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リアクション
第三章 地方都市にて
「せやっ!」
「キャアッ!」
気合の声と共に、女の身体が宙を舞う。
「ドシーン!」
という音と衝撃が、円舞台(えんぶだい)を震わせ、桟敷席にまで届いた。
「勝負あり!」
という声と共に審判の手が高く振り上げられると、桟敷から一斉に歓声が上がった。
勝負を終えた女たちは、それぞれ左右に分かれると、互いと観客とに向かって深々と礼をする。
勝者に与えられる、惜しみない賞賛。
敗者に与えられる、健闘を称える言葉。
女たちは、そうした言葉の一つ一つを身に浴びながら、円舞台を後にした。
「いかがでございますか。我が提唯(ていい)の誇る闘舞(とうぶ)は」
「素晴らしいですわ。正直、これ程のレベルとは思いませんでした。本当に、期待以上です」
「有難うございます。あの者たちもお客様の言葉を聞けば、きっと喜びましょう」
御茶ノ水 千代(おちゃのみず・ちよ)の言葉に、女将は、深々と頭を下げた。
彼女は今、大河沿いにある地方都市、提唯へと来ていた。
この提唯は、広城から河沿いを走り、西湘へと続く主街道筋にある街で、旅人を相手した一大遊郭のある街としても知られている。
今回千代は、この遊郭の賑わいを調査しに来たのであるが、実はそれはほとんど口実の様なもので、彼女にはどうして見たいものが別にあった。
この街に伝わる女性のみの武道、闘舞である。一言で言うと、日本舞踊と相撲と合気道をミックスしたようなものだろうか。
試合は一対一で行われ、「舞手」と呼ばれる選手は、振袖のような煌びやかな衣装を身にまとい、戦う。
闘舞は、円舞台という、相撲で言う所の土俵にあたるものの上で行われるが、初めから丸く作られている点が相撲とは異なる。
この上から落ちるか、上体が円舞台につくか、相手に背中を取られたら負けとなるが、打撃技の禁止、衣装を掴むことは禁止など、いくつか反則がある。
また選手は試合前に必ず舞を一指し舞う事になっている他、円舞台の上でも常に舞うように動くことを要求され、評価の上ではその美しさも重視される。
観客は、選手への評価を声援、あるいはブーイングの形で表し、ブーイングが多いと審判が判断すれば、例え試合に勝ったとしても、失格にされてしまうのだ。
闘舞が、「美の戦い」と言われる所以でもある。
「この街では、随分と闘舞が盛んなようですね」
「はい。闘舞を目当てに来るお客様も、随分いらっしゃいます。流石に、外国からいらっしゃる方はあまり多くありませんけれど」
自身も昔闘舞で名を馳せ、今は指導者もしているという女将は、そう言って笑った。
「彼女たちは、遊女とは違うんですよね?」
「もちろん違います。中には、進んでお客を取る者もおりますが、それは本人の意志に任せてございます。中にはお相手をしつこく要求してくるお客様もいらっしゃいますが、度が過ぎた方には闘舞場への出入り禁止などの厳しい措置を取らせて頂いておりますので、問題になる事は滅多にございません」
「みなさん、闘舞をして生活していらっしゃるんですか?」
「舞手というだけでは給金は出ませんが、稽古場の住み込みになれば食べるのには困りません。それに良い舞手には必ずご贔屓の旦那衆がついて、あれこれと面倒みて頂けます。また、闘舞で名を成した舞手には、高貴の筋やお大尽からの嫁の引き合いも数多ございますから、多くの娘が闘舞を志し、美と技に磨きをかけるのです」
「『高貴の筋』って、例えば殿様とかですか?」
「はい。先代藩主の重綱様の所にも、お側女として上がった者がおります。……それにここだけの話なんですが、今の藩主の豊雄様も春日(かすが)という名の舞手を贔屓にしていらっしゃいまして。一時は、その娘と結婚するんじゃないかっていう話も持ち上がっていたんですよ」
「え!豊雄様が!?」
「しーっ……。お声が大きゅうございます。豊雄様はあの通りお優しい方ですから、奥方様を娶られる前に縁を切ったそうですけど」
「その方は、今どこに?どこか別の所に、お嫁に行ったとか?」
「いいえぇ。余程豊雄様を慕っていたようで、別れてからは闘舞も止め、どこか田舎に引っ込んだみたいですよ」
「は〜。何だか、ちょっと可哀想な話ですね……」
「まぁ、舞手にはよくある話でございますよ――あ、そろそろ、次の試合が始まるようでございますね」
桟敷の観客から大きな声援が上がり、2人の舞手が円舞台に上がる。
その姿を眺めながら、千代は、今しがた聞いた話に思いを巡らせていた。
「こちらが、当工場最大のラインになります。こちらでは主に、洋服の縫製をおこなっております」
ズラリと並んだ作業用のテーブルと、ミシン。その間に作業員たちが何列も並び、ひたすら作業に没頭している。
テレビなどでもよく見る、発展途上国の工場そのままの光景が、矢野 佑一(やの・ゆういち)たちの目の前に広がっている。
「あの、少しゆっくり見させてもらってもよろしいですか?」
「えぇどうぞ。ただし、作業員に話しかけるのはご遠慮下さい。今は作業中ですので」
ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)の要望に、案内役の工場長は愛想よく答えた。
佑一とミシェル、それにプリムラ・モデスタ(ぷりむら・もですた)の3人は、それぞれ別々に作業の様子を見て回った。
みな作業に没頭していて、3人に気を払う者は一人もいない。
といっても鬼気迫る感じではなく、皆本当に一生懸命に取り組んでいるだけという感じだ。
「スゴイ……もう出来ちゃった」
あっという間に女性物のブラウスを一着仕上げてしまう女性工員の手際の良さに、思わず感心するプリムラ。
少女といってよい年頃の工員は、チラリとプリムラを見てクスリと笑うが、すぐに作業に戻っていく。
大量生産による洋服の製造を始めて目の当たりにしたプリムラは、すっかり度肝を抜かれたといったカンジだ。
とにかく3人とも、工員たちの手際の良さにはただ圧倒されるばかりだった。
3人が今、三益(みます)という地方都市に来ていた。
ここに進出している日本企業の工場と、そこで働く東野の人々の実態を知りたいと思い、やって来たのである。
と言っても、3人とも取り立てて工場や日本企業に興味があった訳ではない。
始めは単に地方都市を調査しようと思い、ネットを使って下調べをしたのであるが、そもそも東野はIT不毛の地。進出している外国企業以外には、パソコンやネットを利用している人は誰もおらず、この日本のアパレル企業『東洋縫製』の情報以外、全く手に入らなかった。
そこで【根回し】で『東洋縫製』の親会社と知り合いの円華に働きかけをお願いし、この視察が実現したという訳だ。
工場見学など小学校の社会科見学以来という佑一を筆頭に、経験のほとんど無い3人は大変緊張していたが、対応してくれた工場長は大変親切で、3人は安心して工場を見学することができた。
「何せ、四州に進出したのは日本の企業じゃウチが始めてですからね。見学に来る企業さんも、いっぱいいらっしゃるんですよ」
工場長は、笑顔でそう教えてくれた。
「今後も規模を拡大していく予定でして、現在隣に新工場を建設中です」
「でもどうして、四州島に工場を作ろうと思われたんですか」
見学を終えて事務所に戻り、お茶などご馳走になりながら、佑一が率直な疑問を口にする。
「まずは人件費の安さです。この東野はバングラデシュやラオスよりもさらに人件費が安いですから、ここで作った製品を地球へ輸出しても、十分採算が取れます。それに、日本との距離の近さも魅力です。ここからなら空京はスグですから。もちろん、東野の国民性も魅力です」
「というと?」
「なんというか、昔の日本人にすごくよく似ているんです。真面目だし、細かい作業も得意だし、協調性もあるし、我慢強いし――」
「そうやって聞いていると、本当に高度成長期の日本人みたいですね」
「そうなんですよ。しかも識字率も高くて、8割を超えています。だから仕事を教えるのも楽なんです」
「ねぇ工場長さん。みんな洋服を作るのがとても早くてびっくりしたんだけど、洋服の作り方を習うのに、どの位時間がかかったの?
突然、横からプリムラが口を挟む。先程の工員の手際の良さが余程印象に残ったのだろう。
「ひと月です」
「ひと月って……一ヶ月!?」
「そうです。もちろん、今の工員のレベルになるには作業を通して経験を積む必要がありますが、基本的な縫製技術の講義はひと月だけです」
「それで、あんなに上手に作れるようになるんだ……。私も、ミシン習ってみようかな……」
「まぁ、プリムラったら」
プリムラの独白に場が和んだ所で、昼休みを告げるチャイムがなった。
この昼休みの時間に、工員たちにインタビューしてよいことになっている。
「では、食堂にご案内します」
食堂では、工員たちが昼食を受け取るために、カウンターに列を成していた。
昼食は全て無料。いくら食べてもタダである。
中には家族のために、タッパーに詰めて持ち帰る者もいるというが、工場側も多少のことは大目に見ていた。
服を扱う工場なせいか、やはり従業員には圧倒的に女性が多い。
質問役も、勢いミシェルが中心となった。
「皆さん、スゴイ一生懸命にお仕事してましたけど、何かノルマみたいなモノがあるんですか?」
「いいえ、違います。工場では一人ひとりが作った数を数えていて、上位に入ると報奨金が出るんです」
「あ、報奨金!」
「はい。一位になれば、月のお給金が2倍になりますから、みんな必死なんです」
「そうなんですかー。それで、皆さん一生懸命なんですね」
工員には成人するかしないかくらいの若い少女たちが多いが、みな家族の生活を背負って働いているのだ。
佑一は、素直に感心した。
その後も工員たちへのインタビューは続いたが、総じて労働環境はよく、工員と日本人社員とのコミュニケーションも上手く行っているようだった。
工場長が言っていた「国民性が魅力」という言葉の意味が、よく分かる気がした。
「あれ、プリムラ……?」
気がつくと、いつの間にかプリムラの姿が見えなくなっている。
佑一が辺りを探すと、食堂の隅で一人の少女と話し込んでいるプリムラを見つけた。
話しているは、先程工場で、プリムラがその手際を感心して見ていた少女である。
遠くて何を話しているかは分からないが、笑いながら、楽しそうに話している。
佑一は、そっとその場を後にした。
「――分かりました。長々とお引き留めして、申し訳ありませんでした」
「ご協力、有難うございました」
「なんも、協力も何もねぇよぉ。こんな年寄りの話でよけば、またいつでも聞いてくんなぁ」
氷室 カイ(ひむろ・かい)と雨宮 渚(あまみや・なぎさ)は、にこやかな笑顔を浮かべて去っていく老人を、頭を下げて見送った。
「何人くらい聴き込みした?」
「えっと……。今のでちょうど100人よ」
「よし、今日はそろそろ引き上げるか」
「それはいいけど、夜の聴き込みはどうするの?」
「それは明日にしないか?まずは、今日までの聴き込みで聞けた話を分析するのが先だ」
「それもそうね。じゃ、帰りましょ」
そう言うと、渚はごく自然な動きでカイの手を握る。
2人は何処か懐かしい街の景色を楽しみながら、宿へと帰っていった。
カイたちは、印田(いんでん)という地方都市に来ていた。
今度この街の郊外にアメリカ企業の工場が建設中と聞き、住民感情や治安状態などの調査に来たのである。
この印田に隣接する三益には、既に日本の縫製工場が進出して、業績を上げている。
特に、工場労働者の待遇の良さや給与の高さはこの街でも噂になっており、土地の人達の外国企業に対する感情にも、好意的な物が多い。
アメリカ企業がこの土地を選んだ理由の一つにも、その事があるようだった。
「この街の人達の外国企業に対する評判は、概ね良好なようね」
2人は布団の上でゴロゴロしながら、これまで聞いた話について、分析を進めていた。
「そうだな。ただ一つ気になるのは、工場用地買収の際に、揉め事があったっていう話だが――どう思う?」
「住民の一部が、土地を手放すのを嫌がったっていう、あれ?」
工場用地買収は、大地主である名主が進んで話を取りまとめたこともあり、概ね順調に進んだものの、「先祖伝来の土地を手放したくない」という一部の農民と、移転に反対した神社とが、絶対反対の立場を崩していなかった。
最終的には領主が介入し、強制的に立ち退かせる形で決着がついたが、後味の悪いモノだったらしい。
「神社の神職は切腹。立ち退きの際抵抗した農民たちには死者が出て、呪詛の言葉を吐きながら街を出ていったっていうけど……。正直信じ難い話ね」
「俺も、そう思う。少なくともこの話をしていた人達は嘘はついていないようだったけど、何せ話の出処が不明じゃな」
「でも、結構沢山の人からこの話を聞いたわ。かなり広まってる噂なんじゃないかしら」
「企業に聞いてみても、『用地収容の話は領主に任せていて、詳細はわからない』って話だったし……。ここの領主とやらに直接話を聞くか?」
「それもどうかしらね。どうせ『部下のやったことだから』とか何とか言ってごまかすような気がするけど。それならいっそのこと、話をまとめた名主とか、実際に立ち退いた人達に聞いた方がよくないかしら?」
「本当は、切腹したとかいう神主の親族とか、強制的に立ち退かされた人達の話が聞ければ、一番いいんだけどな〜」
「立ち退いた人達は立ち退いた人達と同じ村に住んでたんだし、意外といなくなった人達の行き先とかも知ってるかもしれないわよ」
「それもそうだな……。よし、明日からはそれを重点的に調べてみよう」
「なら、決まりね。そうと決まれば、早く寝ましょ」
渚はそう言うと、持って来た携帯用ライトを消した。
たちまち、室内は闇に包まれる。
「えっと……よいしょっ……と」
闇の中渚は手探りで布団まで戻ると、その中に潜り込む。
「ん……?お、おい渚!これは俺の布団!おまえの布団はあっちだぞ!」
「いいの、こっちで。あたしはカイと一緒に寝るの♪」
「そっか……。じゃ、一緒に寝るか」
「うん♪」
改めて、2人でいることの良さを満喫するカイと渚。
婚約したばかりの2人にとって、夜は大切なプライベートの時間でもあるのだった。
瀬田 沙耶(せた・さや)は、外の物音で目を覚ました。
と言っても、本当に寝てしまっていた訳ではない。寝たフリをしていたのだ。
外からは人の話すような声や、馬の蹄のような音が聞こえる。随分と遠くだ。
沙耶は、そっと身体を起こすと、出来るだけ音を立てないように身支度を整え、「一夜の宿」として借りた小屋の外に出る。
天高く月の昇った夜は明るく、灯なしでも十分に歩くことが出来る。
沙耶は注意深く辺りを見回しながら、音のする方へと歩いて行った。
彼女がいるのは、守凪村(もりなぎむら)という小さな農村である。
近くには御狩場と呼ばれる、禁足地が存在する。
この御狩場は、その昔まだ四州島が幕府の直接統治下にあった頃、将軍専用の狩猟場とされ、開発はおろか、立ち入りすら禁じられた場所である。その禁制は四州島が鎖国してからも一度も解かれる事無く続き、東野平原の原風景がそのまま保存されているのであった。
この何処にでもあるような何の変哲も無い村を、沙耶が怪しいと思ったのは、本当に単なる勘に過ぎない。
敢えて言うなら、隣に御狩場があるという立地に引っかかりを覚えたのだが、それとても後付のようなものだ。
「ともかく調査しよう」と、渋る麻篭 由紀也(あさかご・ゆきや)を説き伏せ、道に迷った旅人を装ってこの村に潜入したのである。
しかし、この沙耶の根拠のない勘は見事に当たった。
(こんな夜中に大勢が、しかも馬で移動するなんて、きっと何かあるに違いありませんわ!)
出来るだけ物陰に隠れるようにしながら移動する沙耶。
進むにつれ、音がドンドン大きくなってくる。
そして、村外れまで辿り着いた沙耶の目に飛び込んできたのは、騎馬の一団だった。
鎧は身にまとっていないが、皆それぞれに武器を持ち、武装している。
「――行くぞ!」
そんな声が聞こえたかと思うと、騎馬の一団は一斉に移動を始めた。
(何処に行くのか、確かめなくちゃ――!)
慌てて物陰から飛び出し、一団から目を離さぬようにしながら、ケータイを取り出す。
由紀也に連絡を取ろうと通話ボタンを押したところで、背後から強烈な力で腕をねじ上げられた。
ケータイが、手から転げ落ちる。
「あ……、アァ……!」
余りの痛みに悲鳴を上げる事も出来ず、そのまま羽交い絞めにされる沙耶。
「小娘め。思った通り、間者だったか――。どこに連絡していた」
沙耶は、何とか逃れようと身体に力を込めるが、男との力の差は歴然としている。
「話せ。話さねば、殺す」
男は沙耶の腕をを掴む手に、一層力を込める。
「ァ……!」
腕から走る激しい痛みに、一瞬途切れそうになった沙耶の意識を、遠くから聞こえる「音」が引き戻した。
「ゆ……」
「ゆ?」
「ゆき……や……!」
背後から聞こえる聞き慣れない音に、振り返る男。
何かが、土煙を上げつつ凄い勢いで近づいてくる。
「さやーーーー!」
「なっ……、何だ……!?」
麻篭 由紀也(あさかご・ゆきや)の【軍用バイク】が、男目掛けてまっしぐらに突っ込んでくる。
「ゆきやーーー!」
瞬時に状況を判断した男は、沙耶を離すと思い切り横に跳んだ。
「ギュキキキキッ!」
沙耶の直前で、バイクをドリフトさせながら切り返す由紀也。
しかし、由紀也が体勢を立て直した時には、男は既に馬にまたがっていた。
「ハイッ!」
馬の腹に拍車をくれ、逃げ出していく男。
由紀也は後を追うべきかどうか一瞬迷ったが、すぐに沙耶の元へと戻った。
「大丈夫か、沙耶!」
沙耶に駆け寄り、抱き起こす由紀也。
「わ、私は……大丈夫。早く、後を追わないと――イタッ!」
「バカ言うな、腫れてるじゃねぇか!……まずは、治療が先だ」
男にねじ上げられた沙耶の腕は、真っ赤に腫れている。
由紀也は水筒と布を取り出すと、手早く濡らした。
「沙耶。《氷術》、使えるか?」
「え……?う、ウン」
「これを凍らせてくれ。アイスノン替わりにはなる」
由紀也は手早く沙耶の応急処置を終えると、【銃型HC】を取り出し、騎馬の一団が走り去った方向を確認した。
「わたくしとしたことが……。もっと早く気づいていれば、あの男を取り押さえることも出来たのに……」
沙耶の目尻には、悔しさの余り涙が浮かんでいる。
「気にすんなよ、そんなこと。失敗は誰にでもあるさ。沙耶が無事なら、それが一番だぜ」
「由紀也……」
「さあ、沙耶。連中の後を追うぜ。乗れるか?」
「……ウン!」
由紀也の言葉に、沙耶は涙を払うと、元気よく頷いた。
「どうだ、クリストファー?」
「こちらは問題なし。そっちは――?」
「こっちも、怪しい気配はないぜ」
「では、始めましょうか」
クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)と南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)は、宿所の周囲の確認を終えると、そっと障子を閉めた。
今室内にいるのはクリストファーと光一郎、それに互いのパートナーであるクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)とオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)の4人だ。
4人は今、東野北方にある地方都市遠野御厩(とおのみまや)に来ていた。
「御厩」とは公営、つまり藩直営の厩舎のことである。
お狩場に隣接するこの地は、古くから馬の生産が盛んな地として知られ、特に古代にとある名伯楽(はくらく)によってもたらされたという軍馬、御厩馬(みまやうま)の生産地として知られている。
クリストファーたちはこの御厩で、軍馬について調べていた。
クリスティーもクリストファーも馬術部に所属しており、しかもクリストファーには《獣医の心得》がある。
「御厩馬は賢くて耐久力があり、勇敢だ。しかも粗食にもよく耐えるから、軍馬としては非常に優秀といえるね。でも、競走馬や農耕馬としては中途半端かな」
「そうすると、輸出先はシャンバラが中心となりますな」
「種の保存の観点からも、地球への輸出はハードルが高いし。輸出先は当面シャンバラのみに絞ってしまって良いと思う」
オットーの言葉を、クリスティーが補足する。
「御厩の生産量は、四州全体での需要のほぼ半分に匹敵する。残りの半分は東野の他の地域で生産していて、海外に輸出される分はごく僅かだ」
クリスティーが、調査結果を報告する。
「ただ、この生産量は、四州内での需要に基づいて調整された量なんだ。実際にはこの1.5倍から2倍程度の供給が可能なんじゃないかな」
「その気になれば、大々的な輸出は可能という訳か」
「うん。でも実際には、昨年の大洪水の影響がまだ尾を引いてるから、元の供給量にまで回復するには、まだ数年は掛かるけどね」
「なんだ、ダメなんじゃんかよ」
「子馬が大人になるには、それなりの時間がかかるからね」
光一郎の文句に、肩を竦めるクリスファー。
「馬の流通経路についても調査しましたが、不審な点は全くなし。さすが公営と言うべきか、よく管理されてるよ」
クリスティーはそう言って、報告を締めくくった。
「じゃ次は俺らだな。オットー、よろしく」
「……光一郎、貴殿全く説明する気がないであろう」
などと文句を言いつつも、そそくさと資料を用意するオットー。
「各方面における調査の結果、東野公の開国に反対する勢力の中で、最有力者が分かり申した。この御厩の西隣、遠野大川(とおのおおかわ)を領する九能 茂実(くのう・しげざね)でござる」
「九能茂実……。どんな人なんですか?」
「一言で言えば守旧派でござるな。数千年に渡り守ってきた四州の文化が、外国の影響で歪んでしまうのが我慢ならないようでござる」
「伝統を守り続けることと、伝統の中から新しい価値を生み出すことは違う。それが分からない人物という訳か」
苦笑するクリストファー。
「まぁそれだけならいいんだが、実はこの九能って一族には、他にも東州公を恨む理由があってな。元々この九能って家は代々筆頭家老を出してきた家柄なんだが、先代の豊信公の時に大倉重綱――あの定綱のオッサンの親父さんだな――を筆頭家老に据えてからこっち、その地位に就けずにいる。しかも次の筆頭家老も定綱のオッサンでほぼ決まりという状況だ」
「つまり藩主が豊雄公である限り、九能家は筆頭家老に就けない、と」
「そういうこった」
「ま、暗殺の動機としては一応筋は通ってるね」
クリスティーが頷く。
「一応九能家についても調べてみたのでござるが、今の所きな臭い話はなかったでござる」
「ま、直接言ってみないことにはわかんねぇだろうけどな――って、おい。なんか、外から聞こえなかったか?」
光一郎が小声で、皆を制する。
一斉に話を止める一同。
光一郎は障子に近づくと、薄く開け、外を覗きこんだ。
宿所のすぐ外の林の中で、いくつもの光が動いている。
「早速、エサにかかったぜ!周りじゅう、松明の灯でいっぱいだ」
「意外と早かったでござるな」
「俺様がこれ見よがしに聴き込みして回ったからな」
ここぞとばかりに胸を張る光一郎。
ここ数日光一郎とオットーは、東州公の反対勢力について、わざと人目を引くように聴き込みをしていた。
「もし東州公が暗殺されたとして、その後の騒動が長引いた場合、藩が取り潰される危険がある。ならば犯人は、必ず巧遅よりも拙速を選ぶ筈だ」
そう考えた光一郎は、敢えて自ら囮となって、犯人の早期の行動を促す策を選んだのである。
「威張るのはあと。まずは脱出だよ」
そう言って、室内の灯を消すクリスティー。
【ノクトビジョン】を装備した光一郎に続いて、皆廊下に出る。
彼らか宿所に使っているのは、街の外れにある一軒家である。
襲撃を受けても発見がしやすいように、そして周囲の民家や町民に被害が及ばないようにと配慮した上での選択であった。
皆は、出来るだけ物音を立てないように階段を上ると、二階の更に上にある屋根裏部屋へと向かった。
そこの窓から下を覗くと、光がこちらへ接近してきているのが見えた。
「それじゃ、俺はここまでだ」
光一郎は、3人に不敵に笑いかける。
「了解だ――くれぐれも、気をつけろよ」
「それはこっちのセリフだぜ、賞金首さんよ」
実はクリストファーの首には、以前彼に手傷を負わされた由比 景継(ゆい・かげつぐ)によって、100万ゴルダの賞金が掛けられている。
つまりクリストファーは、より嗜好性の高いエサという訳だ。
「行くぞみんな、用意はいいな」
「大丈夫だよ!」
「いつでも、行けまするぞ」
「オッケーだ。よし、行くぞ――1、2の3!」
クリストファー、クリスティー、オットーの3人は合図と共にに、次々と窓の外へと飛び出していく。
「ナニっ!」
「う、上だ!?」
驚く襲撃者たちの真上を、颯爽と飛び去っていく3人。
クリストファーとクリスティーの背中では【宮殿用飛行翼】が、そしてオットーの背中では【偽龍翼】が、力強く羽ばたいている。
襲撃者の内何人かが盲滅法に銃を撃つが、闇夜でしかも飛行物体相手では、元より当たるはずもない。
クリストファーたちはあっという間に囲みを突破した。
一方その頃。
屋敷に踏み込んで来た男達は、中に一人でいた女を尋問していた。
恐らくは遊女か何かだろう。容姿・スタイル共に中々で、生地の薄い、露出の高い服を纏っている。
「は、ハイ。……三人は二階に、一人は……裏口に……」
「裏口だな。まだそう遠くには行っていないはずだ。すぐに追え!」
「ハッ!――いくぞお前ら!」
数人が、外に駆け出していく。
「それで、アイツらの名は?」
「え……、えっと……。クリストファーと、クリスティー。そ、それに光一郎と、あの鯉みたいな人がオットー……」
やはり怯えているのか、女の口調はたどたどしい。
「裏口から逃げたのは、誰だ?」
「た、確か、クリストファーって人……」
「クリストファーだな、よし……。後もう一つ、連中は何処に行くか話してなかったか?」
女は少しの間考えこんだ後、ブンブンと首を横に振った。
「そうか……。怖い思いをさせて済まなかったな。もし連中の行き先について何か思い出したら、ここまで来てくれ。礼は弾む」
男は懐からいくばくかの金子と紙を取り出すと、女に握らせた。
「よし、我々も後を追うぞ」
「「ハッ!」」
男の号令一下、侍たちは次々と部屋を出ていく。
「あ、あの……。あの人達、一体何をしたんですか?」
その背中に、躊躇いがちに声をかける女。
「あの連中は、外国から来た間者だ」
「……間者?」
「そうだ。我が東野を征服せんと企み、内情を探るためにやって来た」
「そ、そうなんですか……。そんなに、悪い人達には見えなかったのに……」
「それが、奴等の手なのだ。――お前も、気を付けた方がいい」
それだけ言うと、男は大股で屋敷を出ていった。
男達の出ていった入り口を、座り込んだまま見守る女。
やがて馬の蹄の音が聞こえなくなった頃、女はようやく立ち上がった。
「なるほど、敵国の間者ね。まぁ連中から見れば、そういうコトになるのかもしれねぇな」
いつの間にか声が男のモノに変わり、体つきも逞しくなっている。
と思うと、露出の高かった服装も男物の【薔薇のドレスシャツ】に変わった。
光一郎が、【桃幻水】と【メタモルブローチ】で変装していたのである。
「しかし、妙に人のいいオッサンだったな。てっきり『お持ち帰り』するんじゃないかと思ったが……」
そうやってあえて誘拐され、襲撃者たちの本拠地を突き止めることが目的だった訳であり、その意味では作戦失敗だった訳だが――。
「お陰で助かったぜ、オッサン♪」
男から貰った紙に、思わずキスをする光一郎。そこには、男のモノと思しき名と、地名が記されていた。
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