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第6章 昼休み・校舎内(1)

 校庭にほぼ全校生徒が出払ってしまい、人気のなくなった校舎内。
 カツンカツンと革靴の音を響かせながら、矢野 佑一(やの・ゆういち)ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)と連れ立って歩いていた。
「わー、みんなすごいねー。もう完全に何かのイベント化してるよ」
 窓から校庭を見たミシェルは、その人人人の山に感嘆の息をつく。赤信号みんなで渡ると怖くない、とはよく言ったもので、集団心理というのは時にヒンシュク行為と言われて敬遠されることすら正当化してしまう。
「ボクたち、天御柱学院でよかったね。蒼空学園生だったら、もしかしたらメール貰ってたかもしれないもん」
 それはそれで、あの中に混ざるのは面白いかもしれない。
 どこまでも他人事で、ミシェルはスキップで前を行く。
「そうだね。貰っていたとして、叫ぶかどうかは別問題だけど」
 佑一としては、叫ぶこと自体はそれほどでもなかった。選択肢は4つある。真実を叫ぶか・嘘を言ってスマキになるか・行方不明になるか・犯人に立ち向かうか。
 叫ぶことを選んだのは本人だ。選んだ上でそれをしているのだから、そこには「この道しかなかった」という言い訳は存在しない。
 彼らは叫ぶことを選んだ。それだけのことだ。
 だが行方不明となると…。
 理解できない、妙な苛立ちが心をざわめかせる。自分には関係のないことなのに、なぜか他人事とは思えない。それが佑一には腹立たしかった。
「あ、パソコンルーム見ーつっけたーっ。
 早く早く、佑一さんっ」
 校内探索の許可を受ける際、ルミーナから前もって預かってきた鍵を使い、中に入る。
「でもさ、ここから犯人が送ってるってある? 自分のパソコン使ってるかもしれないよ?」
「犯罪者は、できるだけ自分につながる可能性のある物は使用しないという心理傾向があるから、多分それはないと思う。それに、それならそれで、可能性が1つ消えるということだしね」
 パチン。あかりのスイッチを入れて、部屋を見渡した。
 整然と機械の並ぶ教室は、空調のせいばかりでなく、どこか冷たさを感じさせる。
「うわーっ。これ、全部中見るの〜?」
 8列10段の、しめて80席。
「ムリムリムリムリ、絶対無理だってば」
「そんな必要はないから。
 まず、窓際は両側ともあり得ない。光が外へもれれば気づかれる可能性が高いからね。前列、中央位置も、心理的にまずないな。犯罪者はよほどベテランでもない限り、発覚を恐れる無意識から広い空間を嫌う。人目を気にして、背後に壁を選びたがる」
 つかつかと教室の一番後ろまで歩を進め、佑一はそのうちの1台に向かった。
「調べるのはこの6台でいいよ。立ち上げを手伝って」
「さすがにメールの送信履歴とか、消してるかもよ?」
「使用されたメールはフリーメールだから、そっちは期待してないよ。だれに送ったかなんて、今さら調べても無意味だし。おそらく犯人は、ブラウザのサイト履歴も消していると思う。
 知りたいのはそこじゃない」
 立ち上がったパソコンをすべるような指使いで操作し、イベントビューアを立ち上げ、システムに入る。
 膨大なシステムの動きが表示される中。
(……あたりだ)
 スクロールし、目当ての1点を見つけだした佑一の口元には、本人も気づかない笑みがうっすらと浮かんでいた。

「要ーっ、こっちも何かかかってますよ〜」
 東校舎2階階段で、霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)が手を振っていた。
「ちッ。だっせーな。また猫だぜ、どうせ」
 月谷 要(つきたに・かなめ)と一緒に駆けつけながら、ルーフェリア・ティンダロス(るーふぇりあ・てぃんだろす)がぼやく。
「まぁそう言うなって」
「そら見ろっ! やっぱり猫じゃんかッ」
 悠美香の横、1メートル四方の巨大な金網の中でニーニー鳴いていたのは、白黒ブチの小柄な猫だった。
 脇にはエサに使ったメロンパンが、文字通り猫のエサになっている。
「うーん、おかしいなぁ。なんでこんなに猫がかかるかなぁ?」
 猫はどこからでも入り込むとはいえ、ここ、一応校舎なんだけど。
「はッ、そうかっ! ここにはネズミの巣があって、いっぱいネズミがいるんだ。だから猫が寄ってきて――」
「そういう問題じゃねぇ」
 問題すり替えんな左フック。
「ふふっ。かわいい猫ちゃん」
 悠美香が金網から出した猫を腕に抱き、口元についたメロンパンくずを取ってやる。
「大体、この作戦自体がおかしかったんだよ、最初っから!」
 1メートル四方の巨大なネズミ捕りの金網を複数個校舎内に設置するというこの作戦は、要お得意の他人にはよくわけが分からん三段論法で生まれた『行方不明の生徒達には動物の毛→多分犯人は動物→動物を捕まえようぜヒャッハー!』だった。
 長すぎるから、もういっぺん作戦名を考え直せ、要。
「だってさ、今の混乱しまくった蒼空学園じゃおまえの殺気看破は使えないし、トレジャーセンスや超感覚でもこれといってピンとこないし。そうしたら動物捕獲作戦が一番有効だろ?」
 こんな説得に応じたオレも、案外とバカだったぜ右ストレート。
「こんな小さな猫が、人間さまを誘拐したとでも?」
「オレにどーして猫がかかるって分かるんだよ? メロンパンだぞ? 猫のエサはツナ・ササミ・カツオブシだろっ? しかも外のスーパーじゃなくてここの売店で買ったから、1個が市価の2割増しだったんだからなっ。それを10個もセットして、一番被害を被ってるのはオレの財政なんだ! 冗談でこんなことするかよっ」
 猫は肉食だが一応何でも食うんだよアッパーカット。
「まだあと2つ、罠は残ってるから。気を落とさないで、要」
 ぽんぽん。
 猫の肉球で要の肩を叩く。
「悠美香、オレの味方はおまえだけだよ…」
 ぷに。振り返った要の頬に、悠美香によって押し出された猫の爪が食い込んだ。
「ひっかかった♪
 ね、ルーさん。あと2箇所、とにかく回ってみましょ」
「はーっ。そうするしかないか。罠を回収しなくちゃなんないしな」
(……やっぱり、絶対、もう1回、悠美香とは真剣に話し合いの場を持たないといけないな)
 要を置いて階段を下りていく2人を見ながら、要は胸の中の『あとで必ずすることノート』に刻んだのだった。

「出ーせーよーっ。ここから出せーっ」
 何がどうしてこうなった?
 西校舎裏に設置していた巨大ネズミ捕り罠にかかっていたのは猫にあらず、クマラだった。
 エサのメロンパンはきれいにたいらげられているから、これ目当てでうかうか入り込んで出られなくなってしまったのだろう。
「保護者(エース)はいないのか?」
 きょろきょろ見渡す要、無言で頭痛を訴えるルーフェリア。
「あなた、犯人ですか?」
 しゃがみ込んで目線の高さを合わせた悠美香が、マジなのかギャグなのか判然としない声で訊く。
「オイラが犯人なわけないだろー? ちょっといいにおいがしたから来てみたら、袋入りメロンパンが落ちてて、だれもいないようだったから……って、どうでもいいだろー? そういうのっ」
 しゃべっていて、さすがに自分のとった行動に恥ずかしくなったのか、ごまかすように叫ぶ。
「袋入り?」
「だって、地面に置くんだぜ? もし何もひっかからなかったらもったいないじゃん。袋から出さなきゃあとで食べられるし。においが漏れる程度に上に小さい穴あけとけばいいかな? って」
 だからここのは猫も手を出さなかったんだな。
「……もう、殴る気力もねぇ…」
 猫がひっかからなかったことに得意気に胸を張る要を見て、ルーフェリアは壁に突っ伏した。
「いいから出ーせーっ、はーやーくーっ。エースやルカに見られる前に、出ーせーっ」
 ガジガジアルミ柵をかじり始めたクマラを解放し、悠美香は埋め合わせにとアイスティーの入った紙コップとアンパンを差し出した。
「あっ、それオレの昼メシっ!」
「私たち、心から謝罪します、クマラさん」
 羽交い絞めされた要の前、悠美香がクマラに言う。
「……このこと、エースに告げ口しないよな?」
「もちろん」
「じゃ、いーやっ」
 アンパンにかぶりつきながら、笑顔でクマラは走り去った。
「ああ、オレの昼メシ…」
 ガックリ肩を落とす要。
「さあ、残るはあと1箇所。がんばりましょう、そぉいっ!」

「おお……やった!」
 東校舎裏に仕掛けた最後の1個。
 ネズミ捕りの仕掛けに巨大な動物らしきものがかかっているのを見て、要は歓喜に震えた。
「うそだろ。マジかよ? おい」
 こんなバカみたいな罠にひっかかるやつが犯人? 思考回路が要と同じレベルってことか?
 ルーフェリアのこめかみを、別の意味で冷たい汗が流れる。
「ついにやったぞ…!」
 きゃっほきゃっほ。喜びのスキップで駆け寄り、テレキネシスで動けなくした要は、感極まるあまり叫んだ。
「とーったどー!!!」
 カチャカチャカチャ。
「申し訳ありません。さあ出てください、管理人さん」
 要をまるきり無視して、悠美香が罠を開けて中に閉じ込められた人物を外に出す。
 もこもこの着ぐるみ姿で罠の中で身動きできなくなっていたのは、管理人の腕章を付けたゆる族だった。
「あんたたちか、ここに食べ物を捨てていたのは」
 着ぐるみの中からする声は、管理人という職から想像するより全然若い。20代か、せいぜいが30代はじめだろう。
「捨ててたんじゃない、犯人を――ムグッ」
「黙って悠美香に任せとけ、要」
 おまえが出るとややこしくなるだろ、とルーフェリアが口をふさぐ。
「すみませんでした。こちらではノラ猫が多く出て困るという話を聞きましたので、罠を仕掛けていたんです」
「猫を? 捕らえる?」
 管理人の声が、あきらかに不機嫌になる。
(この着ぐるみ、そういえば猫っぽい…。デフォルメきついけど)
「もちろん、外の安全な所に逃がすためです。生徒たちの中には猫が嫌いな人もいるでしょう? いじめられてはかわいそうですもの」
 コロッと戦法を変えた悠美香に、管理人は納得して、機嫌を直したようだった。
「だからといって、食べ物を粗末にしちゃ駄目だ」
 管理人の手元には、回収されたメロンパンがぶら下がっている。
「まぁ、それを取りに中へ?」
 1メートル四方の檻は、どう見ても罠と分かりそうなものなのに。
「ううむ。狭い入れ物を見ると、どうしてか中へ入ってきちきちサイズか試したくなるんだ」
 猫だから。
「そうでしたの。申し訳ありませんわ。きちんと回収させていただきますので」
「そうしてくれ」
 差し出したメロンパンを悠美香が受け取ると、管理人は校舎を回って去って行った。
「助かったぜ…」
 ほっと胸をなでおろすルーフェリア。
 ヘタをすれば会長に言いつけられて、こっぴどく怒られるところだった。
「悠美香のおかげで助かったよ。ありがとう、悠美香。悠美香?」
 じっと手元に見入っている悠美香に、2人が気づく。悠美香が見入っている物、それは、数本の動物の毛が付着したメロンパンだった。

「これは……猫?」
 要が毛をつまみ上げる。
「ってことは、あの管理人より先に猫が来てたけど、袋入りメロンパンには手を出せなかったってことだな。
 なあ。これ、オレの昼メシにしていいだろっ? アンパン無くなったし」
 ……いや、ちょっと、考えるのはそこじゃないと思うが要。
「そうね。いいんじゃないかな」
 にこやかに応じる悠美香。
「どうせなら校庭で食おーぜ。面白いのやってるし」
 罠を折りたたんで回収し、すたすた校舎を回っていくルーフェリア。
「あー、見る見るっ。せっかく蒼学にいるのに、見逃しちゃもったいないよな。
 ほら、行こうぜ悠美香」
 せっかく得た情報をアッサリ投げ捨て、3人は盛況な校庭の木陰に腰を下ろし、昼食をとり始めたのだった。