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終章 白鹿の彫刻亭 1

 ひっそりと町の路地裏にある〈夜の黒猫亭〉ギルドでは、一人の少女が一人芝居に没頭していた。
「うわ〜ん、今回も冒険屋ギルドさんと仕事が被っちゃいましたよー」
 冒険屋ギルドと呼ばれるギルドを運営している、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)という少女だった。
 数あるギルドの中でも、ノアは〈夜の黒猫亭〉――特に、クロネコに執着している。クロネコのふりをして、ぺこぺこと謝る芝居をしていた。
「はははっ! クロネコさん。今回もウチの勝利のようですね」
 ノアの頭の中のシナリオでは、毎回クロネコに勝利をおさめているようだった。
「あ! あなたは聡明で慈愛に満ち溢れていると評判の冒険屋ギルドのノア・セイブレム様!? 今回もそちら様と仕事が被ってしまいまして誠に申し訳ございませんッ!」
「良いんですよ。依頼人の期待に応えるのが私達の仕事ですからね。今回もウチの勝ちでしたが今後も頑張って下さい」
「あ、ありがとうございますうぅ!」
 ひとしきり芝居をしたあとで、ノアは、まるで王座に通された平民のように、ははーっとひれふした。
 もちろん、それはノアの頭の中ではクロネコに変換されているわけで。
 にやにやするノアのもとに、後ろから本物のクロネコが姿をあらわした。
「そこでなにやってるんだい?」
「うきゃああぁぁっ!? もう、いきなり声かけないでくださいよ! ビックリするじゃないですか!」
「いきなりもなにも、ここはボクの店なんだけどなぁ」
 クロネコは釈然としないというように眉を寄せた。
「み、見てましたか?」
「なにを?」
 クロネコが聞き返すと、ノアはほっと胸をなで下ろした。
 良かった。見られたわけじゃなかったんだ。
「とにかく、バカな一人芝居してる場合じゃないよ。みんな、帰ってきたんだから」
「やっぱり見てたんじゃないですかああぁぁ!」
 ノアは泣き崩れた。
「もう、うるさいなぁ! いいから、はやく〈白鹿の彫刻亭〉に行くんだよ! ほら、行った行った!」
「うわああぁぁん!」
 クロネコはノアの背中をぐいぐい押して、店を出た。
 ノアはしばらく、「乙女の芝居を勝手に見るなんて、ぷらいばしーの侵害です!」とうるさかった。
 ……乙女?

 キッチンにいる神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)は、手早く鍋をかきまぜた。
 つくっているのは、野菜たっぷりのポトフだ。角のエキスからとれたスープに、じゃがいもや人参やソーセージなど、たくさんの食材が入っている。中には見たことのないぎざぎざの葉っぱの野菜や、色味の強い肉などが入ってる。それはシャンバラ独自の食材と、カルディノスの肉だった。
 隣では、山南 桂(やまなみ・けい)がデザートづくりに没頭していた。
「桂、それはなにをつくってるのですか?」
 翡翠が興味本位でたずねた。
「和食ですよ。ああ、和菓子と言ったほうがいいかもしれませんがね。俺が出来る料理は、これぐらいのものです」
 それは、蒸しパンに甘酒入れて、餡子を包み桜の塩漬けをのせたものだった。
 西洋菓子とも違った、上品な甘い香りと、甘酒が蒸されたときの、ちょっとくらくらする匂いがあたりにたちこめる。
 いまにもお腹が空いてきて、腹の虫が「きゅ〜」っと鳴き声をあげそうだった。

 天苗 結奈(あまなえ・ゆいな)がお店の中を走り回っていた。
「八番テーブルと六番テーブルに、桂さんの特別和菓子三つ! それから、ポトフも四番テーブルに!」
 注文をとってきたメモに目を落としながら結奈が言う。
「あいよ! ちょっと待ってておくれ!」
 厨房から、おかみさんの元気な声が聞こえてきた。
 まだ運び込まれていない美味しそうな料理を見ていると、なんだか結奈もお腹が空いてきた。
 ちょっとぐらい、つまみ食いしたってバレないよね? そーっと手を伸ばす。が、横から伸びてきた手に、ぱちんっと弾かれた。
「結奈、つまみ食いはダメですよ」
 一緒にウエイトレスをしてる次原 志緒(つぐはら・しお)が、横に立っていた。
「えー! しーちゃんだって食べたいでしょ〜! こ〜んなに美味しそうなんだもん!」
 まあ、確かに……。食べたくないと言えば嘘になる。
 志緒はそう思ったが、自分のよこしまな考えをふり払った。
「ダメです。これはお客さまにお出しするものなんですから」
 そう言って、志緒は料理の皿をとりわけた。腕の上にまで乗せて、なんだかベテランのウエイトレスみたいだ。
「歌菜さんたちが、最後にまかない料理をつくるって言ってましたから。それまでは、我慢ですよ」
「まかない! うわー! 厨房の憧れだぁ! うん、わかった! 我慢するよ!」
 結奈は笑顔でそう言ってから、また注文を取りに店の中に戻っていった。
 現金なものだ。志緒はくすっと笑って、料理をテーブルに運んでいった。

 おかみさんの手伝いで、ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)はキッチンにいた。
 ベアトリーチェがつくる料理は、角のエキスでとったスープを使ったラーメンだ。じっくりとカルディノスの角を煮込んだあと、美味しいダシがとれたら、麺を手早くゆでて水を切り、野菜や肉をたっぷりと盛りつける。
「うーん、美味しそう!」
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が、ウエイトレスになってそれらを店の中に運んでいった。
「美羽さん! つまみ食いはダメですからね!」
「わかってるってば! もう! まるで私が食いしん坊みたいに!」
 どっと、店内で笑い声があがった。
 ベアトリーチェの胸の中に幸せな気持ちが広がっていった。料理は人を幸せにするというけど、それはきっと、食べてる人だけじゃなくて、つくってる人も同じだと、ベアトリーチェは思う。
 店から戻ってきた美羽も、ベアトリーチェの気持ちに気づいたのか、にやにやと笑っていた。
「な、なんですか。そんな笑い方して」
「べつにー。なんだかベアトリーチェが幸せそうだなぁって思って」
「ほら! 美羽! まだまだ料理はどんどん出てくるよ!」
「はいはーい! いまいくよー、おかみさん!」
 おかみさんに呼ばれて、美羽は次の料理を運びにいった。
 ベアトリーチェの頬はすこし赤くなっていた。キッチンの熱のせい? ううん、違う。
 きっと、恥ずかしいからだ。ベアトリーチェは恥ずかしさと同じぐらい、それだけ自分は嬉しいのだろう、と思った。

 厨房には、布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)の姿もあった。
 ベアトリーチェと同じダシを使ったスープでラーメンをつくっている。だけど、ちょっとだけ味付けの違うものだった。
「名付けて、カルディノスの角ラーメン〜醤油風味〜!」
 出来上がったラーメンを厨房のみんなに店ながら、佳奈子が言う。
「醤油風味?」
 一緒に麺をゆでたりしていたエレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)は、怪訝そうに聞いた。
「そう! 日本の醤油をこの日のためにわざわざ取り寄せたのよ! ご当地ラーメンをめしあがれ!」
 佳奈子に言われて、「どれどれ?」と、厨房にいた他のコックやおかみさんが集まってくる。それぞれ、すこしずつ味見した後で、口々に出たのは「美味しい」という言葉だった。
 その言葉を聞く度に、佳奈子は嬉しそうな顔になった。
 実のところを言うと、それほど自信はなかったのだ。大体、料理だってそれほどレパートリーがあるわけでもないし、経験が豊富なわけでもない。麺を打ってくれるエレノアと二人三脚だからこそ、出来たのだ。
 佳奈子は心の中で、ほっと胸をなで下ろしていた。そして、エレノアだけはそれに気づいていた。
 二人は視線を交わしあって、そっとほほ笑んだ。