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リアクション
第三章 ゴキブリ軍団大行進その1
「あら、電気がついたみたいですね」
電気が復旧したという事は、クレーメック達の作戦の第一段階が成功したということだ。しかも、最初の予定時間よりもだいぶ早い。沙 鈴(しゃ・りん)は後輩達の活躍に一人うんうんと満足そうに頷いた。
「もう電気もつきましたし、そろそろ離れてくれませんかねぇ、董琳教官?」
蛇を殺せそうな満面の笑みを浮かべて、鈴は董琳に話しかけた。
何を隠そう、董琳の首根っこを掴んで倉庫の中に引きずり込んだのは鈴その人である。
同僚のよしみで、お手伝いに来たのだ。が、確かにゴキブリとかダニとか好き好む人はいないであろうとはいえ、完全にヘタレモードになっていた董琳にイラッとしてしまい、ついつい彼女を無理やり中に引きずり込んでしまったのである。
現在、董琳は鈴の腰にしがみついている。鈴の問いかけにもただ首をぶんぶんと振るだけで、一向に放す気配がない。鈴はため息をついた。
「電気がつくと随分と印象が変わりますね」
共に探索をしていたクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)は少し驚いた様子だ。
「そうね。これで、カビに怯えなくてすむのは助かりますわ」
倉庫の中で、一番恐ろしいモンスターはゴキブリでもダニでもなくカビだった。
空を漂う粉末の塊は、真っ暗な倉庫の中では中々見つけづらく、不意に接近されてしまう可能性が高く危険な相手だ。一応、内部に潜入する部隊は全員が防護服を装備しているが、それで完全に防げるかどうかの臨床実験は行われてはいないのが実情である。
「これでしたら、サンプルの採取ができそうですね」
クレアは、駆除に参加してくれるだけでなく、董琳の報告書の手伝いをしたいと考えていてくれていた。衛生科としての勉強も兼ねていて、特にカビが気になっているそうだ。
「そうですね。でも、視界が確保できたからといって、無理をしてはだめですよ」
「はい」
後輩がこんなに逞しく育ってるのに、と鈴は少し悲しくなった。いつになったら、董琳は及び腰でびくびく歩かず、もっとシャキっとしてくれるのだろうか。
そりゃあ、最初にわざとゴキブリを見逃して董琳を襲わせたのは悪いとは思うが、それにしてもあんまりである。
「沙教官、董琳教官。ただいま戻りました」
駆け足で三人に合流したのは、大岡 永谷(おおおか・とと)である。
「ご苦労様です」
永谷は、このパーティで偵察を担当していた。パーティより一歩早く前に出て、状況を確認するという危険な役割だ。
「電気もついたみたいですが、俺達はどう動きますかね?」
「そうですね、確かクレーメック殿達が戦闘部隊の指揮を執るんでしたわね。監視カメラを使うという話でしたし……」
う〜ん、と鈴は考える。ゴキブリやダニはさして危険な相手でもないし、電気がついた今ならダニもそこまで怯える必要はないだろう。一名の役立たずを抱えている段階で、機動性も低く、このパーティの価値はさほど高くない。
「一旦、外に出るこ―――」
とにしましょうか。と言おうとしたら、防護服を着ていてあまり顔も判別でない状況で、
董琳が満面の笑みを浮かべたのがわかったので、そこで言葉を止めた。
「そうですわね。我々は、秘蔵されている危険物を確認していおきましょう。どさくさに紛れて盗まれていたり、壊れてしまったりしていないかなど、早い段階でチェックしておきましょうか。幸い、董琳教官も一緒ですしね」
ね。と董琳にダメ押しして、持ち込んだ倉庫内の簡単な略図を広げた。
「では、ここから順番に。もちろん、駆除も目的ですので、見かけたら倒していきます。でも、決して無理だけはしないように。いいですね?」
「はい」
「はいっ」
電気が点いたので、周囲を警戒しながら固まって動いていた董琳達一向は、妙な声と戦闘音が聞こえて足を止めた。
「少し、見てきます」
永谷の言葉に鈴が頷き、足音を忍ばせて彼は音のした方に向かっていった。
「うっ……」
角を曲がったところで、猛烈な異臭がして永谷は顔をしかめた。
その先は、ゴキブリやダニの死体が通路を埋め尽くしていた。どれも、あまり綺麗ではない殺され方をしている。
「おら、おら、おら、オラァッ! どうした、どうした。お前等全員そんな弱っちぃのかぁ! もっと俺を楽しませてみせろよぉ!」
赤黒い長ドス状の光条兵器を振り回しながら、次々とたかってくるゴキブリやダニを切り伏せていたのは、白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)だ。
「さっきから、真正面から突っ込んでくるだけじゃねぇか。体はでっかくなっても、頭はちっこいまんまなのかぁ、えぇっ!」
次々と仲間が切り伏せられているというのに、ゴキブリもダニも数を減らすどころかどんどんそこに集まっているようだった。恐らく、仲間の死体が発している匂いに呼び寄せられているのだろう。報告には、互いに互いを餌としてるような事や、食料が足りていないなどの記述があったのを永谷は思い出した。
「くっくっく、汚い汚い言われてるお前だけどなぁ、世の中にはてめぇらなんかよりずっと汚ねぇ生き物がいるんだって、知ってるか? ああ、知らないのか、んじゃ教えてやるよ。そいつはなぁぁ、人間っていうんだよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
竜造は、何故か配られたはずの防護服を装備していなかった。おかげで、全身は返り血か返り体液というのかはわからないが、ドロドロしたものでぐちょぐちょになっていた。それを全く意に介さず、次々と害虫を切り捨てていく姿には凄みみたいなものがある。
実を言えば、彼はシャンバラの生徒ではなくこっそり内部に潜入したので、防護服をもらっていないのだ。そんな彼の目的は、ゴキブリやダニをこうして切り伏せていく事他ならない。外でちまちま倒していくよりも、こうして次々と現れる敵をばっさばっさと切り倒したくてたまらなかったのだ。
「このボケどもがぁ!」
その表情は、狂気と歓喜に満ち溢れていた。
永谷は気づかれぬように教官のところに戻ると、今見たものを簡潔に報告した。その結果、危なそうなので近づかないようにしましょう、という事になり、竜造の孤独な戦いは誰に邪魔されることもなく暫く続くこととなった。
「イィィィハァァァァ!」
「案外、教導団も抜けているというか、もう少しカチッとしてるイメージがあったんだけど、こうも簡単に潜入できるもんなのね」
防護服に身を包んだヴェルチェ・クライウォルフ(う゛ぇるちぇ・くらいうぉるふ)は、少しつまらなそうにそう漏らした。
「簡単に入れないようなら、わらわは返っておったじゃろうな。全く、なんじゃここは、忌々しい虫どもで溢れておって……」
クレオパトラ・フィロパトル(くれおぱとら・ふぃろぱとる)は、先ほど凍らせたゴキブリをなるべく見ないように進む。彼女も、防護服を着用していた。
「確かに。気持ち悪い奴が大きくなると、もっと気持ち悪くなるのね。まぁ、弱いからマシだけど。それにしても、ここの管理って本当にずさんなのね。危険物倉庫なんて仰々しい名前をつけるんなら、もっとちゃんとしとけばいいのに」
巨大化した不快害虫が動き回ったせいなのか、棚が壊れて魔道具が床に転がっていたりしている場所がいくつもあった。
「それに、実際に危険物とは言えぬものもたくさんあるようじゃな。倉庫、というよりは物置みたいな扱いだったようじゃ」
音に反応して踊る造花、なんて一体どの辺りが危険なのかよくわからないものもあった。
「だね。気持ち悪いもの見た損にならなければいいんだけど」
こんな会話をしている二人の目的は、もちろんこの騒ぎに乗じてお宝を頂いてしまおうというものだった。
火事場泥棒とも言う。
しかし、秘術科の倉庫というだけあって、見つかるものは用途があまりにも限定的なものだったり、そもそも意味がわからないものだったり、と思った以上にお宝らしいものが見あたらないでいた。
まぁ、ここで起きた事件が不快害虫の巨大化である。推して知るべし、というものかもしれない。
「品数だけは豊富にあるみたいだから、怪しまれない程度に片付けしながら、もう少し探してみよっか」
「そうじゃな」
二人がのほほんと悪行を続けているのを、少し離れた場所で監視している人物がいた。
戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)である。
「魔道具欲しさに、こういう事をする輩がいるとは思いましたが」
火事場泥棒が出る危険性は、深く考えるまでもなく想像がつくことだ。だが、今回の作戦を指揮するはずの董琳教官は、どうやら自分の事で精一杯のようでそんなことを考える余裕もないようだった。
ならば、その事に気づいた自分が動くのは当然の考えだ。幸い、垂も同じように危険性を感じていたため、他校生を中に入れない方向で進めることになった。他に、消毒名義での所持品チェックなどの方法を提案している。外では、これは他校生が行っているのだが、今回の作戦用の簡易シャワーを設営している。作戦関係者全員にその施設を使用してもらえば、所持品チェックなどの作業もはかどるだろう。
そうして一通り段取りを整え、駆除作業も兼ねて巡回を行い始めた矢先にヴェルチェとクレオパトラの二人を見つけたのである。
「やれやれ、気は進まないですが、とりあえず捕まえておきますか。説教は董琳教官にでもお願いしますかね」
小次郎は二人に声をかけようと、近づいていく。
声をかけようとしたその直後、いきなり電灯が割れて周囲を暗闇が包む。明かりに目が慣れてしまっていたため、殆ど何も見えない。
近づいたのが二人にばれて、電灯を破壊して逃げようとしたのか。小次郎はそう考えたが、事実は違っていた。
「なに、えっ!」
「なんじゃ、いきなり、うわぁっ!」
すぐ目の前から悲鳴が聞こえた。
誰か二人の悪行に気づいて攻撃を加えた?
まさか、だとしても電灯を破壊する理由がわからない。それに、いくらなんでも不意打ちで攻撃を加える必要はないだろう。やり過ぎだ。
「誰だっ!」
小次郎は声を荒げて、【アーミーショットガン】を目の前に構える。
問いかけに返事は無かったが、それが何なのかはすぐにわかった。あの動く時になる独特のカサカサという音が、それが何なのか如実に物語っていた。
「ゴキブリ? しかも、なんて数ですか……くっ」
やっと暗闇に順応して来た小次郎の目が捉えたのは、まるで津波のように一塊になったゴキブリの大群だった。それも、物凄い勢いでこちらに迫ってきている。
引き金を引こうとして、しかし彼はそれを引き絞ることはできなかった。ゴキブリの津波に飲み込まれているのか、姿は見えないが先ほどの二人はすぐ目の前にいるはずである。
「このまま撃ってしまっては、あの二人にも……っ」
一瞬の迷いのうちに、ゴキブリの津波は小次郎を飲み込んだ。
原 萌生(はら・もえにいきる)は、壁によりかかって大きく息を吐いた。
気分が悪い。ゴキブリやダニの想像以上の気持ち悪さからか、それともカビが飛び交うような場所に居るからか、とにかく萌生は気分が悪かった。
このままでは、虚弱体質な自分でも立派に戦闘をこなせることを証明したい、という目的が達成できないと焦る気持ちはあるのだが、やはり気分が悪い。分厚い防護服の中でもし………してしまったら、取り返しのつかない事になってしまうので、無理をするのも怖い。
「うぅ……せめて、防護服がなければ気にせずにいられたのであろうに」
そういう問題でもない気がしないでもないが、萌生はそこで少し休憩をいれる事にした。
幸い、一緒に行動しているトマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)の策が恐ろしいほどうまくいっているため、自分ひとりがちょこっと休んでも大丈夫だろう。
「よーし、それじゃ持ち上げるよー」
切裂木 浮螺(きりさき・ふら)が、ゴキブリを【サイコキネシス】で捉え、その体を空中に浮かばせる。
「よっしゃ、これでもくらいやがれ」
トマスは、その手にあるオモチャみたいな銃を浮かんでいるゴキブリにむかって撃った。パシュンと、少し気の抜ける音がして拳ぐらいの大きさの弾がゆるやかに飛んでいく。
弾は当ると、中に注入されていた液体を撒き散らす。液体は、洗剤だ。
洗剤を浴びてしまうと、ゴキブリは呼吸ができなくなって死ぬ。この弾一発では効果が薄いが、何発か打ち込めば窒息死させることができるのだ。
「ゴキブリを潰したくないからって、必死ですね」
洗剤が自分にかからないように、パラソルを開いている魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)はやれやれと首を振る。
「ゴキブリ潰すとか、ダメ、ゼッタイ。」
トマスが吠える。
「えー、でもゴキブリでたら、新聞紙やスリッパでバン! ってやった方が早いよね?」
「そんな事したら潰れたりして大変だって!」
この作戦に参加してひしひしとトウマは感じていたが、ゴキブリに動揺しない人が多すぎるのではないだろうか。浮螺も、全く気にしていないようだし。
「この作戦に参加してると、僕や董琳教官の方が変なんじゃないかって思えるよ……」
董琳は中に入るのを随分嫌がっていた。普通は、それが正常な反応だとトマスは思う。思いたかったが、みなさほど動揺することもなく、というか思った以上に弱いとか楽しめないとか、そんな愚痴を言う始末だ。
「ゴキブリだって、食用のものもありますよ?」
子敬がしれっとそんな事を言う。
「マジで?」
「マジ、ですよ。まぁ、飛行機でなければ空飛ぶ生き物は何でも食べますね」
「おいしいのかなぁ?」
「どうでしょう? おいしいと食べる人もいますけど、私は遠慮しますね。他に食べるものならいくらでもありますし」
こんなくだらない事を談義できる余裕があるのは、既に駆除作業のほとんどが片付いている段階だからだ。電気がついてしまえば、ゴキブリやダニを見逃すこともなく、皆の動きを統制すれば簡単に追い詰めることができる。その上、監視カメラを用いて常に全体を監視している。
「さて、どうしますかね。一応、持ち場は片付けてしまいましたが」
「あんまり動き回るより、こっちに逃げてきた奴を潰す方がいいんじゃないか?」
「そうですね。こっちは裏口に近いですし、裏口を固めるようにしますか……おや?」
「どうした?」
「いえ、ほら、あそこに人が。こっちに向かっているようですが……?」
子敬は、言いながらも妙な違和感を感じていた。
人影は一つ。誰かと行動を共にしている様子は無い。ここに入る時、半ば強制的にパーティを組まされているはずなのに、だ。
そして、その人影は防護服を着ていない。入る人は、絶対に着用しろと押し付けられたこの鬱陶しい防護服をだ。
「ごめんなさいっ!」
いきなり、その人影はこちらに向かって走り出した。しかも謝りながら。
「何がなんだかわからないが、とりあえずそこのお前、止まれ!」
と、トマスは咄嗟に手に持った銃をそいつに向けた。すぐにその銃が飛び出すのは洗剤だというのを思い出したが、だったらととりあえず撃ってみた。
もちろん、人間が洗剤をひっかけられたぐらいでは止まらない。
「よくわかんないけど、止めればいいんだね。僕に任せて」
【サイコキネシス】で動きを止める。
「くっ」
浮螺がその人物を捕らえる。どうやら、それは女の子で、しかも珍妙な仮面をしていた。蝶を象った、仮面舞踏会とかでつけてそうなアレである。
「よくやった」
「さて、あの変な仮面をはがして何をしようとしていたか聞いてみますか……ん?」
「あれれ?」
「おい、どうした二人とも!」
浮螺は、いきなり体の力が抜けたようにその場につっぷす。子敬も、調子が悪そうにその場に膝をついていた。
「ごめんなさい。ほんの少し、ここでお休みしていてください」
「何を言っているんだ……なっ……ぐっ」
トマスの視界がぐにゃりと歪む。
「何を……したん、だ……っ」
わけがわからないまま、トマスは意識を失った。
浮螺と子敬の二人も、意識を失ってその場に倒れている。
「……なんとか、うまくいきましたね」
そう安堵したのは、ジーナだ。
「なるべく穏便に済ませたかったのですが……」
ジーナは倒れている四人を見つめて、苦虫を噛み潰したような苦い顔をする。
だが、基本的に害虫を駆除したい彼らと、害虫を助けたい彼女の考えは対立している以上、このような状況も想定の範囲内ではある。
「この、装備している人を記憶し辛くする仮面が効果を発揮してくれていればいいんですけど」
途中の倉庫で偶然見つけた魔法具である。効果はともかく、デザインはあまり万人受けするようなものではない。色も装飾無闇に派手で、むしろ印象に残りそうだ。
思った以上に【毒虫の群れ】の効果が強すぎるような気がするが、戦闘にならなかったのはありがたい。なにせ、彼女は本命なのだ。
彼女の後ろには、卵を抱えたゴキブリ達が待機している。
が、一応心配なので、解毒薬とごめんなさいという書置きを残しておいた。
「さぁ、みなさん。ここから先が正面場ですよ」
外には、恐らく逃げ出してきたゴキブリやダニを駆除するために人員が配置されているはずだ。それを掻い潜り、さらに大荒野を越えていかなければインスミールの森にはたどり着けない。
その工程で、どれだけ生き残れるか。そもそも、外に出てすぐに壊滅させられる可能性だってある。周到に用意した作戦と違って、ジーナ達の行為はほとんどが運に頼るしかない。
「怖いですね。もしかしたら教導団を敵に回してしまうわけですし。でも、この子達の為に動く人が、一人か二人ぐらいいてもいいですよね」
一匹のゴキブリの背に乗って、ジーナは進めの合図をおくった。
【野生の蹂躙】による、一点突破。あとはもう、とにかくうまく行くことを祈るだけだ。