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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

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第7章 3〜4時限目――さてさて何ができるかな

「というわけで周囲をご覧ください〜。家庭科室の1つ、調理実習室でございま〜す」
「3時間目と4時間目で調理実習ですって。今日は何を作るんだろうね」
 校長室での騒動を知らぬまま、静香たちは家庭科室にやってきていた。2時限分を使って、今日は調理実習を行うというのである。
「調理実習ですか……」
「ん? 何か思い出でもあるの?」
 何かを思い出すかのように目を細める弓子に静香が振り向く。
「いえ、調理実習で作った料理って、大抵はそのままお昼ご飯になりますよね? その日に限ってお弁当とか持ってきてたら……」
「なんかわかる気がするなぁ……」
 静香だけではなく、共に見学していたテスラ・マグメルと藤井つばめも頷いた。どうやら2人も似たような経験をしたらしい。
 そうこうしている内に教師が入ってきて、今日の調理メニューを発表する。
 メインとなるものは「カレー」で、それとは別に「洋菓子」を1品。それが今回の課題のようだ。材料は一通り揃えてあるので、好きなものを勝手に使って構わないという。
(え、カレーに、洋菓子?)
(いや、いくらなんでもそれはちょっと取り合わせ、おかしくない?)
(っていうか『洋菓子』って、ちょっとアバウト過ぎない?)
 一部の生徒たちの間でどよめきが走るが、ホワイトボードの前に立つ教師のほんわかとした顔を見ていると、細かいところを気にしたら負けだという雰囲気になってしまう。
「材料の指定もしないなんて、随分とアバウトじゃないですか、校長先生?」
「意外とアバウトなのがちょうどいい、ってこともあるんだよね。例えばほら、あそこにいる人なんかを見てたら――」
「?」
 小声で話し合う弓子と静香。その静香が指を差す方を見ると、そこにはカレー粉、ではなく、何やら木の実に細長い葉など様々なものをテーブルの上に並べていく女生徒の姿があった。
「え、あれってまさか、スパイス? まさか彼女、あれからカレーを作るつもりなんですか?」
「ここは言ってみれば『お金持ちのお嬢様』が通う学校だからね。だからああして自腹を切って材料を買い集めて料理を作る、っていう荒業もできるんだ」
「さすが百合園……。で、スパイスを買い集めて持ってきた彼女は何者なんですか?」
 彼女こそ、ヴァイシャリーは百合園女学院学生寮に程近い所に店を構え、スパイスや香料系専門の創作料理を提供する【焙煎嘩哩『焙沙里(ヴァイシャリー)』】のオーナー、ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)である。
 ネージュが様々なスパイスを持ち込んでいるのは、半分は偶然である。彼女は先年バデス台地にて行われた新入生歓迎のオリエンテーリング――その当時は蒼空学園の主催だった――に参加して以来、スパイスからの手作りカレーにはまり、スパイスを常備するようになったのである。そして今日の調理実習は偶然にもカレー。これ幸いと彼女は常備しているスパイスを使うべく、荷物から出しているというわけだ。
 もちろん単なる趣味でスパイスを持ち込んだわけではない。彼女の最大の目的は、今日の実習でチキンカレーを作り、それを静香と弓子に振る舞うことなのだ。
(あたしの作るカレーを味わってもらって、学園生活を楽しんでもらうんだもん。幸いカレー作りは大得意だし、これがうまく成仏に繋がってくれればいいよね!)
 そのための手作りである。彼女は数々のスパイスをミルに放り込み始め、準備に取り掛かった。
「クミンに、ターメリック、シナモン、コリアンダー、カルダモン……って、あの粉はガラムマサラ? うわぁ、本格的ですねぇ」
「えっ、弓子さんってこういうの詳しいの?」
 放り込まれるスパイスを見て驚く弓子だが、そんな彼女がスパイスの名前に詳しいところにネージュの方も驚く。まさか、こんなところで本格カレーの同士に出会えたということか?
「いえ、特に詳しいっていうわけではないんです。テレビ番組で紹介してるのをよく見ますので、それで自然と覚えちゃったんです」
「なるほど〜」
 残念ながら同士ではなかった。だが自分のカレーに興味を持ってくれたのは非常に嬉しいことだ。気を良くしたネージュは俄然やる気に溢れる。
「1時間半後を楽しみにね、弓子さん。おいしいチキンカレーを作ってあげるからね!」
「はい。楽しみにしてます」
 スパイスはまだ粉にしない。今ここでミルを動かしてしまうとせっかくの香りが飛んでいってしまうからだ。だからスパイスを用意した後は、他の部分の調理に入る。
 それからしばらくの間はネージュの独壇場だった。その素晴らしき調理を細かく描写できないのが非常に残念なところである。

 調理実習に臨む生徒の動きは様々なもので、ネージュのように「他人に振る舞う分も作る」者がいれば「自分ないしは周囲の分だけ作る」者もいる。カレーに集中する者、洋菓子に集中する者、両方作ろうとする者、軽く見回しただけで個性豊かな生徒がいるというのを、静香と共に見回っていた弓子は思い知ることとなった。
 2人が立ち寄った1つのテーブルでは、ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)と七瀬歩――後者はほとんど手伝いに回っていた――が洋菓子作りを手がけていた。
「あ、静香せんせー。それにゆうれいのおねえちゃんです」
 静香と弓子の姿に気がついたのか、ヴァーナーはすぐさま2人に駆け寄り、いきなり弓子に抱きついた。「抱きついた」とだけでは先だってのエミリア・レンコートを髣髴とさせかねないが、ヴァーナーは身長130cmの12歳である。つまり彼女の抱きつきは、子供が母親にくっつくような彼女なりの挨拶なのだ。
「ごきげんようです、おねえちゃん」
「はい、ごきげんよう、ヴァーナーさん。さっきは大変だったみたいですね」
「そうなのです。にほんごはニュアンスとかが色々とむずかしいのです」
 2時限目の日本史の授業中、名前からして外国人であるヴァーナーは誰が見てもわかるように頭を抱えていた。その姿が非常に微笑ましく、弓子はそれをよく覚えていたのだ。
「パラミタの人のことばならすぐにわかるですが、それ以外はなかなかきびしいものがあるです」
 ヴァーナーのその発言は間違いではない。
 地球人とパラミタ人では互いに使う言語は異なる。だが、この両者がパートナー契約を結ぶとそれらの問題は解消されるのだ。契約という神秘がなせる業なのか、例えば地球人が自国の言語を話すと、パラミタ人の耳にはパラミタの言葉として聞こえ、逆にパラミタ人がパラミタの言葉で会話すると、地球人には聞きなれた言語で翻訳され、話す内容が理解できるという具合である。
 ただしこれは地球人・パラミタ人間に適用される特性であり、同じ地球人同士ではこれは適用されない。それを補うのが、契約によってもたらされる「知性強化の恩恵」である。契約者となった者の知性は、ほぼ例外なく学者並みのレベルに引き上げられる。つまりその頭をもってすれば、多少の勉強は必要になるが、いわゆる「オール・バイリンガル」になることも不可能ではないというわけだ。もちろんヴァーナーのように「ニュアンスを読み取るのが難しい」という問題は残るのだが。
「確かに日本語って、難しいところありますよね。私でもわからないところはありますし」
「おねえちゃんもそうなのですか」
「ええ、そうなのです」
 くすくすと弓子とヴァーナーは笑い合った。
「あ、そうだ。おねえちゃん、今日はマドレーヌをつくるつもりなのですよ。おねえちゃんもいっしょにつくるですか〜?」
 ヴァーナーが弓子を調理に誘うが、彼女はそれをやんわりと断った。
「申し出は嬉しいんですが、遠慮させてください」
「え〜、どうしてですか? おねえちゃん、ものをさわれるみたいだから、いっしょにできたら楽しいと思うです」
「それはそうなんですが……」
 そこで、不意に弓子が渋い声を出した。
「自分、不器用ですから……」
「おお、にほんのゆうめいなはいゆうさんのモノマネです」
 驚くヴァーナーだが、弓子のその言葉は半分は冗談だが、半分は冗談ではない。彼女はそれなりに手先が器用な方なのだが、料理はどうにも下手なのだ。
「それに、どっちかといえば体が冷たい方なので、お菓子作りには向いていないかと」
「あ、ゆうれいさんだからですね」
 肉体を持たぬ身である弓子は、いわば「全身冷え性状態」とも言える体温の持ち主であった。
 そのような事情もあり、弓子は調理実習に参加するのを断ったのであった。
 弓子から離れたヴァーナーは、歩と共にマドレーヌ作りに取り掛かる。
「お〜、あゆむちゃん、かわいいエプロンです〜」
「えへへ、ありがと。ヴァーナーちゃんのも可愛いよ」
「ありがとうなのです。よし、それではがんばってマドレーヌをつくるのです。型はちゃんともってきました。かわいい形にしたいです♪」
 果たして、この2人の調理はうまくいくのかどうか。

「それにしても、大丈夫なんでしょうか」
 弓子と同じく調理実習を見学しているつばめが少々不安げな表情を見せる。近くにいたテスラが彼女の方を向いた。
「ん、どうかしましたか?」
「いえ、僕は店からお茶菓子を持ってきたんですが、この調理実習でもお菓子、なんですよね」
「ああ、重なってしまったようで気まずい、とかそういうのですか?」
「まあそんなところです」
 調理実習で洋菓子を作っているのに、自分はバイト先の店から同じく菓子を持ってきてしまっている。似たようなものばかりが増えてしまうのを少々気まずく感じているのだ。
 だがテスラはそんなつばめの不安を軽く笑い飛ばした。
「別に大丈夫でしょう」
「え?」
「急いで食べなければならない、とかそういうものであれば話は別ですが、そうではないのでしょう?」
「ええ、まあ……」
「でしたらそのまま持ってても問題ありませんよ。第一、調理実習でのお菓子と、わざわざ運んできてもらったお茶菓子は、また別物です。そっちはそっちで静香校長とラズィーヤさんがいただくでしょうし、気にする必要はありませんよ」
「そうですよ、そんなことを気にするような静香校長じゃありませんて」
 一緒にいた橘美咲も揃って笑う。
「大体にして、甘いものっていうのはいくらでも入っちゃうもんです。調理実習で食べて、お届け物はお届け物でまた食べる。それでいいんですよ」
「それならいいんですけど……」
 他校生――同じ蒼空学園の生徒だけではなく百合園生にも言われてしまえば、納得するしかないつばめであった。

「ふむぅ、調理実習か……。さすがに見てるだけでお腹が減ってくるのだよ。っていうか、こっち昼はどうしよう……?」
 調理実習室の外からほとんど盗撮状態の毒島大佐が呟く。この後の大佐にできることは、こっそり実習室に忍び込んでこっそり昼食を取るか、このまま外で盗撮を続け、どうにかして昼食を取るかの2択である。
 大佐は実習室に入ることを選んだ。幸いにしてカモフラージュ用の空のダンボール箱は実習室内にある。多少位置が違っていたとしても、誰も気づかないだろう。

 そうして大佐が実習室内に忍び込むのに成功する頃には、調理実習は終わり、そのまま昼食の時間へと移行するのだった。