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炭鉱のビッグベア

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炭鉱のビッグベア

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第1章 吠える狼と予感の音 2

 熊はコロス熊はコロス熊はコロス――熊はコロス!
 小学生の頃に左眼を傷つけられた記憶は、いまなお青年の心に根強い恨みを芽吹かせている。この傷のせいで幼い頃から女子からは怖がられ、母が元暴走族ということもあって不良によく絡まれたのだ。すなわち熊は敵。因縁の相手にして忌むべき存在。
 だから――
「熊はコロスウウゥゥ!」
「ハコ! 気持ちはわかるけど暴走しちゃだめだぞ……って、聞いてない!」
 目の前の巨熊――ビッグベアに向かって獣の本能とも言うべき反射神経そのままに、青年は飛びかかった。狼獣人の娘が制止の声をかけるが、まるで効果はない。
「ガウル……どうしよう?」
 娘が横に目をやったそこにいたのは一匹の同じ狼獣人である。鮮やかな金髪に狼の耳を生やすその若者は、闘気を込めた拳をぎゅっと握った。
「とりあえずは共に戦うしか仕方あるまい。どちらにしてもビッグベアは退治せねばならんのだ……八重、行くぞ!」
「あいあいさー!」
 金髪の獣人に楽観的な声で応じたのは、燃えるような赤髪をなびかせる契約者の娘だった。
 和服とどこかの制服を組み合わせたような不思議な衣装は、彼女曰く『和風魔法少女』の戦闘服らしい。魔法少女という響きにガウルは聞き覚えがないが、それが正義を為すことに従事する職業だということは娘の弁だ。
 なればこそ、永倉 八重(ながくら・やえ)はガウルを仲間だと言った。
「クロッ!」
「――おう!」
 どこぞから激しい駆動音が鳴り、地をえぐるように一台のバイクが走ってきたのはそのときだった。それは八重が相棒としているバイク型の機晶姫ブラック ゴースト(ぶらっく・ごーすと)――通称クロである。
「さあ、私の速さについてこれる? ガウルさん!」
「八重というか……私の速さなのだけどな」
「先に行け、すぐに追いつく」
 クロにまたがった八重がフルスロットルでかっ飛ぶように疾駆する後ろ姿を、ガウルは一拍だけ遅れてから追った。
(ほう、私のスピードについてくるとは……やるものだな)
 背後から距離を空けずについてきたガウルにクロが感心したとき、彼らは他の仲間の反対側でビッグベアを囲む位置に着いた。八重はクロの勢いそのままサドルシートから跳躍し、地につくやいなや、ビシィッ――と、ポーズを決める。
「ブレイズアップ! メタモルフォーゼ!!」
「もう変身してるではないか」
「黙っててよ! こういうのはお約束なの!」
 冷静なツッコミを入れる喋るバイクを叱りつけて、八重はさらに付け加えた。
「紅の魔法少女参上! 村を脅かすビッグベアを成敗です!」
 紅の魔法少女という言葉はあながち間違いではない。
 炭鉱に着いたときにその姿は変貌を遂げたが、服が、髪が、瞳が――八重を印象づけるすべてが紅く、燃え上がる火の粉の輝きに染め上げられたのだ。むろん、彼女の言葉を借りるならば、その心も。
「いくわよ、クロ! 準備はいい!」
「私は大してすることがないんだが……」
「二人の力が一つに……!」
 クロの返答をまったく聞かず、紅の魔法少女は口走りながらビッグベアの懐に入る。次いで、体勢を低く取った。ビッグベアがそれに反応して彼女の背中を叩きつぶそうとするその刹那――
「必殺、サンダーバード!」
 閃光のごとき光とともに、輝きに満ちた雷撃が下方から天へ向けて一閃した。
「解説しよう! サンダーバードとは、敵の懐に飛び込み下から上へと敵を両断する技だ! 刀から溢れる雷の魔力が羽の様に見え、その姿はまるで飛び立つ鳥のよう! すさまじいパワーで敵を粉砕する一撃必殺の技なのだ! ……と、これでいいのか?」
「上出来上出来♪」
「そっちは終わったか。あとは――」
 しっかりと教育をほどこされたバイクが、半ば無意識的に彼女の必殺技を解説するのを、八重は満足げにうなずいた。その間に他のビッグベアを拳で叩き倒していたガウルは、他の仲間に振り向く。
 視線の先では、竜螺 ハイコド(たつら・はいこど)がビッグベアの鋼鉄の爪を腕甲で受けとめている最中だった。
「爪は龍の鱗を切り裂くか……ならよお……ティアマトの鱗で作ったセドネイルとどっちが強力か……お手合わせ願おうか!」
 普段は温厚な青年は、いまや昔の恨みの燃えあがるままにビッグベアに立ち向かっている。超感覚で生えた狼の耳と尻尾が相まって、余計にその獣じみた姿が誇張されていた。
 そんでもってそんな彼とビッグベアの戦いは周りの状況など考えられずにエネルギーの余波を与えまくっている。もともと脆い坑道ということもあって、岩肌や天井から瓦礫が何度も崩れてきていた。
「ぎゃーーーー! ハコのヤツ! わらわを殺す気かぁーーー!」
 瓦礫から逃げ惑って慌てふためくのは、ハコについてきた花妖精のエクリィール・スフリント(えくりぃーる・すふりんと)だった。綿花の花妖精だが、後ろに回した前髪を茎で止めて、その周りに白綿が芽吹いているため、一見すれば単なる髪飾りに見えなくもない。
 やたら偉そうなお嬢様然とした花妖精が逃げ惑う場所で、白き狼獣人の娘は華麗に瓦礫を避けていた。
「たく、もう! ハコめ! ムチャクチャしすぎだよ!」
「仕方ないですわ。ここまできたのですからバックアップして被害を広げないように努めましょう。ね、ソラ姉様」
 どこぞから取り出した、クリスタルで出来た最古の銃をガシャンと装填した白銀 風花(しろがね・ふうか)
「はー……気が進まないけど」
 それに溜息を洩らしつつ応じたソラン・ジーバルス(そらん・じーばるす)は、炎のオーラを纏った光白椿を抜刀した。次いで、鉤爪で戦うハコの後ろから、ビッグベアを挟んで彼の反対側に跳躍すると、他のビッグベアを相手に刀を踊らせる。
 光白椿はいまは亡きソランの祖父が打った魔刀である。鞘は下手な刀よりも頑丈な素材で出来ていて、それだけで相手を叩く打器となる。さらに恐るべきはその鞘に込められた力だ。漆黒に炎の柄の鞘は、刀が抜刀されると使用者の意思に応えてその炎の柄をうごめかせる。使用者の左腕と頬に移動して炎のような痣となったそれは、使用者――すなわちソランの感情に呼応して大きさと色をそのつど変化させるのだ。いわばそれは、ソランの発する自由なるオーラのようなもの。
「やってくださいませ! ソラ姉様!」
「ハコじゃないけどね…………狼の意地で、熊には負けられないんだよ!」
 風花がライトニングウェポンで帯電させた弾を撃ち込んだその隙に、ソランの刀が敵を斬り倒す。
 倒れ込むビッグベア――の影には、唖然とするエクリィールがいた。
「あ……エクル! 避けてぇ!」
「ふざけるではないわーーーー! あんたらみたいな戦闘要員ではなく、わらわは非戦闘員なのじゃー! そう簡単に言ってくれるなーー!」
 泣きながら叫び声をあげつつ、エクリィールは必死で逃げる。ゆっくりと倒れ込んでくるビッグベアを見上げ、ふと彼女は手を打った。
「おお、そうだ。こんなときのために革鎧が…………って、こんなモンで防ぎきれるかー!」
 一人セルフツッコミをしているところを見ると、もしかしたらまだ余裕はあったのかもしれない。
 ずぅん! ――とビッグベアが地に伏したその頭部からわずか数センチの場所で、なんとか逃げ切れたエクリィールは頭を地面に突っ込んでピクピクと痙攣していた。
「エクル……大丈夫?」
「大丈夫ちゃうわ! わらわはあんたらのようにマ○オ体質じゃないんじゃぞー!」
 おそるおそる話しかけたソランにがぼっと顔をあげたエクリィールは叫ぶ。まだそんなことを言えるあたり、意外と彼女も丈夫なのかもしれなかった。
「ところで……ハコ兄様は……」
「あ……」
 デコ光りする花妖精に気を取られてすっかり失念していた。ソランはとっさに振り返ってハイコドを見やる。
「鋼鉄のように硬いその皮膚も――イコンを切り裂く剣を防げるかい!」
 五つの巨大な爪がビッグベアの鋼鉄の皮膚をえぐったのはそれとほぼ同時だった。次いで、無機物とも有機物ともつかぬその爪がビッグベアの内部器官を掴む。
 刹那――轟雷閃の激しい稲光が薄闇を照らした。そのときには、焦げ臭い匂いを漂わせる焼きついてビッグベアが出来上がりである。
「はあ…………疲れたー」
 尻餅をついて倒れたハイコドがそのまま逆さに後ろの仲間たちを見ると、ニッと笑ってこう付け加えたのだった。
「熊肉、一丁上がり」


 ハイコドが倒したビッグベアはこんがりと焼けていたものの、血抜きも何もされていないために大した食料にはなりそうにもなかった。それでも、ソランやその他の仲間が倒したビッグベアたちの肉はまだその余地がある。
 ガウルは、食糧確保の作業を終えたらまた追ってくるという彼女たちにその場を任せて、炭鉱の奥へ向かうことにした。
 ここから先の闇に閉ざされている場所に備えて、松明の準備をしておく。その間、ガウルはずっと横でキラキラした瞳を向けている少年に気づいていたが、自分から話しかけることはしなかった。
「なーなー! なんで戦うんだ?」
 輝かんばかりの瞳の少年がようやく声をかけてきたのは、ガウルが松明に火をつけて辺りをハッキリと照らし出したそのときだった。
「なんで……?」
「正義か? ……正義のためだよな! 村を助けるためだよな! そうだよな!」
 ガウルのいぶかしげな表情など気にすることもなく、少年――木崎 光(きさき・こう)は、勝手に一人で納得して嬉しそうにそう繰り返した。眉をひそめるガウルに対して、背後からつぶやきが聞こえてくる。
「また光の正義病が始まったのか……」
「正義病?」
 振り向いた獣人に、少年の保護者代わりであるパートナーラデル・アルタヴィスタ(らでる・あるたう゛ぃすた)は丁寧に答えてくれた。
「そう。光はそういう正義とか英雄とかにあこがれていてね。まあ、一種の病気みたいなもんだと思ってくれたらいいよ。きっと、君が村を救おうとしてる正義の味方に見えてるんじゃないかな……ヒーローって、やつだよ」
「…………」
 ヒーローや英雄などとは、無縁どころか反対の道を歩んできた――そのことを思い返して、ガウルはなんとも言えない微妙な顔をした。
 返答しないそのガウルの態度を肯定と取ったか、光の興奮度はさらに増していった。
「すげーなー! 正義のためにその拳を振るう! うーん、しびれるぅ!」
「はいはい。わかったから落ち着いてよ、光。ホラ松明だ。君、大好きだろ」
「おっ! うーん、やっぱり冒険には松明がつきものだよな!」
 扱いがわかっているラデルから松明を受け取ると、光はそれを意気揚々と振り回して先へ歩む。
 自分が、正義の味方?
 それはきっと、違う。自分はただ、そこに憧れて模倣しているだけなのだ。自分が誰かに救われたように、自分も誰かを救える人になりたいと、そんな空虚な夢に向かってあがいているだけなのだ。そこに正義など――
「アンタもお人好しだなぁ」
 閉ざしかけた門扉を開くような、鮮やかな声が聞こえたのは、そのときだった。
 うつむき加減になっていた顔をあげて振り向いたガウルの目に映ったのは、横からのぞき込むようにして見ていた柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)である。
「……そういうの、嫌いじゃないけどな」
 かすかに悪戯げな色を垣間見せ、氷藍は笑う。
「あ、なーに、氷藍、お兄さんにまで色目使うの?」
 ガウルの後ろから、一人の狐獣人がひょっこり顔を出したのはそのときだった。それは、氷藍のパートナーの皇 玉藻(すめらぎ・たまも)である。無類の男好きの狐獣人は、ニヤニヤと笑いながら明らかに氷藍をからかっていた。
「ばっ、そ、そんなわけあるかっ! 俺には幸村っていう立派な……」
「はいはい、のろけはそれぐらいにして。あっついあっついから」
 真っ赤になりつつも胸を張る氷藍に、玉藻はパタパタと手を振った。他人ののろけほどつまらないものはないのだ。
「まあ、こんなあっつくてむさっくるしいカップルになっちゃうかもだけど、お兄さんも恋愛とかしてみるとちょっとは面白いかもよ? 朴念仁って、困りものだし」
「恋愛?」
「そう。なんだったら私と――」
 くねくねと九尾の尻尾をまとわりつかせながら、妖艶な微笑を浮かべた狐は狼の体に寄り添う。だが、氷藍がめんどくさいことになる前にそれを引っぺがした。
「ほら。ガウルだって困ってるだろ。いくぞ色ボケ狐」
「あーん、ひどいー」
 ズルズルと引っ張られていく狐獣人は、しかし、最後にガウルにほほ笑んで見せた。そこにどこか共感めいたものを感じて、ガウルはしばらく立ち尽くす。
「どうしたんだい? ガウル君?」
 惚けたように氷藍たちの背中を見送っていたガウルに声をかけたのは、綺雲 菜織(あやくも・なおり)である。ガウルは自分でもよくわからなさそうに頬をかきながら尋ねた。
「いや…………私は、朴念仁かな?」
「そう、だね……まあ、おそらくは。それがどうかしたかい?」
「――いや、なんでもない」
 当たり前のように帰ってきた菜織の答えに、ガウルは少し嬉しそうな笑みで首を振った。なんのことかと小首を傾げる菜織。だが、それよりも彼女は気になることがあったらしく、疑問の代わりにそのことをガウルに告げた。
「そういえば、伝えておくことがある」
「どうした?」
「どうやら、私たち以外にも炭鉱を探索してる連中がいるようだな」
「私たち以外にも?」
 そのことはガウルにとっては意外だった。
 しかし菜織から詳細を聞くところによると、今回のビッグベア騒動はガウルの滞在した村だけではなく、麓の町々で依頼書が出回るほどのことになっているらしい。おそらく他の探索チームもそこで依頼を受けた者ではないだろうか?
「なるほど……ならば、一応は味方か。それほど気にすることでもないのかもな」
「とりあえずは、ね。鉢合わせにでもなったら、そのときの判断は君に任せよう。よろしく頼むよ」
 そう言い残した菜織は、それで話は終わりといったようにガウルを残して先へ歩んだ。考えに集中して歩が遅くなったガウルは、頭の中で不思議な予感を感じる。
(……誰だろうか?)
 それが獣の感覚が伝えてくる第六感なのか、あるいはそれ以外のなにかなのか。
 ガウルには知る術はなかった。