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コーラルワールド(最終回/全3回)

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第18章 帰還
 
 
 エリュシオン、ミュケナイ地方、ルーナサズ。
 その選帝神の城の中庭に、久し振りに、龍が降りる。
 空に龍の影を見つけて報せが届き、イルダーナは既に中庭で、龍の背からトゥレンが降りるのを待っていた。
 トゥレンは、イルダーナの前に歩み寄ると、顔を歪ませて、ぎり、と奥歯を噛む。
 ドン、と、両拳を、彼の肩口に叩き付けた。
「あんたが! 生還しろとか言うから!!」

 カサンドロスの死後、彼の死を悼む者は誰一人としていなかった。
 エリュシオン人の死など、シャンバラの者には関係無いことだろうし、別に悼んで欲しいとも、またカサンドロス自身がそれを望んでいるとも欠片も思わなかったが、そのカサンドロスが、憎んでいる筈の彼等を生かす為に死んだのだと、そう思うと、やりきれないものがあった。
 イルダーナは、トゥレンの拳を黙って受け止め、何も言わない。
「とりあえず、寝ろ。……酷ぇ有様だ」
 うん、と答えてトゥレンはそのまま意識を失い、その後三日間目を覚まさなかった。


◇ ◇ ◇


 廊下を歩いていた長曽禰中佐が、個室の前で立ち止まる。
 中を覗くと、藤堂中尉らが、部屋を片付けていた。
「ご苦労さん」
 声を掛けると、藤堂達は振り返って敬礼する。
「ああ、気にしないで続けてくれ。ちょっと覗きに来ただけだ」

 都築中佐の死亡が確認された。
 彼と付き合いの長い部下達が、部屋を片付けている、その最中だった。
 長曽禰は、都築の机の上の、意匠の見事な砂時計に目を留める。
「奴らしくない物を持っているな」
「テオフィロスさんに貰った物らしいです」
 藤堂の返答に、成程、とそれを手に取る。
「貰っていいか?」
「喜ぶと思います」
 砂時計をポケットに入れて、後はよろしく、と長曽禰は都築の部屋を出た。



 タイプを打っていた、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)の手が止まった。
 溜息を吐きそのまま暫くぼうっとして、不意にはたと我に返る。
 もうそれを何度も繰り返している。
 報告書作成作業は、ちっとも捗っていなかった。
「……」
 はた、と何度目か、手が止まっているのに気付いたゆかりは、作業を再開しようとして、これまでの作業のタイプミスの多さにがっくりと肩を落とす。
「……カーリー、どうしたの?」
 ついに溜まりかねて、パートナーのマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が声を掛けた。
「え? いえ、別に……」
「気分転換でもしに行こうよ。あたし喉渇いた」
 疲れているのかな、と思ったマリエッタは、そう提案する。
「そうね……」
 頷いて、二人は気分を紛らそうと、わざわざ外の自販機まで足を伸ばした。

 いい天気だ。外を歩きながら、ゆかりはふと溜息をつく。
 何だろう、何だか調子がおかしい。
 のろのろとカフェオレに口をつけながら、何となく、これまでのことを思い出していた。
 二十歳の頃にパラミタに来て、もう五年。三月に25になった。
(四捨五入して三十、ってもう私も立派なアラサーね……。
 本当に、季節が過ぎるのは早過ぎるわ……)
 変わったこと、変わらなかったこと、色々あった。
「カーリー?」
 思考に沈んでいたゆかりは、マリエッタの言葉にはっとする。
「またぼーっとしてる。
 報告書、早く出さないとヤバいでしょ。しっかりして。
 カーリー最近変だよ、アイツがいなくなってからずっとこの調子! 一体どうしちゃったのよ!」
 ぎくり、と体が強張った。
「か、考えてないわよ、彼のことなんか別に!
 そう、報告書ね、そうだったわ。そろそろ戻りましょう」
 残りのカフェオレを一気に飲んで、ゆかりは立ち上がる。
 考えてない。同僚の男のことなんて考えていなかった。
 ここのところ、別任務でずっとオフィスに姿のないあの男のことなんか。
 彼がいなくて快適に仕事が出来る。そう喜んでいたはずだったのだ。
 オフィスに戻って行くゆかりの後に続きながら、マリエッタは密かに溜息をつく。
 その様子はまるで、恋する少女のよう。
 そう、口に出すことはできなかった。



 朝永真深の遺体はシャンバラに移送され、ツァンダの共同墓地に埋葬された。
「……真深」
 墓前の前に佇んで、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は、そっと声を掛ける。
「真深……私、後悔してるわ」
 死の門の前での戦いで、真深のことなど、もうどうでもいい、と決心して戦いを決めた。
 けれど、本当は、もっと別の選択があったのではないか、そう考える。
 真深を、死なせずに済んだ選択が。

「ねえ、真深……私は……あなたのこと、どれだけ知っていたのかな……?」
 彼女のことを知っていると思っていた。
 けれど、真深が何を考え、どうしてパラミタを裏切り、カラスと同盟を組んだのか、全く解らない。
 カラスに見捨てられ、その後パートナーロストによって命を失ったことは聞いたが、その詳細を知る人とは会っていない。
 そうして考えてみれば、自分は表面的なことすら知らなかったのでは、と思えてならない。

 意気消沈して俯くさゆみの、少し離れた背後から、パートナーのアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)はそっと見守っていた。
 痛々しい姿に胸を痛めながら、さゆみが、振り向いて、戻って来るのをじっと待つ。
「……さよなら、真深」
 やがてそう呟いて、さゆみが踵を返した。
 とぼとぼと戻ってくるさゆみに、アデリーヌは微笑を向ける。
「元気を出して、さゆみ。
 明日からまた、<シニファン・メイデン>としての仕事が始まりますわよ?
 それに、大学の方もこれから忙しくなりますし」
「……そうね。立ち止まっている暇は無いんだわ……」
 元気付けようとしてくれる気遣いが解って、さゆみも笑ってみせる。
 ちらりと真深の墓を振り返ってから、アデリーヌと共にその場を後にした。

 これからも、自分は引きずって行くのかもしれない。先のことは、まだ解らない。
 今はただ、心に抜けない棘を抱えながら、今を精一杯生きて行くだけだ。