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【地下迷宮・2】


 大蜘蛛から逃れた地下の契約者達は、広い一室を見付け、そこで暫しの休息をとっていた。
「アリクス。やっぱ連絡した方が良いかな」
 呟くトゥリンの声に、エースと唯斗が顔を見合わせる。彼等は既にアレクに連絡を取っていたが、トゥリンの取った行動は一応軍規違反だ。おおっぴらに連絡出来ないのではと踏んでの『こっそり』の行動だったのだ。
(教えてあげるべきかな……)と思っている間に、先に口を開いたのは藤林 エリス(ふじばやし・えりす)だった。
「サンダルの命令なんて知るもんですか」
「サンダル……?」
 三人が固まっていると、エリスは「アレクサンダルの略称よ!」と言い捨てる。
「足で踏まれてもご褒美とか言いそうな男だし、ぴったりでしょ
「踏まれてご褒美? アレクが? んな事したら殺されるんじゃないか?」
「ジゼル限定ならどうかな。『お兄ちゃんの変態』って言われて喜んでたよ」
「アリクスは変態って言って罵られるのが好きなんじゃないよ。
 変態っぽい事してジゼルが変態とか言いながら困ってる顔を見るのが好きなんだよ」
「「……本物だ」」
 思わず真顔に成った唯斗とエースの声が重なった。
「サンダルで踏んだのがジゼルなら足を掴んだ上で――」
 10歳の小娘から出てきた際どい台詞にエリスは年上として「何言ってるのよ!」と怒りながらも真っ赤になっている。
「だってアタシ前に駐屯所で見たもん。調子こいたジゼルがアリクスに――」
「やっ、やめなさあああいっ!!
 とっ兎に角! 今は白の教団とジゼルの事でしょ!
 もう……こんな所うろついてたらまずいに決まってんでしょうに、何処に居るんだか……」
 複雑な表情を浮かべ、エリスは終わりの見えない闇へ続く扉を見つめていた。
 レティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)が扉付近で警戒に当たっており、今のところ何かが現れる様子は無さそうだ。
 友人のジゼルの事で頭を一杯にしているフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)を彼女の義兄弟グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)とそのパートナーアウレウス・アルゲンテウス(あうれうす・あるげんてうす)に託し離れ、ベルクは友人の未来人ウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)と共にターニャの隣に立つ。
 大蜘蛛の絶叫により、疑惑は確信へと変わっていたから、視線がどうしてもそこへ集中してしまう。
「……気になりますか?」
 ぽつりと言われて、ベルクは「いや……」と言い淀みながら口元を隠し首を振った。その様子に苦笑して、ターニャはベルクの視線が注がれていた部分――首へ手をかけると、ネックマフのスナップを外す。
「困った人ですね貴方は。悉く見破られてしまう、隠し事一つ出来なさそうだ――」
 襟のホック、ボタンと外していくと、露になった鎖骨の上に暗い中でも分かる青い光りが見える。
「アクアマリンの欠片!」
 誰かが小さく叫んだ声がするが、ベルクは一人合点がいった顔をしていた。大体そういうものがあると推測していたからだ。
「もう隠す気は無いんだな」
 見下ろしてくる目に意志を持った瞳で応えて、ターニャは正面へ向き直るとはっきりとした声で言った。
「私の名前はスヴェトラーナ・ミロシェヴィッチ(すゔぇとらーな・みろしぇゔぃっち)。アレクサンダルとジゼルの娘です」
 小さな響き(どよめき)の中、高柳 陣(たかやなぎ・じん)ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)に目配せする。ターニャ――スヴェトラーナが偽名を名乗っているのは、既にユピリアから聞いた話しだったからだ。
「もっとも、私自身ミロシェヴィッチの名を聞いたのは士官学校へ入る直前で、ジゼル・パルテノペーの事は――」
「私が教えた。……らしいよ」
 挙手しながら此方へやってきたトゥリンが答える。
「パラレルワールドって言うんだっけ。日本の――タヌキが出てくるアニメーションで見たけど、あんなかんじ。ターニャはココに良く似た別の世界の今から一年後に産まれた」
 妙に確信を持っているトゥリンの声に皆は首を傾げてみせるが、トゥリンは端末を取り出して複雑な顔を見せる。
「全部データで寄越されたんだ。未来のアタシから」
「信じたのですか――」
 朱鷺の視線を受けてトゥリンは目を明後日の方向に向ける。
「んと……私にしか知らない……、話が……」
「へえ」と声を漏らしながら画面を覗き込んでくる唯斗から慌てて「見せないよ!!」と隠しながら、トゥリンは赤い顔でスヴェトラーナに向かって続ける様に促した。
「故郷のロシアに居た頃私は、『スヴェータ』と呼ばれていたんです。スヴェトラーナは明かりという意味なので、日本語に無理矢理直せばアカリチャンってところでしょうか。
 でもスヴェータと呼ばれるのは外でだけで家に帰ると、父は私を『ツェツァ』と呼びました。聞き慣れない音で少し不思議に思っていました。……後になって知ったんですが、あれは父の故郷の呼び方だったんです。
 父はたった一人で私を育ててくれた、立派な人だとは思いますが……正直言って秘密主義で嘘つきです。重要な事は何一つ、話してくれなかった」
 そう言うスヴェトラーナの顔には、何処か悔しさが紛れているようだった。
「話を戻しますね。士官学校を卒業し地上軍に入隊した私は、そのままパラミタへ配属されタチヤーナという名で活動をしていました」
「契約者としてか?」
 陣の質問に、スヴェトラーナは首を振る。
「私の世界では……パラミタはこんな過ごし易い場所では無いんです。
 ――皆さんは『魔動技術』という言葉を聞いた事は有りませんか?」
 それぞれの反応を見て、スヴェトラーナは続ける。
「『魔法技術』を活用し欧州で覇権を握るドイツに対し、イギリスやフランス、イタリアが密かに開発し実用化しようとしているものです。
 私の世界ではその力が本格的に台頭しています。ですから当然、契約者達だけが力を持つもので無くなり、特に大魔法使いや、それを抱えた国や組織の権威は一気に失墜しました。
 その混乱に乗じて、教導団では内紛が勃発。金団長がその座を追われたた後、その椅子に座った男は碌な人間では有りませんでした。
 ――たった20年も無い間です。その間に主にこの二つの事柄の影響を受け、ありとあらゆる良く無い事が起きました。地球に住むもの達はそんなパラミタを危険視し、内情を探る為の密偵をそれぞれの国から派遣していました。
 その一人が私で有り、29歳のトゥリン・ユンサル(とぅりん・ゆんさる)でした」
「未来の――ココと似てるけど別の世界の未来の、あーもう何だかややこしい。
 兎に角その私は、ターニャと元々知り合いだったんだって」
「トゥリンさんは私にとって色々な事を教えてくれたお姉さんで、師匠みたいなものだったんです。
 そのトゥリンさんから、私は、父が亡くなった事を聞きました」
 聞き手の中で違う反応を示したベルクの顔を、スヴェトラーナは見上げ苦笑する。
「予想はついてたみたいですね」
「まあな。幸せな未来なら、わざわざ過去にきたりなんかしねぇだろ」
「残念ながらその通りなんです。そうですね……この話しにはまず、父と母の出会いから話した方がいいんでしょうか。
 両方のトゥリンさんからの又聞きなので私も当然知らない事だったのですが、ジゼルが起こしたり巻き込まれた海底の城の事件、下着売り場を占拠したテロリスト事件、化鯨事件を解決したのは、私の世界ではプラーヴダ――つまり父だったそうです」
 此方側の世界で三つの事件を解決したのは、今此処に居るベルクらを含めたジゼルの友人の契約者達だ。ジゼルがアレクと出会ったのはその後の話しだから根本から違うのだと、聞き手達は頭の中身を懸命に動かし始めた。
「母はあっという間に恋に落ちて、父を追いかけイルミンスールに入学し、猛アタックの末速攻で結婚してしまったそうです」
「世界や内情が違っても、ジゼルはジゼルなんだな」
 陣はその話に頭を抱えていた。
「父は母について……いえ、母がジゼルであるという事すら教えてくれませんでしたが、トゥリンさんの話だと見た目だけでなく性格もこの世界のジゼルと似たような人だったんじゃないかと思います。
 この世界と私の世界のジゼル、決定的に違ったのはアレクサンダルと契約を結んでいない……いえ、セイレーンが子供を産める。と言う点でしょうか」
 厭にはっきりと響くその言葉に、フレンディスが離れた場所で眉を顰めた。
「母が丁度私を身ごもっていた頃、母の前にある男が現れました。
 オスヴァルト・ゲーリング――、皆さんが良く知るあの男です。ゲーリングが母を狙い出した事で父は軍を退役し、母を連れ地球へ戻りました。
 しかし母の精神はゲーリングの執拗な追跡と揺さぶりに既に限界を迎えていたようで、結果肉体にもまた変調をきたし、ロシアで私を産んだ後、直ぐに亡くなったそうです。
 そして私がここまで成長する間、ゲーリングは情勢の悪化したパラミタで違法な武器を扱う商人として力をつけ、ボディーガードやパフォーマンスの為の契約者の旅団まで持つ様になっていました。
 そして米陸軍中尉としてゲーリングを追っていたトゥリンさんのもとへ父がやってきたその日の翌日、オスヴァルト・ゲーリングと旅団の兵士は殲滅されました」
「やったのはアレクか。
 契約者の旅団を皆殺しって……あいつの変態戦闘力はどうなってるんだ?」
 益々頭を抱える陣に、スヴェトラーナは首を横に振る。
「さあ……正直娘である私にも訳が分かりませんよあの人は。分からないけど、とてつもなく馬鹿なのと、その目的は分かっています。父は、ゲーリングが『セイレーンの産んだ娘』に興味を持っていたという情報を、トゥリンさんから得ていたそうですから。
 旅団のトップがパートナーのリュシアン・オートゥイユだと知って尚、殺してしまうなんて馬鹿な人です」
「それで死んだのか」
「特別致命傷に至る様な外傷は無かったそうですから、恐らくパートナーロストが原因とみていいと、トゥリンさんは言いました。
 それを聞いた私は……何と言うか……頭の中が真っ白になって、酷く腹立たしくて……噂を耳にしていた軍の押収品――未来人のタイムコントロールの装置を盗んで過去へ渡りました。
 私は父と母と暮らす、普通の未来が欲しかった。でも……渡った先の過去はトゥリンさんから聞いていたものとは全く違っていたんです」
「何故本来自分が居る未来は変わらないのに此処へ着た」
 ウルディカの目配せで、ベルクが彼の代わりにスヴェトラーナに質問する。
「それは……」
「過去へ渡る迄、俺は――所属していた軍部は、平行世界の概念が無かった」
 ウルディカの告白に、スヴェトラーナは自分もまた同じだと頷いた。
「数多の時空を旅した事でそれに気付き、目的に辿り着いた時点で、俺は任務の意義を失っていた」
「貴方と違って、私は目的に辿り着く事すら出来ませんでしたよ。
 何度過去へ渡っても、私達家族が三人で暮らす世界どころかアレクサンダルとジゼルが結婚した世界すら見つける事は出来なかったんです。
 ジゼルは、どの世界でも同じ様に、私の目の前で死にました。
 助けようとしても間に合わない、立ち向かっても勝つ事が出来ない。全ての世界のジゼルを殺していたのは父です。
 兵器を憎み、兵器としてのセイレーンを憎み、雑作無くジゼルを殺していく父の姿に、いつしか私の中で信頼と尊敬が、愛が崩れていきました。父という絶対の存在を見失った私は、自暴自棄になりながら父に敵対してでもジゼルを守ろうと……、何十何百と過去への移動を繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して、全ての世界で失敗しました。
 そしてこの世界へ辿り着いた時、装置は壊れていました。装置は私の世界の更に未来の技術で作られたオーバーテクノロジーもいいところな代物です。
 だからもう私は私の世界へ戻る事は出来ません」
「この世界は本来居た未来より、絶望的な事になっていくかも知れない。
 お前はそれでいいのか?」
「良く無いから、今こんなに怒ってるんですよ」
 ウルディカの肩に肘を当て、スヴェトラーナは姿勢を正した。 
「この過去は私が見てきた中で一番幸せです。両親も、世界も。
 例えこの世界にスヴェトラーナが産まれる可能性が無くても、皆が幸せで居られる世界を、私は望みます。
 だから私は、私の大切な人たちを守りたい。あんな未来もう二度とご免です。
 さてと、詮索好きの吸血鬼さん。これだけ事情を聞いたんです。両親の幸せを望む健気な子供に手を貸してくれますか?」
 スヴェトラーナが差し出した手を、ベルクは握り返して皮肉っぽい笑顔を向けた。
「俺の幸せの為だ!」