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老魔導師がまもるもの

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老魔導師がまもるもの

リアクション

 6/ まもりたいもの

「時既に遅くなんか、なってたまるかよ。するかよ」
「ぬうっ!?」
 魔導師の婆ちゃん──スラン婆ちゃん、たったひとりならともかく。
 今、ここに何人戦えるやつが集まってると思ってる。
 酒杜 陽一(さかもり・よういち)は驚愕に目を見開いているハデスに対し、首根っこを掴まえて捕らえたデメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)を見せつけながら言う。その周りには、彼同様に老魔導師の説得に訪れていた者たちが並び立つ。
「馬鹿な……ありえん!! 私の完璧な作戦がっ!?」
「だーかーら。人数差ってものを考えに入れとくべきだったな、完璧っていうなら」
 なにが完璧だ、どこが。
 うんざりした様子で、陽一はくしゃくしゃと髪をかきあげる。
「今日この場所には、お婆さんの説得のために多くの人たちが集まっていたんです。日と時間をもっと選ぶべきでしたね、あなたは」
「ごめーん、ハデスー……」
 この子ひとりで、これだけの人数。突破できるわけないでしょう。
 陽一とともにデメテールを捕えた白星 切札(しらほし・きりふだ)が、腕の中ですやすやと寝息を立てる己が娘、白星 カルテ(しらほし・かるて)を揺すりながら厳しい目を向ける。
 彼ら、彼女らが。オープンカフェにいた者たちが。
 キッチンから出てきた雅羅たちが少しずつ、それぞれの方向からじわじわと包囲網を狭めはじめる。
「く……!」
「ど、どうしましょう……!?」
 どうするも、こうするもない。こうなっては、ハデスたちにとることのできる道はひとつしかなかった。
 捕まりたくなければ、逃げるしかない。
「やむを得ん!! 撤退する!!」
「あ、こら待て……って、この!!」
 それまで大人しく捕まっていたデメテールが陽一の手を振りほどき、一気にハデスたちのもとへ駆け抜ける。
「ミネルヴァ!! ミネルヴァ・プロセルピナ(みねるう゛ぁ・ぷろせるぴな)!! 聞こえるか、戦略的撤退!! 急げ!!」
 撤退時には、通信を受けたミネルヴァが拾ってくれる手はずになっていた。……少なくともハデスはそのつもりだったし、そうなる予定であったのだが。
 しかし、残念なことに。

『あら、そうですか。ではひと足お先に失礼いたしますわ。ディナーの時間には遅れませぬよう、お忘れなく』

 肝心のパートナーのほうはそうでもなかったらしい。
「なっ!? おい!? ……ええい、走れ、二人とも!! 走るのだ! とにかく逃げ延びて態勢を立て直すのだっ!!」
「ミネルヴァあ〜!!」
 一目散に三人、駆けていく。
「おいこら! 待てや!!」
 そのあとを、メイスンが武器握りしめ追いかける。
「カッカッカ、おもしろくなってきたわい。ゆくぞ、妖蛆」
「はいはーい」
 さも愉快そうに、更にそれを衛が追う。 
「さーて、三対三。でもメイスン様のおかげで、こちらは土地勘ばっちり。おまけにおいしいお茶のおかげで充電もばっちりですわよ」
 最後にルドウィク・プリン著 『妖蛆の秘密』(るどうぃくぷりんちょ・ようしゅのひみつ)が続き、他にも何人かが追撃のため駆けて行った。
「捕まって、たまるものかよおおぉぉっ!!」
 ハーデスがあとに残すその叫びは──少なくとも全力疾走しながらで舌を噛まなかったことは、評価していいかもしれない。

*   *   *

「やれやれ。とんだ不審者さわぎだったな」
 人質から解放されたふたりを、皆が囲む。その中には無論、この教会の主である老婆もいて。
 なんともないから、大丈夫。微笑む彩夜とゆうこに、それでも美羽やベアトリーチェ、レイナたちが心配げにしている。
「まったく。それにしてもはた迷惑この上ない」
 深月が腕組みをし、ぼやいた。香菜が、雅羅が交互に頷く。
「何事もなかったのは、よかったですけれど……ね」
「ああ。せっかく歌いに来たのに、歌えないじゃ意味ないからな」
 誰も傷つかなかったのが、最良。栄斗とルーシャの言葉に、ウェイトレスたち皆がそのとおりだと思っていた。
 実被害と呼べるものは、実質皿が一枚だけ。床に落ちて割れた、それだけなのだ。
 これならすぐに片づけられるし、営業も再開できる。
「おばあさん」
 そんな皆の中心に、彩夜とゆうこの前に一歩、老婆が歩み出た。
 柚と三月が道を開け、周囲も静まり彼女の言葉を待つ。
「な、ばーさん。こういうことだって起きるんだ。だからここは観念して俺に任せて」
「お前は黙ってろって」
 ずずいっと身を乗り出した陽介に、恭也が後頭部チョップとともにつっこみを入れる。
 せっかく、婆さんがなにか言おうとしてるんだ。話がややこしくなる。
 一同が、固唾を呑んで見守っている。
 おもちゃの修理を終えて出てきた生駒たちも、子どもたちに交じるルシオンも。

 ──すまなかったね。あたしのせいで、怖い思いさせたろう。

 老婆は優しい目をして、かわるがわるに彩夜とゆうこを抱き寄せた。
 そして踵を返すと、自身の後方にいたこの孤児院の子どもたちひとりひとりの髪を撫で、抱きしめていく。

 ──もう少しだけ、考えさせてはくれないか。

 最後の男の子をぎゅっとしてから、老婆はそう呟いた。
 あまり遠くないうち、結論を出そうと思う。だからもう少しだけ、待ってほしい。その声は静かであったけれどたしかに、説得者たちにも、手伝いに来た者たちにも。来客にも、皆の耳に聞こえた。
 遅くならないよう、決めようと思う。
「先生……」
 聖がぽつりと、年老いたその恩師に向かい呼びかけた。
 ダンタリオンの書が、彼の背をぽんと叩いた。
 納得するように。答えを探せばいい。そして、見つければいい。見つかるまで、探し続ければいい。

*   *   *

 夕方になっても、けっして広くはない客席は満員近い。
 評判に引き寄せられた客たちと、残っている面々によって喫茶店はまだまだ、人影に溢れていた。
「随分、繁盛してるのね」
 注文をとりにきた彩夜にそう言うアリス・クリムローゼ(ありす・くりむろーぜ)は、掌で小型の携帯端末を玩びつつ、器用にもう一方の手だけでメニューを広げる。
「はい。昼間にちょっとだけ、ハプニングがあったんですけど」
 ハプニング? …ハプニング、ねえ。
「なになに、押し倒されちゃったとか?」
「え?」
 彼女の手にする小型端末の中には、契約者たるクラン・デヴァイス(くらん・でう゛ぁいす)がいる。だが生憎と、端末上の存在であり実体のないクランはせっかく喫茶店にきたとはいえ、これといってすることもなく。
 ただ、アリスとウェイトレスの少女が交わす言葉のやり取りを聞くばかり。
 やりとりというか、軽いセクハラを。
「んじゃさ、脱いでみてよそれ。下着、みてみたーい」
「え、ええっ?」
 戸惑う彩夜を尻目に、からからとアリスは笑う。あいつ、酔ってるな。端末の中でクランは、ここにやってくる前に迎え酒ならぬ迎えスイーツだとか言いながら彼女が、洋酒の効いたチョコレートを大量に貪っていたことを思い出す。あんまし暴走しすぎて、つまみ出されなければいいけれど。
 むこうのテーブルでは、伝票に打ち出された請求金額を見て、ひとりの男──パートナーたちとしこたま食べて、飲みまくった甚五郎がまだ無数に皿の残るその机上に突っ伏している。あちらも多分、後先考えずに暴走気味にあれこれ注文しすぎたことを今になって、後悔している。
「ああっ!? またスプーンがっ!? 痛っ!?」
 別の席では、もう何本目だろうティースプーンを雅羅が取り落とし、拾おうとして後頭部をテーブル裏にぶつけて悶絶している。
 大丈夫か、おい。和深が、換えのスプーンを持ってきたルーシッドが、痛さで涙目の彼女を気遣う。
 いや、うん。なにもすることがないってのはむしろ、お得で平穏なことなのかもしれない。
「ぐぎぃ?」
 一体、中身はどうなっているのだろう──恐竜の着ぐるみに身を包んだテラー・ダイノサウラス(てらー・だいのさうらす)が、夕焼け空に流れ始めたレコードのメロディに顔をあげる。
「ぎぃ、ぎぃ!」
 多分、子どもたちならば誰もが知っている歌。
 大人でも、街中やどこかで流れているのを耳にしたことが一度はあるだろう、有名アニメの曲だ。
「むー、聴き入らないの。テラーが言うから、遊んであげてるんだからね。あんたたちみたいな虫けらの相手なんて本当はしたくないんだから!!ヽ(`Д´#)ノ」
 大テーブルに広げた画用紙に、ともにクレヨンでお絵かきをしていた子どもたちが一斉に手を止め身体を起こしてしまった。自身の段取りが邪魔されて、不満げにドロテーア・ギャラリンス(どろてーあ・ぎゃらりんす)はむくれる。
「そう言うなって。あたいだってなにやってるか、わりと自分自身疑問なんだからさ」
 男の子をひとり肩車している、グラナダ・デル・コンキスタ(ぐらなだ・でるこんきすた)もまたため息ひとつ。そりゃあ、パートナーがそうしたがったのだから、ある種保護者のようなものとしてグラナダだって、それを放置するわけにもいかないのだけれど。
 せっかく喫茶店にきたんだから、子守りよりまったりしたいと思うのが一般的な人情というものだろう。
「やっぱり、なんだか懐かしいなぁ。霊脈、か」
 アンティークなデザインの彫り込まれた手すりに腰かけながら、リキュカリアが誰に対して言うでもなく虚空に声を吐き出す。
 昼間のお礼にと皆に配られている特製はちみつジュースの小さなショットグラスを東雲がルーシェリアからふたつ、受け取る。
 そのうちのひとつを彼女に渡し、乾杯。
 更に隣にいた陽一とも、乾杯。
 三人が三人とも、ひと息にグラスの中身を飲み干した。

 老婆はただ、そんな皆の様子を、木蔭に持ち出した揺り椅子に揺られながら静かに見つめている。

「ひとりでいるのは、感心しませんよ。大した顛末ではなかったにせよ、あんなことがあったばかりなのですから」
 砂利と雑草の混じった地面を踏みしめながら、あいかわらず眠っているカルテをその背に負ぶった切札が、朱鷺やレイナとともに彼女の傍に歩いてくる。
 レイナが、ぺこりと頭を下げる。
「どうです。答えは、出ましたか」
 よし、よし。訊ねつつ、切札は安らかな寝顔のカルテをあやす。
 少し先に見えているオープンカフェでは、栄斗とベルが二重唱の歌声を奏でている。
「いい歌ですね」
 ふたりほどの腕前ではないにせよ、彼らの歌声のあとについて子どもたちもまた、耳に心地の良い曲を合唱し追いかけていく。
 子どもたち皆が、笑顔だった。
「あなたも私と同じなんだと思います。あなたもあの笑顔を守りたい。子どもたちを──そうでしょう?」
 しみじみと、切札が実感の言葉を紡いでいく。
「封印を守る、ではなくて。あの笑顔を守りたいって。他の皆も学園の人達も、それは同じ気持ちです。私は、この子を守りたい。だから、同じように子どもたちも守りたい。どうか私たちを信じて貰えないでしょうか?」
 ちょっと、ずっとこうしているのは重いですけどね。冗談めかす切札にも、老婆は答えない。
 まだ、考えているのか。それとも──……。
「あ、お婆さん」
 香菜と、柚と三月がこちらに向かって歩いてきていた。
「いいところですね、ここは」
 柚が言い、周囲皆が同意を示す。
「よかったら、ちょくちょく遊びにきてもいいですか。柚と一緒に」
 子どもたちとも、もっと仲良くなりたいですし。
 老婆に向かい、三月が笑んだ。

 ──好きにするといい。でも食い逃げだけは、勘弁だよ。

「もちろんですよ」
 老婆の、素直じゃない言い回しに小さな笑いが起こる。
 その笑い声に起こされてか、切札の背中でカルテが眠そうに眼を擦り、目を覚ます。
「おはよう、カルテ」
 ここがどこか、今がいつか。どういう状況なのか。呑み込めていないカルテはまだ寝足りない様子であたりを見回す。
「──あ」
 そして、老婆と目があった。
 自身の養う子らと同年代の少女へと、老人のやさしい笑みが向けられる。
 切札の背から降りながら、やがてカルテは言った。

「おばあちゃん、なんだか少し元気になったみたいなの。……よかったの」

 そうして老婆へ彼女の向けた笑顔は、きっと孤児院の子どもたちと同じものだった。