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老魔導師がまもるもの

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老魔導師がまもるもの

リアクション

 3/ Tea time 2

 その男は、工具箱を抱えていた。ツナギ姿がところどころ汚れているのは、機械油のせいだろう。
「うーっし。レコード盤と音響機材と、ばっちり直ったぞ。油も忘れずに、問題ゼロだ」
「あ、巽さん。ありがとうございます」
 巽 友哉(たつみ・ゆうや)はあたたかいおしぼりを受け取ると、空いている席にどっかと腰を下ろした。
「それに、イオンさんも」
「ううん、わたしは友哉が直してるのを見てるだけだったし」
 彼とともに扉の向こうから出てきたイオン・アクエリアス(いおん・あくえりあす)が、同じようにおしぼりをもらいながら言う。
 別段、なにをしたわけでもないと。そして。
「あいかわらず、賑わってるわね。よかったら手伝うわよ、私」
「いえ、そんな──……きゃあっ!?」
「あ、彩夜っ?」
 せっかくひと仕事終えたふたりにこれ以上、お願いするなんて。
 イオンからの提案に首を左右させた彩夜は、視界の隅にこちらを呼ぶ客の姿を見て、思わず躓き転倒する。
 見たままの場所に見たままの反応で行こうとして、足がもつれたかたちだ。
 派手に転んで、したたかに尻もちをつく。
「だ、大丈夫ですか? あっちには私が行きますから──」
「は、はい。いたた……」
 加夜の心配に苦笑いを返して、立ち上がろうとして。
「おねーさん、こっち注文お願いー」
「はい、ただい……ひあっ!?」
 また別方向からの呼び声に気をとられ、足を滑らせる。
 今度は前のめりに、顔から床におもいっきり、つっこむ。
 あちらの、彩夜を呼んだテーブルからも夜刀神 甚五郎(やとがみ・じんごろう)とその一行──パートナーである草薙 羽純(くさなぎ・はすみ)ホリイ・パワーズ(ほりい・ぱわーず)たちがなんだなんだと、怪訝そうにその様子を見ている。
 ただひとり、それどころではなくブリジット・コイル(ぶりじっと・こいる)だけは己のエネルギー源……オイルがメニューにない(当然)ことに絶句し、途方に暮れていたけれど。
「あー、ほら。少し、落ち着いて。私が行くから」
 カウンターの上からエプロンをとり、腰に巻きつつイオンがそちらに向かう。
「はい、オーダーは?」
「追加でこのワッフルと、クッキー。あとコーヒーをもう一杯」
 さらさらと、イオンが注文をメモしていく。
 それら注文を除いても、かなりの数の皿とグラス、カップとで甚五郎たちのテーブルは既に埋め尽くされていた。
「大丈夫か?」
「うう、破れちゃいました……」
 見かねた友哉が彩夜を助け起こすと、たしかにほんの少しスカートの裾が裂けて、糸がほつれていた。
 幸い、中身が見えるとかそれほどではないからよかったものの。
「この靴、下ろしたてで。まだ履きなれてなくって」
 スカートのほつれをしきりに気にしながら、彩夜はそんなことを言った。
 なるほど、彼女の履いているバレエシューズ型のパンプスはたしかに、これでもかとばかりに新品そのものにぴかぴかと光を放っていた。
 ──と。
「なになに、どーしたの?」
 テラスに入ってきたふたつの影が、しょげている彩夜を見てきょとんとしていた。
「ありゃりゃ、破れちゃってるねぇ」
「栄斗さん、ルーシャさん」
「こんにちは。ちょっと、早めに来てしまいました」
 紅坂 栄斗(こうさか・えいと)に、ルーシャ・エルヴァンフェルト(るーしゃ・えるう゛ぁんふぇると)。彼らは定期的に、この孤児院の子どもたちへと歌を教えに来てくれている。
 だが、時間的には少し早すぎるような気がした。
「だから、せっかくなのでお茶をご馳走になろうかと」
「そういうこと」
 もちろん、代金は払いますけどね。
「ですか。じゃあ、今準備しますね」
 ここの紅茶もケーキも、おいしいから。そう言う栄斗たちに適当な席を勧めて、彩夜は水とおしぼりとを取りに踵を返す。
「ただいまー」
「あ、雅羅先輩。おかえりなさい」
 それと時を同じに、雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど)が木製の段を上がって、テラスに戻ってくる。レイナ・ミルトリア(れいな・みるとりあ)が孤児院の女の子たちを連れそれに続き、一番後ろには武もいる。
「あそこは、あの方程式をあてはめればいいんです。そうしたら、両方を括って。それでオーケー。他の問題も、同じ要領ですよ」
 きっと皆で本を読み、子どもたちに勉強を教えていたのだろう、補足説明なのかそのようにレイナが女の子たちと言葉を交わしている。
「これから皆で、お菓子作りですよね?」
「そうね、だから戻ってきたのよ」
 レイナが、それは素敵ですね、と胸の前で手を合わせる。冷静な彼女も子どもたちとのふれ合いでいつもより少しだけ、盛り上がっているようだった。
「おーい。こっちも戻ったよー」
 道の向こうから、北都たちが手を振っている。
 そろそろキッチンのほうでも、子どもたちのお菓子作りの準備が進んでいるはず。
 皆、タイミングぴったりだ。
 あとは──……、
「ごめん、ちょっといい?」
「んお?」
 あとは、そう。説得がうまくいけば。そう思ったとき、雅羅はつんつんと肩をつつかれ、振り返る。
「どうしたの?」
「いやさ、そこのウェイトレスさんに頼まれてたおもちゃの修理なんだけど」
「あ、はい?」
 なんだなんだ。店の奥に続く、友哉たちも出てきた扉からひょっこり顔を出した笠置 生駒(かさぎ・いこま)に、一同寄り集まる。
「もしかして、数が多かったですか?」
「ん、そんなとこだね」
 彼女は、子どもたちが日々を送る中で傷んだおもちゃや日用品の修理をやってくれていた。
 だが、さすがに六人分である。ひとりにつきひとつというわけでもないし、なにしろ数が多い。
「なんなら、手伝おうか?」
「そうだね、このままだと夜までかかっちゃいそうだし」
 お願いできれば。
 生駒がそう言ったのに対し友哉は頷き、腰掛けていた椅子から立ち上がる。ふたりでやれば、そのぶん早く片付くはずだ。
「お、そうだ」
 そして扉へと向かうその道すがら、栄斗の肩を叩く。
「レコード、ばっちり直しといたから。好きなだけ歌ってくれ」
「ああ、ありがとう」
 栄斗と目配せしあって、友哉は扉の先に消えた。
 どんな感じだ。どのくらいの数があるんだ。生駒と、やりとりしながら。

*   *   *

「イグナ?」
 ──まただ。また、視線を感じる。
「あんたも、わかるのか」
 近遠たちとテーブルを囲む中、再びまとわりついてくるその違和感に、イグナは思わず立ち上がった。
 その彼女に、ひとりの男が話しかける。
 一体どうしたというのか。怪訝そうに首を傾げる近遠らを尻目に、ダクワーズを銜えた彼、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)とイグナは目線を交わす。
「奇遇だな、俺も感じる。よくないこと考えてやがる、そんな気配だ」
「……ああ」
 なにか知っているのか。訊ねると、エヴァルトは頷く。
 この地下に眠る霊脈のことを。かけられた──呪い。その、封印。彼の知る範囲で、だが。
「一体どんなモンかはわからないが、不審者つーのは十中八九そいつが狙いだろうよ」
「だろうな」
 勘の鋭いふたり、頷きあう。
「うむ、ご両人。よくわかっておられる。まさしく、そのとおりです」
 頷きあっているその両者の隣に、いつの間にか──異形の怪人が、つっ立っていた。
「「うわっ!?」」
 音もなく、そんな至近距離に黒衣の長身があったのだから、いくら警戒していたとはいえ驚くのは当然であり、道理である。
 エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)。その異形の顔と様相がふたりを覗きこんでいたのだから、無理もない。
「お、おおお前っ!? どこから湧いた!? いつからそこにいたっ!?」
「たった今ですが、なにか」
 なにか、じゃないだろう。間近でどアップを見せ付けられたエヴァルトたちだけでなく、その急な出現に、テーブルの近遠たちまでもが驚いて、目を瞬かせている。
 まさか不審者って、お前じゃないだろうな。エヴァルトの向ける視線に気付き、いくぶんむっとしたようにエッツェルが説明をする。
「……なにか、失礼な視線と妄想を感じますが。ここの持ち主──『貿易風』とは旧い友人なのですよ、ここ数年来の」
 と、帰ってきた子どもたちがエッツェルの長身に気付き、あー、おじちゃんだー、とはしゃぎながら駆け寄ってくる。
「こらこら、おじさんはやめてくださいといつも言っているでしょう?」
 エッツェルも、そのうちのひとりを抱き上げる。
 群がってくる子どもたちは、異形の怪人に対し物怖じすることも、怯えることもしない。
 子どもたちが懐いているところを見るに、どうやら旧知というのはほんとうのことらしかった。
「皆、元気にしていましたか?」
 これからみんなで、お菓子つくるの。女の子の一人が、頭を撫でてもらいながら言った。
 雅羅たちの引率で、少女はそのままキッチンへと向かう。
 エッツェルのまわりには、四人の男の子たちが残った。
「──で? ここには何しに来たんだよ。子守りか?」
「まさか。……違いますよ。説得です」
 貿易風の。旧いタイプの考え方のウィザードである彼女が学園側の申し出に素直に従うはずがないことは、火を見るよりも明らかですからね。中立で発言する人間も必要でしょう。