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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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第9章 まぼろし


 夕食を終え、寮の部屋に戻ってきた砕音が焦った様子で、部屋の中を探っている。研修の一か月分を買い溜めしておいたタバコが、なくなっているのだ。
(まずい。タバコが無いと……)

「先生、どうした?」
 翌日の授業時間。真面目に講義内容をノートに取っていた薔薇の学舎生徒の北条 御影(ほうじょう みかげ)が聞いた。彼は以前の罠実習の感想なども、きちんとノートに記している。
 今はトラップに関する講義の最中だが、教師の砕音は体調が悪そうに見える。御影に聞かれ、砕音はすまなそうに笑顔を作った。
「ああ、悪い悪い。それじゃ北条、配ったプリントを読み上げて……!」
 砕音が教室のある一点を凝視して、身を強ばらせる。彼の視線を追った生徒たちが、そちらを見るが、いつもの教室風景で何も変わった点は無い。
 だが砕音の目には、そこに血みどろで立つ女性教師の姿が見えていた。さらに周囲には、同じように血塗れた子供たち。頭を割られている者、はらわたが飛び出ている者など、無残な死に様をした者たちが、恨めしそうに彼を見ている。
(……落ち着け。いつもの幻覚だ)
「北条、プリントを読んでくれ」
 自分に言い聞かせ、砕音は先程の言葉を繰り返した。促されて御影は、変だと思いながらもプリントを声を出して読みはじめる。
 砕音は幻覚に背を向け、黒板に講義内容を書いていく。視界の端、彼の横に、やはり血塗れた守護天使の幻覚が現れた。無視して黒板を書き続ける。
 幻覚の天使が砕音に言う。幻聴だ。
「君が人に物を教えられる立場なのか? 穢れた怪物に、人に愛される資格なんて無いよ。地獄に堕とされた快楽に、いつまでよがっているのさ?」
 砕音は幻聴を頭から追い出そうと考える。
(あいつは、こんなこと言わない。これは俺の心の声が、あいつの声と姿を借りて具現化してるだけだ……)
 ヤケのように黒板を書き続ける。その手に、天使が手を重ねた。握っていたチョークが落ちる。
「キュリオ……」
 砕音は思わず、つぶやいた。その頃には教室のほとんどの生徒が彼の異変に気づいている。薔薇の学舎生徒のシャンテ・セレナードが見かねて言う。
「先生、お体の具合が悪いようでしたら、無理はなさらずにお休みになった方がよろしいですよ」
「……悪い。そうさせてもらおう。後は自習にしてくれ」
 砕音はよろよろと教室を出て行く。シャンテは付き添おうと後を追ったが、扉が開かない。トラップ固定に使う金具が、扉の開閉を防いでいた。もっとも、教室にあるもうひとつの扉から出れば、その金具は簡単に外せた。だが、その時にはもう砕音の姿は無い。
 シャンテはそれでも、協力する生徒と共に校内を探しまわった。

 薔薇の学舎の生徒が二人、それぞれに何かが詰まった紙袋を持って焼却炉へとやって来る。二人は炉のフタを開けて、紙袋を中に入れようとする。
「おいおい、そこまでだ。そいつを焼いたら、大変な事になるぜ」
 野太い声が、彼らを止めた。
 二人をつけてきたパラ実生ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)が巨体を現す。ヒゲを生やした巨漢に、二人は少々気おされる。シモンの取り巻きだった生徒だ。シモン本人がイジメをやめたのに、彼らはまだ続けているらしい。一人がラルクに言う。
「言いがかりをつけるのか? さすがパラ実だな」
 だがラルクは落ち着いた様子で言い返す。
「もうネタはあがってんだ。シラ切るのは、やめようぜ。こっそり陰湿にイジメようなんて、テメェら、それでも男か?」
 取り巻き二人はラルクを睨むが、逆に赤い鋭い目で見返されて、さらにひるむ。
「わ、我々は、美しい学舎内に大きなゴミを見つけたから処分しようとしただけだぞ。漁りたいなら、好きに漁るがいい」
 取り巻きは捨て台詞を残すと、紙袋を残して足早に逃げ去った。
 ラルクは戦闘にならず、ふぅと息をもらす。実力行使はするにしても最終手段だと考えていたからだ。
 紙袋をのぞくと案の定、タバコが詰まっている。
「へへっ、これを届けりゃセンセーも、ちったぁ感謝してくれるかな?」
 彼は、砕音のタバコがなくなったと聞いて、その犯人を探していたのだ。
 ラルクはふたつの紙袋をかつぐと、意気揚々と歩きだした。

 砕音は非常階段にうずくまっていた。幻覚はまだ彼を襲っていた。
「サイオン、お前が良いコにしてないから、こういう目に会うんだぜ?」
 せせら笑う声と共に、霊体状の手が体の中に潜りこんでくる。冷たい手が体の奥をなでこする。
「もう……やめ……ッ」
 砕音が悲鳴を押し殺しているところに、ラルクがやってくる。近道をしようと非常階段を上ってきたのだ。
「どーした、センセー?! なに、こんな所に落ちてんだ? タバコなら取り戻してきたから安心しろって」
 ラルクが膝をつき、持ってきた紙袋の中身を見せる。とたんに砕音がラルクに飛びかかるようにタバコに取りつく。
「おわっ?!」
 ラルクはバランスを崩して、階段の踊り場に寝転んだ。砕音はラルクの腹に乗ったまま、タバコの包みをがむしゃらに手で引き千切る。そしてバラまかれたタバコの一本を拾い上げ、ライターで火をつけようとするが手が震えて上手くいかない。ラルクは手を添えて、タバコに火をつけてやる。砕音は目を閉じ、タバコを吸い始める。
 ラルクは持ってきたタバコの箱を、まじまじと見てしまう。
(こいつぁ、そこらの店でフツーに売ってるタバコだよな。怪しいヤクは入ってないハズだが……。なんかエロい顔で吸ってるしなぁ)
 砕音がおとなしくなったのを見定めて、ラルクは声をかけてみる。
「そろそろ正気ンなってきたか?」
「ん……なんとか……。う……?!」
 一瞬、甘えた声を出した砕音が、ハッと我に返る。
「ララララルクゥ?! な、なんだ、これぇ?!」
 ラルクは失笑して言う。
「今さらナニ言ってんだ。人の腹の上で気持ち良さそーに一服しといて」
 砕音が赤面しながら立ちあがろうとするのを、ラルクは彼の肩を抑えて止める。
「気にする事ねえって。へへ……センセーの為だったら俺は何でもできるぜ?」
「あ……」
 ラルクは砕音の頭を引き寄せ、唇をそっと奪った。続けて何度もキスをする。砕音は鼻先で確かめるように、ラルクのヒゲに触れた。ラルクは今度は深く口づけをすると、潤んだ瞳をしている砕音に言った。
「はっはっは! どうだ、センセー? これで俺に惚れたか!?」
 砕音はすねたような表情で目をそらし、言う。
「こういう時に先生とか言うな、あほう……」
「おっ、ワリぃワリぃ。じゃあ、砕音……?!」
 ラルクは砕音から唇を奪われ、目をしばたかせる。
(そっちがソノ気になってるなら、断るワケにはいかねぇな)
 ラルクは砕音の背をグイと引き寄せた。

(んん? なーんか聞いてた話と違うような……?)
 しばらく行為に耽り、ラルクは疑問を感じていた。砕音は服の前をはだけ、ラルクの動きに汗だくになりながら熱い息を吐いている。ラルクは頭のスミで考える。
(男とヤルの、うますぎねぇか? しかし真っ最中に聞くのもナンだしな……。せっかくがんばってくれてるし)
 観察しているうちに、また興奮してきた。ラルクは行為に集中することにした。


「ん? 砕音、まだ休んでた方がいいんじゃねぇか?」
 ラルクが言うが、砕音は体をブルリと震わせて、服の前を合わせる。
「風邪、引きそう……」
 吹きさらしの非常階段では、汗で体が冷えるようだ。
「じゃあ、部屋に行こうぜ」
 そうやって二人が身支度を始めようとした時、非常階段に出る扉が開いた。
 扉を開けて出てきたのは、砕音を探していたベア・ヘルロットとシャンテ・セレナード。
「あ」
 誰ともなく声をあげた。
「先生に何してるんだ?!」
 普段は温厚で優しいベアとシャンテも、さすがに声を荒げてラルクを取り押さえようとする。
 あわてて砕音が、間に飛びこむ。
「ま、待て! これは……俺がラルクを襲ったんだ!」
「はい?」
 砕音がラルクをかばったので、彼を守ろうとした二人は戸惑う。
 さらに今度は、ラルクが大きな手で砕音の口をふさいで言う。
「はっはっは、俺とセンセーは相思相愛のらぶらぶってヤツだ。襲うとかは、そーゆープレイだって話だぜ」
「んーんーんーんー!!」
 砕音は抗議なのか、じたばた騒いでいる。シャンテは大きく息を吐き、言った。
「話は後でちゃんと聞かせていただきますから……とりあえず先生を放してあげてください。それでは窒息してしまいます」


 砕音の部屋に、シャンテが紅茶を運んでくる。場面を移して、砕音、ラルク、シャンテ、ベアが部屋に集まっていた。
「喫茶室で濃いめに入れた紅茶です。まずはノドを潤して、落ち着かれてください」
 シャンテに優しく言われ、砕音はうなだれる。
「ありがとう……。これじゃ、どっちが年上か、分からないな……」
 するとラルクが言う。
「おっほ! それは、おっさんの俺に対する挑戦か?!」
 場をなごまそうとした発言だが、沈黙が訪れてしまう。ラルクが困っていると砕音が言う。
「ラルク、ここはやっぱり俺が悪いんだよ」
「先生、まず自分たちは先に確かめておきたい事があるんだけど、いいかな?」
 慣れない場に困惑した様子のベアが聞く。砕音がうなずいた。シャンテが静かな声の調子で尋ねた。
「今、先生が女子高生に手を出したという噂が広まっています。それは本当なのでしょうか? 僕は先生を信じています。真相を話していただけないでしょうか?」
 砕音は「その話か……」とつぶやき、話し始めた。

 高根沢理子が魔剣、斬姫刀スレイヴ・オブ・フォーチュンの主となった後、砕音は空京警察に連行され、取り調べられた。
 警察の主張はこうだ。
「おまえが高根沢のお嬢様をたぶらかして、魔剣を取らせたのだろう。なぜなら高根沢家のお方が、シャンバラ女王に危害を与える魔剣をみずから手に取る事など、ありえないからだ」
 しかし砕音にはまったく心当たりがなく、当然、調べても何も出なかった。
 警察は蒼空学園生徒にも、ほとんど何も説明しないまま砕音について聞きまわったので、それが「砕音先生が女子校生に手を出した」という噂の元になったようだ。
 また、リコが魔剣の主となった事や、彼女が一教師に熱をあげている事に不快感を示した者がいたようで、日本の政府筋や政治団体から蒼空学園に圧力がかかったようだ。
 御神楽環菜校長本人はそうした圧力に屈する事をよしとしなかったが、今後の事を考えて、砕音を一時的に研修という形で蒼空学園から離す事にしたのだ。

 話を聞いていたラルクが、不思議そうな顔で聞く。
「リコって姉ちゃん、何者なんだ? この前ちらっと一緒したが、なんかギャーギャーうるさいだけの娘っコって感じだったぜ?」
「彼女の家は、日本国にとってやたらと重要な家柄らしい。俺はアメリカ人だからピンと来ないけどな」
 砕音がそう答えた。ベアがほっとした様子で彼に聞く。
「とにかく、先生の噂がまったくのデマでよかったよ。……でも、なんで違うなら違うってハッキリ弁解しなかったんだい?」
「弁解したら、よけい騒がれると思ったし……高根沢家云々でまた問題も起こるかもしれないからな。噂が消えるまで、俺が我慢すればいいと思ったんだよ……。まさか薔薇の学舎で、その噂にそこまで反応してる人がいるとは予想できなかった」
「シモンには後で僕の方から、先生の噂はデマだったと説明しておきましょう。それから……」
 シャンテは言いよどんで、ラルクと砕音を見る。センシティブな問題だけに言葉を選ぶ必要を感じていた。
 しかし先程からシャンテとベアの当惑を感じていた砕音が、へらっと笑って言う。
「ああ、俺ね。恋愛対象は、年上風で包容力のある男なんだわ。なので女子高生なんてムリ。恋愛ごとは封印したつもりだったし、あえて言う必要もないだろうと思ってたんだけどね。……昔、親から虐待されたのが響いてるかな、と」
 ラルクは砕音の様子を心配げにのぞきこむ。
「あとタバコの事も言っといた方がいいんじゃねぇか? あんな状態になるンならな」
「うぅ〜。ただのモク中って事にしときたかったのに……。いつも食事の後に薬飲んでるから、皆、俺が頭痛が持病っていうのは知ってると思うけど……実は、幻覚とか幻聴もあるんだ。どういう訳か、頭痛も幻覚もタバコを吸うと症状が和らぐ」
「それは病院で診てもらっていますか?」
 シャンテが尋ねると、砕音は「聖アトラーテ病院」と書かれた薬の袋を取り出す。
「うん。かかりつけで診てもらってる。ただ、まだあまり症例が無いから、根本的治療はできないって」
 ラルクがぼりぼり額をかいて、何事か考えながら聞く。
「んん? タバコを吸わねえと幻覚で頭痛って流れじゃないんだな?」
「いや、タバコで症状を抑えられてるから、それもあるけど……。そもそもの原因は……ちょっと言いたくない」
 そう言って黙りこくる砕音に、ベアが優しく言う。
「個人的な事なら、無理には聞かないよ。でも自分たちが力になれる事があったら、遠慮せずにいつでも言ってくれよな」
「……ああ。ありがとう」
 砕音は辛そうにしながらも、笑みを浮かべた。