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リアクション
未来予想図5
「おっと、中は暗いですよ。足元に気をつけてくださいね」
先に暗幕をくぐった明智 珠輝(あけち・たまき)が、ちらと振り返って微笑んだ。
「紳士ぶるなよ、うっとーしい。さっさと入れほら!」
リア・ヴェリー(りあ・べりー)は珠輝の笑顔から目を逸らし、背中を押してぐいぐいと占いの館へ押し込んだ。
「ははは、そんなに押されたら私が危ないですよ、リアさん」
「うっさい! さっさと占いなんか済ませて、愛美さん探しに行くぞ!」
「おやおやお優しい。そんなところもリアさんの……おっと?」
薄暗い部室の真ん中で、珠輝はふと立ち止まった。
珠輝がきょろきょろと周囲を見回しているので、リアも倣ってあたりに視線を放ってみる。
薄暗闇の中に、等身大の人形がいくつもいくつも居並んでいた。
「うわあ……これは悪趣味な……」
「ほほう……これは崇高な……」
「まったくだ……って、今なんつった?」
リアの問いには答えず、珠輝は手近な人形に歩み寄った。
やわらかく目を閉じた、端正な顔の女性をかたどった人形だ。
「これは素晴らしい完成度です……。ぜひうちにもひとつほしい……いいえ、むしろぜひ、私をこんな人形にしていただきたい……」
「言っておくけどな、部屋にそんな人形があるのを見つけたら、有無を言わさず粗大ごみに出すからな。たとえそれがお前のカタチをしてたとしてもだ!」
「ははは、リアさんは冗談がきつい」
微笑みながら、珠輝はすいと視線を滑らせた。
そこにもなにかお気に召す人形を見つけたのか、珠輝は「ほほう……」とつぶやいた。
「こちらもなかなか……」
「あっそ。もういい、好きなだけ物色してろ」
「しかし、そんな薄着でうたた寝しては、風邪を引いてしまいますよ?」
「……うたた寝?」
リアは眉をひそめて、珠輝がじっと眺めているあたりを見た。
そこには、冬場だというのに夏用の薄いワイシャツを着て、膝上丈のミニスカートをまとった益代が、パイプ椅子に背を預け、首筋にうっすら汗を浮かべながら寝息を立てていた。
「薄闇に浮かび上がる汗ばんだ白い肌……これはなかなかに詩的」
「このドあほうっ!」
リアが力いっぱい珠輝の膝裏を蹴っ飛ばすと、益代がびくっと肩を跳ねさせて目を開けた。
「!? えっ? 誰か何か言った!?」
パイプ椅子から転げ落ちた益代が、きょろきょろと周囲を見回した。
薄闇に軌跡を残して惑った蛍光グリーンの瞳が、最後に珠輝のほうを見上げて、ひたと止まる。
「……ああ、占い?」
「ええ。驚かせてしまって申し訳ありません」
見た目だけは純真な笑顔を向けて、珠輝が益代に手を差し伸べた。
膝裏を蹴飛ばされてからも珠輝の表情は平然と揺らがなかったが、よく見ると太もものあたりが小刻みに震えているのに気づいて、リアはざまみろと思った。
「いいえ、こちらこそ寝コケててごめんなさい。さすがにちょっと疲れたみたい」
益代は珠輝の手に頼らずに立ち上がり、揃いの黒いマントとヴェール、帽子を身につけていった。
差し出したまま宙をさまよっている珠輝の手を見て、リアはもう一度「ざまみろ」と心の中でつぶやいた。
オレンジ色の炎が、珠輝の背中にちらちらと映っていた。
部室の奥では、ぴしりと背筋を伸ばした珠輝と、すっかり黒ずくめになった益代が、立ったまま向かい合っている。
周囲には、ろうそくの香りだろうか、くらくらするほど強いバラの香りが漂っていた。リアは益代から借りたパイプ椅子に深く座りながら、ふらついてきた頭を掻いた。
「何を占ってほしいの?」
隙間風のような益代の声に、
「相性を占ってほしいのです。あなたと私の、相性を……!」
情熱的な珠輝の声が答えていた。
「また、珠輝の病気が始まった」
つぶやいて、リアはため息をついた。
バラの香りはどんどん強くなっていく。鼻の奥に、バラの花びらをいっぱいに詰め込まれたみたいだ。
どうして二人は平気なんだろうと、リアはぼんやりした頭で考えていた。
「私は、愛とは与えるものだと思っています。見返りの求めない愛こそ、至高の純愛、そうは思いませんか?」
「あなた、恋愛に関してはまるで仙人ね」
リアは鼻を鳴らした。
「お前は愛情の押し売りをしすぎなんだよ。ったく……もうちょっとこう、かけ引きしてくれたら、僕だって……」
はっと、リアは両手で口を覆った。
「なんだ。今、僕は何を言った……?」
なんてことをつぶやいたのだろう、と後悔する思考さえ、バラの香りに押し流されて消えていく。
「ひとつの恋が破れたのなら、次の恋へと向かえばいい。人類みんなを愛するならば、たとえ一日一人を口説いたとしても、人生は全然足りません」
「崇高さすら感じる考え方ね、羨ましいわ。あなたの周りにいる人は、大変だろうけど」
リアは「むう」と唸って、珠輝たちから目を離した。
暗がりに立ち並ぶ人形のひとつと、ふと目があう。
端正な顔つきを持つ、優しげな女性をかたどった人形だ。
視線を転じると、精悍な顔つきを持った男性の人形もある。
「なんだよ、こんなの。僕のほうがずっと美形じゃないか。珠輝はまったく見る目がない。っつーか、あいつはいつまであんなの口説いてるんだ……?」
パイプ椅子を蹴飛ばして、リアは立ち上がった。
足元がふわふわとふらつく。足元に視線を落として、リアは納得した。
むせ返るような香りを放つバラの花びらが、床一面に敷き詰められている。
「珠輝ィー」
珠輝の首根っこを掴んで、ぐいと引く。
のけぞった珠輝が、珍しく戸惑ったような顔でリアを振り返った。
「おや? どうしました、リアさん?」
「お前、いつまでこんな根暗そうなの口説いてるつもりだ? 僕というものがありながら、ええ!?」
「ねくッ――……!?」
オレンジ色の明かりの中で、益代の顔が引きつった。
「え、ええとリアさん? その、積極的になってくれるのは嬉しいのですが、さすがに少し失礼かと……」
「そーだ、占い師さん。ついでだから僕のことも占っちゃくれないか? 僕とこいつの相性をさぁ。こいつ、行く先々で病気のように有象無象を口説きまくって困ってるんだよ。隣に僕がいるっていうのに、何でそんな連中に目が行くんだろうか?」
「有象むぞッ――……!!」
益代が、撃たれたように胸を押さえて仰け反った。
「り、リアさん? そろそろ行きましょうか、ねっ? あんまり長居してもご迷惑でしょうし……」
肩を掴んできた珠輝の繊細な手を、リアは思い切り振り払った。
「うっさい! お前なんか、そこいらの人形と戯れてればいいだろう! ついでに、僕の代わりに好きなだけ持って帰ればいいんだ! ばーか!」
「ばっ……ばかって……あの、リアさん? ホントに帰りましょう? 多分これ、後悔するのは絶対リアさんですから!」
「うっさーい、放せぇー! 今日という今日は言わせてもらうぞ! いいかこの色ボケ珠輝、僕はお前がなぁ――……」
ぱちん、とくぐもった音がして、部室をぼんやり照らしていたろうそくの明かりが掻き消えた。
足元のバラも、頭をふらつかせる香りも、嘘のように掻き消えて、
「――はうっ」
リアの意識も、スイッチを落とすようにバチンと途絶えた。
「これは……どうしたことでしょう……?」
珠輝が、力の抜けたリアの身体を抱きとめたまま、首をかしげた。
「匂いに酔っちゃったのね。普段、よほど何かを溜め込んでいるのか……いいえ、多分わたしのセッティングミスね。ごめんなさい」
益代が頭を下げると、珠輝は「いえいえ」とかぶりを振った。
「さすがに驚きましたけど、でも、ああいうリアさんもたまにはいいものです。ふふふ」
「あら、そう?」
益代は、帽子の中に指を突っ込んでこめかみを掻いた。
「その子は、どこか空気の綺麗なところで少し休ませてあげれば、すぐ元通りになると思うわ」
「わかりました。せっかくですから、このまま蒼空学園の中庭でも見物していきますね」
珠輝は、ぐったりしたリアの肩と膝裏に腕を差し入れて、軽々と抱き上げた。
お姫様抱っこだ。
「それがいいと思うわ。……ああ、その子がここで喚いた事は、全部忘れてやんなさい。その子も多分、綺麗さっぱり忘れているはずだから」
「はい。……ああ、えっと、リアさんは前後不覚だったとはいえ、いろいろと失礼しました。あの、有象無象等々……」
「ああ、いいのよ。気持ちは分かるもの。ふふ……その子も大変ね」
益代の微笑みに、珠輝は首を傾げて見せただけだった。
「他人とは思えないわね、そういう難儀なコ」
リアは、もごもごと何事かつぶやきながら、コアラのように珠輝の首根っこにしがみついていた。
益代はひとしきり、目を閉じたリアをいとおしげに眺めてから、そっと頭を下げる。
「それでは、またのお越しを」
※
「こう? 大和、こんな感じで……いい?」
「ええ、ハニー。……さあ、力を抜いて。俺にすべてを委ねて」
「あん。やっぱ恥ずかしいよ……大和ぉ……」
身をこわばらせた遠野 歌菜(とおの・かな)の膝裏に、譲葉 大和(ゆずりは・やまと)は腕を滑り込ませた。
そのまま、大和は歌菜を抱き上げる。首根っこに巻きついた歌菜の手に、ぎゅうっと力がこもった。
「大和、足元平気? 大和も気をつけてね、躓いたりしないようにね?」
「もちろん。俺がコケたらハニーまで怪我をしてしまう」
大和は慎重な足取りで暗幕をくぐり、薄暗い部室に踏み入った。
「いらっしゃ――……」
大和と歌菜のほうを見上げてきた蛍光グリーンの瞳が、ひた、と固まった。
「……あっ、あー。別人か」
しばしの後、やわらかく細まった緑の瞳に、大和は首を傾げて見せた。
「別人、とは?」
「いえ、こっちの話よ。さっき同じような格好で出て行った二人組みがいたから、てっきり忘れ物でもしたのかと思ったの」
顔にかかった髪の毛を払いのけて、益代は立ち上がった。
「さあ、はじめましょうか。なにを占ってほしいの? 見たとこ、恋愛には何の不自由もしてないみたいだけれど」
「えっと……こう、幸せの絶頂だからこそね、未来への展望が見えないというか……」
大和の腕の中で、歌菜が言った。
益代が微笑む。
「なるほど。マリッジブルーってなわけ?」
「えへへ、そんなところです。あっ、もちろん大和と一緒になることに関して、ブルーになることはぜんぜんないんだけれど!」
「変化に対する不安と期待、ね。変化なくして成長はないけれど、安定して生きていくのには、むしろ変化は避けるべきものだもの」
言いつつ、益代はまたパイプ椅子に座りなおしてしまった。
「えっ……あの、占いは?」
「その前にすこしお話をしましょう。そっちのあなた、彼女は下ろしてあげなさい。長い時間ではあなたもきついでしょう?」
大和は、ゆっくりとかぶりを振った。
「いいえ、俺は平気です。彼女は軽いですから」
「でも、横抱きは抱かれているほうも疲れるんじゃない?」
今度は歌菜が、ふるふると首を振る。
「いえいえ、私も平気です。だって大和に全部委ねてますから」
「あらそう」
益代は、かすかに目を細めて微笑んだ。
「二人が幸せなのは分かったわ。……けれど、占いというのは、悪い結果も出るものなのよ」
「でも、基本的に当たるも八卦、当たらぬも八卦、ですよね」
大和が首をかしげると、益代はかぶりを振った。
「わたしの占いは未来を実際に見せてしまうから、言葉で言われるよりずっと影響力が強いわ。もし万が一悪い結果が見えてしまったときは、忘れようとしても引きずられてしまう。今が十分幸せなら、わざわざ不確定な未来を見ないのもまた、手よ」
大和はぐっと押し黙った。
歌菜も、大和の腕の中でうつむく。
しばらく、薄暗い部室には、三人分の息遣いだけが静かに聞こえていた。
「……それでも、私は見たいな。未来を見たい」
歌菜が、ふと顔を上げて言った。
蛍光グリーンの瞳が、試すように細まる。
「だってね、今も幸せだけれど、でも十分じゃないもの。もっともっと、私と大和は幸せになりたくて、そのために、次のステップに行こうとしてるんだもん」
歌菜が、大和の腕をきつく握った。
「だから、私は次の未来を見たい。今は想像も出来ないような、もっともっと幸せな明日を知って、それを目指して進みたい。もし予想も出来ないほど悪い未来を見たとしても、それを跳ね除けて前に進むよ。それくらいのことが出来ないと、いい未来を見られたとしても、それを掴めやしないだろうから。……ね、大和」
歌菜のまっすぐな目が、大和を見上げてきた。
サファイアブルーの瞳に輝く、まぶしいほどの強い意志。
腕の中にすっぽりと納まる、華奢な歌菜の身体が頼もしかった。
願わくば歌菜も、大和の腕が頼もしいと、そう思ってくれているといい。
もし、そう思いあっていられるのならば、怖い未来図など何もない。
大和は、深く息を吸って、頷いた。
「……ああ。たとえ悪い未来を見たって、かまうもんか。……だって」
大和が微笑むと、歌菜もいたずらっぽく微笑み返してきた。二人で頷きあい、声を合わせる。
『だって、運命は自分で掴み取るもの、だから!』
「……そう」
ふっと笑って、益代は立ち上がった。
マントの下で、指を鳴らすくぐもった音が響く。
部室の四隅に、オレンジ色の暖かな光が輝きだす。
「なら……はじめましょう」
大和は、歌菜をきつく引き寄せた。歌菜が、大和の首に痛いほどしがみついてきた。
お互いの存在を、お互いの体温を、お互いの息遣いを、間近で感じながら見た景色は、一面に広がる若葉の色と、降り注ぐ山吹色の光。
夏の訪れを予感させる暖かな風が、むせ返るような青い香りをはらませて、草原の彼方へと吹き抜けていった。
どこまでも広々と続く、まぶしいばかりの陽光に満ち溢れた草原の彼方へ。
※
「浦深益代さんって、いらっしゃいますか!?」
暗幕を両手で跳ね飛ばして、リリィ・クロウ(りりぃ・くろう)が占いの館に踏み入った。
「どうか……どうか助けてください!」
暗闇に浮かび上がった蛍光グリーンの瞳が、胡乱げに細まる。
「……ここは占いの館よ。厄介ごとなら教導団にでも駆け込むのね」
「いなくなった愛美さんの居場所を、占ってほしいんです!」
「む……むずかしいこと言うわね……」
益代が一歩あとずさった。リリィは、きょとんと首をかしげる。
「難しいのですか? 恋愛占いはすごい的中率だと聞いています、なら人探しだって……」
「わたしが的中させられる占いは、「当事者の未来に関するもの」だけよ。だから、わたしがあなたに「愛美を見つける未来」を見せるためには、あなた自身が、何らかの形で小谷愛美の居場所を知っている必要があるわ」
「それじゃあ、占いの意味がないですわ!」
「占いなんて意味のないものよ。特にわたしのはね。待ってれば向こうから幸せが歩いてくるなんてものは、占いとは言わないわ。それは魔法よ」
「そんな……」
がくっ、とリリィが肩を落として見せると、益代は少しだけ黙ってから「でも」と続けた。
「たとえば、あなたがどこかで無意識に、小谷愛美の居場所を記憶していたのだとしたら……それを、思い出させることは出来るかもしれないわね」
「本当ですの!?」
「ええ。どこかで、視界の端にでも小谷愛美の居場所を捉えていたのなら、それがヒントになることもあるかも知れないわ」
蛍光グリーンの瞳が、ちらと一瞬だけ部室の奥の暗がりを見た。
「……どう? やってみる?」
「ええ、ぜひお願いしますわ!」
益代は頷いた。
指を鳴らすくぐもった音が響いて、部屋の四隅にろうそくの明かりが灯る。
同時に、ふわっと、甘い匂いがリリィの鼻をくすぐった。
「何か匂う?」
益代が問うてきた。
「なにか……甘いにおい……。お父様が吸っていた葉巻のような……」
つぶやきながら、けれどリリィは内心でかぶりを振った。
違う。もっと、これに近い匂いを、自分は知っている……。
「あっ」
リリィの頭の中に、突然、この匂いの正体が思い浮かんだ。
その瞬間、リリィはポケットからハンカチを取り出して、口と鼻に当てる。
「どうしたの?」
首をかしげた益代に、あいまいに微笑んで、リリィはあとずさった。
「ごっ……ごめんなさいませ。ちょっと気分が悪くなってきてしまいました。また伺いますねッ!」
益代の返事を待つまでもなく、リリィはきびすを返して暗幕を潜り抜けた。
息をぐっと止めたまましばらく廊下を走って、渡り廊下から中庭に飛び出し、そこでやっと、リリィは大きく息を吸った。
「はぁ、はぁ……危ないところでしたわ……」
胸に手を当てて呼吸を整えながら、リリィはぼやいた。
「あれは、占いなんかじゃありませんわ……」
さわやかに澄んだ空気が満ちた中庭で、リリィはぼやいた。
「あれは、幻覚作用のある薬品の匂いですわ。そりゃ、当事者の知っている未来しか見られないはずです。きっと、本人の望む最高の未来が見えることでしょうね……」
ふう、と息を整えて、リリィは澄み渡った空を仰ぎ見た。
「そんな占いが流行るだなんて……。本当にみなさん、自分の望みに気づいたり、理想の未来に向かって迷いなく進むのが……下手なのですわね」
リリィは、西へと沈みだした太陽の真っ赤な光に、ふっと目を細めた。