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第7章 昼休み・校庭(1)

 屋上で人知れぬ死闘が続いているころ。
 下の校庭では、宴会一発芸大会ならぬ大告白大会が幕を切っておろされていた。
 既に何人かが趣味・嗜好を切々と語り、かなりの大盛り上がりとなっている中、やんややんやの喝采と共に壇上に上ったのは、メイド服姿の秋葉 つかさ(あきば・つかさ)だった。
 校庭を見回した彼女は、これまでの告白者同様、大勢の注目を浴びていることにややとまどいを見せたものの、意を決したようにやおらマイクを掴み寄せ、校舎を見上げて叫んだ。
「屋上にいらっしゃられます田中 太郎さま! 聞こえていらっしゃいますか? 秋葉 つかさは悪い女なのです! とても言葉には尽くせぬような、ひどいことをしてまいりました! どうか……どうか田中さまのお手で、この愚かな女をあーんなふうやこーんなふうにして、存分に弄んでくださいませっ!」
 しーん…。
 いや、SMはちょっと…。
 軽く引いた聴衆の前、つかさは胸のつかえを取り払えたことに満足して、次に控えていた閃崎 静麻(せんざき・しずま)にバトンタッチをした。

 静麻は、なぜ自分にきたのか分からなかった。予定では彼は、仲間たちと一緒に牙竜を弄び、その様を見て笑うはずだったのだ。
 メールが来る可能性は、蒼空学園の生徒である以上、ないとは言えない。でも今まで来なかったのに、それがよりによってなぜ今来る?
 だが来た以上、叫ばなければならないだろう。スマキにされるのも、行方不明になるのも、絶対避けたい。牙竜の弄りはこれからが面白くなるのだ。見逃してなるものかっ!
「……えー」
 こほ、と喉を整え。静麻は思い切りよく叫んだ。
「今は亡き幼馴染みのきみへ! たとえ今は会えなくても! 再び巡り逢えるのが例え1万年2千年後でも、俺の愛は変わらない! 今もまだきみを愛してるー!」
「ヒューヒュー! 熱いぜー!」
「かっこいーい」
「いやーん、ロマンチックー」
 拍手を受けながら壇上から降りる静麻の顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。
 こんな辱めを受けるのも、牙竜のせいだ。
 彼は握り締めていた携帯を開き、届いていた悠からの連絡メールを見るや、おそるべき速度で打ち始めた。

「蒼空学園に…遊びに、来たのは…いいんですけど…。一体、これは…何が、起きてるんでしょう…?
 みんな…いろんなことを…叫んでるんですけど…」
 校庭に大勢の生徒たちが集まり、口々にはやし立てる声やマイクを用いての赤裸々な告白を聞きつけた如月 日奈々(きさらぎ・ひなな)は、この異様な興奮と熱気にとまどいを通り越してパニック状態になっていた。
「なんか、面白いことやってるね。自分の好きなものを叫べぶイベントなのかな?」
 百合園である冬蔦 千百合(ふゆつた・ちゆり)はメールを受け取っていなかった。だが面白いこと大好き、イベント大好きっ子の千百合は、先の静麻の熱い告白で盛大に場が盛り上がっているのを見て、うずうずが止まらない。
「あっ、千百合ちゃん、何を…?」
「行こっ、日奈々!」
 目の見えない日奈々が大勢の人にぶつからないよう先導して道を作った千百合は、彼女を抱えて壇を上り、自分の正面に立たせた。
「日奈々。日奈々はあたしに触れて、あたしだけ感じて、あたしの言葉だけ聞いてくれてればいいから」
 肩に触れ、自分の存在を感じさせながら、見上げてくる日奈々のあどけない顔を見つける。
 千百合は、大きく息を吸い込んだ。
「あたしは日奈々の事を愛している!
 日奈々の事が大好きだ!
 あたしの事を愛してるところが好きだ!
 守ってあげたくなる儚げな雰囲気が好きだ!
 あたしの事を頑張って守ろうとしてくれるところが好きだ!
 かわいらしいしゃべり方が好きだ!
 やさしくて親切なところが好きだ!
 ちょっと独占欲が強いところも好きだ!
 人見知りで少し内気なところが好きだ!
 恥じらって赤くなってる姿が好きだ!
 向日葵のような笑顔が好きだ!
 寝起きのぽーっとした姿が好きだ!
 白杖で周りを探りながら歩いてる姿が好きだ!
 音楽を楽しそうに聞いてる姿が好きだ!
 あたしのために料理を作ってくれている時の姿が好きだ!
 抱きしめたときにすっぽりと収まる幼児体型な体が好きだ!
 舞い散る桜のようにふわふわした髪が好きだ!
 きれいでかわいらしい整った顔が好きだ!
 夜の月のような銀の瞳が好きだ!
 きれいなピンク色をした唇が好きだ!
 白くてなめらかな腕が好きだ!
 細くて繊細な指が好きだ!
 柔らかくてすべすべな脚が好きだ!
 髪の隙間から見えるうなじが好きだ!
 小さいけどかわいらしい胸が好きだ!
 あたしだけに見せてくれる秘密の場所が好きだ!
 あたしは日奈々を、日奈々の全てを愛している!」
 千百合の気迫のこもった熱い告白に、しーんと場が静まり返る。全員が、固唾を呑んで日奈々の反応を伺っていた。
「千、千百合ちゃん…?いきなり、何を…」
 千百合だけを感じて、千百合の言葉だけ聞いていろと言われても、周囲のざわめきを完全に無視することは不可能だった。
「はうぅ…」
「ひななっ?」
 あまりの恥ずかしさに、日奈々は真っ赤になって気絶してしまった。

 突然現れて激しい告白をし、気絶した相手を抱きかかえて去るという、なかなか劇的なカップルと代わるようにして壇上に上がったのは、アイリス・零式(あいりす・ぜろしき)クコ・赤嶺(くこ・あかみね)だった。
 先のカップルで盛り上がっている聴衆にはちょっと気おされてしまうが、ぜひともあの2人にあやかりたいという思いがクコにはあった。
 壇の後ろ、順番待ちをしている告白者たちの中で2人を見守る赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)は、彼女たちが何を叫ぶつもりでいるか全く知らなかった。
 実のところ、彼女たちがメールを受け取ったとき、霜月は彼女たちを絶対に守る決意だった。だが、2人はメールを無視することよりも、叫ぶことを選んだ。――クコはともかく、アイリスはいまいちメールの主旨が理解できているか分からない表情をしていたが。
 2人がこんな大勢の注目を浴びていることにちょっとはらはらしながらも、2人の意思を尊重することに決めたんだからと自分に言い聞かせながら、壇上を見つめる。
「どうする? 先にいく?」
 クコの言葉にこっくり頷くアイリス。
 霜月の想像通り、幼い彼女には「あつきおもいのたけ」が全然分かっていなかった。
 くるっと聴衆に背中を向け、後ろの霜月に向き直る。
「霜月!!! おなかが空きました!!! お昼食べたいであります!」
 かわいい告白に、どっと沸く聴衆。壇を下りて駆け戻ってくるアイリスを複雑な気持ちで抱きとめていた霜月だったが。
「霜月!」
 クコに名前を呼ばれ、壇上の彼女へと目を戻す。
 クコもまた、霜月を見下ろしていた。何らかの決意を秘めた赤い目が、霜月の胸をかき乱す。
「クコ…?」
 何を叫ぶ気ですか?
 嫌な予感めいたものを感じた霜月の前。クコは声の限り叫んだ。
「私、そろそろあかちゃん欲しいーっ!!!」
 いやいやそれはストレートすぎるだろう。
 聴衆の何割かが妄想にかられてニヤつき、何割かは真っ赤になって顔を伏せる。
 だが、名指しされた当の霜月のパニックは、彼らの比ではなかった。
 頭の先まで真っ赤になった霜月は、一気に壇を駆け上がるとクコの手を引っ掴み、2人でじっくり話し合える場に向かって逃げ出していった。

「……あー。なんか、すごかったですねぇ…」
 止めていた息を吐き出しながら、神和 瀬織(かんなぎ・せお)はうっとりとそう言った。
 言葉は過激だったものの、込められた彼女の深い思いはロマンチックで、それだけ想える相手がいるのは、ちょっぴり羨ましい気もする。
 こんな場所で叫ぶ勇気はないし、叫ぶ対象もないから、自分のところに来なくてよかったという気持ちは変わらないけれど、でもやっぱり、ほんのちょっとだけ羨ましかった。例えばクリスと綺人とか。自分たちとのときとは微妙に違う空気の漂う2人の親密さに、自分ももしそういう相手がいたらどうだろう? と想像することはときどきあった。
「瀬織、こぼれそうになっているぞ」
 ユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)の言葉にあわてて手元に注意を戻す。お昼ごはんのペンネがフォークからこぼれて、コロコロ膝に転がってしまっていた。
「きゃっ、ごめんなさいっ」
 大急ぎ、地面に転がり落ちる前に受け止める。膝には紙ナプキンを広げていたから、制服にソースがつくことは避けられた。
「ごめんなさい。せっかくのユーリのおいしいお弁当が…」
「気にすることはない」
 ペンネを置いた瀬織の手を取り、ついたソースをナプキンで丁寧に拭き取ってくれるユーリの伏せ目がちな顔に見入る。
 端正で、とてもきれいな顔立ちをしているのは瀬織にも分かった。ちょっと表情に乏しくて、他人からは無感情に見えるらしい。そんなユーリを、謎めいた人としてきゃあきゃあ騒ぐ女生徒も一部にいるらしいけれど、瀬織たちには全然そんなふうには見えなかった。
 今もこうして触れられたり、世話を焼かれているが、何のときめきもない。
「やっぱりわたくしには、無縁の感情ですわね」
「ん? どうかしたか?」
「あ、いえ…。
 ああほら、クリスの番がきたみたいですわ」
 人の頭越しに壇上に上がったクリスが見えて、瀬織が指さす。その手を追って、ユーリもクリスに向き直った。
(クリスと綺人はもう結ばれているというのに、わざわざこんな場で告白しなくてもよいのではないでしょうか?)
 そう思いつつ、瀬織はクリスの言葉を待った。

 告白者の大半と同じく、クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)もまた、なんでこんなメールが自分に届いたんだろう? と内心頭をひねっていた。
(しかも、なんで私だけなんですか? アヤにも瀬織にもユーリさんにも来てないのに。
 「日ごろの行いが悪いからだろう」って、ユーリさんも言うに事欠いて失礼な! 一体私が何したって…………ああ、ごめんなさい。いっぱいかけてます。特にユーリさんに)
 思い当たる節が無いでもない、つい先日の出来事を思い出して、クリスは目を覆ってしまう。
 誤解が元で、ユーリを攻撃してしまったのだ。
 そのほかにもいろいろと、いろいろと、いろいろと…。…………。
(――はッ。いけない、どん底へ落ち込むところだったッ。
 なぜ届いたかはともかく、メールが届いたからには愛を叫ばなくっちゃ! もちろんアヤに向けてよ? アヤのことを考えて、アヤのことだけでいっぱいいっぱいになって、熱くなった胸の思いを込めて――)
「アヤーっ、好きです! 大好きです! 私はずぅっと、アヤの剣であり盾ですからねーっ」
 それはマイク無しでも校庭の端から端まで響き渡る、おそるべき声量による叫びだった。最前列にいた者たちが、鼓膜が破れそうになって思わず耳をふさぐほどの。
 だがこの叫びに一番ビックリしたのは、飲み物を取りにダイニングルームへ行っていた神和 綺人(かんなぎ・あやと)だった。
 自分が席をはずしている間にクリスの携帯にメールが届いていたことを知らず、完全に事件とは第三者のつもりでいた綺人は、壇上のクリスに気づかないまま瀬織やユーリの元へトレイを運んでいたのだが、そのとんでもない告白を聞いて、まるで後ろから突き飛ばされたようにバランスを崩し、前のめりにこけかけてしまった。
 なんとかこけることは免れたものの、どんがらがっしゃん、とトレイと飲み物4人分をまき散らしてしまう。
 その音を聞きつけて、全員が彼の方に向き直った。
 数百の目に注視され、うろたえる。
「ぼ、僕…」
 そこで初めて壇上のクリスに気づき、綺人は事態を悟った。
(クリス、メールが来たんだ。……って、僕も叫ばないとダメ? いや、もちろんメールは来てないけど、クリスからの真剣な告白なんだし、返さないといけないんじゃないかな。彼女だけ叫ばせて、自分は逃げるなんて、そんなこと絶対できないよ。恥ずかしがってる場合じゃないんだ)
 数瞬の逡巡ののち、綺人は意を決して握り拳を固めた。
「僕もクリスのこと好きだよ! これからも、ずっとずっと一緒にいてね!」
 綺人の返答に、わっと歓声が上がる。
(いつか、この身が朽ち果てる瞬間まで、クリスがそばにいてくれたらいいな…)
 綺人は心の底からそう思って、クリスと見つめ合っていた。

 ふっふっふっふっふ。
「ついにっ、ついにこの煙の番がきたのです!」
 おとなしく列に並んで順番を待ち、ときには割り込まれながらも黙って我慢の子でいた不動 煙(ふどう・けむい)は、プリントアウトした紙を握り締めながらそう叫ぶと、感無量の面持ちで震えていた。
 あんなメールの存在を知って、これだけ歓喜している人間もめずらしい。というか、彼だけなんじゃないだろうか?
 葦原明倫館の学生である煙には、残念ながらメールは来ていなかった。しかし蒼空学園に来てメールの存在を知った彼は、その文面を何度も何度も食い入るように読んで、思ったのだ。
「叫ぶ。叫べるのですよ、この胸にたぎる熱い思いを大勢の人々の前でっ!」
 うん。それはたしかにメールの主旨に沿った正しい受け取り方で、間違いはないのだが。
 ……なんだかな〜?
「煙にぃ。それ、どう見ても不幸の手紙っぽいよ〜。やっぱ、今日は1日部屋にこもって実験でもしててさ、出歩かなかった方がいいんじゃなかったの? それとも冥利連れてきた事に理由ある!?」
 不動 冥利(ふどう・みょうり)がキョロキョロ周囲を見渡しながら言う。どこか動作が不審な人物はいないか、あのメールで得する人間はだれか、見定めようとの思いだったが、傍らで目を輝かせ、嬉々としている煙が一番怪しい人間だったので、成果はなかった。
「あぁ、たくさんの目が煙を見つめ、この口から発せられる言葉を待っています。なんてすばらしいことでしょう」
 冥利とともに壇上に上る煙は、その一段一段すら堪能するように、ゆっくりと踏みしめていく。
「彼らの前で、今からこの胸を熱くさせている愛を叫ぼうと思います。さあ、そろそろ告白しますか…」
 煙が大きく息を吸い込んだとき。
「ちぇすとぉーーーっ!」
 スコーーーーーーーーーン!
 突然屋上から放物線を描いて飛んできた小玉スイカが彼の頭を直撃した。
「うわっ! 煙にぃ! 煙にぃっ?」
 パッカリ割れて転がったスイカと、その真ん中でバッタリ倒れた煙。
「大丈夫? 煙にぃ! 目を覚まして……だから言ったんだよ、あれは不幸の手紙なんだって〜〜」
 ペチペチ、ペチペチ。ほっぺたをはたいて気づかせようとする。
 完全に意識を失った煙の頭頂部には、早くもぷくーっとたんこぶが膨らんできていた。