足で死ぬのと、今までの価値観を捨ててまでも新しき運命を受け入れるのと、どちらが苦しいと思いますか?」
 薬莢が回転しながら雪に落ちた。
 小次郎が撃ったのだ。
 今、小次郎はΞcを直接狙うこともできた。だが彼は、あえてジェイコブとの間隙を撃ち抜くほうを選んだ。
 Ξcを撃ち、仕留めたとしてもジェイコブが討たれては意味がない、そう判断したかのように。
 Ξcはジェイコブと距離を取り、雪に両足をついて着地する。
 その瞬間にはもう、小次郎はΟcに陽動射撃を行っていた。
 命中はしなかったがΟcも、突進をやめ一旦停止せざるを得なくなった。
「別に自己満足での死を否定はしませんよ。それによって当人は満たされたまま死ねますからね」
 手型HCを通して拡大した声で呼びかける。
「……ただし、それゆえ他人をけなす権利はありません。なぜなら自己の再構築は死以上の苦しみがあり、こちらからは見れば、あなたがたは苦しさから逃れて思考停止した者にしか見えないからです。違いますか?」
「馬鹿にしてっ……!」
 Οcは怒りを隠そうとしなかった。

「澪……クシー……」
 陣は後方を振り返って、ΟcとΞcがジェイコブと交戦しているのを目撃した。
「まさか後ろで始まるとはな!」
 つまりΟc(澪)とΞcは自分をやり過ごしたということだ。
「甘く見られたもんや」
 とやや大きすぎるほどの声で毒づくと、陣はきびすを返して駆けた。
「って! なんや!?」
 だが陣は頭上に強烈な殺気を感じ、とっさに身を引いた。
 紙一重で避けられた。
 頭上から鋭い一閃が落ちてきたのだ。
 しかし陣は慌てすぎたか、雪の中に尻餅をついてしまう。
「痛って…………」
 彼の下半身は雪に埋まり両手もまた雪の中、頭も半分以上氷雪に覆われてしまった。
 その状態で陣は見上げた。
 口を開けたまま。閉じることを忘れてしまったかのように。
 魂を、どこかに置いてきてしまったかのように。
「七枷陣。お前……いや、あなたが、一番怖れている姿……それが、私、です……私だ」
 まさしく、亡霊。
 そこに立っていたのは、長く伸ばした黒髪をピンクと緑に雑に染め、ゴシックなΟcの衣装とパンキッシュなΞcのコスチューム、その両方を強引に混ぜ合わせたような服装をした少女である。
 顔は、オミクロンと酷似している。
 いや、クシーとも酷似している。
 それはそうだろう。オミクロンとクシーは一卵性双生児、そして彼女……クランジΟΞ(オングロンクス)は、そのオミクロンとクシーを合成して作り上げた究極のクランジなのだから。
大黒……美空(みく)
 陣はオングロンクスの、もう一つの名前を呟いた。
 それがクローン、ΟΞc(オングロンクス・クローン)だと判っていても、そう呼ばざるを得なかった。