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幼児と僕と九ツ頭

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第9章 そのヒュドラ、空腹につき

 その湖は、まず「美しい」という言葉が非常に似合う代物だった。
 密林の中にあるというのにその周囲は非常に開けており、風に揺れて若い草がかすかな鈴の音を鳴らし、湖面は光を反射して何枚もの絵をその目に見せつけてくる。湖の淵から20メートルほどは背の低い草で、そこから徐々に木が見えてくるという、おおよそジャングルの中とは思えない場所だった。
 本当にこんな所に、今回の騒動の発端となったヒュドラがいるというのか。誰もがそう疑問に思わざるを得ないほど、その場所は騒動には似つかわしくなかった。もしこれでヒュドラがいなければ、間違いなくこの場は「聖域」と呼ばれていたかもしれない、というのは言い過ぎかもしれないが、少なくともこの場所に集まった契約者一同は似たような感想を抱いていた。
「……うん、間違いないよ。ここにヒュドラがいる」
 湖の全景を眺めていた北都が、この場所こそが求めていた終着点であることを指摘する。何しろ湖の近くには「若い植物」しか生えていなかったのだ。すなわち、
「瘴気の影響が色濃く反映されてる。その発生源が近くにいると見て間違いないだろうね」
 やはりここにヒュドラがいるというのは間違いではないのだろう。それならばと、牙竜とアネイリン、そして月夜の3人が湖に向かって歩き出す。
「まずは話し合いだ。何事につけても、いきなり暴力に訴えてはいけない」
「とりあえずヒュドラと話をさせて。うまくいけば、穏便に解決できるから」
 契約者の中にはヒュドラを討伐するつもりでこの場に訪れた者もいる。だがたとえ最終的に討伐することになったとしても、牙竜と月夜は「話し合う間も無く事が終わる」という状況を避けたかった。アネイリンはそのようなことを考えておらず、ただ単にヒュドラと友達になろうと思ってついていくことにしたようだが。
 佐保もそれを手伝って、集まった契約者に言い聞かせた。
「彼らには策があるようなのでござる。まずはそれを試させてあげていただきたく、どうかお願いするでござるよ」
 はやる気持ちを抑えられ、契約者の一部はしぶしぶながらそれに従った。その中には佐保のパートナーである匡壱も含まれていた……。
 牙竜、アネイリン、月夜の3人が湖に近づく。近づくにつれて、湖から小さい泡が立ち上る。泡は次第に大きくなり、また浮かび上がる感覚も早くなってくる。湖の底で仮眠を取っていたらしいヒュドラが、その巨体を契約者たちの眼前に曝した。
 その姿を見て3人が返せた反応は絶句だった。とにかく大きいのである。蛇の頭1つが人間の大人1人分ほどの大きさであり、その眼光はやけに鋭く、そして口元から見え隠れする牙の鋭さが、その顎の威力を物語っていた。そんな頭が1つの胴体につき9つも搭載されており、一斉に襲い掛かられたらひとたまりもないであろうことが容易に想像できた。
 蛇の頭の1つが湖の近くにいる3人を睨みつける。他の頭が洞窟から出てきた他の契約者に向いた。
 ここで牙竜が正気を取り戻した。そう、いつまでも絶句しているわけにはいかない。自分たちは何のためにこの場にいるというのか!
 それは月夜も同様だったらしく、正気を取り戻すや否や、自らが纏っていた服に手をかけた。
 最後にアネイリンも体の呪縛を解いた。自分はなぜここに来たのか。それはこのヒュドラと友達になるためではなかったか。
「ねぇ〜ヒュドラさ〜ん。名前にゃんて言うの〜? 名前、教えてくれないと他のヒュドラさんと区別できないにょ〜」
 まずはアネイリンがヒュドラに呼びかける。もしヒュドラが人語を解せる存在ならば、アネイリンの呼びかけに応えてくれるはずだ。
「大きいね! 頭ににょせてー!」
 さらに呼びかけるが、ヒュドラからは何のリアクションも返ってこなかった。
 続いて牙竜が動いた。彼はヒュドラの頭の1つに向かってテレパシーを敢行したのである。
(ヒュドラ、俺の想い、届いてるか? 俺はオマエに危害を加えるつもりはない……。話を、想いを伝えたいんだ。俺の友が、オマエが悪い奴じゃないと推理して信じた……。外見や噂だけで判断しないで、優しく、損得の無い心で! だから俺もオマエが悪い奴じゃないと信じる! 俺達は近くで合宿をしてる。オマエと友達になれたのなら、これはきっと最高の思い出になる!)
 解り合える可能性があるならば、例えそれがゼロに近くとも、友人が繋いでくれた可能性がある限り諦めるわけにはいかない。牙竜はその思いを乗せてテレパシーを送り続けた。
 一方の月夜も、ヒュドラとコンタクトをとろうと試みる。彼女はまず、自らの肉声で言葉を届けることにした。
「ヒュドラお願い……私の刀真を返して!」
 そうして自らが危険な存在ではないということをアピールするべく、着ている服を脱ごうとする、その時だった。
 月夜の携帯電話が、電子メールの着信を知らせてきたのである。
「……こんな時に。一体誰……って、佑也?」
「は? 佑也からメール?」
 月夜の言葉に気づいて、牙竜はテレパシーを中断し月夜の携帯電話に視線を送った。もちろんアネイリンも携帯電話の画面を覗き込んだ。
「えっと、何々? 『憶測大ハズレ! そのヒュドラは問答無用だから逃げて!』って――」
「牙竜殿! アネイリン殿! 月夜殿! 逃げるでござる!」
 佐保の叫びが聞こえるか聞こえないかという内に、3人はその場から飛び退っていた。
 突然ヒュドラの頭の1つが3人目掛けて体当たりしてきたのである。いや、正確に言えばそれは体当たりではなく、ヒュドラは口を大きく開けて襲い掛かってきていた。
「な、何だ!?」
『こ、このヒュドラ、まさか私たちを……!?』
 魔鎧状態の灯が緊張の色を隠さずに叫ぶ。
 そう、彼女の言う通り、ヒュドラは目の前の3人を餌と認識して食いにきたのだ。
「そ、そんな! 私たちは何も――」
「月夜、逃げろ! こいつらに話は通じんぞ!」
 愕然とする月夜を叱咤すると同時に、玉藻がブリザードを周辺に撒き散らす。直接的な攻撃が目的ではない。3人を逃がすための牽制だ。
「月夜さん! 牙竜さん! アネイリンさん! 逃げてください――って、こっちにも来た!?」
 3人に逃げるようにうながす白花が驚愕の表情を浮かべる。他のヒュドラの頭が、視界内に入っていた他の契約者たちに襲い掛かってきたのである。それは玉藻や白花も例外ではなかった。
「くっ! こいつら、何も考えずにいきなり食いにきておるぞ!」
「こ、来ないで! ――ああっ、刀真さん!?」
 魔法と槍でヒュドラの頭の1つを追い払おうとする玉藻と白花は、さらに別な意味で驚いた。自分たちが抱えていたはずの刀真が勝手に前に出て、月夜に近づいたかと思うと、その体から光条兵器「黒の剣」を抜き放って戦おうとしたのだ。
「手を出すな! ころちゅぞ! ……ちゅぞじゃない! うう〜っ」
 喋り方が安定せず、思わずかんでしまったその瞬間だった。ヒュドラの口から白濁色の霧のようなものが降り注いだのである。
「刀真!」
 月夜たちが叫ぶがもう遅い。少々の範囲をもって刀真の体を包んだそれは、ただでさえ幼児化していた刀真の体をさらに小さいものにしてしまった。
 白濁色の霧は、ヒュドラの瘴気そのものだった。ヒュドラの瘴気には若返りの効果がある。そんな瘴気を合計2度浴びた刀真は、完全な赤ん坊の姿に変貌してしまった。
「と、刀真……!?」
 黒の剣を落とし、その場から動けなくなった赤ん坊の姿を見て、パートナーたちのみならず、離れた所にいた契約者全員を愕然とさせた。まさかあの樹月刀真があのような姿にさせられてしまうとは!
 玉藻が魔法を放ち、白花が白虎にまたがって急いで月夜と刀真を回収する。
 襲撃はこれだけでは終わらない。ようやく現れた大ボスを前にして、いざ大活躍のチャンスとばかりに飛び出したソーマ、そしてそんな彼を止めようとして共に前に出たクナイと北都もヒュドラに襲われた。
「おいヒュドラ! めんどうばかりおkそいてないで、さっさとこのオレにたおされ――どわあっ!?」
「だから飛び出すなと言ったでしょうが!」
「うわ、こいつら本当に問答無用だよ!?」
 襲い来る蛇の頭、その鼻先に北都が則天去私の拳を連打で叩き込み、ソーマを回収したクナイが続いてロケットパンチで追い討ちをかける。突然の反撃にヒュドラも驚いたのか、痛みを感じて首を引っ込める。その隙に3人は洞窟の近くまで避難した。
「ち、ちょっと待って! 私、戦闘力が無いんだけど――ひえええっ!」
「逃げろ結奈! 急がないと食われるぞ!」
 ヒュドラが地祇に関係していると推理を披露した結奈とバルの2人もまた襲われた。先頭ができないと思い込む結奈を逃がすべく、バルが前に出てヒュドラの頭を掴む。
「ぐおおおおっ! 何のこれしきっ!」
 バルはドラゴニュートである。自らを食いに来たヒュドラの顎を両手と両足で受け止め、ドラゴン特有の怪力でそれを押し返す。牙が自らの体を貫く前に、バルはヒュドラの口の中に火術の炎を投げ込んだ。
「おおっと! 口の中を火傷する気分はどうだ、多頭竜よ!」
 火の熱さにもだえ苦しむヒュドラの頭の1つを尻目に、バルは結奈を抱き上げてその場から逃走した。
「くそっ……! まさかこんなことになるとは!」
「ひえ〜! ヒュドラさんが怒っちゃ〜!」
 向かってくる蛇の頭を牙竜とアネイリンは全力で回避し続ける。玉藻のブリザードのおかげか、逃げ出すことには成功し、食われる心配は無くなったようだ。
「と思ってたら機晶バイクがああああっ!?」
 だが1つ被害が発生した。人型にして護衛させていた可変型機晶バイクがヒュドラの攻撃を受けて、上半身部分が食われてしまったのである。食いちぎられたバイクのパーツは、どうやらヒュドラの口には合わなかったらしくすぐさま吐き出されたが、それでも牙竜絶ちの心にダメージを与えるには十分すぎた。
「皆の者! 早く逃げるでござる! とりあえず洞窟の中へ!」
「急げ! いくらあいつが遠くにまで来ないとしても危険すぎるぞ!」
 佐保と匡壱が契約者の避難誘導を行う。契約者の中にはこれを機に攻撃に転ずる者もいたが、まずは避難が先だとその場から退けられてしまった。
(参ったなぁ……。勢い余って誰かを湖に落としちゃおうかと思いましたけど、このパニックでは無理ですね……)
 同行していた東園寺雄軒はこの惨状を見てそう思った。こういった「奇妙な湖」という話はマンガやゲームでよくあるが、もしかしたら浸かると性別が反転するような代物もあるのではないだろうか。適当な契約者を湖に落として、その反応を見てみようかと思ったが、その前にヒュドラに食われてしまうとあっては、さすがに諦めるしかなかった。
「まあ、こうなった以上はさっさと離れてしまうに限ります。バルトさん、とりあえず逃げちゃいますよ」
 パートナーであるバルト・ロドリクスは無言のまま、その指示に従った。
 契約者たちは後に2人の姿が見えないことに気がついたが、今はとてもそれどころではないと無視を決め込んだという……。

『……というのが、この伝説に関係する大筋なんだ』
 洞窟を抜けて、秘境のジャングル部分に避難した契約者たちは、如月佑也と連絡を取って、彼が女将から聞いた情報を聞き出していた。連絡に使ったのは月夜の携帯電話。音声拡張の機能を使用して、その場に集まった全員に声が聞こえるように設定済みである。
 ヒュドラに襲われて無事ではなかったのは、さらに幼児化させられた刀真と、牙竜の機晶バイクを除けば1人もいなかった。怪我人すら存在しておらず、ひとまずは安心ができた。
「まさか、ヒュドラに話が通じないどころか、いきなり襲われるとはな……」
『まあその辺の情報が不足してたからね。こればかりは誰も責められないよ。お疲れ様、牙竜くん』
 ケンリュウガーのマスクをつけたまま、牙竜は誰が見てもわかるように落ち込んだ。せっかく討伐ではなく、和解の道を見出せたかもしれないというのに……。
「それよりも佑也よ。うちの刀真がさらに幼児化して、文字通り使い物にならなくなってしまったぞ」
 玉藻が湖にて起きた現象を報告する。電話の向こうにいる佑也が驚いたような声をあげた。
『ええっ!? さらに幼児化するなんて、こっちの情報には無かったよ!?』
「2度も正気を浴びると赤ん坊になってしまった。おかげで白花も月夜も骨抜きだ」
 その言葉の通り、月夜と白花は揃って赤ん坊状態の刀真を可愛がっている最中だった。
『参ったね……。そうなると本気でこの状況をどうにかしなくちゃいけないな……』
 そう前置きして佑也は、さらに仕入れたヒュドラに関する情報を伝えた。
『まずヒュドラの対策についてなんだけど、結論から言えば倒すことは可能』
「というと?」
『数百年前、ここの住人がヒュドラと戦った際に、ヒュドラの体に傷をつけることに成功してたんだ。その傷はその場で治るとか、そういうのは一切無し。自然治癒以外に体を治す方法は無いみたいだね』
「おい佑也、一応ヒュドラには傷らしき傷は見当たらなかったぞ?」
 ここで後方でカメラを構えていた閃崎静麻がカメラ越しに見た情報を伝える――別行動をとってはいたが、実は彼も【アルマゲスト】の一員のため佑也と面識があるのだ。確かに彼の言う通り、ヒュドラには「古傷」と呼べるような傷跡は存在していなかったように思える。
『まあ数百年前だしね。傷が完全に消えていたとしても、それは無理のある推測じゃない』
 さらに言えば、数百年前の戦いに参加したのは非契約者である。契約者特有の超パワーを持たない彼らがヒュドラに傷をつけられたのだ。ならば現代の我々ならば、ヒュドラを倒すことは不可能ではないというわけだ。
『ヒュドラには俺たちの言葉は通用しない。あちらさんはこっちの言葉を理解してはいるだろうけど、話し合いの余地は無いね』
「確かに、話が通じない気配だったね……」
 佑也の言葉を受け、今度は北都が受け答えに回る。
『つまり俺たちの取るべき行動は、まず倒すか、伝説に従って眠らせるかだ』
「眠らせるのは厳しいだろうね。何しろ森がとんでもないことになってるから」
「一部の契約者が全力で大暴れしてくれたからなぁ……」
 目の前に広がる惨状を再確認して、北都と静麻がため息をついた。この森の状態では、ヒュドラを眠らせるために必要な木の実を集めることはかなり難しいだろう。ついでに言えば、ヒュドラを眠らせるために必要な酒を調達するのに時間がかかりそうだった。
『なら倒す方向で話を進めようか』
「待ってくれ佑也。それだと幼児化した俺たちはどうなるんだ? ヒュドラを倒せば元に戻れるのか?」
 さらに同じく【アルマゲスト】である橘恭司が電話に声を投げかけた。ヒュドラを倒すことそれ自体はともかくとして、果たして倒すだけで事は終わるのだろうか、そこが疑問であった。
 佑也の口から出てきたのは、残念ながらそれを否定する言葉だった。
『女将さんも今、伝説を再検証してくれてるところだけど、倒せば元に戻るといった話は出てこないみたい』
「そんな……。ということは、下手すれば俺たちはこのまま子供をやっていなければならないのか……」
『ところがぎっちょん』
 その場にいる全員が途方に暮れそうになったその時だった。合宿所の女将から新情報が届いたのである。
『たった今入った女将さんからの情報によると、ヒュドラは湖の底で眠ってはいたけど、どういうわけか尻尾だけは湖の外に放り出してたらしいよ』
「……つまり?」
『おかしいと思わない? ヒュドラの息と血、それから湖の水。これらに若返り効果があったっていうのは伝承に残ってたんだ。考えてもみてよ。その湖にヒュドラはずっと浸かりっぱなしだったんだよ?』
 自分の体液に若返り効果があるなら、その効果が染み込んだ水を浴びていれば、ヒュドラ自身が若返ってしまうはずである。
 ではなぜヒュドラは若返ったりしないのか。もしかしたらそこにヒントが隠されているかもしれない。
『ただ、こっちの情報はちょっと不確定なんだよね……。尻尾だけ出てるっていうのは、残った文書の挿絵と、簡単な文章のみなんだ。「ヒュドラは最後まで、尻尾だけは湖に入れなかったらしい」ってさ』
「それなら俺が見たよ」
 今度は椎名真が電話に声を飛ばした。
『見たの?』
「うん、確かにあのヒュドラ、湖の中から出てきたけど、尻尾だけは最初から外にあったね。最初見た時は丸太か何かと思っちゃったけどさ……」
「……それって、すごいヒントかもしれないねぇ」
 真に続いて北都が推理に参加する。
「ヒュドラが体から若返りの瘴気を出す、それがたっぷり染み込んだ水に浸かってるはずなのに、なぜか若返りはしない。ということは、ヒュドラの体それ自体に若返らずに済む何かが隠されているってことじゃない?」
「……それってやっぱり、尻尾、だよね?」
「ほぼ間違いないよ。尻尾の中に、解毒剤とか抗体とか、そういうのが詰まってるから、ヒュドラは尻尾を湖に浸けたがらなかった。これなら辻褄が合う」
「尻尾に含まれる抗体が湖に溶け出しちゃうと、湖の若返り効果が無くなる。ヒュドラはそれを恐れたんだ」
「えっと、佑也君、だっけ? 解毒剤の作り方、みたいなのは伝承に残ってるかな?」
 推理を話し合った北都が佑也に確認するが、返ってきた返事は「NO」だった。
『そもそも元に戻った人がいないからね。解毒剤の存在それ自体話に残ってないよ』
「そうかぁ……」
 北都は落胆を隠せなかった。どうせなら瘴気や体液などを採取して持ち帰り、研究機関に渡して解毒剤作製の助けにしてもらおうかと思っていたのだが、そもそも解毒剤自体の話が出ていないとなれば、話は非常に難しくなるだろう。もっとも、それ以前に瘴気や体液を採取する方法を考えていなかったのが痛いが……。
『ああ、でも、全然違う話でちょっと伝承に残ってるのがあるね』
「というと?」
『ヒュドラの若返り騒動が一段落した後、若返った人が九龍郷の外に出ようとしたことがあるんだって』
「出ようとした?」
『そう、外に出て一山当てようとしたのかな。それで出ようとしたら、なんとその人、その場で昏倒したらしいよ』
「はい!?」
 この情報には全員が驚いた。
 つまりはこうである。瘴気を浴びて若返った男が、九龍郷の外に出ようと思い立ち、旅の道具を揃えて足を進めていたところ、突然苦しみだしてその場に倒れたという。倒れた位置は九龍郷と外とを分ける「村境」というべき場所だったそうだ。
 幸いにしてその人物はすぐに村の中に運び込まれ、九死に一生を得たという。
『その時の状況はね、村の外に出た瞬間、いきなり意識が無くなって昏倒。見る見る内に外見が老人に「戻っていき」、下手をすれば死んでいたんだって』
 若返らなかった者は自由に境を行き来できたことから、この地には1つの言い伝えが残った。

「蛇の吐息を浴びて昔に戻った者、決して村の外に出るべからず」

 理由は不明だが、浴びた瘴気が村の外に出た瞬間、完全な毒物と化して男に襲い掛かったというのだ。さすがにこの状況にはかつての村人も閉口せざるを得なかったという。
「……それなら尚更、この状況をどうにかするべきでござるな」
 佐保が話し合いに参加して、結論を出した。
「ヒュドラを倒し、尻尾をその場で採取して持ち帰る。幼児化してしまった者は必ず元に戻る、あるいは戻すこと。これしか無いでござる」
 その場にいた全員がこれに同調した。他にとるべき道は無い。
「契約者の何人かがザコを掃討してくれたおかげで、大半の人間が戦力として残ってるはずだ。9本の頭、全部を同時に相手するぞ。無理にとは言わないから、戦える奴だけ参加してくれ!」
 匡壱がそれに続く。ちょうど彼も最後方にいたためか、体力が有り余っているのだ。先ほどはヒュドラから逃げたが、戦うとなれば全力で暴れるだけだ!
 全員の意思は固まった。
「では、これで終わりにするでござるよ!」
 佐保の号令の元、ヒュドラを相手にした騒動は最終局面を迎えることとなった。