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リアクション
●SCENE01 (part1) : The First Step
航空機、あるいは竜の高度で空を征けども、眼下には当分、緑色しか目に入らない。
緑はすべて鬱蒼と茂る木々であった。これがイルミンスールの森である。広大無辺、目に見えるほど濃い魔力と神秘に満ちた緑の海だ。一説によれば、人類の祖先にあたる存在が産声を上げるよりずっと早く、この森はこの場所にあったとされる。森の全貌を知ろうという努力は多くの先人が試し、同じ数だけ挫折してきた。未だ森の正確な地図はなく、これからも当分――あるいは永遠に、人がこれを作り上げることはできないだろう。
その緑に隠された名もなき山、この裾に開いた小さな点が、広大なダンジョンの入口であることが判明したのはつい数ヶ月前のことだ。直後、このダンジョンは戦場となった。
そして現在、ふたたびダンジョンは戦場であった。
そう、今、この瞬間も。
緒戦は既に始まっていた。地下一階、徘徊する鍋モンスターの一群と戦闘部隊が遭遇したのだ。剣尖閃き魔法が奔り、刃と鋏が火花を散らす。敵味方の怒号、火炎を撒き散らす轟音、あるいは氷術が敵を瞬間冷凍し、これがメキメキとひび割れる音――その他あらゆる音色が場を満たしていた。戦いは混戦の様相を呈しており、いずれが優かいずれが劣か、ざっと見ただけでは判断できない。
「こんな野菜や蟹なんかを斬って本当に実践になるのかしら?」
八雲 千瀬乃(やくも・ちせの)は疑念を抱くも、その働きはめざましい。千瀬乃が一刀、横凪げばたちまち白菜の胴がざぶりと両断され、返す刀は椎茸の、笠を綺麗に切り取った。
凛然、その表現がよく似合う。刀を八相に構える千瀬乃の姿は初々しく涼やかで、若竹のような真っ直ぐさがあった。その剣の腕は申し分ないが、強いて言うならばやや教科書的というか、道場剣術の域を出ていないきらいがあった。その点は千瀬乃自身、よく承知している。そもそもこの作戦に参加したのも、実戦経験が足りない、と指摘されたことに端を発する。
一足一刀の距離から踏み込み、続く一動作でニンジン怪物に剣を振り下ろす。一刀両断、斬り下げられたニンジンはまたたくまに食材へと帰した。
(「まぁ、何もしないよりは確かにマシかもしれませんが、野菜は野菜ですよね。たしかに普通の野菜より大きくて動いてはいるけど……」)
その思いは中断された。横合いから熱波、エリンギ怪物の火炎放射が千瀬乃を襲ったのだ。
(「いけない、邪念に溺れては!」)
蝶のように身を躍らせ、間一髪のところで千瀬乃は火炎を回避した。――いや、間一髪ではなかった。袖に火が付いている。慌てて彼女はこれを叩き消した。
千瀬乃は少女らしい表情から一変、剣士の目になった。これが実戦、一瞬の油断が命取りとなる。
「気を抜かず一体一体確実に斬っていきましょう!」
まだくすぶる袖もそのままに、片手斬りの精確な斬撃。ざぶっという手応えとともに刀はエリンギの胴を貫いた。刀を引き抜いたその勢いのまま、千瀬乃は首を巡らせ声を上げた。
「って、姫様も働いてくださいよ!」
「む? わらわか?」
唐突に呼ばれて出雲 櫻姫(いずも・おうひめ)は、座っていた岩から答えた。
「千瀬があまりに実践経験が乏しくて不安じゃから、わらわは目付として随行しとるだけじゃ」
櫻姫は千瀬乃と比べると、なんともあどけない容貌である。着物の両脚を投げ出し、雪駄履き足をぶらぶらさせている。いかにも姫君といった様相で、顔を上げると、括った銀髪がつんと跳ねた。
見た目のみならず緊張感という意味でも、櫻姫は千瀬乃とは好対照だった。飛んでくる攻撃や敵の手はかわすも、それだけであとは千瀬乃に任せきりだ。
櫻姫は、傍らに置いた大剣の柄をひょいと持ちあげて千瀬乃の胸元を指した。
「これ千瀬、さきのような攻撃は乱戦で使う手ではないぞ。幸い手近に敵がおらんかったからいいものの、ああした大技を使えば一瞬にして隙だらけじゃ。多数を相手にするなら構えは八相、攻撃は小刻みと教えておるじゃろうが」
「すいません姫様……でも、姫様も戦わないと」
「戦わないと?」
「お鍋取り上げられちゃうかもしれませんからね?」
と言い残し、千瀬乃は味方に押し寄せた新手目指し駆けていった。
この言葉は効果があったらしい。
「なんとなっ!? 鍋とりあげじゃとぉ!? むぅ、鍋はわらわの好物が一つ……」
むすっと口を『へ』の字にしつつ、櫻姫は長さ八尺余、幅十二寸の大剣を肩に担ぎ上げた。
「ここまで来て取り上げられたとあっては、ただの骨折り損じゃ……こうなればしかたない!」
直後、櫻姫は岩を蹴っていた。軽やかに、まるで空を翔るように飛び、着地と同時に剣を叩きつけた。まだ鞘も抜いていないというのに、重量級の一撃はトウモロコシ怪物を粉砕したのである。ひとつひとつが彼女の手ほどもある特大トウモロコシ粒を弾き飛ばしながら、怪物はどっと倒れた。その体を蹴りのけ、ようやく櫻姫はすらりと大剣を抜いた。
「このようなわけのわからん雑兵どもにわらわが手を下すのはちと気が引けるが……これも後に控える鍋の為!」
半ば閉じていたような目を見開き、髪を一度だけ手ですく。次の瞬間、櫻姫は千瀬乃と肩を並べ、剣鬼の本領を発揮した。
「具材ども! わらわの絢爛たる剣技をその目に焼き付け、心置きなく冥府へと逝くがよい!」
千瀬よ付いてくるのじゃ、と言うが早いか櫻姫は大剣を振り回した。これより、恐るべき使い手がその真の実力を披露することだろう。
櫻姫の長物が烈風を巻き起こす。その風に日笠 依子(ひりゅう・よりこ)の髪が吹き上げられた。目が覚めるようなピンクのドレッドヘア、なおこの髪型は、セットするのに毎回二時間かかるという。
「ったー! 気合い入ってんなー!」
櫻姫の後ろ姿に称賛の言葉を送りつつ、
「俺様もがんばらねーと!」
会心の笑みを浮かべる依子である。
「料理料理、っと」
依子はローグらしく身を屈めると、抜き身の剛刀を右手に握り直した。迫り来る巨大ホタテ貝に躍りかかるや、貝の合わせ目に刃を突き刺し、やや強引に開いてしまう。
「依子さん、合わせます!」
そのタイミングで千瀬乃が剣を舞わし、二枚の貝をつなぐヒモ部分を両断した。
「おう、千瀬乃だったな? お見事と言わせてもらう」
知り合ったばかりの彼女にエールを送ると、依子は依子で行動に出た。
「なら俺もやってやるぜ! 戦闘ってよりは『解体』かもしれねぇが!」
すかさず依子は、貝のウロ(食用にならない部分)を切り捨て、残る貝肉を削ぎ取った。
「一丁上がり! 戦闘経験と食材経験、どっちも体験できるなんてお得!」
歯を見せて依子は笑った。
依子のいう「料理」とは決して比喩ではなかった。これまで彼女は、白ネギが殴りかかってくるのを斜めに斬り、椎茸はまず、そのいしづきを切り落とすという具合で、さりげなく食べやすく切断調理しているのだ。
依子らがホタテを倒した道の向こう、勇ましい声が聞こえてくる。
「皆ついてくるでござる!」
声の主は杉原 龍漸(すぎはら・りゅうぜん)だ。野武士のような装束に身を固め、率先して戦陣を切ってはいるものの龍漸はこれが初陣、勢いが良すぎていささか危なっかしいところがあるのは否めない。しかし彼の天真爛漫な明るさと童顔、それに、裏表のなさそうな正々堂々とした態度は妙に憎めなかった。
今も、人なつっこい笑顔をちらと見せ、龍漸は敵に啖呵を切っているのだった。
「どうしたどうした!? それで終わりとは片腹痛いでござる! 束になってかかってこい!」
すると彼の呼び声に応じたかのごとく頭上の岩棚より、ゴツゴツした鎧に身を包んだ蟹(カニ)怪物が三匹、硬質の音を上げて着地した。龍漸のすぐ目の前だ。
「拙者の前に着地するとは、これぞ飛んで火にいるなんとやら。三匹とも拙者が引き受けるでござるよ!」
と息巻く龍漸だが、
「はぁぁっ!」
敵の甲羅は堅く、彼が振り下ろした太刀は甲高い音と共に弾かれ、跳ね上げられてしまった。がら空きになった龍漸の胴に蟹の反撃が命中し、間髪入れずもう一匹から、致命的な突きが繰り出された。
しかし、突きは龍漸に届かなかった。
「ま、間に合ったあ……」
咄嗟に繰り出した梅沢 夕陽(うめざわ・ゆうひ)のドラゴンアーツが、蟹の爪を粉砕したのだ。経験が浅いゆえ自信はなかったが夕陽はためらわなかった。それが良かった。無我夢中で放った彼の一撃は、これ以上ないほどのタイミングで炸裂していた。
砕けた蟹爪が、割れた陶器のように散らばる。驚きからか三匹の蟹は後じさった。
龍漸は左腕で脇腹を押さえていた。抉られた傷が焼けつくように痛みはじめたのだ。しかし、と彼は歯を食いしばった。
「っく。こんな傷、日々の修行より痛くもないでござる!」
口から漏れそうになるうめき声を押し殺し、龍漸は恩人に呼びかける。
「かたじけない。拙者は杉原龍漸と申す。貴殿の名前も聞かせていただきたい」
「梅沢夕陽です。よ、よろしくお願いしますぅ……」
「夕陽殿、拙者への敬語は無用。見たところ同年代、しかも今は一命を預け合う同志ではござらんか。くだけた口調で構わないでござる」
「うん。それならそうさせてもらおうかな……サムライさん」
「サムライさん? それは拙者のことでござるか」
「気に入らなかったらゴメン……」
「なんの、それでようござる。ただ、拙者『サムライ』と呼ばれるからには、その名に恥じぬ戦功を上げたいところでござるな」
話しているうちに龍漸は痛みが引いてきた。そして彼は、また会心の笑みを浮かべたのだった。一度は後退した蟹三匹が、じわじわと戻ってきたのである。
夕陽は、自分と龍漸とが前に出すぎていることに気づいた。仲間たちは数メートル後方だ。突出するのは控えるつもりだったのに、龍漸という知遇を得て、つい気が大きくなったのだろうか。
「蟹は三匹、こっちは二人か……三対二……」
一度後退して依子らと合流すべきか、それとも……。
「いや、三対三であろう」
ずっしりと重々しく、それでいて朗々と聞きやすい声が夕陽の背後からした。
「夕陽、我が共にあるのを忘れたか」
彼こそはブリアント・バーク(ぶりあんと・ばーく)、がっしりとした巨漢、墨で塗ったような黒いドラゴニュートである。樫の霊木から削りだしたというワンドを片手に持ち、力強く地面を叩いた。
「サムライの杉原殿と夕陽、そして我が揃えば恐れるものはないぞ!」
ブリアントとてこの戦いは初陣に近い。自信があるといえば嘘になるのだが、夕陽に良いところを見せたい、という真理も手伝って、彼は吼えるがごとく断言したのだ。
一人ではない。仲間がいる。それがチーム行動の頼もしさだ。三人は心を合わせ迎撃姿勢を取った。
チャッ、と乾いた音がした。龍漸が指を鍔にかけ鯉口を切ったのだ。
「戦こそ武士の本分、拙者、この戦で皆に力を見せるでござる!」
たちどころに刀を抜き払うと、颯爽と龍漸は蟹に斬り込んだ。
「いざ参ろう! 戦いこそが我らを強くするのだ!」
氷水すら瞬間沸騰しそうな炎熱が彼を追う。ブリアントの火術だ。そして、
「援護するよ!」
再度ドラゴンアーツで、夕陽も力強く参戦するのだった。彼は、思う。
(「あたらしく訪れたこの世界で、誰かを失うのは見たくないから……」)
柔和な印象のある夕陽の目が、今は雷のような光を帯びていた。
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