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漂うカフェ

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 痩せた男――ゲレオン大佐は、玄関から入ってきていた

 岩造が最終的に『ヒプノシス』を使い、鏖殺寺院の襲撃部隊は眠らされて一網打尽でお縄となった。馬車に隠れていた司令官とブルー・ビーストは、巻き込まれぬよう退却するのが精いっぱいだった。襲撃部隊の後方で、負傷者を『ヒール』で助けていたレッド・マスターも、這う這うの体で退却して二人と何とか合流した。
 馬車の退却に不審なものを感じた岩造は、逃走するそれを追ったが、追いつくことはできなかった。それに、途中で鏖殺寺院の別働隊が機晶姫・萱月を拉致しようとして契約者たちと闘っているところに遭遇し、そちらを叩きのめす方に方向転換した。ブラック・ハンターはその、何らかの介入をする暇もなかったあっけない顛末をなすすべもなく見届け、やはりこっそりと退却するしかなかった。
 玄関先で頑張っていた吹雪とセイレムは、押しかけてきた襲撃者たちが残らず眠らされたのを見て、彼らを拘束してシャンバラ政府に突き出すべく、縄とそれに代わりそうなものをありったけ持って捕縛に向かった。レジにいたミスティや、北都にリオン、客を無事に裏手から出した後のリアトリスたちや終夏たちだの、ほとんどの従業員役の契約者たちが、総動員で外に飛び出して眠る敵たちをふん縛った。人手が必要だったのだ。
 そうしてノーマークになった玄関から、二年前の襲撃に失敗した男はするりと忍び込んだ。彼は鏖殺寺院において、ありとあらゆる場面を想定した潜入のための高度な隠密の訓練を受けていた。ゲレオン大佐、というのも通り名で、二年前には別の名を使っていた。玄関先で大捕り物の最終段階に入っている人々を尻目に、気配を完全に隠して大胆にも玄関から入った。客が全員退避したとはいえ、裏口は厨房に近く、そこには鈴里の身を案じた契約者たちが数人残っている。地下への入り口がそちらにあることは分かっていたが、慎重を期した。
 玄関先で騒ぎが起こったことで、「速やかな突入」ができないとみた大佐の部下たちは、機晶姫の片割れが店外にいることを知り、それを人質にして店内に侵入するべく萱月の確保に向かったが、ラナと契約者たちによって返り討ちにあい、こちらも捕縛された。だが、玄関先の騒ぎの後始末が却って大佐の目くらましになってくれたので、どのみちその失敗は彼の計画を挫くようなものではなかった。
 が、すべての契約者たちが店外に出たわけではない。和輝はほぼ無人の客席の真ん中で、予期していたかのように冷静に佇み、侵入してきた大佐が最初に目にした人物となった。
「一番マシそうなやつが出てきたな。……なぁに鈴里、心配はいらん」

 だが鈴里は、厨房の小窓からこちらを見たまま、固まっていた。――文字通り「固まって」いたのだ。
 その唇だけが、ほんの少し開いて、今まで聞いたことのないような機械音声で言葉を紡ぎ出していた。
「カヤツキ……オウトウネガウ……ヨソク、ケイジョウ、キキカイヒリツ、40パーセント……リセット、サイケイサン、キキカイヒリツ…38、37……リセット、サイケイサンカイシ……」
 それからは「リセット」と「サイケイサン…」の繰り返しだった。

「店が……!」
 店の震動は地下から湧き起こり、それは店の中にいる者はもちろん、外にいる者の目にも明らかになっていた。
「まさか、また……『消滅』!?」
 鏖殺寺院メンバーを捕縛した契約者たちが、「店自体」の異変を悟り、頭に浮かんだのは一様にその言葉だった。
「萱月……!?」
 襲撃を躱し、店の目前まで戻っていた萱月は、しかし彼もまた様子が一変していた。
「キキカイヒリツ、35パーセント……アラート、アラート、キキカイヒリツ、サイケイサン……アラート、キンキュウヒナン、スタンバイセヨ……スズサト、スタンバイネガウ」
 無機質な機械音で言葉を紡ぐ、その目には人工的な光しかない。
 そして、戸外にいる全員が店の消滅を予期して浮足立つ中、おもむろに一人、店に向かって歩き出した。
 その目は店内にいる、「ゲレオン大佐」の背中を捕えている。
「メモリーアクセス、ジョウケンヘンコウカンリョウ、キキカイヒリツサイケイサン……」

「我々の目的は時空転移の技術のみ……いらぬお節介で無駄な犠牲が増えるのは、契約者殿らの自己責任で願おうか」
 凍りつく鈴里を一瞥すると、大佐は臨戦態勢に入っているらしき和輝を睨みつけた。
 和輝は、長口上など下らんとばかりに敵を見据え、内心スカートが戦う邪魔にならなければいいがと思いながら、じりじりと対峙した。
「鏖殺寺院! バカね、あんたたちの目論見なんて最初っから無駄だったの!! 機晶回路に近づく前に、店が消滅するんだから!」
 ルカルカの声に、大佐はぎろっと、視線を和輝から鈴里の傍らにいるルカルカに移した。
 店は、震動し続けている。イーリーが鈴里に近づき、囁くように話しかける。
「そうなんだろう、鈴里? 君たちが危険を感じ、それを避けきれないと判断した時、この店は時空転移する……危機を回避するために」

 ――それが、地下で回路を調査した3人が出した、仮説も含めての、現時点での結論だった。
「この回路自体が、危機察知する機能を備えているとは思えない。それを察知し、判断するのは恐らく双子の方だろう。だから、知能的に上位だと言った」
「だが、時空転移をする機能と思われる回路も見当たらない」
「危機を察して店ごと時空転移って……危機回避としても、大げさすぎるんじゃないそれ!?」
 振動の強くなる地下空間の中で、ダリルとセレンフィリティの言葉を受けて、だから、とイーリーはこう続けた。
「ここに来た時、明らかに回路には暴走の形跡があった。今はまだ不明な部分が多いが、こうは考えられないだろうか――

転移は、何らかの未完成の機晶技術による、危機回避機能の暴走の変種的現象である、と」

 二年前、現在「ゲレオン大佐」である人物は、未知の技術を奪うべく店に侵入を試みた。
 が、機晶回路に辿りつく前に、店は時空の彼方に消え、計画は失敗に終わった。
 彼の姿は、この店を支える機晶回路に重大な危機をもたらす最重要危険人物として、機晶姫たちのメモリーにインプットされた。
 ゆえに今また、彼の到来は機晶姫たちの不安を生み、店の転移を促そうとしている。
 皮肉にも、鏖殺寺院の行為そのものが、彼らの目的である未知の技術から彼らを、永遠に遠ざけていくことになるのだ。