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第4章 夜の帳が下りる頃 2

「悪い。カチェアが無理言って……」
「いや、別にいいさ。こうして外で食べるのも、悪くはない」
 政敏とシャムスは対面した二人掛けの席に座った。
 店はなかなかの人気店なのか繁盛しているようで、席はほとんどは埋まっているし、あちこちからざわついた声が聞こえてきた。酒を片手に騒ぎ立てる者もいれば、静かに何やら密会のようなものを交わしている者もいる。女性客も多いことから、風紀的にもしっかりしているところだと見て取れた。
「何にする?」
「このお勧めの……髭の丸焼きなんて美味そうだな」
「あー、モルモンの髭だな。南カナンじゃあ有名な珍味らしいが、食べたことないのか?」
「あいにくとな」
 確かに、と政敏は納得した。モルモンの髭は有名な珍味だが、それは民衆の間に広がるいわば身近な料理という意味でだ。少なくとも、高級料理ではないだろう。紅茶でも一級品を使うニヌア家にとっては、言っては悪いが別世界なのかもしれない。
 もちろん――きっとロベルダであれば、シャムスが望めば作ってくれるに違いないが。
 夫婦で店をやっているのか、恰幅の良い、近所連中の母親といった風な女性が注文を取りに来る。と、政敏は慣れたように聞いた。
「景気はどうだい?」
「まあ、ボチボチだね。色々と手に入れずらいものも多いよ」
 女性と話し込み、そこから今度は料理が来るまでを待つ時間がやってくる。政敏と話すのは他愛のない話だった。もちろん復興の話もあるが、普段はなにをやっているだとかも話す。そうしているうちに、料理は運ばれてきた。
 モルモンの髭は、髭というには言い難い、見た目だけで言えば肉のような料理だった。かぶりつくと、それこそ肉汁のような髭汁が溢れてきて、口の中に丸焼きの香ばしさとともに味が広がる。その美味しさに、思わずシャムスの目が見開いた。
 食事を進めているうちに、政敏が口数を減らしていることに気づいた。同時に、周囲の人々の声が鮮明に聞こえてくる。復興の苦労も、戦争が終わった喜びも、いまだ手の行きとどかない辺境の不平や不満も――全てが、シャムスの中に入り込んでくる。
「聞こえてくるだろ?」
 政敏が言った。
「こうやってさ、喜びも悲しみも話してる」
 だが、その多くは前向きなものだと知る。
「復興ってのは。誰もが今の不幸を『誰かの責任にしなくなった』時に、初めて終わりなんだと思う」
 いつの間にか、食事の手は止まっていた。耳は、多くの声に傾けられている。
「お前の信念の元、進んだ道行きで『出会った』仲間がいるだろ? 悩むことも悔やむこともあるだろうけど、お前の信念貫いて、希望になってやれ」
 そう言い終えて、政敏は自分の食事の続きに戻った。シャムスと同じモルモンの髭を食べていると、それが変わらぬ味であるということに喜んでいる民衆の声も聞こえてきた。
 シャムスは、じっと何かを考えるように宙を見ている。
「でも……たまにはこうしてデートしてさ、『お忍び』もアリじゃね?」
「……そうだな」
 微笑して、シャムスもまた食事に戻った。
 最後に店を出る時、政敏が言った『帰りは手繋いで良い?』の一言をシャムスくすっと笑って断ったのは、またこれから数十分後の話である。



「そういえば、アムド君は何故、シャムス君を守ると決めるに至ったんだね?」
 突然の質問と言えば、突然の質問だった。
 シャムスを影から護衛するために、同じ『モルモンの髭』に入ったアムドと菜織は、シャムスがかろうじて見える位置の席を陣取って、自分たちも食事をしていたのである。最初はシャムスが外で食事をすることにあまり気乗りしていなかったアムドだが――『まさか守れる自信がないとでも言うのかね?』と挑発されてしまっては、それに乗らないわけにもいかなかった。
 そんな折の、菜織の質問。
 アムドは一瞬目を丸くしたが、しばらく宙に目をやって考えたあと、ゆっくりと口を開いた。
「そうだな……もともと、シャムス様が領主となる前。つまり前領主であるシグラッド様の代から、俺は『漆黒の翼』に所属していたんでな」
 職務中に酒を飲むわけにもいかず、水だけをくいと口にするアムド。カランと、氷が鳴った。
「だけど……それ以上に俺は、あの人に惚れたんだ」
「…………女として?」
 からかう菜織に対し、アムドは一笑した。
「まさか。ずっと男だと思っていたさ。だからこそ、大したことのない男の下につくのは、たとえシグラッド様のご子息だとしても納得がいかなくてな。――俺は昔、あの人に戦いを挑んだことがある」
「ほう……で、結果は?」
「――惨敗だった。与えられたのはたったの一撃。それも、がむしゃらに打ち込んだ一発が手甲を弾いただけのもんだ。俺は、精鋭騎士である『漆黒の翼』がこんなもので、きっと見下げられたと思った。最悪の場合、降格させられるんじゃないかってな」
「…………」
 確かに、その話だけを聞けばそれもあり得ることだった。兵士たちの中からただ唯一数名だけが選ばれる漆黒の騎士たちは、たとえどんなことがあろうとも主を守るべき宿命と使命を担う。それが、主との戦いとはいえそのような結果に終わっては、示しもつかないというものだった。
「だけど、あの人はその一撃で俺を認めてくれた」
「一撃で……?」
「『その一撃が、オレを守る一撃になるでろう』と……そう言ってくれたんだ。もちろん、そんなものは慰めに過ぎないのかもしれないし、俺だって自分自身でそんなふがいなさを肯定するようなつもりはなかった。だけど――そのとき俺は、その一撃で、真の意味で、本当にこいつを守れるようになりたいと願ったんだ」
 アムドはテーブルに立てかけてある大剣を撫でた。剣の重みは、そのときの一撃の重みを思い出させてくれる。そう、言うように。
「親父じゃないけどな……こいつのために俺の全てを捧げたいと思えた。だから俺は、こうしてふがいなくも『漆黒の翼』で騎士団長をやってるってわけだ」
「そうか。それが君の『在り方』なのだろうね」
 菜織は感服したように微笑した。
「アムド君……これからも何かあれば、言って欲しい。私も出来る限りこの地の為に力を振るおう」
「ああ、頼りにしてるぜ」
 互いに勇壮な笑みを浮かべる二人。と、そこで菜織はあることに気付いた。
「…………って、親父?」
 今度は菜織が目を丸くする番だった。しかし、アムドもまた不思議そうに彼女を見ていた。
「あれ……? 言ってなかったか? 執事のロベルダは俺の親父だぞ」
「…………へ?」
 アムドの過去もなによりも、それが一番ぽかんとする話であった。



 政敏とシャムスが店内で食事をとる間――カチェアと有栖川 美幸(ありすがわ・みゆき)は店の外で待機していた。当然、それは政敏には伝えていない。宿に戻るふりをして美幸と合流した後、二人は政敏が厄介なことをしないかを見張る意味でも、護衛を続けていたのであった。
 まだほの暗い時間。星の瞬きを見上げる美幸の頬は、ぷくっと膨れていた。
「まったく、それにしてもあのヘタレは……菜織様を護衛にしてデートなんて、勝手が過ぎますね!」
「まあまあ、そう言わないであげてください。元々は私が提案したことなんですから」
「カチェアさんが?」
 美幸は驚いたような顔で彼女を見返した。
「……どこか、悩んでいるような気もしましたから。政敏なら、少しは気を紛らわせてくれるかもと」
 カチェアはそう言って、あはは、と苦笑した。
 信頼か、あるいは賭けか。美幸には政敏に任せてみるという考えがどうにも無謀に思えたが、少なくとも彼女はカチェアのことは信用している。そんな彼女が言うのであれば……確かに、もしかしたら、いや、万が一の可能性であるが、それもアリなのかもしれない。
「まあ、でも、そうですね。……シャムスさんに手を出すことはないでしょうね。そこは信用しています」
 そう口にすると、どこか先ほどまでの怒りが尻すぼみしたように収まっていった。
 なぜかは分からず首をかしげる美幸。すると、そこにリーンがやって来た。
「あれ、早かったですね。エンヘドゥさんたちは……?」
「フレデリカさんたちが来たから、宿までは任せてきたわ」
 そう言うリーンの顔は、少しだけ不安のようなものが混じっているように思えた。気になって、カチェアが聞く。
「どうか、したんですか?」
「まー……無事に終わると良いんだけどなーってね」
 それがどちらのことを言っているか分からず、カチェアと美幸は頭にハテナを浮かべた。ただ、リーンは軽く空を見上げて、そろそろ帳も下りきるころかなと、そんなことを思った。