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それぞれの里帰り

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それぞれの里帰り

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「古池や…… 蛙飛び込む……」
 黒髪のボブカット。浴衣姿のレジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)
が、龍安寺の石庭を見つめて、呟いた。
 高原 瀬蓮(たかはら・せれん)も隣で、同じに石庭に瞳を向けていた。
「…… 気持ちは、すごく分かる」
「高原さん……」
 同意してくれた。同じ光景を見て、同じに思ってくれた。レジーヌは恥ずかしさも含めて、頬を赤くした。それでも石庭からは目が離せなかった。
 風は、そよいでいない。それなのに風が歩み通り過ぎるを感じるのは、砂が描いた模様によるものだろうか。だとすると、それは視覚による情報が触覚に影響を与えているという事象を、身を持って体感しているという事になる。
「不思議、です……」
「うん。こんな見え方したの、初めて」
 龍安寺には山門左手に 『鏡容池』 という池が広がっている。池の周囲にはカキツバタ、水面には埋め尽くさんばかりのスイレンの華が浮かんでおり、赤、白、黄色など、多彩な色合いの華々を一度に楽しむことができる。
 石庭よりも先に、この鏡容池を見ていた。水面に揺れる華を見ていた、それ故…… なのだろうか、石庭の白砂がまるで揺れる水面のように見えて、風も感じたのだ。
 砂と石と木々と葉と、それから奥に見える壁も今立っている廊下の板も柱も。
 波が見えて、風を感じた。それらが成す空間から。そう『石庭』から。
 レジーヌは目を離せなくなっていた。それだけでなく−−−
「こほっ、こほっこほっ」
 息をするのも忘れていたようだ。
「大丈夫?」
「だっ、大丈夫。ちょっと見とれてて」
「うん。私も」
 この感覚が、この庭を設計した庭師さんの意図したものだとしても、それが 『石庭』 の形を成してから現在の現在まで、その意図が 『理解』 された上で 維持』 されてきたという事になる。大自然の脅威にも戦争にも負けずに受け継がれてきた。
「和の心は…… 受け継がれるのですね」
「うん」
 ただ在るだけで、訴えてくる。そこに在るだけで蓄積を感じる。
「もう少しだけ…… 見ていても、良い?」
 瀬蓮はニコリと微笑んだ。
 2人は並んで。もうしばらくの時に、砂の水面を見つめていた。



 龍安寺を後にした瀬蓮たち一行は、すぐ近くの甘味処に立ち寄った。
 赤い暖簾と、長屋の一家屋のような店構えとは幾ばくか異なり、店内には、天窓から太陽の明かりが降りる席やクロスの敷かれたテーブル席など、洋風な造りが多く見られた。
 カウンター席や座敷もある。それでも瀬蓮たちは天窓地帯の席に陣取ったのだが、一人、フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)だけは出されたスイーツを楽しめていなかった。店の柱が作った影の中に、両腕を潜らせた。
「ねぇねぇ聞いて聞いて、聞いて来ちゃったよ〜、レシピ♪」
 眉の潜まったままのフィリッパとは見事に対照的な笑みを纏いながらにセシリア・ライト(せしりあ・らいと)が戻ってきた。抱えていたガラスの器を置くのと話し始めるのとが、ほぼ同時だった。
「この水羊羹、白桃の果汁が入ってるんだって! しかもミキサーにかけてるから果汁100%なんだよっ!」
「…… そう…… ですの……」
「そうなんだよ、だから味がしっかりしてるし、桃の甘さが上手く羊羹と混ざるみたいなんだよ………… って、どうしたの? 体、傾いてるよ」
「いえ、その…… 日に焼けてしまいそうで……」
「日焼け?」
 そういえば朝の支度の時には日焼け止めクリームを塗ってくれたり、移動中には日傘に入れてくれたり。日焼け対策をしてきたフィリッパにとって、この席は当然喜べるものでは無い。
「ごめん気付かなくて。席、替えてもらうよ」
 腰を上げて立ち上がるセシリアフィリッパは止めた。
「わたくしは大丈夫です。みなさん、お楽しみですから」
 隣のテーブルではメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)シャーロット・スターリング(しゃーろっと・すたーりんぐ)が仲良く椅子を並べ座っていた。
「はい、あ〜ん」
「あぁ〜ぅ、もう良いですって!
 メイベルが差し出した菓子楊枝を、シャーロットは首をすぼめて避けていた。
「自分で食べられますよ〜!」
「遠慮しなくて良いですよぅ、さぁ、さぁ」
「あぅ〜ぅぅ、むぐっ」
 白餡の風味が口一杯に広がって、溶けてしまうかのように柔らかかった。すぐに溶けてしまう、という事は、口の中はすぐに空になってしまう事を意味している訳なので…………。
 シャーロットは慌てて辺りに目を向けた。ちょうどの、その時、向かいに座る瀬蓮の隣に久我 雅希(くが・まさき)が腰を下ろすのが見えて、彼女は飛びついた。
「お行儀、悪いですよ」
「ん? そうか? おっ、良いな 『あ〜ん』 して貰ってんのか、羨ましいぜ」
「でしょう? つ、ぎ、は〜 どれにしましょうか〜」
 どうして〜? 話しが戻ってるです〜! なんとか、どうにか……
「あっ、そう、そうですよ、ねぇ瀬蓮さんも、そう思いますよねっ」
「もちろんだよっ、お皿を持ったままウロウロするなんて! 京都の作法や心持ちを学べてないのかなっ?」
 あれっ? お説教モード? まぁ、話しは逸れてくれそうですが。
「細かいこと言うなって。ほら、どれが良い?」
 雅希が差し出した皿には、シンプルな水羊羹や、わらび餅の入った懐中しるこ、金魚鉢を模した寒天菓子や青若葉を焼印した上用まんじゅうなどが乗っていた。
「すごい、どれもキレイ」
「冷やしときゃ幾らか、もつって言うしよ。宅配もあるって言ってたぞ」
「宅配?」
「なぜトボケる…… アイリスへの土産だろ?」
「そう…… だったね……」
 瀬蓮の眉が小さく下りたのに気付いて、メイベルは菓子楊枝を置いた。
「やはり、辛いですか?」
「そんなことないよ。考えないようにしてただけ……」
「でも」
「うん、わかってる」
 いつまでも逃げている訳にはいかない、悩んでる訳にはいかない。明日、パラミタに戻れば、いつもの日常が始まるのだから。
「悩むったって、一体何を悩むんだ? アイリスが皇女様だったってだけだろ?」
「それが問題なんですぅ」
 帝国皇帝アスコルド大帝のご息女。エリュシオンの皇女様。話しが大きすぎて、もう、どうして良いのか。
「彼女の為に出来る事が無いか、と考えてる、ですよね?」
「うん…… でも、いくら考えても分からなくて」
「良いんだよ、何も考えなくて」
 雅希が寒天菓子を口に放り込んだ。それ…… アイリスへのお土産候補……。
「まだ何も起きてないんだ、いつも通りしてれば良い」
「いつも…… 通り……?」
「そんな無責任な」
「事が起きれば嫌でも、しかめっ面しなきゃならなくなるんだ。それまでは笑ってなきゃ、もったいないだろ」
 その 『事が起きた時』 にどうするかを悩んでいるですぅ……。でも、瀬蓮さんの表情が、少し柔らかくなりましたか?
 事が起きてから考えれば良いなんて、堕落への優先チケットに違いない。それでも、悩み詰まっていた彼女にとっては新しい概念だったのだろう。
 過度に悩む事はない。そう思う事で少しでもアイリスと笑みあえるのなら、今はそれでも良いのかもしれない。
 たとえそれが、一時の気休めに過ぎなかったとしても……。