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サンサーラ ~輪廻の記憶~ #2『書を護る者 後編』

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サンサーラ ~輪廻の記憶~ #2『書を護る者 後編』

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▽ ▽


「スワルガの者を、こんなところに呼びつけるとは、大胆なことだ。
 取引がしたいとのことだが?」
 マユリの豪勢な私邸で、客間に通されたイデアは、肩を竦めてそう言った。
「メリットがあると思うから、呼ばれて来たのだろう」
 マユリは笑みを浮かべる。
「まあ確かに渡りに船だな。と、言うよりは待っていた」
「待っていた?」
カーラネミが、俺の欲しいものを、あんたがくれると言ったのでね。
 この際さっさと本題に入らせて貰うが、俺が欲しいのは、ディヴァーナが一人」
 マユリは怪訝そうに眉を寄せた。
「ディヴァーナが一人?」
「俺の欲しい能力を持っている。ただ出自が厄介でね。
 あまりことを荒立てたくはないし、誘拐するにも簡単には行きそうにない。
 戦場にでも出てきてくれれば手っ取り早いが」
「代わりに、わたくしに、ディヴァーナの誘拐をしろと言うのか」
「スワルガのマーラがわざわざこんなところへ出向くのに、生易しい要求があると思っていたわけではないだろう」
 表情を険しくするマユリに、イデアはくつくつと笑った。
「罪悪感を感じるほどのことではあるまい。
 あんたも、学校を使って生徒を洗脳しているのだろう。効果が出ているのかどうかは知らないが」
「人聞きの悪いことを言わないでいただきたい」
 学校を使い、教育を利用し、長年に渡って、権力や政治的決定権を持つディヴァーナの上流階級への意識操作を行っている。
 それは確かだ。だが、それを洗脳と言われるのは不本意だった。
「……世界は、変わらなくてはならないのだ」
 マユリの言葉に、イデアは肩を竦めた。
「……世界が滅ぶ、と予言した巫覡がいるそうだな」
「……何故それを」
 マユリは、軍や政治の高い位置にも情報網を持つ。
 なので、幽閉されたアザレアの、予言めいた言葉の噂も耳に入っていた。
 だが、よもやスワルガの者までがそれを知るとは、意外だった。
 このことは秘匿されていたのではなかったか? イデアは、そんな表情を見てふっと笑う。
「さて、本題に戻ろうか。そのディヴァーナの名は、」


△ △


「「人気のないところ」なんて、森には幾らでもあるが、ある程度決め撃ちで臨んで、地道に痕跡を探して行くしかないだろう」
 ジャタの森には詳しいと捜索に名乗りを上げた白砂 司(しらすな・つかさ)の提案に、テレジアの情報が入り、司がそれを元に大体の方向を見当付け、美羽が放った三匹のパラミタセントバーナードに、トオルの臭いを追わせている。
「トオルが何者かから逃げているらしい以上、俺達も、その相手には不用意に出会わないようにした方がいいだろうな」
 司が言う一方で、ニキータは、戦闘になった時を念頭に、殿を務めている。


▽ ▽


 獣性に飲まれていく。
 それとも、これは闇か。
 もう、自分でも止められない。

 ヴィシニアは、身の内で暴れるものに逆らうことを諦めた。
(終わりにしてしまおう……。そう、この斧で、全てを壊して)
 自分の体が、全く別のものに変わって行く。
 それは、獣なのか、魔のものか。
 異形と化し、全てを壊して、そしてその後、自分が終わりになるのなら、できればそれは、彼の手によればいい。
 そんな思いも、闇に飲まれて行く。
(……もしかすると、アレサリィーシュをイデアから助けた時から、こうなることは決まっていたのかもね……)
 心を失い、自分は、何になるのだろう。

 魔獣か、悪魔か。それとも――魔王か。

△ △


 獣人の森に来てみれば、一層自分の前世、ヴィシニアのことを思い出す。
 己の意志で、獣人と共に生きる道を選んだと思っていたが、これは、ヴィシニアが新しい世界で求めていた生き方なのだろうか。
 絶望の中で魔王と化し、彼女はその後どうなったのか。
 来世を縛るほどの強い思いがもしあるとすれば、それはきっと、どうしようもないほどの、後悔の念だ。
 自分はきっとこの先、辛い記憶を思い出して行くのだろう。
 今、この自分となって、ヴィシニアにしてやれることはあるのか。
「怖い顔してるわねえ」
 ものすごい近くで声がして、司ははっとした。
 じい、と、ニキータが顔を覗き込んでいる。
「……これは生まれつきだ」
「そうなの? 凛々しいけど、笑った顔もきっと素敵よ」
「近いんだが」
「あら、結構肌綺麗ね」
「近いんだが!」


 何をやっているんだか、と呆れる早川呼雪は、パートナーのヘル・ラージャによって、しっかり先頭集団に入れられている。シキもそれに続いていた。
 そんなシキを後ろから見つめ、オデット・オディール(おでっと・おでぃーる)は迷っていた。

 何か解ることがあれば、と、オデットは『ご託宣』を使ってみたのだ。
 そして、シキとトオルが、何かの約束を交わしていたらしいことを知った。
 やがて意を決して、オデットはシキに声を掛けた。
「ねえ、シキくん」
「何だ?」
 シキが振り返る。
「『約束』って、何?」

 その問いに、リネン・エルフト(りねん・えるふと)も反応した。
 シキが呟いたその言葉を、リネンも気に掛けていた。
 そういえば、何度も一緒に冒険したりしたが、リネンはあまりトオルの身の上を知らない。
 無理強いをするつもりはないが、もしも話してくれるなら、と、後でこっそり訊こうかと思っていた。

「トオルくんが前世を思い出すと、何か大変なことになるの? シキくん、心当たりがあるの?」
 オデットが訊ねる。
 自分が呟いたことについてかと思い至ったシキは、苦笑した。
「違う。あれはそういうことじゃない。俺は、前世については何も知らない」
 シキは首を傾げ、少し迷う様子を見せた。
「あ……話にくいことならいいのよ。誰だって、秘密にしたいことってあると思うし」
 リネンが慌てて言う。
「いや。ただ、トオルは知られたらかっこ悪いと思っているだろう」
 だが、自分が言い出したことで気にされているのなら、とシキは言った。
「トオルと契約する時に、約束をした。トオルの死を看取ると」
 いつか来る、その時。
 一人で死ぬのは嫌だから、俺が死ぬ時は、お前側にいてくれな。
 トオルがそう頼んで、シキは引き受けて、それが二人の契約となった。
「それだけのことだ。だが」
「――そんなことは、もっとずっと、先の未来の話に決まってるわ」
 リネンは、シキの言葉を遮って、きっぱりと言い放つ。
 シキは笑った。
「そうだな」


▽ ▽


 ヴァルナとイスラフィールは友人だった。
 だが、ヴァルナは、イスラフィールの母、アーリエに対し、何故か本能的な恐れを感じていて、二人はいつも、アーリエに隠れて密かに会った。
 ヴァルナはアーリエの趣味ではないだろう、と、イスラフィールは思ったが、そういう類のものではないのだろう。
 そもそもアーリエの趣向をヴァルナが知っているはずもない。
「大丈夫。今母さんは、ハーレムの方に行っているから、明日までは帰らない」
 この日も、不在を知って、ヴァルナはようやく安心してイスラフィールに笑顔を見せる。
 けれど、心の中にある、重い憂いは、なくなることがなかった。
「ヤマプリーとスワルガの戦争が、ずっと続いて、不安です……。
 どうして、こんなこと、終わってくれないのでしょう」
 ヴァルナは心を痛めていた。どうしたら、平和な世界になるのだろう。
「うん……」
 イスラフィールも頷く。
「ヴァルナが、いつも笑顔でいられる世の中になったらいいのに……」
 空を見上げて、ふと何かを思い出してヴァルナに微笑んだ。
「でも、ヴァルナの雨も、実は好きなんだけど。
 さらさらと、とても優しく降るから」

 ――そんな会話が最後だったから、ヴァルナは雨が降るといつも、イスラフィールのことを思い出す。
 何故、突然いなくなってしまったのか、何処へ行ったのか、生きているのか死んでしまったのか、その時のヴァルナには何も解らなかった。


△ △


 ちら、と、山葉 加夜(やまは・かや)がリネンを見る。
「……何?」
「何でもないです。
 ただ、めぐり合わせって、不思議だと思って……」
 加夜は、壊れたトオルの携帯を握り締める。
 前世で、加夜の友人だったイスラフィールの、彼女は母親だった。
 面影がある。リネンの現世と前世の姿は、よく似ている。
「トオルって、イスラフィールなのかしらねえ……?」
 最後尾でニキータが呟いて、呼雪が振り返った。

「イスラフィール? トオルがか」
「知っているのですか?」
 加夜が訊ねる。
「……いや……」
 呼雪は顔をしかめる。思い出せない。
「トオルくんは、イスラフィールなの?」
「それは、トオルに聞いてみないと、何ともね」
 ニキータは肩を竦め、リネンは、それを聞いて考え込んだ。

「私、ちょっと考えてることがあるの……もし、様子がおかしくなったらすぐ止めてね。
 初めてだし、……どうなるのか解らないから」
 リネンは、考えていたことを実行に移すことにした。
 それは、前世の自分と同調すること。
 現世の自分が前世の自分と近くなることで、『アーリエ』になりきることで、何か解ることがあるのではないかと。
 リネンは目を閉じて、自分に暗示をかけた。
「私は……ヤマプリー、ディヴァーナのアーリエ……暴虐な女帝の……アーリエ……」


▽ ▽


「誤魔化さないでよ。あの子を何処へやったの!」
 イスラフィールを奪われた。
 アーリエは、どういうことかとマユリの学校に乗り込む。
 イスラフィールはある日、学校へ行ったのを最後に、行方不明となったのだ。
「お子さんのことは、大変遺憾に思いますわ。
 ですが、誰も姿を見た者がおりません。我々にも、防ぎようのないことだったのです」
「……」
 マユリは、イスラフィールの失踪との関わりを否定する。
 アーリエは、険しい表情でマユリを睨みつけるが、マユリはそれをまっすぐに見返した。
「あの子を返して」
「……お気持ちは、お察しいたしますわ」


△ △