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南よりいずる緑

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第3章 視察? 観光? いいえ、オモチャです 3

 やがて――浴衣にも慣れてきたのか、シャムスはようやく動きまわれるようになる。そもそも、和服自体は男性も女性も見た目に大きな差はない。それが、多少は彼女の羞恥心を抑える結果になっていたのだった。
 あうらと一緒に、シャムスは鏡を見る。
「一気に変化しなくても、少しずつ慣れていくってのでいいんだと思うよ。髪の毛を結ってみるとかはどうかな?」
 そう言いながら、シャムスの髪を持ち上げて手紐で結うあうら。新鮮さに、無駄に大げさな歓声が仲間たちからあがった。
 それでもまた表情が硬いシャムスを見て、イルマが彼女の頬をぐにぐにっと掴む。
「ひゃぅ……ひ、ひるみゃ?」
「顔が引きつっていたら、せっかくの衣装も台無しですよ。それに民の皆さんにも顔向けできません。まず顔の筋肉をちゃんとほぐして、すまーいる」
 ぐにっと人差指で口角をあげさせて、シャムスの顔にスマイルを作る。そこから、さらにイルマはあうらに目配せした。あうらが手を離したところで、シャムスの腕をつかみ、落ちてきた髪をさらっと流させる。
「はい、ここから、さらにスマイルです。これで民衆の心も鷲掴みですよ」
「……そうなのか? あうら」
「う、うん………………多分」
 疑いの目で振り返ったシャムスに、あうらはあははと苦笑しながら答えた。イルマに無言で促され、仕方なく笑顔を自分で作ると、パシャッという音とともに光が瞬く。
「お、おい……!?」
「これなら見合い写真にしても通りますよ、ほら」
 デジカメの保存機能を使って、データ写真を見せる千歳。シャムス自身は良く分からないが、仲間たちの反応をみるとそれなりに良いようだった。
「……なんだかなぁ」
 自分の境遇か皆の反応か――様々なことを思いつつげんなりと呟いたシャムス。ふと、彼女の視界に、ある二人組が映った。輪の隅で、浴衣姿のエンヘドゥと正悟が話し込んでいる。
「こうして無事で旅もできるようになったのなら、何よりだよ」
「ええ、ほんと……正悟には感謝してます」
 まぶしくほほ笑む彼女に、正悟も嬉しそうに穏やかな笑みを返す。だが、その表情が険しいものに変化した。顔が、俯くように下を向く。
「でも……これだけは約束してくれよ」
「約束?」
「どんな事があっても、自分で自分の命を諦める真似はしないでくれ。君は……俺と違って悲しむ人間がいるんだから」
 俯けていた顔を持ち上げて、正悟はエンヘドゥをまっすぐ見つめた。その視線を正面から受け止めるエンヘドゥが、しばしの間のあと――頷いた。
「分かりました」
「……なら、良かった」
「でも……正悟も、同じことを約束してくださいね」
「俺も?」
 予想外の言葉だったのか、目を丸くする正悟。エンヘドゥは瞳の奥に物哀しさを灯して、微笑した。
「誰も悲しまないなんてことは、ないです。だって……あなたがいなくなってしまったら、私が悲しみますから」
 正悟は、すぐに言葉を返すことはできなかった。だがやがて、彼女と同じように微笑する。
「ああ……分かった」
 誰しもが――友を失うのは悲しい。
 それは、正悟がエンヘドゥに思うように。エンヘドゥもまた、正悟に思うのだ。
 そうした互いの絆を理解したそのとき、正悟はシャムスがこちらを見ていることに気づいた。思えばこの旅の間、彼女はずっとエンヘドゥに着せ替え人形にされっぱなしだった気がする。多少は、気の毒なものだ。
「ふむ……」
「……?」
 途端――正悟はぐいっとエンヘドゥの肩を抱き寄せた。
「きゃっ、な、なに……?」
「あの、馬鹿……!」
 ヘイズはしでかしやがったといったように手で顔を覆った。
 仮にもエンヘドゥはお嬢様だ。しかも、領家の娘ときている。幸いにも護衛が多数いるということで、近衛騎士がすぐそばにいなかったから良かったものの、最悪は殺される可能性がある。早急に離さないといけない……!
 と、踏み出そうとした瞬間――飛び出した何かに正悟は吹き飛ばされていた。
「げぶぅっ!」
 それは、シャムスの拳だった。一瞬の間に間合いを詰めた彼女の拳が、正悟の横っ面をぶち抜いていたのだ。そして、彼女はエンヘドゥを守るために背後に引っ張り込んだ。
「なにを妹に手ぇ出してやがるっ!」
「お、お姉さま、その辺で……」
 地に伏した正悟をげしげしと蹴りつけるそれは、まさしく悪い虫けらに対する制裁そのものだった。
「ぐっ、ごぶっ、や、やば……マジで……し、しぬぅっ!?」
 正悟の苦鳴が幾度となく響くそれを聞きながら――ヘイズは静かにエンヘドゥの傍に近づき、耳打ちした。
「あの……あんな馬鹿で、しかも若干歪んでる奴だけど、出来れば愛想尽かさずにこれからも仲良くしてやってください……」
「あ、あはは……」
 苦笑するエンヘドゥの前で死にかけている正悟。
 さすがにこれ以上はやばいと、仲間がシャムスを止めたのは――それから数分後の話だった。



 宿は『カナン診療所』の者がすでに手配してくれていた。なんでも、この宿の名物は温泉だそうで、しばらく自室で休んだシャムスとエンヘドゥは、早速その温泉へと足を運んでいた。
 そこではちあったのは、ユベール トゥーナ(ゆべーる・とぅーな)も含めた真口 悠希たちだ。もちろん、それだけなら何の問題もない。同じ女の子同士、仲良く入れば良いことだ。
 が――しかし、シャムスが驚いたのは彼女たちがいることではなく、悠希の身体を見てのことだった。
「…………御免なさい、ボク……」
「言わなくても分かってる」
 悠希の平坦な胸にちらりと目をやって、シャムスは言った。
 そう――平坦だ。そこに、いわゆる乳房という女性特有のものは存在しない。下は見てないが、恐らくはそこも、男性特有のものがきっと付いているのであろう。ずっと女性だとばかり思っていた悠希の正体を知って、どこか彼女たちは気まずそうだった。昼間ははしゃいでいた莉緒も、さすがに黙って経過を見守るばかりだ。
 そんなシャムスに、カレイジャスが声を挟んだ。
「ごめんね。悠希が女装してたり、女子校にいるのは……別に変な理由じゃなくて……なんていうか、過去の虐めで男性が苦手だったから……」
 歯切れが悪いのは、それでもシャムスがどう思うかが不安だったからだろう。
 シャムスはカレイジャスを見て、莉緒を見て、最後に悠希を見つめた。悠希は気まずさで縮こまり、彼女に背を向けたままだ。
 シャムスはため息をついて、言った。
「別に女装なんかを許すだの許さないだのの話じゃないがな、悠希。少なくともオレは、お前を知っているつもりだぞ」
「ボクを……?」
「お前はヘタレで、悩んで、苦しんで、いちいちいちいちウジウジとその場でうずくまって、本当にどうしようもない奴だ」
 さしもの二人のパートナーも止めようかと思うほどのストレートな物言い。だがシャムスは、優しげにほほ笑んで続けた。
「だけど、お前が前向きに生きようとしていることも、オレは知っている。お前が誰かを思い、お前が自分を振り返り、そして一歩ずつでも成長していこうとしていることを、少なくともオレは、このしばらくの間で見てきたつもりだ」
「シャムスさま……」
「大切なのは誠意だと、オレは思っている。立ち止まることも、壁にぶち当たることもあるだろうが、誰かのせいにするのではなく、誠意を持って生きていればきっと何かが変わる。良い者にも、巡り合えるかもしれない」
 悠希は振り返った。シャムスがそれを見て、くすっと笑う。
「それに、オレも男装してきた身だからな。人のことは言えないさ」
「そうですわ、悠希さん。むしろ生まれたときからずっと男装のお姉さまに比べれば、大した問題ではありません」
 二人のその言葉で、悠希もようやく一緒に笑った。
「あの……こんなボクがおこがましいですが、シャムスさま……ロベルダさま……皆お世話になった素敵な家族で。ボクも……その一員の様になれたらいいなって……」
 宙に目をやって、思いの限りを口にする。
「時々……来ていいですか? 将来に備え領主の事を学ぶのも役立ちそうですし」
「ああ、もちろん」
 ほほ笑みあう二人。
 ようやく空気が溶けてきたところで、ニヤケ顔の莉緒が言った。
「家族になりたいとか将来に備えてとか……女の子が聞くとプロポーズに聞こえる訳だが! その辺はいかにっ?」
「えっ、あああっ!? ち、違いますー!」
「言葉足りないよ、悠希」
 カレイジャスがくすっと笑った。
「家族っていうのは今、天涯孤独で憧れがある様で。後は……悠希は性別が本来と違っても領主のシャムスみたいに立派に、百合園や皆を導ける様学んでいきたい……って、そう思ったんだよね?」
「……うん」
 恥ずかしそうに、雪はぷくぷくと湯の中に顔半分を埋めた。
 とはいうものの、莉緒たちにとってそんなことは問題でないようで。トゥーナまでもが莉緒に流されて盛り上がっていた。
「えっ、えっ、なになになに? 悠希さんってシャムスのことが……!?」
「ふむ……男装麗人と女装美少年の組合わせ……さらにお互い初々しいではないか。エンヘドゥさんや? こいつをどう思う?」
「こらっ、勝手にくっ付けようとしないの!」
 キャーキャーと騒ぐ莉緒たちを注意するカレイジャス。
 そう。別に、悠希がシャムスのことをどうこう思うことはないのだ。悠希の心には今も
あの人がいるだから。ただ、彼は……今の自分では、誰も幸せに出来ないと思ってるのだが。
(やっぱり、人の心って……難しいね)
 カレイジャスはそう思った。
 ふと、そんなときトゥーナはきょろきょろとあたりを見回した。
「あっれー、ところで、月夜 鴉子ちゃん……だっけ? あの娘は温泉入らないのかな?」
「いや、だってアレは……」
 シャムスはなにを言ってるのかと言わんばかりだったが、トゥーナはそんな彼女にキョトンとして小首をかしげていた。そう言えば、昼間も彼女はまるで初対面のように鴉と話していたか……?
「あのな、トゥーナ、あれは……」
「さーさー、お姉さま、こちらでお背中をお流しいたしますわ」
「お、おい」
 トゥーナに近づいていこうとしたシャムスを、エンヘドゥが引っ張っていった。こそっと、彼女が耳打ちする。
(こんな面白いこと、伝えるなんていけません。自然とバレるときを待っていましょう)
「……あのなぁ」
 悪戯に事を大きくするのは問題かと思うのだが、仕方なくシャムスは嘆息の息をついてそれに従った。そんな二人を見て、余計にはてな状態になるトゥーナ。
 彼女が鴉=鴉子だと知るのは、それこそ相当後の話だった。