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狼の試練

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狼の試練

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第2章 ダンジョン探索記 3


「はぁっ……はぁ……はぁ……」
 青年は走っていた。
 長い廊下だ。前も後ろも薄暗がり。先は見えない。しかし、曲がり角や部屋だけは、ここに来るまでにたくさん見かけた。まさしくダンジョン。『狼の試練』は、迷宮のように侵入者を惑わす仕組みにもなっているようだった。
「…………」
 青年は――グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)は、さすがに体力の限界がきて、足を止めた。
 ショートヘアの赤い髪。金色の瞳。端整な顔立ちをしている。普段はどこか、子どもっぽい仕草や表情が垣間見える青年。しかしいまは、その成りはそっと潜められていた。
 ただ感じているのは、不安。
 彼は何かを握り締めていた拳を開いた。手のひらで、ちゃら、と広がる『水宝玉のイヤリング』。
 ウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)が身につけていたはずの、イヤリングだった。
 周囲に巡らせるサイコメトリが、彼の通ったルートを教えてくれる。右だ。近い。少しずつ近付いている。
 安堵が心の底から浮かびあがってくる。しかし同時に、なぜこんなことを、とウルディカに対する疑問が生まれた。しかし、その答えはグラキエスには明白だった。
 だからこそ、心が痛む。まるでその胸にナイフのひと突きを立てられたように、深く心がえぐられる。
 また、自分のせいで誰かを傷つけるのか? 傷ついてしまうのか?
「くそっ……」
 吐き捨てるように言って、グラキエスは先へ急いだ。

 そこはモンスターのはびこる部屋だった。
 うってつけだと、ウルディカは思った。だから、こうしてこいつらに戦いを挑んだ。
 だが、うかつだ。そのときの自分を叱責してやりたい。お前が思うほど、事は甘くないんだと。そして、それが身を滅ぼすことになるかもしれないのだ、と。
「がっ……」
 数十匹は倒しただろうか。まだ、モンスターたちは全滅していない。
 ウルディカは蓄積した激痛と疲労で、その場に膝をついた。
 その手に握られるのは、グラキエスの武器である〈漆黒の銃〉だった。つまりは、彼の魔力で満ちている武器。
「ぐっ……あぁ……っ」
 狂った魔力がウルディカを侵食していく。黒いオーラが、昏き力が、銃から腕へと、腕から胸へと。彼を蝕んでいく。
 だが、負けるわけにはいかない。
「……っ!」
 〈漆黒の銃〉を力任せに振り回して、彼はその引き金を引いた。
 重い音が断続的に響く。どうやら残りのすべてに命中したようだ。モンスターたちは血飛沫を散らして倒れる。
 再び、彼は膝をついた。今度は小刻みに震える。指先を動かすことさえ、つらくなってきた。
 ふと、かすんだ視界に銃型HC弐式の画面が映った。そこには、グラキエスの健康状態が位置を教えてくれるM・ROAのマーカーが表示されていた。
 近い。もう、ここまで来ているのか。ここに来るまでに、すでに罠を張ってあったのにっ。
 くるな。ウルディカはそう思った。
 頼むから、それで諦めてくれと。俺を追ってくるなと。
「ウルディカっ!?」
 部屋に飛び込んで来た影が、ウルディカに駆け寄った。
 だが――
「……エ、エンドロア……っ」
 駆け寄ったグラキエスの顔は、蒼白そのものだった。
「よかった……無事で……」
 普段は見せないような微笑でそうほほ笑みかけるが、心配されるのは自分の方だった。
 もともと体調は万全でなかった上に、ウルディカの罠もたくさん食らったのだろう。吐血して、彼は倒れ込んだ。
「お、おい、エンドロアっ」
 代わりに、ウルディカは元気を取り戻してきた。
 銃が本来の持ち主に返ったことで、魔力が安定してきたのだろう。ウルディカに与える影響も少なくなってきたようで、蝕んでいた黒い魔力は徐々にその姿を失っていった。
「…………」
 ウルディカは意識を失ったグラキエスの身体を抱きしめて支えた。
 そして、自分の見栄が招いたその結果を悔しく思った。同時に、いまだ心配される存在であることに対する、自己嫌悪と無力感が、心に押し寄せてくる。
 いつか――そう、いつか。
 自分に,彼を守れるだけの強さが欲しいと、ウルディカは願った。



 瞬撃。
 そう言って過言ではない攻撃が、白銀 昶(しろがね・あきら)に迫る。
 昶はしかし、ギリギリまで目を逸らさなかった。引き付けて、引き付けて、相手がかわせないような位置にきたとき、初めて動きを開始する。
 シャギーのかかった黒髪。生意気そうな、強気で吊り上がった瞳。頭から生えた、ピンと尖った黒狼の耳。まさしく狼の獣人。
 クオルヴェルの集落出身ではないが、昶は狼の獣人そのものだった。
 ゆえに、そのスピードも驚異的だ。攻撃を仕掛けてきた相手にも、負けず劣らない。敵の眼前で、昶は相手を飛び越えて背後に回った。
 振り抜かれた刃は、昶の影を斬り裂くのみ。
 しかし、敵はそれに動揺を走らせることなく、冷静に状況を見極めて、体をくるっと一回転させた。
 そしてスタッと、スマートに地に降り立つ。
「…………」
 白い髪。白い戦闘服。そして、白い仮面。すべてを純白で覆った男だった。
 頭からは、やはり白い狼の耳が生えている。この男も、獣人。ただし、昶とは耳も髪も、衣服の色さえも正反対だった。
 武器は刀。
「……やるな」
 ひと振りの長刀を手に、男は冷然とした声を発した。
「おまえもな」
 二人は互いを見つめ合う。
 だが、そこに憎悪や殺意はなかった。むしろ、どこか心地好い感覚のする、高揚感が支配している。自然と、口角が持ち上がり、笑みを作るほどに。
「昶……」
 二人の空間から少し離れている位置で、清泉 北都(いずみ・ほくと)が声をかけた。
 実際の歳よりも幼く見えそうな、小柄な少年。昶とパートナー契約を交わした契約者だった。
「手出しは無用だぜ、北都。手を出しちまったら、『狼の試練』じゃねえ」
「別に手は出さないけどさ。無茶だけはしないようにね。後始末が大変だから」
「後始末かよ。ちったぁ、他人の心配を……」
「よそ見をしている暇はあるのか?」
「!?」
 聞こえたのは、すぐ傍だった。
 とっさに身をかわさなければ、おそらくは当たっていただろう。
 振り抜かれた刃が、その衝撃波で大地をえぐった。飛沫のように散った土が、昶の頭を打つ。
「ったぁ……くそっ! いきなりなんてひどいじゃねぇかっ!」
「油断大敵、という言葉を知らないのか」
「うっせぇっ! そっちがその気なら、こっちだってなぁっ!」
 本気を出す――と言いたいのか。
 昶は二刀の刀を構えた。西シャンバラ代王理子の名が銘打たれた刀である。片手で持つにはちょうどよい、軽さと強固さを兼ね備えた武器。
 男の刀をひと振りで受け止めると、もうひと振りでその側面から応酬をかけた。
「っ!」
「どーだぁっ、らぁっ!」
 金剛力の力が、軽い刃であっても桁違いのパワーを生み出す。
 男は刃を受け止めるが、そのパワーに押し切られるまま、吹き飛ばされた。さらに、スピードに乗って昶の攻撃は続く。
 男の速さと反応速度も大したものだ。昶の二刀流の軌道を的確に読み取り、そのすべてをたった一刀で受け止めていく。
 すげぇ。すげぇぜ……。
 昶の心臓がバクバクと脈打った。激しく、鼓動を繰り返す。血液が沸騰するように滾る。熱い。なにもかもが。視界も、刀を振るこの指先さえも。
 これが、狼の血の成せる技か。
 徐々に高揚感が熱湯のごとく沸き立ち、昶を包み込んでいく。
 しかし、男がぎらりと眼光を光らせた。
「なっ!?」
 次の瞬間には、昶の刀はその一本を弾き飛ばされていた。
 それがきっかけとなる。昶の心臓が少し落ち着いてきた。
 やばいところだった。このままだと、血に溺れちまうところだった。
 獣人は常人よりもはるかに高い身体能力やスピードを有しているが、それは自分の中の獣の血が成せるもの。血に溺れてしまうと、獣に心を支配されてしまうのだ。
「…………」
「え?」
 勝負を続けようとした昶の前で、男は刀を鞘に戻した。
「ちょ、お、おいっ! なんでだよっ! まだ勝負は……」
「勝負はついている。お前は、自分の血に勝ったのだ」
「…………血、に……?」
「そうだ。俺の役目はそこまでだ。これ以上は無益な戦い。そして、俺の魂はそれを望んではいない」
「…………」
 男の声音は有無を言わさぬものだった。
 いや、仮面の奥から覗く眼光すらも、昶にそれ以上の言葉を継がせない。
「いけ、狼よ。お前の試練はまだ先がある」
「でもこれ以上は……」
「それはこの『狼の試練』とは限らん。お前には、お前の道がある。それが試練。それが、お前の歩む試練の道だ」
 男はそれだけ言うと、言い残すことはないというように踵を返した。
 だが、昶は、
「あ、あのよっ」
 その背中を呼び止めた。
 振り返ったその表情は、仮面に隠れて読み取れない。だが、それは昶にとってさして重要ではなかった。ただ、聞きたいことがあったのだ。
「名前。……名前は?」
「…………ファラン」
 それだけ言うと、男は――ファランはその大広間の部屋を出て行った。
 しばらく待って、
「終わった?」
 北都が聞く。
「ああ。終わった」
 昶は、弾き飛ばされた一本の刀を拾って、そう答えた。



「お、こんな所に封印されている入り口があるぞ。入ってみるか」
 きっかけはそんな一言だった。
 それがこんな形で厄介事を巻き込むなんて、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は思っていなかった。
「うおおおおぉぉっ!」
 気合いの入った雄叫びをあげて、飛びかかってきたのは数名の獣人たち。
 みな、そこらの獣人には負けず劣らない猛者ばかりだった。武器もそれぞれ。戦斧、長剣、槍、鞭、弓矢、あげくに棍棒やモーニングスターまで持ち出す輩もいる。
「来い。相手にとって不足なしだ」
 そんな猛者たちの勝負を受けるのは、佐々木 八雲(ささき・やくも)
 弥十郎の兄であり、強化人間でもあり、パートナー契約を交わした相手でもある男だった。
 ぼさぼさの銀髪。鍛え抜かれ、引き締まった肉体。端整な顔立ち。とある過去の事件から、左眼は失っているが、その鋭い目つきは依然として健在である。
 八雲は容赦しない。
 『正々堂々』と戦う事は信条かつモットーとして掲げているが、手加減をするつもりは毛頭なかった。
 真澄のマシンガンを片手に、
「はああぁっ!」
 獣人たちの咆吼さえも吹き飛ばす叫び声で、引き金をひく。
 降り注ぐ弾丸の嵐。獣人たちは撃ち抜かれて倒れる者もいるが、武器を巧みに使って弾をはじき、接近してくる者もいる。強さもそれぞれ。格好もそれぞれ。
 八雲は敵の刃を避け、マシンガンに次なる弾薬を詰め込んで、再び撃ちまくった。
「弥十郎。さぼるなよ」
「わ、分かってるよ……」
 兄から叱咤を受けて、弥十郎も戦闘に加わる。
 全能龍、妖艶龍、勇猛龍、清純龍、無垢龍。五匹のドラゴンを巧みに操って、彼は自分の手は汚さずに敵と戦った。ただ、もちろん攻撃は避けねばならないため、動き回るのは必至なのだが。
 そのうち、しばらく戦い続けて――。
 どれくらいの時間が経っただろう。
 弥十郎は精神感応で兄に話しかけた。
『今ので何戦目くらいだっけ?(ゴアアァツ、とドラゴンが吠える声)』
『1、2、3、……いっぱい。忘れた(だだんっ、だんっ、とサブマシンガンの音)』
『兄さん、頭まで筋肉になった?』
『いやいや、女の子なら覚えるんだけどな』
『そう言ってたら、なんか強そうな女性がでてきたよぉ』
『ははは……これは。情熱的だな。口説いてくれるなら嬉しいが』
 女戦士さえも現れて、戦闘は混戦にもつれ込んだ。
 さすがに八雲たちも疲れてくる。もう、勘弁してくれと、思い始めた。
 そして――よく見ると、獣人たちがかすかに透けていることにも、八雲は気づき始めた。
 ははぁ、なるほど、と彼は一人で納得する。
 だから彼は、次に挑んできた相手に対して、
「そっち霊体じゃん。こっちはまだ生身なんだから、少し休ませてよ」
 そう言って、休憩を要望した。
「元気でたら、相手すっからさ」
「……なにを身勝手なことを」
 これまであまり喋らなかった獣人たちが、そうやってぼやくように口を開く。
 ただ、八雲だって馬鹿ではなく、言い返すべき言葉はあった。
「あんたも、若い時そう言われたんじゃない?」
「…………」
「ね、だからお願い。ここは一つな」
「……はぁ」
 獣人たちはみな座り込み、八雲が持ってきた休憩セットでお茶に甘んじた。
 幽霊のくせにお茶が飲めるのか、と八雲は思ったが、どうやら幽霊とはまるで構造が違うらしい。普通に物にも触れられるとのこと。
 茶が美味いと、爺さんみたいなことまで言い出す始末だった。
 おなじくお茶を飲みながら、弥十郎が聞く。
「兄さん、ところで帰り道は?」
「わからん」
 自信満々に、八雲は言いのけた。