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【●】光降る町で(後編)

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【●】光降る町で(後編)

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第四章:広がる荒野




「本当に、見渡す限りの荒野……ですね」
 思わず、と言った調子で呟いたのは一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)だ。町の中の夜のような有様から、一歩外へ出た瞬間の昼の日差しの眩しさに、奇妙な感覚を得ながら、途中の出店で買って来た林檎に噛り付いた。
 この荒野の有様に対して、豊かに大きく実った林檎、というのはどうにも不安になるミスマッチ具合だが、そこは余り気にしていないようだ。しゃりしゃりと無言でかじり続ていると、そんなアリーセの肩に突然、ポン、と肩が乗せられた。
「予想以上に酷いねえ、どうも」
 突然の声にびくっと体を硬直させつつ振り返ると、そこには氏無と、彼についてきた教導団の一同が揃っていた。
「見渡す限り……って感じさぁ」
 荒野の切れ目を探すように、目を細めたキルラス・ケイ(きるらす・けい)が呟く。
 町へ向かって来る際は、一方向から見ていたために気づきにくかったが、改めて見れば草木一本生えていない荒れっぷりである。
「これってどこまで続いてるか目視できるかい、にゃんこくん」
「にゃんこ言うなぁっ」
 氏無の言葉に反射的に噛み付いたキルラスだったが、洞窟からこっち、超感覚を発動しっぱなしであったため、耳と尻尾つき、という見た目は猫そのものだ。
「……どうやら、本当に見渡す限り、みたいですね」
 二人のやり取りを他所に、ユキビタスによる資料検索で集めた地図データを見ながら、アリーセが口を開いた。それを見る限り、相当な範囲が荒野となってしまっているようだ。
「ちなみに、進行具合はどんな感じ?」
「年々酷くなってるって感じですが……ここ最近の荒廃具合が、特に酷い感じですね……」
 その回答に、氏無はやれやれ、と言った調子でため息を吐き出した。
「やっぱりかあ……」
「やっぱり、とは?」
 ダリルがその言葉に引っかかったように問いかけると、うん、と氏無は複雑な顔をした。
「ここ最近、のより正確な所を言うと、ニルヴァーナと繋がった辺り……じゃないかな?」
 はっとした皆の視線が集まる中、アリーセは静かにこくりと頷いた。
「……そうです」
 途端に皆の表情が硬くなり、ルカルカが皆の言いたいことを代弁するように口を開いた。
「パラミタの力が弱まっていることと、何か関連があるんですか?」
「さあ、ねえ?」
 対して、氏無はただ肩を竦めるばかりだ。
「では、これほどの部隊を用意したのは、何のためですか?」
 はぐらかすような物言いに、そんな問いを口にしたのは樹月 刀真(きづき・とうま)だ。イコンこそ配備されてはいないものの、念のための警備、とは言いがたい規模の防衛レベルで人員が配備されているのだ。それだけの何かがここにあるのではないか、と疑うその目線に、氏無は肩を竦める。
「あくまで用心だよ、あくまで」
 尚もはぐらかすような様子に、するり、とその腕を取ったのは漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)だ。
「用心でこれだけの人数を動かすような、小心な方じゃないと思うんですけど?」
 ね、と妙に甘い声を出す月夜に、刀真が何とも言えない顔で目を逸らした。その間も、ざわとらしく腕を絡めて氏無に密着すると、「大、尉」と意味深な響きをつけて、上目遣いにその髭面を見上げる。
「本当のところはどうなんですか?」
「ううん、でもこれってまだ秘密なんだよねぇ〜」
 困ったような言い方をしているが、まんざらでもないような様子に、後一押し、とばかりに、むにゅりとした弾力が感じられそうなほど腕を寄せて密着させる。
「何か、凄く警戒しなきゃいけない理由があるんじゃないですか? 例えば――真の王……とか」
 囁くように言った言葉に、すうっと氏無は目を細めたかと思うと、ふふ、と低く響く声で笑った。唐突に変わった雰囲気に、思わず体を引きそうになった月夜だったが、それより早く、氏無がその腕を取って引き寄せると、息がかかりそうなほど顔を近付けた。
「……そんなに知りたいなら、じっくり教えてあげるけど……?」
 お返し、とばかりに囁くように言う氏無に、鳥肌を立てて月夜が唾を飲み込んだのに「かわいいねえ」と氏無は笑ってぱっと離れた。その顔はもう、普段のそれである。
「色仕掛けには、もうちょっと経験が必要かな。まぁでも、健闘賞、ってことで」
 そう冗談めかすと、またその表情を変化させると、刀真たちに向けて説明を始めた。
「その名前を知ってる、ってことは、ヘビモスの事件は知ってるよね」
 何人かが頷くのを待って、氏無は続ける。
「”これ”が”そう”なのかは、実際のところはまだ不明なんだよ。そもそも、不透明な部分が多すぎるからね」
 関連性があるかどうかも未知数なのだが、全くの無関係、と言うには、時期が近いのが問題なんだよ、とため息混じりに口にする。危険性がゼロで無い以上、警戒は必要だが、無闇に不安を広げて疑心暗鬼に陥るのもよろしくない、ということで、今回は表向きにはなっていないのだ、と言う。
「秘密、じゃなかったんですか?」
 刀真が、月夜の仕返しなのか、どこか意地悪げな物言いをするのに、氏無はにっこりと笑った。
「このところ、妙な事が相次いでいるからね。事実はそう遠くなく明らかになるだろうし」
 君らはそれで不安に足を止めたりなんてしないだろ、と続いた言葉は、信頼と言うよりは、試しているかのような物言いだ。何とも言えない顔をする面々に構わず、近寄ってきた部下から何事か報告を受けて氏無は頷く。
「外部からの襲撃は薄そうだしね、防衛ラインを内側へ再展開」
 どうやら町の警戒態勢の確認だったようだ。さて、と気を切りかえるように手を叩くと、氏無は通信機を手に取った。
「こちらはまあ良いとして、そっちはどんな感じだい?」
『町の内部の避難経路については、代表に確認を取っているところです』
 氏無の、無駄にのんびりした口調の通信には、硬いクレアの声が応えた。




 まさにその頃、地輝星祭を取り仕切る者たちが集まっているテントの中で、ザカコと垂が長老達と向き合っていた。
 話すことは決まっている。だが、事が事だけに、両者ともなかなか用件を切り出せないまま、曖昧な会話が続いていたのだが、それを見かねたように、垂が口を開いた。
「結論出すのは難しい、ってのは判ってるけどな」
 それでも、見て見ぬふりで通り過ぎることはできないだろ、と垂は続ける。
 彼らが話し合っていたのは、この町の今後のことについてだ。カモフラージュを行っていた女王の存在も失われ、その地下に眠っているらしい封印も、綻びようとしている今、このまま鎮めだと偽って祭を続けたり、既にその意味を失ったストーンサークルの封印や、その地下の本来の封印を見て見ぬふりをするのでは、どうにもならないところまで来ているのだ。
「何が封印されているかはまだ解りませんが……少なくとも解除したらこの町は終わりだと思います」
 諮詢した後、率直に切り出したザカコに、町長は青ざめ、長老は深く重い息を吐き出した。長老の方は、今回の事件の諸々から、薄々とそれは感じていてはいたのだろう。ディバイスの口を借りた声が「力を還す」と言っていたことや、祭の持つ特性から見て、力を与える見返りとしての豊かさで、この町が成り立っていたのだろう。或いは、祭によって周囲の力を吸わせていたのかもしれない。いずれにしろ、それは封印されている存在が、そこにある、という前提の上だ。
「封印が解かれた”何か”が、引き続き豊かさを与えてくれると言う保障はありません」
 そもそも、何が理由で封じられていたのかも不明なのだ。実際には逆で、豊かさを手に入れるために封じられた、という可能性も無いわけではない。そうなれば、封印が解かれた時点で、待っているのは破滅だろう。ただその逆に、封印をされていたものがそれを解いてもらうことで、本来の豊かさを還してくれる、という可能性もまたゼロではない。
「いずれにしろ、封印は緩んでしまっています」
「今回のこれは、原因が重なっちまったせいで一気に緩んじまったせいだろうが、こんなことがなくても、いずれこうなっただろうな」
 ザカコが言うのに、垂も苦い調子で付け加えた。時は来た、という、この状況を待っていたと言わんばかりの言葉を信じるなら、例え女王を討伐しなくとも、歌の影響が無くとも、遠くない未来に同じように封印が緩む時は来たのだ。
「幸か不幸か、この異変のおかげで本来の封印の存在が判明しました」
 突然破れてしまうより、対策する時間が出来た、と考えるべきだと身を乗り出すザカコに、現在の町長は、まだ顔を青ざめさせたままながら、そうですね、と重く呟いた。それでもそれっきり黙りこくってしまうのに、今度は垂が身を乗り出した。
「町長さん、決めるのは俺たちじゃあないんだ」
 その言葉に、ザカコも頷く。
「この問題は、通りすがりに等しい我々が、答えを出していいものじゃあありません」
 この町をどうするか、どうしたいかは、この町で暮らし、この町を作ってきた皆のものだ。そう力説するザカコに、そうとも、と垂は声を強めた。
「封印を解くか、それとも解かないか。俺はどちらでも構わないと思う。どちらが正しいかなんて、俺たちが決められることじゃあないからな」
 仲間達の何割かは、完全に封印しなおしてしまうべきだ、という意見だ。解除してしまうリスクから考えれば、もっともな意見だとは思うが、それがベストかどうかも、まだ誰にもわからないのだ。ならば、決めるべきは自分たちではなく、この町の人間の権利である、と垂は思うのだ。
「勿論、皆さんが判断するための材料は必要です。それは私達も力を尽くしますし、望まれるなら、協力もします。ですが、選ぶことはできません」
 ザカコも同じように主張し、最後に「それに」と垂が力強くばん、と自らの胸を叩いて見せた。
「その選択の結果で、どんなことになっても、俺が必ず守ってみせる」
 だから、選ぶことを恐れないでくれ、と真摯に訴える二人に、町長と長老は、顔を見合わせ、思い思いの表情で、ゆっくりと頷いて見せた。
「そうですね……選ぶのは、我々の権利で、義務でしょうな」
 町長の言葉に、長老もそうじゃの、と同意する。
「ただし、リスクを恐れない、と言うわけには行きません。最低限の安全は確保しておきたい」
 自分には、町民を守る義務もありますから、と、まだ血の気の戻らない顔で、それでもしっかりと言った町長に、垂は思わず表情を和らげた。ザカコもまた頷いて、町長へと向き直った。
「いざと言う時の為の準備をしておきましょう。緊急時の避難マニュアルなどはありますか?」





「とりあえず、フライシェイド達が遺跡からわんさか出てくるって事は無かったみたいだな」
 安心したような、少しばかり拍子抜けしたような、そんな何ともいえない声を漏らしたのはメルキアデス・ベルティ(めるきあです・べるてぃ)だ。女王を討伐後、外へ被害が出ないようにと、マルティナ・エイスハンマー(まるてぃな・えいすはんまー)と共に町を回っていたが、遺跡の中に残った討伐隊と、ストーンサークルの入り口に残ったスカーレッド達のおかげか、中から出てくる様子はほとんど無かった。
 とはいえ、フライシェイドは虫のようなモンスターである。すり抜けて外に出たものも、数は少ないものの存在し、地道に討伐を続けていたところで、教導団の通信から、緊急時の対策についての通達が入ったのである。それによれば、緊急時には、輸送用のトラックを町の中へ侵入させるらしい。
「緊急時、ねえ。封印の状態ってそんなに危ないのかしら」
 マルティナが難しい顔で呟いたが、メルキアデスはさあなあ、と首を捻る。
「まだ解くとも解かないとも決まってないのに、気が早い気もするけどな」
 そんなことを呟いていると「なあ」と二人に声をかける者があった。ネットライブを見て、この町へと足を運んだ山田 太郎(やまだ・たろう)だ。祭だと言うのに、外側も内側も、そこかしこで妙な緊張が走っているのが気になったらしい。
「おまえ達、教導団員だろう。どうもさっきから私服や制服の教導団員をちらほら見かけるんだが、何かあったのか?」
 訊ねられて、一瞬顔を見合わせた二人だったが、隠し立てすることも無いので、マルティナが現在までの状況を簡単に説明した。すると、ふむ、と難しそうな顔をして太郎が唸る。
「聞いた感じじゃ、その封印、ってのはあんまり良い印象じゃないねぇ……」
 わざわざ隠さなきゃならなかった、と言う部分が引っかかるらしい。
「ですが、封印の解く解かないは、自分の本分ではありませんわ」
 個人的には封印されていたものを解いてみたいという興味はあるが、教導団としてはその判断は上官の分であり、一個人とすれば、判断する権利があるのはこの町の住民だ。それもそうだが、と納得とそうでないものとが混ざり合った複雑な声で太郎がまだ難しい顔をしていたが、メルキアデスの方はあっけらかんとしたものだ。
「どっちを選ぼうが関係ないぜ。俺様がついてるんだからな!」
 どう転んでもちゃんと俺が守ってやるよ、と強気な様子に、太郎は軽く面食らったようにぱち、と瞬く。それに気付いた風も無く、メルキアデスは調子良く自分の胸を自信満々に叩いた。
「大船に乗った気でいれば、そう、えっとなんだっけ、タイタニック? そう、タイタニックに乗った気でな!」
「メルキアデス君。それじゃ沈みますわよ」
 しかもある意味不慮の事情で沈んだ船である。勘違いにしてもたちが悪い、とマルティナが盛大にため息をついた。その時だ。くすくすと笑う声がして振り返ると、いつから二人のやり取りを見ていたのか、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)が笑いを堪えるように口元を押さえていた。とはいえ、先に声が漏れてしまったのだから、今更、のような気がしないでもなかったが。
「元気なのは良いことだ」
 その少し後ろで、同じように丁度通りがかったらしいレン・オズワルド(れん・おずわるど)がフォローするように言ったが、やはりその口元は笑っている。
「タイタニックは困るから、沈没させないように努力しないとね」
 おっとりと言って、息をするように自然な動作で、どこともなく取り出した薔薇をマルティナに差し出すと、突然のことに戸惑いとともに、少しばかり少女らしく頬に朱を挿すのが引くのも待たぬ間に、さて、と切り出した。
「ちょっと協力して欲しいことがあるんだけど、良いかな」
「何ですの?」
 首を傾げるマルティナに、エースは地図データを差し出した。そこに記載されていたのは、この町の緊急避難経路だ。思わずそれとエースの顔を見比べたマルティナに、エースとメシエは頷く。
「町長と連絡を取って、いざと言うときのための経路を確認したんだが、俺たちだけでは手が足りない」
「何かが起こってからでは遅いですからね。すぐにでも行動に移すために、準備が必要なんですよ」
 そこで、教導団員である二人に、白羽の矢を立てた、というわけらしい。状況を知っている契約者を探すより確実だからだろう、とマルティナは推測したが、メルキアデスはふふん、と得意げに鼻を鳴らした。
「よっしゃ任せとけ! 俺様はシャンバラ教導団の最先端の新人、メルキアデス・ベルティ様だぜ!」
 自信満々な様子を、どこか微笑ましげに見やって、太郎が自らも手を上げた。
「……俺でよければ、手伝おうかねぇ」
 そのやり取りを眺めていた太郎がそう名乗りをあげるのに、エースは嬉しそうに表情を緩める。
「助かる」
 そうして、その場のメンバーと互いに連絡手段を確認すると、エースとメシエそして太郎は、他の経路の確保の為に踵を返していった。残ったのは、レンとメルキアデス、マルティナの三人だ。
「あいつらと一緒に行かないのか?」
 率直な疑問を口にするメルキアデスに、あちらは三人、こちらも三人で丁度いいだろう、と言ってから「それに」と付け加えた。
「いざと言う時、教導団と連携の取れる位置にいたほうが良さそうだからな」
 その言葉には、マルティナが眉を寄せた。
「……皆さん、いざ、が起こる、と思ってらっしゃいますのね」
 緊張を孕む声に、メルキアデスも表情を硬くした。
「女王を倒しちまったの、不味かったってことか?」
 その言葉には、討伐に参加した軍人としての責任感が滲んでいる。だが、レンはいや、と首を振った。
「何らかの影響はあるのかもしれないが、直接的な原因ではないだろう」
 そう答えはするが、あまりその表情は優れない。それをいぶかしむような二つの視線に気づいて、レンはとん、と何かを考えるようにこめかみを指で押した。
「気になっているのは、あの少年の声だ」
 その目的も、存在も明らかになっていない、第三者。恐らく、賢者たちと共に封印に関与した者だろうとは予測されていても、封印を解こうとする理由も、そもそもの封印自体についても、彼は明かしていないのだ。
「それに何より、子供の体を利用するような真似をするような存在を、信用するのは難しい」
「そうだな」
 憤りの滲む声に、うんうん、とメルキアデスも頷く。
 
 そんな風にして、互いに意思を同調させていたその時。
 再度、教導団員へ向けて入った通信が、緊急時の対応についての追加情報と共に、エースが確認していた避難経路が、正式に採用になったことを告げた。






「準備は整ったかな。あとは、結論を待つばかり、ってところだね」
 各方面への連絡と、戦力配備や経路確認などの諸確認を終え、氏無は呟いた。俄かに緊迫しつつあるその状況にそぐわない、妙にのんびりとした声だ。だがその目だけは笑うことなく空を見上げ、軽く眉を潜めて目を細めた。
 地輝星祭の行われている、夜のごとき町の中と真逆に、雲ひとつない晴れ渡った空が、かえって気に入らない、とばかりに、その口が紫煙と共にため息を吐き出す。
「おあつらえ向き、ってことかな、どうも」
 嫌な予感しかしないねえ、と呟くのに、アリーセは湧き上がる胸騒ぎを噛み砕くように、食べかけの林檎に歯を立てた。